五行目の先に

日々の生活の余白に書きとめておきたいこと。

4月30日(月)晴:夜桜

2007-04-30 23:24:24 | Weblog
 朝8時半起床。母の体調はいまだ戻らず。昨日に続いて点滴を打ってもらうため、総合保健センターに連れて行く。

 待ち時間の間、両親の帰りの切符を変更するため、弘前駅に行く。まだそれほどの混雑ではなかった。城東口のほうの側線には、JR北海道のリゾート気動車「ノースレインボーエクスプレス」が停まっていた。



 お祭りなどのイベントに合わせた臨時列車や団体列車はマニアの注目を集めるものだが、この珍しい車両にカメラを向けている人は周りにはいなかった。

 長くかかりそうなので、父と近所をドライブする。藤崎から板柳を通り、鶴田の道の駅まで行ってみる。物産販売所の前で鰺ヶ沢のイカ焼きを売っていたので買って食べる。やわらかくて実にうまい。

 どうにか母親も少し食欲が出てきたようで、安堵する。部屋に送り届けた後、少しの間大学で仕事をする。弘前公園の桜とは比ぶべくもないが、うちの大学のキャンパスにも結構な本数の桜が植えられていて、こちらもまさに見頃である。



 夕食の買い物をしてから帰宅。母はおかゆを食べることができ、血色もかなりよくなってきた。何とか東京に戻れそうだ。少しだけなら大丈夫そうだというので、夜桜見物に出かける。幸い、風もまったくない。

 弘前公園は、夜8時半を過ぎてもかなりの人出である。追手門近くのお濠端を歩いていたら、F先生とY先生にお会いした。いくら狭いところとはいえ、これだけの人がいるところで、何というか、絶妙のタイミングである。こういうことってあるんだなあ。両先生には、記念写真を撮っていただいた。

 先週訪れた際には、つぼみのままだった木々が、見事に咲いている。大きな枝垂れ桜も、ライトアップされて幻想的な出で立ちになっていた。



 絵葉書などにもよく使われる天守閣のあたりも、お濠に桜の木が映って実に美しい。まだ、水面にはほとんど花びらが落ちていない。まさに今日が見頃なのだろう。うっかりデジカメを持参しなかったことを後悔した。







 風もなく、あたたかな陽気の一日だったとはいえ、少し冷え込んできた。本丸への橋を渡ったところで、母の体調を考えて引き返す。ほんのさわりだけとはいえ、やはりこの桜を観てもらわなくては、わざわざ弘前までやって来た意味も半減である。何とか間に合ってよかった。

 宿舎まで、少し遠回りをして弘前の中心部をドライブして戻る。何も急いでこの町を味わい尽くさなくてもいい。少しずつ、四季折々の弘前を楽しんでもらえたらと思っている。

4月29日(日)晴ただし強風:急患

2007-04-30 00:12:34 | Weblog
 朝7時半に父に起こされる。昨夜母が寝ているうちに食あたりを起こしたらしく、両親ともほとんど眠っていないという。インターネットで休日診療をしてもらえるところを探す。

 僕はこちらに来てから、大学のホケカンを除けば、まだ一度も弘前の医者にかかっていない。だからどこへ行ったらよいのかも全然わからなかった。市の総合保健センターの1Fが急患診療所になっているのを知り、受付時間の10時を過ぎたところで母を連れて行く。行ってみて驚いた。待合室はあふれんばかりの混雑である。いったん戻ってまた来ようか、といったが、どうやら混雑しているのは小児科のほうらしく、内科はそうでもないという。

 弘前は、うちの大学が医学部をもっていることと関係しているのか、医院の数は多いほうだと思う。しかしそれでも医者不足の話しはよく耳にする。大学としても、地元に根づく医者の卵を確保するのに苦労しているようだ。ましてや、「儲け」の少ない小児科医のなり手は少ないとのこと。

 先日の市議選の候補者の中には、救急医療センターの設置を公約に掲げている人は何人かいたが、子どもの医療に関してはほとんど言及されていなかったように思う。まあ、授業が行われている大学のキャンパスの近くであろうと全くおかまいなく、宣伝カーから大声で名前を連呼するような議員さん(連呼しているのは本人ではないだろうが、非常に不愉快だった)たちに、その辺の事情を分かって欲しいなどと期待することのほうが難しいのかもしれない。

 母の点滴を待つ間、保健センターの隣のTSUTAYAでDVDやCDを物色。以前は授業の行き帰りに立ち寄って、何か授業に使えそうなものがないか、あれこれネタ探しをやっていたが、こちらに来てからはずっとサボってしまっていた。久しぶりに棚から棚を目を皿のようにして回る。90年代のドラマ主題歌を集めたオムニバスCDを数枚借りる。本当はJ-POPのビデオクリップ集のDVDを借りたかったのだが、レンタルのほうには商品がなかった。

 父と「うどんや一番」で昼食。僕らも昨日は母と同じものを食べたはずなのだが、とくに異常はない。しかし、ちょっと慎重になって消化のよい食事にした。

 宿舎に戻って、母の世話は父がしてくれるというので、大学に出て金曜日の授業の講義記録を完成させる。いい質問が多くて、あれこれ調べものをしながらコメントを書いた。7時過ぎまで雑用をして、少しばかり食料品を買って、今日も宿舎での夕食。子どものころ、現在の実家に移る前に住んでいた四畳半二間の借家のころを思い出すね、と話しながら食べる。

 昔から家族旅行をすると、誰かしら体調を崩すというのがうちの伝統(?)で、今回もそれを踏襲する形になってしまった。泊まったのが一日中寝込んでも気兼ねをしないで済む僕の部屋だったというのが不幸中の幸いだったといえるのかもしれない。

4月28日(土)晴:奥入瀬・十和田湖・黒石へ

2007-04-29 00:05:04 | 
 朝8時半に起床。3人での朝食というのは久しぶりだ。野菜ジュースとトースト2枚を食べる。今日はとてもあたたかい。桜も一気に開花することだろう。

 弘前市内の混雑を避けて、国道102号を十和田湖方面に走る。途中、394号のほうに折れて、酸ヶ湯温泉方面へ。途中の城ヶ倉大橋のたもとの駐車場に車を停めて、橋の上を歩く。この橋は上路式アーチ橋としては日本一とのこと。山々の向こうに遠く岩木山を望む。こうしたところから眺めても、やはりこの山は美しい。



 酸ヶ湯温泉のあたりはまだまだ雪が残っていて、除雪車が切り開いた雪の壁の間を走る。標高が高くなるにつれて壁が高くなる。道はくねくねの山道。対向車に注意しながらの運転は、これまで経験したことのないスリルに満ちたものだった。

