goo blog サービス終了のお知らせ 

五行目の先に

日々の生活の余白に書きとめておきたいこと。

9月13日(火)晴れ(その1)

2011-10-26 22:31:00 | 

 6時半起床。いよいよ今日が実質的な最終日。悔い?は残すまい、と張り切って朝食を食べる。

 地下鉄6号線と4号線を乗り継いで、世界遺産・シェーンブルン宮殿に向かう。昨日お世話になったツアーのガイドさんから、混雑を避けるなら朝早くかお昼頃がよい、と教えてもらっていたので。



 アドバイスの通り、開館直前の宮殿前広場は人もまばらだった。そして朝日を受けたテレジア・イエローの宮殿の美しさに目を瞠る。空は雲ひとつなく、真っ青だ。



 美しく整備された庭園も、数人が散歩をしているだけで、とてつもなく広く感じる。



 シシィ・チケットを使ってグランド・ツアーを見学する。日本語の音声ガイドを聞きながら見学する。こちらの解説は割と簡素で、さっさと先に進める。後から次々にツアーの団体客に追い越されていくが、ほとんどがインペリアル・ツアーで帰ってしまうので、グランド・ツアーに進むと空いてきた。

 こちらは内部の写真撮影が禁止されている。知らずに撮影している人は厳しく注意されていた。「ホーフブルク宮」に対してこちらは夏用の離宮という位置づけだが、各部屋の装飾や調度品はむしろこちらのほうが上、という感じがした。

 フランツ・ヨーゼフ1世の書斎(執務室)もあり、そして彼が亡くなった部屋もここにある。もちろんエリザベートゆかりの化粧室も。6歳のモーツァルトがマリア・テレジアの前で演奏した鏡の間は、ミュージカル「モーツァルト!」のなかでも触れられる場所である。

 大きな天井画の大ギャラリーは工事中で、半分ほどだけ見ることができる。

 グランド・ツアーで見学できるのは、主としてマリア・テレジアにまつわる部屋の数々である。「漆の間」は西洋の文化と東洋の文化とが交差している面白い空間だ。ロココ調の可愛らしいデザインの部屋もある。豪華絢爛なベッドのあるフランツ・ヨーゼフ1世が誕生した部屋も見ることができた。

 こちらはミュージアムショップも充実していて、定番のガイドブックや絵はがきの他に、ハプスブルク家の紋章が入ったインク瓶がカッコいいGペンのセットなんてものまで買ってしまった。見学コースを出るころには、入口には長い行列ができていた。

 庭園に出る。お天気もいいことだし、歩いてみることにしよう。とりあえず「ネプチューンの泉」を目指して歩き出す。振り返ると真っ白な砂利道の向こうに宮殿がどーんと構えている。



 「ネプチューン」の泉の向こう側には「グロリエッテ」が見える。せっかくだからあそこまで上ってみよう。



 汗をかきかき上っていくと、視界が大きく広がる。高いところからの眺めはまた格別だ。遠くには「シュテファン寺院」まで望める。



 間近で見る「グロリエッテ」もまた遠くから見たときとは趣が異なる。記念「碑」とのことだが、立派な建物である。内部にはカフェが設けられていた。



 ここで日がなでれーんとしていたら楽しいだろうが、われわれには時間がない。地下鉄4号線と1号線を乗り継いでプラーターシュテルン駅へ。近郊列車Sバーンの駅もあって、かなり広い。高架下の自由通路を抜けるとすぐに「プラーター公園」である。ミュージカル「モーツァルト!」ではいろいろな物語が展開する。モーツァルトとシカネーダーが遊びに行って、コンスタンツェと再会する場所だ(もちろん史実とは違うのだろうが)。

 こちらでのお目当ては大観覧車。ゴンドラは木製で、かなり大きめ。定員は12人とのこと。映画「第三の男」に登場したことで知られる(僕はこの映画は観たことがない)。近寄ってみるとかなり大きい。

