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taka's universe

尾畑春夫さん

2018-11-30 22:45:03 | 日記
(恒例のツリーです)


前にも少し書いたけれど、ボランティアで

たまたま一日尾畑さんと一緒に汗を流した

その日は受付を済ませて椅子に座っていると

少し離れたところが何やら騒がしくなった

そちらへ目をやると、例のオレンジ色の

つなぎを着たおじいちゃんが数人に囲まれて

黄色い歓声があがっていた

その後握手をしてください、とか

一緒に写真を撮って下さいとか、ひっきりなし

ミーハー嫌いのわたしはそっぽを向いて

その日の準備に念をいれていた



ボランティアは受付順に10人ごとに班が

作られる

名前が呼ばれた順に集まると、なんと

尾畑さんも同じ班になった

尾畑さんはよくしゃべる人で、冗談まじり

なのでとたんに雰囲気がなごむ

もうすぐ79歳になるといってたけど、元気!



そこから15分程歩いて行ったところにある

市民センター(当時は避難場所になっていた)

で、シャベルやら一輪車などの道具を預かって

指示されたところへ向かい作業をする

この市民センターでも、集まっていた

ボランティアや関係者がわーわーきゃーきゃー

帰る時もそうだった

15時までに全員最初の集合場所へ帰らなければ

ならないのに、リーダーに言っても帰投の指示は出ず

私は一人で戻って、一日を終えた



こんな風に書くと人嫌いがぽつんと集団に

混じっていたように思われるかもしれないけど

実は休憩中(ダウンしないように、しょっちゅう

休憩する)は尾畑さんと二人でよく話をした



「おとうさんはどこからきたの?」

これが尾畑さんから話しかけられた最初のことば

割と近くで休憩をしていたものだから

声をかけてくれたのだろう

その後の何回もの休憩でも、お昼休みでも

結構色々としゃべった

どちらかというと、声をかけられて答えるという

感じ



会社勤めが終わっても稼がなければいけないから

資格の試験を受けたんだと言うと、自分は

国民年金5万5千円だけでくらしてるよ、と

でも、今は会社が借りてくれてるマンションに

住んでるけど、家も持ってないしと答えると

自分は、父親が家を転々としていたから

中学を出てからとにかく早く家を買おうと

思って働いたんだ、と

私が東京の病院に母が長く入院していて

毎月会いに行ってる話をすると

自分も若い時に3年間東京の蒲田でとび職を

やっていて、親方に見込まれて随分稼いだ、と

母親は早くに失くした、お母さんを大事にしてね、と

飲み物は何が好き?と聞かれたので

酒の話かと思って、やっぱりビールかなぁと答えると

わたしは母乳!、だと、、、、

これはほんとにどこでも言ってるらしい

どこかで自販機を見ていたら、おばちゃんが

買ってあげるから何がいいと聞かれたので

母乳!と言ってやった、と

若い娘にもそう言うの?と聞くと

言わない、というので

若い娘にも100回くらい言ったら

一人くらい飲ませてくれるかもしれないよ

と言ってあげたけど、あまり乗ってこなかった

下ネタは好きそうなんだけど、、、

私の住んでいる隣町も断水して、容器を持って

いなかったから苦労した話をしたら

尾畑さんは海辺の清掃をいつも家族でやっていた

そうで、漁師が4リットルくらいの焼酎を

飲んではボトルを海へ捨てるので、それを

拾って、水飲みに使ってるんだと言ってた

どうも、いろいろと家族には厳しかったのかも

しれない、、、家出をした奥さんはお元気なの

だろうか



その日はテレビ局が2局来てた

1局はカメラも持たず、午後は作業着を着て来たから

何か作業をやっていたのかも、長期取材だったのか?