 標高1020メートルの傘松峠を過ぎるとしばらく下り、奥入瀬渓流に出る。紅葉の名所と聞いてはいたけれど、道に沿って長い遊歩道が整備され、木々と苔むした岩が何ともいえない情景を作り出している。なるほど、これは確かに秋に来たらさぞかしいいだろう。でも、これから新緑というこの季節も悪くはない。路肩に車を停めて、少しだけ遊歩道を歩いてみる。


 
 渓流の向きとは反対に走っていくと、十和田湖に出る。周りをすべて山に囲まれた中で、これだけ広々とした湖があるというのは何とも不思議な感じがする。

 休屋の駐車場に入り、乙女の像まで湖畔を歩く。風もほとんどなく、ぽかぽか陽気。湖面に映る日光がまぶしい。



 十和田湖をぐるりと一周してから虹の湖に立ち寄る。母親がけの汁の具を買ってきた。今晩の夕食はこれに決まり。

 黒石の市街に出る。僕の大好きなこみせ通りを両親にもみてもらう。本当にこの街は何度訪れてもいいところだ。作りものではない「明治」「大正」「昭和」が残っている。さほど長くない通りではあるが、散歩をしながらもの思いにふけるには最高の場所だ。火の見櫓ひとつとってみても、実に素敵なデザインをしている。



 重文にも指定されている高橋家住宅の喫茶店がオープンしていたので入る。冬に訪れたときは休業中だった。自家製のアップルパイとコーヒーをいただく。サービスでりんごも出していただいた。しばし、この家とお店を守っている奥さんとお話しする。関東のご出身だそうで、こちらに嫁がれて苦労されたこと、古い家を維持するための細やかな心配りなど、とてもいいお話しを聞かせていただいた。

 津軽の人々に関するお話しも興味深かった。津軽人の三ふりというのも初めて聞いた。「えふり」、「あるふり」、「おんべだふり」のことで、それぞれ「見栄っ張り」、「ある振り」、「知ったか振り」を意味するのだそうだ。津軽弁というのは、なかなかすぐれた言語だと思う。短い音韻で、かなり複雑なニュアンスを表現できる。「あずましい」なんていう感情表現などは、それをきちんと説明しようとすると、かなりの文字数が必要になる。

 それにしても、古い家であるにもかかわらず、通気性に優れていたり、耐震性が考慮していたりと、様々な工夫がされているというのには驚いた。しかも、このような古い邸宅はたいてい一度は解体修理をしているものだが、この高橋家住宅はそれさえ経験していないとのこと。気候が厳しい津軽にあって、その設計と建築の確かさは素晴らしい。

 さくら野で食材を買い込み、宿舎で母の作ったけの汁、虹の湖の売店で求めた山ウドと菜の花のおひたしの夕食。何も外食しなくても、地のものは十分に味わうことができる。

 今夜も「花の湯」に行く。父はことのほかここのお湯が気に入ったようだ。確かに、この辺の温泉にしては温度が高くないので、長く入っていられる。明日も、津軽平野を車で走るつもりだ。

4月27日(金)晴:両親来る

2007-04-27 23:20:14 | Weblog
 8時起床。いつもより早めに大学に着く。着くなり今日の講義ノートにあれこれ手を入れる。いくらか余裕をもって作っているつもりなのだけれど、後から後からいじりたくなって、結局直前までバタバタしてしまう。何とか午前中のうちにケリをつけた。

 昼食はスコーラムで。『鉄道ひとつばなし2』を持参。今日は日本全線シンポジウムの部分を読む。日本の鉄道(JRだけでなく、私鉄も含む)を擬人化して、それぞれが自己主張をし合うという内容。とても面白い。これはもはや一種の芸として成立している。原武史さんの場合、趣味と研究とが絶妙に重なり合っているが、ゴーストライターがいるんじゃないかと思えるくらいの「遊び」と「仕事」の書き分けの妙技に感心する。1時間くらい、コーヒーとジュースとを交互におかわりしつつ読んだ。

 5時限の授業まで、野村一夫さんの『リフレクション』(文化書房博文社)を再読。この先の講義に使えるところはないか、ネタ探しをする。たくさん魅力的な部分があるのだが、うまく僕のほうで授業として再構成できるかどうか。

 社会学概論の授業では、オープニング・テーマとしてディーン・マーチンの「You're nobody till somebody loves you」をかけた。大久保先生の『きみたちの今いる場所』の「2つのカレーライス」の部分への前フリである。授業の直前に思いついたのだが、やっぱり英語の歌詞では伝わり方がイマイチだったようだ。今回は、ミュージカル「contact」の曲をどこかで流すという自分勝手な願望をかなえただけだから仕方がないか。

 前回よりもいくらか難易度(というより抽象度)を上げたつもりだったが、今回のほうがわかりやすかったという感想が多かった。やはり教える側と学ぶ側との感覚は一致しないものなのだな。「講義記録」のプリントに掲載した鋭い質問やコメントに触発されたのか、前回より質問・コメントの質も高かった。

 この授業には僕のゼミ生が2人とも出てくれているので、終わった後に感想を聞く。そこでわかりづらかった点などをチェックするようにしている。

 いったん宿舎に戻り、すぐに車で両親を弘前駅に迎えに行く。GWの旅行先を秋田と弘前にして、数日僕のところに滞在することになっている。せっかくなので僕もしばらく仕事を忘れることにする。まずは「真そばや 會」で會そばを食べる。研究室にちょっと寄ってから宿舎へ。初めて来た母親は、もっと汚いところを想像していたようだ。さすがに宿舎の風呂は狭く、汚いので、「花の湯」に行く。明日の行き先は朝起きてから決めることにした。

4月26日(木)雨後曇:夕方の散歩

2007-04-27 01:47:54 | Weblog
 朝8時半起床。雨が降っていたかと思ったら、急に明るくなったりする。自転車で出ようとしたら、また降り出した。昨日から、少し喉が痛いこともあって、バスで大学に行く。

 午前中に何人か、履修登録確認のハンコをもらいに学生さんがやってくる。上限の30単位をオーバーしていなければただサインをして、押印すればいいのだが、履修漏れや修正が必要なときなどは、対処法をきちんと理解できていないので、困惑する。教務課のほうに電話で問い合わせて事なきを得たが、後になって、事前に配布されたプリントをきちんと確認していなかったことに気づく。反省。

 昼食はスコーラムで。チキンのトマト煮の日替りランチ。『鉄道ひとつばなし2』の続きを読む。本当は一気に読み通したいところだが、お昼休み限定で、ちびりちびりと読んでいくのも楽しい。キリのいいところで研究室に戻る。

 4限目の公民演習は、『反社会学講座』の第4・5回を読む。山田昌弘さんの『パラサイト・シングルの時代』や佐藤俊樹さんの『不平等社会日本』といった本を読んだことのない学生さんたちなので、これらが提起した問題を説明しながら進めていった。パオロ・マッツァリーノさんが批判する社会学言説だけでなく、マッツァリーノさんに対する批判もきちんとできたので、いい議論になったと思う。

