(恒例のツリーです)


前にも少し書いたけれど、ボランティアで
たまたま一日尾畑さんと一緒に汗を流した
その日は受付を済ませて椅子に座っていると
少し離れたところが何やら騒がしくなった
そちらへ目をやると、例のオレンジ色の
つなぎを着たおじいちゃんが数人に囲まれて
黄色い歓声があがっていた
その後握手をしてください、とか
一緒に写真を撮って下さいとか、ひっきりなし
ミーハー嫌いのわたしはそっぽを向いて
その日の準備に念をいれていた
ボランティアは受付順に10人ごとに班が
作られる
名前が呼ばれた順に集まると、なんと
尾畑さんも同じ班になった
尾畑さんはよくしゃべる人で、冗談まじり
なのでとたんに雰囲気がなごむ
もうすぐ79歳になるといってたけど、元気!
そこから15分程歩いて行ったところにある
市民センター(当時は避難場所になっていた)
で、シャベルやら一輪車などの道具を預かって
指示されたところへ向かい作業をする
この市民センターでも、集まっていた
ボランティアや関係者がわーわーきゃーきゃー
帰る時もそうだった
15時までに全員最初の集合場所へ帰らなければ
ならないのに、リーダーに言っても帰投の指示は出ず
私は一人で戻って、一日を終えた
こんな風に書くと人嫌いがぽつんと集団に
混じっていたように思われるかもしれないけど
実は休憩中(ダウンしないように、しょっちゅう
休憩する)は尾畑さんと二人でよく話をした
「おとうさんはどこからきたの?」
これが尾畑さんから話しかけられた最初のことば
割と近くで休憩をしていたものだから
声をかけてくれたのだろう
その後の何回もの休憩でも、お昼休みでも
結構色々としゃべった
どちらかというと、声をかけられて答えるという
感じ
会社勤めが終わっても稼がなければいけないから
資格の試験を受けたんだと言うと、自分は
国民年金5万5千円だけでくらしてるよ、と
でも、今は会社が借りてくれてるマンションに
住んでるけど、家も持ってないしと答えると
自分は、父親が家を転々としていたから
中学を出てからとにかく早く家を買おうと
思って働いたんだ、と
私が東京の病院に母が長く入院していて
毎月会いに行ってる話をすると
自分も若い時に3年間東京の蒲田でとび職を
やっていて、親方に見込まれて随分稼いだ、と
母親は早くに失くした、お母さんを大事にしてね、と
飲み物は何が好き?と聞かれたので
酒の話かと思って、やっぱりビールかなぁと答えると
わたしは母乳!、だと、、、、
これはほんとにどこでも言ってるらしい
どこかで自販機を見ていたら、おばちゃんが
買ってあげるから何がいいと聞かれたので
母乳!と言ってやった、と
若い娘にもそう言うの?と聞くと
言わない、というので
若い娘にも100回くらい言ったら
一人くらい飲ませてくれるかもしれないよ
と言ってあげたけど、あまり乗ってこなかった
下ネタは好きそうなんだけど、、、
私の住んでいる隣町も断水して、容器を持って
いなかったから苦労した話をしたら
尾畑さんは海辺の清掃をいつも家族でやっていた
そうで、漁師が4リットルくらいの焼酎を
飲んではボトルを海へ捨てるので、それを
拾って、水飲みに使ってるんだと言ってた
どうも、いろいろと家族には厳しかったのかも
しれない、、、家出をした奥さんはお元気なの
だろうか
その日はテレビ局が2局来てた
1局はカメラも持たず、午後は作業着を着て来たから
何か作業をやっていたのかも、長期取材だったのか?
もう1局は、あとでわかったけれど「たけしのなんとか」
という番組で、一人でカメラを抱えながら休憩中に
インタビューもしていた
わたしはすぐそばにいたので、いやでもインタビューが
聞こえてきてしまう
マスコミがみなそうだとはいわないけれど、心根が、、、
と感じさせるやつだった
北海道の地震があった直ぐ後だったので、いつ北海道へ
行くのですか?みな待ってると思いますよ、なんて聞いてやがる
聞いてて腹がたつこと、、、そりゃ北海道の人も尾畑さんに
会えば元気がでると思うけど、顔見世パンダじゃあないんだから
ここの困ってる人のお手伝いをしたいと思って、軽自動車で
寝泊まりしながら日々汗をかき、まわりの人をなごませているのに
いつ北海道へ行くんですか?なんて聞く人間性、低俗の極み
でも、尾畑さんは表情も変えず、私はここでボランティアを
しようと思ってきたんです、ここにいます、と淡々と答えを返した
それなのに、このテレビ野郎は、更に何と言ったかというと
では、ここにはいつまでいるんですか?・・・だと
ほんとくだらない奴だよ
家がだめになっちゃた人、親しい人が死んじゃった人、そのほか
困ってる人が大勢この町にいるのに、そういう人たちの前で
「いつまで」なんて言えるのかよー
でも尾畑さんはこれにも、淡々と、することがなくなるまで
ずっとここにいます、と答えていた
わたしだったら、怒鳴ってたね、心が狭いなと反省~
たけしの番組では冒頭の1~2分でしか放映されていなかったけれど
このヒンシュク物のインタビューは、質問はテロップにされていて
テレビ野郎の低俗さは消されていた
作業中もカメラが回っていたのは知らなかったけれど、尾畑さんと
お尻を向けあって、シャベルで畑の土砂を掬っていた映像が
尾畑さんという立派な日本人と一緒に一日を過ごせた証となった
それだけはテレビ野郎に感謝しよう


前にも少し書いたけれど、ボランティアで
たまたま一日尾畑さんと一緒に汗を流した
その日は受付を済ませて椅子に座っていると
少し離れたところが何やら騒がしくなった
そちらへ目をやると、例のオレンジ色の
つなぎを着たおじいちゃんが数人に囲まれて
黄色い歓声があがっていた
その後握手をしてください、とか
一緒に写真を撮って下さいとか、ひっきりなし
ミーハー嫌いのわたしはそっぽを向いて
その日の準備に念をいれていた
ボランティアは受付順に10人ごとに班が
作られる
名前が呼ばれた順に集まると、なんと
尾畑さんも同じ班になった
尾畑さんはよくしゃべる人で、冗談まじり
なのでとたんに雰囲気がなごむ
もうすぐ79歳になるといってたけど、元気!