 チケット(観覧車とリリプットバーンのセット券)を買い、中に入ろうとしたところで記念写真を撮られる。普段なら買わないところだが、せっかくだからここは買ってみることにした。ゴンドラの合成写真だが、表情の演技指導までしてくれるのでなかなかである。



 しかしこの観覧車、12人乗りでどのようなタイミングで人を乗せているのかと疑問に思っていた。乗り場で待っていると、目の前をゴンドラが通過していく。なかにはテーブルがあって食事でもできそうなものもある。



 ゴンドラは操縦する人がいったん停止させて、そこに乗り込む形になっている。だから回転は一定ではない。結構な速さで回ると思ったら、次のお客さんを乗せるために一時停止するのだ。それにしても木製の古びたゴンドラには何ともいえぬ味わいがある。





 上に上がっていくと、これまた素晴らしい景色が広がる。もちろん「シュテファン寺院」はちゃんと見える。



 「プラーター公園」は実に広大だ。もともとはハプスブルク家の狩猟場だった土地である。



 集合住宅地と思しき一角が見えるが、日本の団地とは全く異なったたたずまいだ。



 観覧車でひと回りしたころには、写真ができあがっていた。それを受け取ってからリリプットバーンに乗りに行く。小さなかわいらしいディーゼル機関車がオープン客車を牽引する。まあどこにでもありがちなミニ鉄道だな、と思って乗り込んだ。





 ところがいざ走り出してみると、これが実に楽しい。遊園地から出発して、やがて深い緑のなかへと入っていく。





 途中駅もちゃんとあって、公園を散策する人が適宜乗降していく。全長は4kmほどだそうで、実に乗りでがあった。今まで乗ったミニ列車のなかでは間違いなくナンバーワンだ。

 プラーターシュテルン駅の構内には、市営交通の案内所がある。そちらに市電の模型が売っていたので自分のおみやげに買って帰ることにした。模型は手ごろなものから結構高価なものまでいろいろと揃っている。

 地下鉄をカールスプラッツ駅まで乗る。「分離派会館(ゼツェッシオン)」の前を通る。黄金のキャベツと呼ばれるドームが目を引く。



 「アン・デア・ウィーン劇場」へ。正面ではなく、脇のパパゲーノ門を見に行く。現在は入口としては使われていないようだが、ちゃんとオペラ「魔笛」のパパゲーノの像がある。





 この劇場はシカネーダー設計によるもの。以前はミュージカル「エリザペート」もこちらで上演されていたそうだ。現在はオペラとクラシックコンサートが中心とのこと。

 リンクの内側まで歩いて、「カプツィーナー教会」を見学する。それほど大きな建物ではなくて、探すのに手間取った。だがこちらの教会の地下には、ハプスブルク家の人々の棺が安置されている。内臓は昨日見た「シュテファン寺院」に、心臓は「アウグスティナー教会」にそれぞれ収められている。

 地上の暑さとはうってかわって、地下室はひんやりとした空気が漂う。マリア・テレジアと夫フランツ1世の棺はひときわ豪華なもの。2人の像が向かい合う形になっている。



 フランツ・ヨーゼフ1世(中央)とエリザベート(左側)、ルドルフ(右側)の棺は仲良く並んでいる。ここが「エリザベート」「ルドルフ」の登場人物の人生の終着点である。



 出口に近いところには、今年7月に亡くなった、最後の皇太子オットー・フォン・ハプスブルクの棺がある。慣例に従って、遺体はこの棺の中に、心臓はハンガリーの「ノンバンハルマ修道院」に収められているとのことである。



 帝政は廃止されても、ハプスブルク家の歴史は脈々と続いている。どのおみやげもの屋さんに行っても、エリザベートの肖像画を使った商品はあるし(これは日本でもよく見かけるが)、フランツ・ヨーゼフ1世の肖像をあしらったものもたくさんある。

(その2)に続く。


9月12日(月)晴れ(その2)