 雨もしばらく降りそうにないので、土手町まで散歩に行く。紀伊國屋書店で新刊書をチェックする。生協にも新刊のコーナーはあるが、売り場が狭いだけに数が限られる。その点紀伊国屋の品揃えはなかなかいい。

 アーケードを進んで、「Tea&Co」に入る。紅茶とコーヒーの専門店。奥は狭いけれど、喫茶店になっている。ペパーミントティー(525円)を注文する。銀色のお盆にカップ、砂糖、茶こし、ビスケット、お冷や、蜂蜜が載っている。紅茶はティーポットで後から運ばれてくる。胃の調子が悪いときにはペパーミントティーはいい。付け合わせの蜂蜜をスプーンですくって、少しずつ溶かしながら飲む。喉の違和感もかなり和らぐ。照明が暗いので、本を読むにはあまり適していない(今日はここでも『鉄道ひとつばなし2』を読んだ)が、ジャズが流れ、雰囲気がとてもいい。平日の夕方とあって、客は僕一人しかいなかった。ここに来ると、ぜいたくな時間を過ごした気分になる。土手町周辺には、ここ以外にもしゃれたカフェが結構ある。まだまだ開拓途上である。

 今日このお店にやってきたのは、贈り物用の紅茶を求めるためで、ペパーミントティーの代金を払う際に2種類選んだものを包装してもらった。

 この時間帯に土手町を歩くというのは初めてのことで、そこそこに人出もあり、町の雰囲気そのものを楽しむことができた。たまにはこういう散歩もいいかもしれない。

 「Tea&Co」は橋のたもとにあって、橋の上からは中央弘前駅を望むことができる。ちょうど電車が停まっていたので、弘高下までひと駅乗ることにする。座席がひととおり埋まるくらいの乗客がいた。たった2分だが、十分電車に乗った気分になれる。

 研究室で明日の授業の準備。5時限のこの授業が終わると、GWである。夜11時半を回って、Y先生の車に便乗させていただいて宿舎に戻ろうとすると、雪が降ってきた。今夜は少々冷える。

4月25日(水)曇後雨:課外授業

2007-04-26 00:34:35 | Weblog
 朝8時半起床。トースト2枚の朝食。車で大学へ行き、ゼミ生のAさんとWさんを乗せて弘前公園へ。一昨日に続いて、さくらまつりの中でのゼミの課外授業である。

 午前中ということもあって、観光館の駐車場に車を止めることができた。それでも場内に入ると結構な人出がある。旗を持ったガイドさんに誘導された団体の姿も見受けられる。ようやく昨日開花宣言が出たばかりだから、せいぜい一分咲き、いやそこまでにもなっていないかもしれない。早めの開花を予想して遠方から来たと思しき人々は、一様に残念がっていた。

 一昨日にもみた天守閣前の枝垂れ桜は、全体的に花が開いてきて、ここが一番の人気スポットになっていた。天守閣にも上がってみる。弘前城の天守閣は、隅櫓を改築したものだから、当然狭い。そこに人が続々と入っていく。しかし階段が急で狭いので、うっかり登ってしまったお年寄りは大変だ。おかげで下り階段の前で渋滞が生じていた。

 本丸北面から岩木山を望む。一昨日の夕日を浴びた逆行のシルエットの岩木山も美しかったが、今日眺めたほうがやはりいい。裾野の広さと、真っ白な3つの頂上。これこそ津軽の人が誇りにする岩木山の秀麗な姿である。

 本丸の桜もちらほらとは咲いている。これまで開花途中の桜の木を目を凝らして眺めるなんていうことはなかったから、こういうのをみるのもいいのかもしれない。

 出店が多く出ているあたりから、北の郭のほうに回ってみる。桜のトンネル道と名付けられているところは、満開ならさぞ素晴らしいだろうが、こちらはまだほとんど蕾のままである。そんなこんなで城域をほぼすべて歩き回ったことになる。僕は全然疲れなかったが、彼女たちは付き合わされて大変だったかもしれない。北の郭のお堀には、鴛鴦が泳いでいた。写真は雄しか写っていないが、すぐそばに雌もいた。鴛鴦夫婦とはこのことか、と感心する。

 何か食べよう、ということで、おさつスティックを買う。若い人にしてはなかなか渋いチョイスである。要するに棒状に切ったさつまいもを素揚げして、砂糖を振りかけたものだ。素朴だが、甘すぎず、そんなに脂っこくもなく、おいしかった。3人でベンチに腰掛け、さつまいもをつまみつつ、歩いている人を例にゴッフマンの「儀礼的無関心」の話しをする。ナマの事例を使って説明するというのは教室の中ではなかなかできないものだから、こういった機会を積極活用する。ただし、社会学的なお話しはここでのみ。

 再び本丸の中を通って追手門のほうへ。途中で僕のたっての希望でりんごアイスを食べる。おばあさんたちが屋台を引いて売っているもので、コーンに2度、アイスをぎゅっぎゅっと押し込んで渡してくれる。100円という値段もさることながら、バニラアイスとも、シャーベットとも違う独特の食感と、甘みの少ないさっぱりした味わいが大好きだ。

 Wさんの午後の授業に間に合うように2人を大学に送り届け、僕は宿舎に車を戻してからバスで大学に引き返す。ちょうど雨が降ってきた。何とか花見の間降らずに済んでくれてよかった。

  スコーラムで遅めの昼食。「社会学の基礎」でご一緒するS先生に、授業の様子をお聞きする。先生に、僕の基礎ゼミの学生さんがS先生のことを、マリナーズの城島「に」似ている先生、といっていたので、正しい日本語として、城島「が」似ている、というべきだ、と正しておきました、というと笑っておられた。だってS先生のほうが先にお生まれになっているのだから。しかし本当に似ておられるのである。

 午後は研究室で講義ノート作り。途中で昨日も来てくれたOさんがやって来て、卒論構想について少しばかり意見する。着眼点もいいし、よく勉強していると思うので、頑張ってもらいたい。

 夕食は生協食堂で。昨日に続いてI先生とご一緒させていただく。東京に就職活動に出る学生さんと武蔵野や多摩の話しになって、住んでいるときには何のありがたみも感じなかったけれど、離れてみるとあの辺もよかったですねえ、としみじみ語る。I先生と同様、僕も中央線沿線が大好きだった。いつの間にか、故郷を思うようなところに来てしまったのだなあ、と思う。

4月24日(火)晴:来客

2007-04-25 00:36:47 | 仕事
 朝8時半起床。これまでの朝食のパターンを珍しく崩して、シリアルを食べる。毎日食べたいとは思わないけれど、牛乳も摂れるし、意外と腹持ちもいい。