そこから15分程歩いて行ったところにある
市民センター(当時は避難場所になっていた)
で、シャベルやら一輪車などの道具を預かって
指示されたところへ向かい作業をする
この市民センターでも、集まっていた
ボランティアや関係者がわーわーきゃーきゃー
帰る時もそうだった
15時までに全員最初の集合場所へ帰らなければ
ならないのに、リーダーに言っても帰投の指示は出ず
私は一人で戻って、一日を終えた
こんな風に書くと人嫌いがぽつんと集団に
混じっていたように思われるかもしれないけど
実は休憩中(ダウンしないように、しょっちゅう
休憩する)は尾畑さんと二人でよく話をした
「おとうさんはどこからきたの?」
これが尾畑さんから話しかけられた最初のことば
割と近くで休憩をしていたものだから
声をかけてくれたのだろう
その後の何回もの休憩でも、お昼休みでも
結構色々としゃべった
どちらかというと、声をかけられて答えるという
感じ
会社勤めが終わっても稼がなければいけないから
資格の試験を受けたんだと言うと、自分は
国民年金5万5千円だけでくらしてるよ、と
でも、今は会社が借りてくれてるマンションに
住んでるけど、家も持ってないしと答えると
自分は、父親が家を転々としていたから
中学を出てからとにかく早く家を買おうと
思って働いたんだ、と
私が東京の病院に母が長く入院していて
毎月会いに行ってる話をすると
自分も若い時に3年間東京の蒲田でとび職を
やっていて、親方に見込まれて随分稼いだ、と
母親は早くに失くした、お母さんを大事にしてね、と
飲み物は何が好き?と聞かれたので
酒の話かと思って、やっぱりビールかなぁと答えると
わたしは母乳!、だと、、、、
これはほんとにどこでも言ってるらしい
どこかで自販機を見ていたら、おばちゃんが
買ってあげるから何がいいと聞かれたので
母乳!と言ってやった、と
若い娘にもそう言うの?と聞くと
言わない、というので
若い娘にも100回くらい言ったら
一人くらい飲ませてくれるかもしれないよ
と言ってあげたけど、あまり乗ってこなかった
下ネタは好きそうなんだけど、、、
私の住んでいる隣町も断水して、容器を持って
いなかったから苦労した話をしたら
尾畑さんは海辺の清掃をいつも家族でやっていた
そうで、漁師が4リットルくらいの焼酎を
飲んではボトルを海へ捨てるので、それを
拾って、水飲みに使ってるんだと言ってた
どうも、いろいろと家族には厳しかったのかも
しれない、、、家出をした奥さんはお元気なの
だろうか
その日はテレビ局が2局来てた
1局はカメラも持たず、午後は作業着を着て来たから
何か作業をやっていたのかも、長期取材だったのか?
もう1局は、あとでわかったけれど「たけしのなんとか」
という番組で、一人でカメラを抱えながら休憩中に
インタビューもしていた
わたしはすぐそばにいたので、いやでもインタビューが
聞こえてきてしまう
マスコミがみなそうだとはいわないけれど、心根が、、、
と感じさせるやつだった
北海道の地震があった直ぐ後だったので、いつ北海道へ
行くのですか?みな待ってると思いますよ、なんて聞いてやがる
聞いてて腹がたつこと、、、そりゃ北海道の人も尾畑さんに
会えば元気がでると思うけど、顔見世パンダじゃあないんだから
ここの困ってる人のお手伝いをしたいと思って、軽自動車で
寝泊まりしながら日々汗をかき、まわりの人をなごませているのに
いつ北海道へ行くんですか?なんて聞く人間性、低俗の極み
でも、尾畑さんは表情も変えず、私はここでボランティアを
しようと思ってきたんです、ここにいます、と淡々と答えを返した
それなのに、このテレビ野郎は、更に何と言ったかというと
では、ここにはいつまでいるんですか?・・・だと
ほんとくだらない奴だよ
家がだめになっちゃた人、親しい人が死んじゃった人、そのほか
困ってる人が大勢この町にいるのに、そういう人たちの前で
「いつまで」なんて言えるのかよー
でも尾畑さんはこれにも、淡々と、することがなくなるまで
ずっとここにいます、と答えていた
わたしだったら、怒鳴ってたね、心が狭いなと反省~
たけしの番組では冒頭の1~2分でしか放映されていなかったけれど
このヒンシュク物のインタビューは、質問はテロップにされていて
テレビ野郎の低俗さは消されていた
作業中もカメラが回っていたのは知らなかったけれど、尾畑さんと
お尻を向けあって、シャベルで畑の土砂を掬っていた映像が
尾畑さんという立派な日本人と一緒に一日を過ごせた証となった
それだけはテレビ野郎に感謝しよう