もう1局は、あとでわかったけれど「たけしのなんとか」

という番組で、一人でカメラを抱えながら休憩中に

インタビューもしていた

わたしはすぐそばにいたので、いやでもインタビューが

聞こえてきてしまう

マスコミがみなそうだとはいわないけれど、心根が、、、

と感じさせるやつだった

北海道の地震があった直ぐ後だったので、いつ北海道へ

行くのですか?みな待ってると思いますよ、なんて聞いてやがる

聞いてて腹がたつこと、、、そりゃ北海道の人も尾畑さんに

会えば元気がでると思うけど、顔見世パンダじゃあないんだから

ここの困ってる人のお手伝いをしたいと思って、軽自動車で

寝泊まりしながら日々汗をかき、まわりの人をなごませているのに

いつ北海道へ行くんですか?なんて聞く人間性、低俗の極み

でも、尾畑さんは表情も変えず、私はここでボランティアを

しようと思ってきたんです、ここにいます、と淡々と答えを返した

それなのに、このテレビ野郎は、更に何と言ったかというと

では、ここにはいつまでいるんですか?・・・だと

ほんとくだらない奴だよ

家がだめになっちゃた人、親しい人が死んじゃった人、そのほか

困ってる人が大勢この町にいるのに、そういう人たちの前で

「いつまで」なんて言えるのかよー

でも尾畑さんはこれにも、淡々と、することがなくなるまで

ずっとここにいます、と答えていた

わたしだったら、怒鳴ってたね、心が狭いなと反省~



たけしの番組では冒頭の1~2分でしか放映されていなかったけれど

このヒンシュク物のインタビューは、質問はテロップにされていて

テレビ野郎の低俗さは消されていた

作業中もカメラが回っていたのは知らなかったけれど、尾畑さんと

お尻を向けあって、シャベルで畑の土砂を掬っていた映像が

尾畑さんという立派な日本人と一緒に一日を過ごせた証となった

それだけはテレビ野郎に感謝しよう
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大捜査線

2018-11-24 05:16:59 | 日記
風邪をひいいてから約2週間

やっと昨日たんがほぼでなくなり

でもせきがとまらない

どうしようか迷ったけど

朝から精神安定剤を飲んだ

すると見事に収まった

医者は誰も信じないけれど

のどが刺激に弱くなって

せきがとまらなくなったときは

精神安定剤で、少し神経を

ばかにするのがいい

最近のお医者さんはおりこうに

なってしまったから、こういう

対処は嫌う

昔のベテラン町医者の知恵

あの人ももう天国



先週の金曜日の夜は

マンションの下が騒然

まわりにはパトカー、救急車をはじめ

消防車も何台もかけつけた

みな明かりをもって、川沿いの

細い道を何度も行き来して何かを

さがしている

川を50mくらい行った先の海の

先も川の中も、その横にある

ヨットハーバーも明かりを

差し込んでいる

川の向こう側も大型の消防車が

投光しながらゆっくりと進んでいる



結局何があったのか知らされず

そのうち誰もいなくなり捜索終了

気味が悪い

このあたりはあまり柄がよくない

まだやくざがいるし、企業舎弟が

なんと商工会議所の会員にもなっている

地元漁協にも現役の戦闘的やくざが

手を伸ばしている



翌日捜査していた河口で作業船がきて

浚渫をしていた

証拠探しとは思えないから、豪雨災害で

山から流れてきた土砂の浚渫か?

漁協の警戒船も出動していた

利権争いで、やくざが爆弾をしかけたとでも

吹いたのか、、、

あれだけの大捜査をやったのに、ニュースにも

ならないのがかえってこの土地の

闇の深さを象徴している



北九州程ではないけれど、生活の裏に

こうした連中がいまだ暗躍していることに

嫌気がさす
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かぜでダウン~

2018-11-16 21:27:17 | 日記
日曜日に喉が痛くなってきたと

思ったら、月曜日はせきも出て来て

身体が痛くなりはじめた、、、

火曜日は発熱

会社を休んで医者へ行き一日寝てた

水曜日熱が下がったので出社

3日ぶりでお風呂に入り、木曜日は

身体が楽に~



今回のかぜは急に悪くなり、回復も早かった

でも病み上がりなので週末の上京は断念

夜行バスのチケットは買ってあったけれど

7割返金



家内も私より一日早くかぜをひいた

先々週の土曜日に一緒に行っためがねやさんで

対応してくれたおばちゃまがせきをしていた

うつったらやだなと話をしていたけど

見事にうつってしまった。。。

これからは外出時には用心のために

マスクを持参しないと



最近遠近両用のめがねがきついと

感じるようになっていたけれど

近視の度が弱くなっていて、さらに

乱視が強まっていた

レンズを変えたら、こんなによく

見えるのかと感動!

そろそろ度の変化が少なくなって

くると言われて、安心

少し年上のベテランのおじさんの

話しは実体験が元になっているから

とても納得がいく、ありがたい
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晴れて卒業!

2018-11-13 13:06:00 | 日記
朝8時半に公開される官報に

受験番号が載っていた!!!

(先週の金曜日のこと)

長かった(約10年)苦しい受験生活と

これでお別れ!



なじみの焼き鳥屋さんで

ねぎらいの時間を持ちたかった

けれど、今夜は(金曜日)団体予約が

一杯で行けなかった。。。

それでも、災害でお店が

閑古鳥が鳴いていた日々から

脱した様子で、それはそれで

よかった



この資格を活かしてどうやって

日銭をかせいでいったらいいのか

これはまだ白紙

会社員生活の卒業まであと少し

だから、それまでの間に副業で

少しづつ慣らし運転をしていきたい

(先週の金曜日に投稿するのを

忘れてしまったので、これは

先週の金曜日のことです~)
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おやっとさあ

2018-11-02 22:47:09 | 日記
このことばを知ったのは、十数年前に

母とルーツ巡りで鹿児島へ行った時のこと

遠縁の焼酎工場の近くのスーパーに

入ったら、その工場で作っている

芋焼酎「おやっとさあ」や

「ハイカラさんの黒麹造り」がたくさん

売っていた

その時は「ハイカラさん」を買って帰った

地元のスーパーで探してみると、地元でも

売っているのを発見!その後しばらく

愛飲していたけれど、いつしか店頭から

消えてしまった

焼酎工場の株が売却されて、販売チャンネルが

変ってしまったのだろう



この工場は大正の頃に株式会社となり

初代社長は母方の曾祖父だったらしい

十数年前に鹿児島へ行った時は、伯母の

義妹が社長をしていた

伯父が亡くなった時、その人は鹿児島から

葬儀に参列していて、帰り道逗子から

東京駅まで一緒に二人で帰った

その頃は鹿児島のルーツをよく知らなかったので

残念ながら車中で話をした内容は憶えていない

もっと色々と聞かせてもらえたのに、もう

他界してしまった

彼女の息子たちの大学の学生服を、おさがりで

私が着ていたくらいしか繋がりが残っていない



NHKの西郷どんで、主人公が最近盛んに

「おやっとさあ」と言う

「おやっとさあ」が全国区になるのに

あやかって焼酎も全国区にならないものか

焼酎工場の初代社長の曾祖父は、勝海舟の

治療をしたと伝えられている縁もあるし
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