 昨日計算した宿舎の共同費の掲示を3つの階段のところに貼る。これが月当番の仕事の中で最も重要なもので、あとは集まったお金を振り込むのみ。初めてのことなので、何かと気ぜわしい。

 畏友A君からのメールに返事を書く。昔からのことなのだが、A君の書くメールというのはウィットに富んでいて、実に面白い。読んでいて声を出して笑ってしまう。あの生真面目な人物のどこにこれだけのユーモアのセンスがあるのだろう。僕などはついつい常に「狙って」しまうのだが、本当にウケるのはA君のような滅多に抜かない刀の鋭い切れ味なのである。

 今日はTuesday実習の日だが、附属中学校に行くのは来週からで、学内で準備作業。学生さんたちの作業の進み具合をみて、研究室に戻る。しばしぼーっとする。原武史さんの『鉄道ひとつばなし2』(講談社新書)をぱらぱらと拾い読みする。鉄道マニアからの厳しいツッコミがあるのだろうか、冒頭から鉄道マニア本ではなく、鉄道を切り口にした社会史に関心がある、といった予防線が張られている。僕などからすると、原さんは立派なマニアだと思うのだが、上には上がいるようで、以前に出された『「民都」大阪対「帝都」東京』(講談社選書メチエ)には、そのスジのマニアからあれこれ誤りを指摘されたそうだ。

 4時限目が終わったところで、Tuesday実習の学生さんたちが今日の活動記録を綴じたファイルを持ってくる。簡単に目を通す。実際には実習授業が始まってから、あれこれ記述の量が増えていくのだろう。

 基礎ゼミのTさんが自己紹介シートを持ってきてくれて、しばし雑談。途中で公民科の2人の4年生がやってきて、少しばかり卒論の話しをする。来週卒論構想発表会があるのだ。記憶をたどってみれば、確かに僕も4年生の頭から卒論ゼミで大久保先生にご指導いただいてはいたが、さほど早くから準備したというわけでもなかった。今の学生さんは、あれこれ手厚いサポートを受けられる反面、スケジュール的に結構かつかつで、大変だなあ、とも思う。

 今日は何かと研究室の人の出入りが多かった。ゼミ生が少ない僕の研究室には、普段はあまり人が来ないのだが、これくらい賑やかなほうがいい。たまたま忙しくなかったというのもあるのだけれど。

 生協食堂に夕食を食べに行くと、人文学部のH先生、Y先生(日本文学)、Y先生(社会学)、うちの学部のI先生のテーブルに誘っていただいた。この集まりだと、ほとんど仕事の話しにならない。しかも、周りに学生がいるにもかかわらず、結構なバカ話しをやっている。僕も周囲などお構いなしに大声でしゃべり、笑う。ああ、今日もいい一日だったなあ、と思えるような、幸せな「食卓」である。

4月23日(月)曇後晴:花なき花見

2007-04-24 01:28:08 | Weblog

 朝8時起床。棟の当番のことで、長く住まわれている方に相談に行く。いろいろと細かい規定があっても、例外的なことは起きるもので、とりあえず勝手に対処するのは賢明でないと判断した。

 大学に着くと演習やゼミの購読文献のマスターコピー作り。大学院生のころを懐かしく思い出す。

 3時限目の社会学特論は、テキストのテレビ批評を実際にやってもらうことにする。素材はNNNドキュメント07の「ネットカフェ難民」(1月28日放送)。この30分のドキュメンタリー番組を、メディア検証機構というNPO法人が行っている5つの評価基準に照らして採点してもらった(1つの項目を1~5点で採点し、トータル25点満点)。僕も含めた5人の採点は結構ばらついた。そのあとで個々の項目について、採点理由を述べてもらい、議論する。それぞれ鋭い着眼点をもっていて、僕としては面白い討論になった。ちなみに、5人の当該番組に対する評価の平均点は15.2点だった。100点満点なら60点ちょいだ。

 4限の空き時間はドーナツを2つ食べる。本当はドーナツにはコーヒーがよく合うのだが、ここ数日また胃の調子が今ひとつなので、ほうじ茶で我慢する。

 夕方の基礎ゼミナールは、教室を出て弘前公園に行くことになっている。大学から弘前公園は、ちょっと交通が不便で、直通のバスもないし、歩くには少し遠い。研究室にやってきた学生さんが、ほとんどの人が自転車で行くだろうというので、残りの人を車で運べばいいということになり、いったん宿舎に戻って車で大学へ。ところが、待ち合わせ場所の正門に行ってみると、自転車のない学生が8人。やむなく2往復して運ぶことにする。

 弘前公園のさくらまつりは、開花予想が早まった関係で、予定より2日前倒しの21日から始まっているが、まだ開花宣言は出ていない(今日だったようだ)。実際、公園に行ってみてもほとんど蕾のままである。かろうじて天守閣(御三階櫓)の近くの枝垂れ桜が咲いていた。それでもまだこの程度だ。

 見上げて眺めるものがないので、ついつい先へ進む足取りも速くなる。とはいえ、本丸北側から望む岩木山の姿はなかなか美しかった。ここから眺める岩木山の雄大さは格別だ。津軽の殿様も、その辺を意識していたとしたら、なかなか情趣にあふれた城主だといえる(失礼)。

 若い人たちにとっては、花も大事だが、団子はより大事である。みんなで名物のこんにゃく(真っ黒な色をしているが、そんなにしょっぱいわけではない)、嶽きみ(岩木山の麓で採れるとうもろこし。甘い)、からあげくん(油ものが苦手な僕は回避)、チョコバナナを食べた。昨年の非常勤先から、給与査定の間違いで、思いがけない送金があったから、学生さんたちに還元(というのはちょっと違うな)。悪銭身に付かずともいうし(ますます違うな)。こんにゃくをみんなで食べていたら、近くにいた手相見のおばさんが、学生たちと話し込んでいるうちに「先生は情の厚そうな唇をしていること」といってきた。そ、そうですか。そんなこといわれたのは初めてです。でも、悪い気はしません。チョコバナナを食べたのは、おそらく人生で2回目。前回は20年以上昔のことである。左手を腰にやってしまうあたり、僕もトシを取ったということか。

 ずっと食べ歩きといった感じで、ビニールシートを敷いての宴会といった感じにはならなかったけれど、思いのほか親睦は深まったかもしれない。僕も各自とあれこれ話してみて、キャラクターが把握できるようになった。みんな、素直で明るく、実にいい学生さんたちである。

 日も落ちて、灯籠に明かりがつくと、花はなくてもかなりいい雰囲気になってきた。ライトアップされた天守閣の白壁もとても美しくみえる。暗くなってしまったけれど、みんなで記念撮影。僕が入っているものもあるのだが、写りが今ひとつなので、学生さんたちだけのものを。

 大学からちょっと行ったところにこんな場所があるというのはいいなあ。弘前城にはこれまでにも何度か来ているのだけれど、みんなで賑やかに来るとまた違った味わいがある。

 そうそう、ここをみてくれている学生さんたちへ。優しい(?)のは今日くらいで、連休明けからビッシビシ行きますからね。覚悟しておくように。


4月22日(日)曇時々雨:「週末」

2007-04-23 00:51:45 | 音楽
 朝10時に起きる。トースト2枚。コンデンスミルクを塗って食べる。トーストの朝食というのは不思議と飽きない。そういうものと思っているからだろうか。実家にいるときからずっとそうだ。でも、塗るものはあれこれ冷蔵庫に揃えてある。スライスチーズ、ピザソース、ピーナッツバター、コンデンスミルク、無塩バター、りんごジャム、レモンジャム、夏みかんジャム、いちごジャム。われながら錚々たるラインナップである。

 大学に行く前に市議会議員選挙の投票に行く。投票所の弘前実業高校に入ると、ランニングをしている野球部員から次々と「こんにちは!」と威勢のいい挨拶をされた。なんだかさわやかな感じでいいなあ。

 金曜日の授業の講義記録を作る。初回にしては質問のレベルが高い。僕もかなり考えながら返答を書いた。これは先が楽しみである。でも、相変わらず板書の注文があるなあ。大学の授業でまともな板書など期待してはいけない。話しを聴いて、自分でメモをまとめてこそ大学生だと思うのだが。大学はどこまで学生を甘やかすつもりなんだろう。

 バンパーの取り付け準備が整ったとの連絡を受けて、車を持っていく。1時間ほど作業に時間がかかります、とのことだったので、待合室でコーヒーを飲みながら明日の大学院の授業の文献を読む。すでに一度読んでいて、話しの進め方も考えてあるのだが、不意に使えそうな映像を思いつく。そうだ、あれを観てもらえばいい。それでこの視点で分析をしてもらい、こんなふうに議論をして…と展開がひらめいてくる。こういう瞬間が楽しい。なかなか進まないドラマの筋書きが、一気にみえてきたような気分になる。

 僕の場合、考えごとのほとんどは授業の展開に関してで、あーでもないこーでもないと行ったり来たりしている。所詮1回の授業は90分しかないのだから、そんなにあれこれ考えなくてもいいのだろうけれど、性分というか、やっぱり授業が好きなのだ。こういう思案をもうちょっと研究の方面にも向けられるといいのだけれど。

 ひととおり展開を頭の中で整理したところで、作業も完了した。再び大学に戻る。作りかけの「講義記録」を完成させ、その後書類書き。ほとほどで切り上げて、ガストで夕食を摂り、桃太郎へ。閉店時刻ぎりぎりまでお湯に浸かる。

 帰宅して、インターネットでギタリスト浅野“ブッチャー”祥之さんの訃報を知る。ブッチャーさんは角松敏生の音楽に欠かせない一人である。昨年、ベーシスト青木智仁さんが亡くなったばかり。ブッチャーさんもまだ48歳の若さだ。角松さんの音楽そのものは変わらないとしても、青木さんや浅野さんのサウンドは、もう生で聴くことはかなわない。

 たまたま、今日は車の中で角松さんのCD『存在の証明』をかけていた。この作品に「週末」という曲がある。その歌詞の中に大好きなフレーズがある。

 「七つの毎日それぞれに想いがある/誰もが浮かない顔のまま通り過ぎて行く/
 だけどまだ捨てたもんじゃない/振り向けば何て素敵な時間」
 「Take me for a night/わずかだけど週末があるから/
 Take me for a love/無くしたものが見つけられる気がしたら/それでいいよね」

この曲でもブッチャーさんがギターを弾いている。素敵な曲は、いつまでも、その人の記憶とともに。

4月21日(土)曇:岩盤浴

2007-04-22 12:25:51 | Weblog
 10時まで眠る。選挙の宣伝カーの声に起こされて、気だるい気分でトーストを2枚食べる。

 洗濯をし、ひととおり干し終わってから部屋の掃除に取りかかる。今度の週末に両親がやってくるので、一応それなりにきれいにしておかねばならない。こういう外的な刺激がないと部屋はひたすら散らかし放題のままだから、たまには誰か人が来てくれるというのもいいのかもしれない。

 途中パスタを茹でてナポリタンソースとからめて食べる。われながら茹で加減は絶妙である。200円かかっていないのだから、自宅で食べると安いもんだ。

 くみあいマーケットとサンデーを回って買い物。実家にいたころからの「生協指向」というのは今でも続いている。なんとなく安全で安心、という気がするのだ。他にもいいスーパーはたくさんあるのだが。それとこのくみあいマーケットの建物は正面からはよくわからないが、裏手に回るとなかなか見事な煉瓦造りになっている。かつての軍施設を転用したものらしい。

 大学に出て、細かい仕事をする。週末は研究(原稿書き)に、と思っていたがなかなかうまくいかないものだ。そうこうしているうちにY先生が研究室にやってきて、岩盤浴に行きませんか?と誘ってくださった。どうせこのままだらだらと研究室にいても仕方なかろう、とF先生も交えた3人で行くことにする。

 ここでも以前に書いたさくらの百貨店弘前店の4Fに「さくらの温泉」がある。お風呂だけだと1000円、岩盤浴が500円。東京の相場からみれば必ずしも高いわけではないのだろうが、この辺ではやはりかなり高い感じがする。温泉に行く前に1Fの食料品売り場で夕食を買う。閉店30分前だけに、どれもこれも半額のシールが付いている。しこたま買い込んで、3人分で2100円ちょっと。安い買い物ができた。

 「さくらの温泉」のフロントは、ホテルのフロントも兼ねているので広い。料金を払って、サウナ着に着替え、水を5,6杯飲み、浴室に入る。玉砂利の上に置かれたすのこに寝そべって、うつぶせで5分、仰向けで10分。早速すごい量の発汗である。15分経ったら、一度外に出て水を飲み、3分ほど休憩。これを3回繰り返した。さすがに3回目には、減量中のボクサーのような気分(ちょっと惰性)になる。出る汗もさらさらとしたものになってくる。3ラウンド戦い抜いて、風呂に入る。ここの温泉は温くて、僕にはちょうどいい。一応露天風呂もある。

 官舎に戻り、F先生のお部屋にお邪魔して、テーブルいっぱいの豪勢な料理をつまむ。僕が部屋から持参した「RENT」のDVDを観る。これまであまり意識したことはなかったのだが、舞台を知らない人にとっては、ストーリーの脈絡がわからないところが結構ある。ロジャーがなぜ引きこもりになったのか(恋人の自殺についてはなんとなくそれをうかがわせる描写があるのみである)、コリンズ先生がどうやって大金を手に入れたか(エンジェルの関与があるのはわかるが、元は誰の金なのかは映画ではわからない)など、確かにわかりづらい。この辺りが、映像の美しさ、キャストの歌唱力があっても、舞台ほど高く評価されなかったゆえんか。

 日付をまたいだところで映画も終わり、F先生の部屋を辞す(といっても僕の部屋は先生のすぐ上なのだ)。何もせず、ベッドに潜り込んで眠る。

4月20日(金)曇:『わたしの城下町』

2007-04-21 01:57:06 | 読書
 8時半に起床。可燃ゴミを出してから大学へ。今朝は加藤ミリヤの「My eyes on you」を聴きながら走る。

 金曜日は5限目しか授業がない。時間的にも精神的にもいくらか余裕がある。しかしながら、今日はひとつ懸案事項がある。共同研究で必要な資料閲覧の交渉である。研究代表からはすでにお手紙をお送りしてある。到着から2,3日後が交渉のタイミングとしていいだろうと判断し、電話をかける。こういったことは初めてではないが、やはり緊張するものだ。声が上ずり、早口になっているのが自分でもわかった。幸い、ご理解をいただいて訪問の日程が決まる。ほっと胸をなで下ろす。

 昼食はスコーラムで食べる。チキングラタン定食(500円)とドリンク。今日は木下直之『わたしの城下町―天守閣からみえる戦後の日本―』(筑摩書房、2007年)を持参して読む。木下さんは、『世の途中から隠されていること』(晶文社、2002年)を読んで以来、ファンである。しかも今回はテーマが城。さらに近世から現存している天守閣ではなく、復興天守(明治維新や戦災などで失われたものを再建したもの)や模擬天守(本来そこにはなかった天守を造ってしまったもの)といった、本来の城郭マニアが忌み嫌うものが対象となっている。毎日新聞で書評が出たときにすぐ買ったのだが、なかなか読むことができないでいた。

 僕は「あやしい城」というウェブサイトが好きで、そこで紹介されているキッチュな天守閣群を眺めるのを楽しみにしている。弘前からほど近いところにも、「あやしい城」がある。



かなりちゃんとした城っぽいが、これは田舎館村の役場である。村役場にしてはかなり豪勢な造りだ。かつてはここに城があったようだが、もちろん天守閣などは存在していなかった。国道102号線を走っていて、この建物をみたときにはびっくりしたものだ。

 そんな興味もあって、『わたしの城下町』を読み始めたのだが、江戸城が「宮城」と呼ばれ、さらには現在の「皇居」となっていく過程や、楠木正成らの銅像にまつわる話しが続いて、なかなか天守閣の話しにならない。今日読んだところ(序~4章)には、天守閣の話題はついぞ出てこなかった。雑誌の連載を本にしたものだから仕方がないとはいえ、ちょっと表題と内容がずれているような気がする。これから先に進んでいくと本題に入っていくのかもしれないが、木下さんの得意分野である美術史的な話しが広がりすぎて、城下「町」の本になっていない。昭和の築城ブームといった話しは、すでに城好きの間では知られていることだし、面白いことは面白いけれど、「城」の本としては、あまりデキがいいとはいえない。

 研究室に戻って、5限目の社会学概論のプリントを印刷する。もう一度ノートを手直しして、授業に臨む。昨年早稲田祭で聴いた大久保先生の授業がとても面白かったので、そのときの60分の授業を、僕なりに90分用にアレンジした形で行った。評判はなかなかよかった。でもそれは土台がいいからであって、決して僕のアレンジがよかったからではない。来週以降、この授業の真価が問われることになる。白紙の状態から作っていく授業はこれひとつだけなのだから、今年度はできるだけじっくりと作り上げていきたい。

 90分、しゃべり通し板書し通し、加えて緊張感からくるテンションの高さもあって、授業が終わるとどっと疲れた。しばらく研究室のイスにこしかけて、深呼吸する。とはいえ、心地いい疲労感である。

 生協食堂で夕食を摂り、帰宅。すぐにジムに出かける。バイクを20分、マシンを使った筋トレを2セット、時速6.9kmで40分歩く。汗をびっしょりかいた。体の中にたまっていたものを放出したようで、とても気持ちがいい。今夜は、いつにも増してよく眠れそうだ。

4月19日(木)晴:正直な人

2007-04-20 01:06:44 | 
 朝8時、定時どおりの起床。最近は自転車をこぐときにもメモリーウォークマンを聴くことが多い。一日のスタートにふさわしい勢いのある曲に乗って、風を切って走る。これまでは専ら映画「RENT」のオープニング曲である「RENT」であったが、ここ何日かはZIGGYの「GLORIA」(懐かしい!)を聴いている。

 何通かメールへの返事を書いた後、4時限目の演習(今年度はゼミと分けて開講している)の購読文献である『反社会学講座』に目を通す。読みやすい文献だと思うが、議論をどう展開するかは僕のほうでも一応のシナリオを作っておかねばならない。必要がなければ何よりである。

 父からメールが来て、芸術新聞社のHPに掲載された画家増田常徳さんの対談記事のことを教えてもらった。両親が増田さんのファンクラブである西風の会に関わっていることもあって、子どものころから親しくさせていただいている。僕は増田さん(普段は増田先生、と呼んでいる)の絵はもとより、生き方そのものに強く惹かれる。対談記事も前半部分は増田さんのライフ・ヒストリーになっている。そこには端的に彼の価値観が投影されている。

団体が合わないことが分かったんですよ。ぼくは本音で生きていきたいので、団体展は、本音と建前を使い分けざるえないところがありますから。」

いかなる組織であれ、そこの一員であるということは、本音と建前の使い分けを必要とする。僕なども、それに戸惑い、嫌悪しつつ、それでも、メンバーシップを失うことを恐れるから、使い分けというルールに従属している。増田さんの生き方は、ぶれることがない。ただひたすらに、探究し続けている。対談の相手には失礼だが、それを「反骨」「反時代」という形で表現するにはちょっと安っぽいのではないか。

 今の僕は、増田さんと同じようには生きられないけれど、いや、だからこそ、彼を尊敬し、憧れる。研究が仕事のすべてではない以上、組織の中にあり続けていくしかないが、研究者としては、どこまでも本音で生きていきたいと思う。

 演習は、僕のほうで用意したシナリオを使うまでもなく、積極的に議論をしてくれてなかなか面白かった。少年犯罪の統計データをみながら、考えうる変化の要因を仮説としてどんどん挙げてもらって、それぞれにつっこみを入れていくという形が、この授業のスタイルになっていきそうだ。やはり4年生になると、かなり安心して授業の展開を任せることができる。たった3年ほどの間に、それだけ大きく成長しているのだ。

 苦戦したアドバイスペーパーをようやく9時に書き上げ、添付ファイルで送る。本当は研究会にも参加して、直接執筆者とやり取りをしたかったのだが、どうしてもスケジュールの調整がつかず、残念。

 1時間ほど明日の講義ノートの修正に充てる。これまでに何度も講義はやってきたのだが、やはり初めて担当する科目の初回というのはついつい入れ込んでしまう。

 10時に帰宅し、そのまま桃太郎へ。瓶のコーラを一気に飲み干す。とても長く感じた先週とは正反対に、今週(の仕事)はあと1日で終わろうとしている。

4月18日(水)晴:第一印象

2007-04-19 00:26:54 | 仕事
 水曜日は唯一午前中から授業がある日である(オムニバス形式の午前の講義は別の曜日にもある)。8時に起きて、9時に出る。物置から自転車を引っ張り出してまたがると、目の前に岩木山がくっきりとみえる。



 ただ、通勤途上からみえる岩木山は、家などに遮られて、なかなか全体を見渡せるポイントが少ない。大学の建物からはもっときれいにみえるのだが。僕の研究室からは岩木山はみえない。その代わりに八甲田山がとてもきれいである。研究室にみえた方からはしばしばうらやましがられる風景なのである。

 10時20分からゼミ。2人のゼミ生には見田宗介「まなざしの地獄」を読んできてもらった。N・Nこと永山則夫は、板柳町の中学校を卒業しているから、いわば地元の人間である。もっとも、2人とも永山のことは知らなかった。まあ、学校で教えられる人物ではないからなあ。

 まずは読んでみた感想を尋ねてみると、難しかったそうだ。確かにね。見田宗介さんの文章は独特で、最初はとっつきにくいのかもしれない。僕とて、わからないながらも背伸びをしたい年頃に読んだものだから、当時はちゃんと読めていたかどうか、実はあやしいものだ。
 
 この論文を素材に、あるひとつの事件と人物をめぐって、ジャーナリストと社会学者の仕事、それぞれはどのように違うのかを考えてもらった。難しい問いかけではあったが、一応2人なりの答えは導き出せたようだ。

 永山則夫の人生は、地方(津軽)と中央(東京)との関係性の中で展開している。僕のゼミでも津軽と東京それぞれについて考えることがテーマになっているから、ひとつの入口になるだろう。ただ、僕にとってこの論文は社会学って面白い!と最初に感じた思い入れのあるものだっただけに、僕が感じた面白さや驚きを感じてもらえたらいいな、と思っていたが、それはちょっと過度な期待だったかもしれない。とはいえ、社会学の「第一印象」を作っていくうえで格好の作品だという思いは今も変わらない。時間が経ってから、また読み直してもらえたらと思う。

 大学に届いた『教育学研究』最新号(第74巻1号)を読む。巻頭に載っていた石岡学さんの論文(「1920年代における学校教育に対する職業指導導入の論理」)に目を通す。職業指導と少年職業紹介を扱ったもので、僕の書いたものもいくつか参照してくださっているのだが、内容的には新味に乏しい感じがした。社会政策担当者が展開する職業指導言説が労作教育に通底する内容のものであったという指摘は興味深かったが、その辺の資料的な裏づけがきちんとできているわけではないし、職業指導や少年職業紹介が文部省よりも内務省主導で動いていたことなどは既知のことである。全体的に食い足りない論文だった。

 午後3時から教授会。事前に配布されていた議題はそれほど多くはなかったので、早く終わるだろうと踏んでいたら、意外と時間がかかった。

 研究室でアドバイスペーパーを書く。今日中に片づけておきたかったが、行き詰まったところで明日に先送りする。10時に帰宅して、花の湯へ。サウナで汗をじっくりとかいて、さっぱりする。今日は早寝をすることにしよう。

4月17日(火)晴:帽子替え

2007-04-18 00:09:14 | モノ
 朝9時起床。いつもより1時間遅い。おかげで生ゴミを出し損ねる。バスで大学へ。Y先生と乗り合わせて、雑談しながら校舎に入る。

 午前中は先日購入した『弘前市教育史』をぱらぱらと読む。市史とは別に大部の上下巻で市教育史が出ているというのは、それだけ弘前の人々が教育に力を入れてきたことの証左である。今まで社会学の勉強で全く目が向いていなかったが、恵まれた研究環境にやってきたのかもしれない。

 昼食は研究室で、いつもの弁当とサラダ、それとインスタントのみそ汁。今日届いた「オペラ座の怪人」のDVDをパソコンで観ながら食べる。音楽チャプターが付いているので、お気に入りの曲を選んで。やっぱり映画館で観るのと比べると物足りない感じがする。

 午後はTuesday実習のオリエンテーション。5月から午後は丸々この実習でつぶれることになる。社会科は実習者が18人と多いので、指導に割く時間も多い。今よりももっと時間を効率的に使っていかなければならない。

 夕方、一度官舎に戻って車にタイヤを積み込む。スタッドレスタイヤからノーマルタイヤに交換してもらう。調整まで含めて4本で4200円。年に2回これだけの費用がかかるのだ。かといって、自分で交換するのはやはり心もとないから、仕方のないところか。ノーマル→スタッドレスのときにはそんなに違和感を感じなかったが、スタッドレス→ノーマルとなると、これまでよりちょっとふわふわした感じがする。

 さくら野のmont-bellに寄って、ハンティングキャップを買う。これまで耳当てのついたツイードのハンティングを愛用してきたが、そろそろ季節外れになってきた。そこで春・夏・秋用のものへと切り替えることにした。



 子どものころ、伯母がハンティングを作ってくれて、以来帽子といえばハンティングが好きだったのだが、頭が大きい(61cm)こともあって、欲しいと思ってもかぶれるサイズがなかったりした。mont-bellのは結構大きめに作ってあるので、僕でも大丈夫なのである。

 大学に戻って再び仕事。ここのところ、まだそれほど仕事が立て込んでいるわけでもないのに、午前様になることが多い。近所に午前2時くらいまで営業している温泉施設があるといいのだが、東京ならともかく、弘前では商売にならないか。

4月16日(月)晴:遅れたときの対処法

2007-04-17 00:02:09 | 仕事
 朝9時に大学へ。今日は臨時入構証をもらって車で入る。9時45分に人文学部のH先生と待ち合わせて調査対象校にご挨拶に行く。車を走らせていると岩木山が眼前に迫ってくるのだが、生憎上半分が雲がかかってしまっている。

 先方では校長先生と、調査の際にお世話になる図書館司書の先生にご挨拶する。研究の説明などは全部H先生が引き受けてくださったのだが、常に明るい雰囲気を保ちつつ、それでいてきちんと礼儀正しい交渉術に感心した。様々なフィールドワークを経験されてきたからなのだろう。こういう人と仕事ができるのは僕にとっても貴重な経験になる。学校の先生方にはとても親切にしていただき、さらにご厚意で資料の一部を拝見させてもらった。ここでも、久しぶりにすっかり忘れていた感覚に火がつく。これは絶対にいい研究ができると確信する。資料群の充実に浮かれていたのだろう、夕方5時限の基礎ゼミを終えて戻る廊下でY先生(「社会学の基礎」の主任の先生)とバッタリお会いした際、「何だかとてもうれしそうですね」といわれた。はい。本当にうれしいのです。

 大学に戻りがけに、「日本の古本屋」で注文していた学校史関係の本を、直接「古書処 弘前書店」に取りに寄る。ずいぶんと市街地から離れた住宅地の中にある古書店である。ご主人にお話しをうかがったところ、以前は弘前駅前に店を出していて、その当時から数えると26年になるとのこと。今はご自宅を改造して、店舗としても営業しているが、「日本の古本屋」ができたおかげで、発送販売が中心なのだそうだ。わざわざお店に出るまでの時間も省けるし、ネット注文でも結構売れるそうだ。古書店という商売もすっかり様変わりである。それでも、買う側からすると、どうしても実物をみてからという願望はあるので、こうして直に行けるというのはありがたい。

 ご主人と話し込んでいる間に、H先生が古書の中から17年前のT先生(「社会学の基礎」を担当される先生の一人)の写真をみつけだしてきた。お若い!でも、おしゃれな感じは今もちゃんと残っている。自分もこんな風にトシを取っていけたらいいなあ。

 注文した本以外にも、弘前周辺の学校史を何冊か購入する。郷土資料関係は、やはり地元の古書店が強い。この辺の本が欲しい、といった注文にすぐに応えてくれる。これからもたびたびお世話になることだろう。

 少し早いが、僕は3限に授業があるので、昼食を摂ってから大学に戻ることにする。昨日に続いて「真そばや 會」へ。H先生は鴨せいろ、僕は冷たい會そばを食べる。ある程度話しが通っているとはいえ、やはり交渉ごとは緊張するもので、何とか今後進めて行けそうなメドが立ったことで、ちょっとホッとして、楽しいお昼になった。

 3時限の大学院の社会学特論は、メディア・リテラシーの概念と背景について簡単に説明した後、この本の冒頭に書かれている「どのメディアのどのメッセージも中立ではありえない」という問題提起から議論を進める。上手く展開できたか心もとないところもあるが、初回にしてはまずまずだったと思う。

 5時限は基礎ゼミナール。初回からEメールで簡単なレポートを課した。提出期限までに送ってきたのは15人中12人。僕としてはちょっと不満な数字だが、今回は不問にする(昨年の日大の社会学入門演習では、25人全員が期日までに提出した)。送られてきたレポートは、僕のほうでプリントにして配布しているから、誰が出さなかったかは一目瞭然で、それだけで十分なサンクションになっていると考えるからである。

 いい機会なので、うっかりレポート提出を忘れてしまったときの対処法について話した。ただし、これは僕にのみあてはまるものであって、他の先生に通用するとは限らないことについて、重々念を押しておいた。
 
 まず、レポートを出さないままに授業に出て、平然と座っているようなのは論外である。次に、期日を過ぎた後でレポートをそのまま送りつけるのもダメ。最低限お詫びのことばくらいなければいけない。そもそも、メールというのは送り手から一方的に送りつけられるという点で、しばしば受け手(つまり教員)の気分を害することがままあるという厄介なツールである。確かに学生さんからすれば、うしろめたい気持ちを最小限に済ますことができるかもしれない。だが、それが教員からみれば傲岸不遜な態度にみえるのである。

 僕個人としては、①とりあえずメールで「遅れたことのお詫びと、今からでも送ってよいか許可を求める文章」を送り、返事が来たところで対応する、②①を電話でする、というのがとりあえずの受け容れられる対処法である。①の場合、教員からのメールの返信が来るまでのタイムラグがあるので、やや難がある。どうしても待てなければ、「一応送らせていただきます」というところから書き始めて送ればいいだろう。その点電話というのは、有効な手段だと思う。音声で直接コミュニケーションが取れる分だけ、事情や気持ちが伝わりやすい。研究室に行くという手もあるが、仕事が立て込んでいるときに来られると、カチンとくることもあるかもしれない。となると、やはり最善の手段は電話である。あくまでも僕にとっては。

 こんなことを1年生の最初に教えるのはどうか、と思われるかもしれないが、多少なりとも交渉の余地があるとすれば、ダメもとでやってみる意義はある。ただし、それを何度も繰り返すようでは余地は狭まり、やがてなくなるだろう。とはいえ、東京で教えていたころ、あまりにもあっさりと単位取得を放棄する学生が目についたので、いくらかの粘りはもってもらいたいと思う。

 それから、言い訳はするならしっかりしよう、とも述べた。以前レポートを遅れてメールで提出してきた学生さんに、「どうして遅れたの?」と尋ねたら、「忘れていたからです」といわれたことがある。正直でいい、とみる向きもあろうが、僕は好きではない。ウソでもいいから「熱が出まして…」とかいってもらったほうがいい。ただし、そう主張するのであれば、少なくともその日一日くらいは、本当は元気であってもマスクをし、いかにも体調が悪そうな演技をしてくれるくらいでないといけない。こちらとすれば、ウソは簡単に見破ることができる。しかし、ちゃんとした演技であれば、それなりに認めてもいい。もっとも、こういったやり方も、使える機会は限られる(本来はあってはいけないが)し、はじめからこれありきでは問題外だ。

 毎回毎回こんなことばかり教えるのもどうかと思うが、基礎ゼミでは「大学での処世術」を実践的に教えていこうと考えているので、たまにはこういうお話しもね。今だからいえますが、僕はこうやっていくつかの難所を乗り越えてきたのです。

 提出されたレポートを素材にして、グループに分かれて議論してもらう。個々人がばらばらに出したものを、カテゴリーを作り、共通する内容をもつものを分類するという作業をやってもらった。「概念」を作っていく初歩の初歩的な練習という位置づけである。3つのグループとも、すぐにうち解けて、結構活発に議論をしてくれたので、よかった。

 生協食堂に夕食を食べに行くと、人文学部で日本文学を担当されているY先生にお会いした。先生は、昨年10月に一緒に辞令をもらったので、数少ない「同期」ということになる。Y先生は、僕にとっては大学の先輩でもある。新任ならではの苦労を語りつつ、落ち着いたら飲みましょう、と約束して研究室に帰る。

 夜はアドバイザー論文を読む。短いものなのだが、かなり苦戦する。アドバイスの締め切りも、そこまで迫っている。早く片づけて、資料に当たりたい。