2011-10-26 18:25:03 | 

 午後は現地ツアーの「ウィーンの森半日観光」に参加する。こちらは日本語でのツアーである。集合場所は「シュターツオーパー」の脇。



 きょろきょろしていたら、ガイドの方が声をかけてくれた。今日申し込んだのはわれわれだけのようだ。というわけで、実質的にプライベートツアーである。

 ベンツのワゴン車に乗って、街中を走る。ガイドの方は街並みについても詳しくお話ししてくれる。歴史に関する知識も豊富だ。聴き入っているうちに、市街地からウィーンの森へと進んでいく。

 最初に「リヒテンシュタイン城」を眺める。



 リヒテンシュタイン公国の元首、リヒテンシュタイン家はこの地から出たとのこと。現代的な視点からすれば、かわいらしいともいえるのだろうが、なかなかどうして、堅牢そうな城である。つい先ごろまで上部が劣化してきて、修復工事を行っていたそうだ。これだけの高さのある建物だから、維持も大変だろう。

 せっかくのいいお天気なので、このお城のまえから小道を散歩する。辺りは人びとの憩いの場になっているようで、散歩をする人の姿も見かける。

 車に乗って、シューベルトが「菩提樹」を作曲したとされるヘルドリッヒシュミューレへ。ガイドさんはひととおりの説明をしてくれるだけでなく、「自説」に基づいた見解についてもお話ししてくれる。それが理路整然としていて、ガイドというよりフィールドレクチャーを聴いているような感じである。





 またしばらく走ると、「ハイリゲンクロイツ修道院」に着く。1133年創建のシトー派の修道院である。
森のなかに、こつ然と現れたような感じ。







 内部を見学させてもらう。美しい回廊を歩きながら、時代ごとの建築様式を見分けるポイントについても解説してもらった。



 至るところに美しいステンドグラスがある。これらにも時代によって様式の相違があるそうだ。





 なかでも「泉水堂」はとりわけて美しい。光の加減で見え方が幾様にも変わる。





 ステンドグラスには、幾何学模様のものと、実在した人物をモデルにしたものとがある。





 回廊からは暖かな日が差し込む。だが冬の寒さの厳しさは相当なものらしい。



 壁面には十字架にかけられたイエス・キリストの像がある。こうした像はザルツブルクでもウィーンでもあちこちで見かけるのだが、やはり時代ごとの様式の違いがあるとのこと。このように腕がだらりとして、リアリティのあるものは新しいもので、逆に腕がぴんと伸びた感じのものは古いのだそうだ。



 アーチ天井には鮮やかな天井画が描かれている。想像していたのとは違う明るさがある。



 再び回廊を歩いて、教会内部へ。



 祭壇の上には、板に彩色されたキリスト像が架かっている。腕が伸びているからこれは古いものだ。このキリスト像のレプリカはおみやげ売り場で売られていて、われわれもひとつ買って帰ることになった。



 アーチの幅が狭い分、天井の高さが際立って見える。



 観光客が少ないこともあって、静けさのなかでじっくりと見学することができた。聖なる場のなかに身を置いているという感じが、独特の興趣を起こさせる。

 そんな修道院も、一歩外に出ると世俗の世界である。敷地内には小ぎれいなカフェがある。ツアーにはこちらのケーキセットが付いている。ケーキは2種類から選ぶことができて、ひとつはザッハートルテとのことだったので、もう一種のほうを注文する。飲みものはコーヒーとだけ伝えたら、アインシュペナーが出てきた。



 そしてこのケーキが何とも素晴らしくおいしかった。クリームは甘すぎず、ブルーベリーソースとの相性もよい。振り返ってみれば、この旅行のなかで食べたケーキのなかのベスト・ワンである。

 思いがけずおいしいティータイムを過ごして、売店で先の十字架の複製とこの修道院のガイドブックを購入する。ガイドブックは日本語版が用意されていた。

 いよいよこのツアーの一番のお目当てである、マイヤーリンクへと移動する。「マイヤーリンク修道院」は、フランツ・ヨーゼフ1世とエリザベートの息子、ルドルフ皇太子とその愛人であるマリー・ヴェッツェラが心中した場所である。その死の真相をめぐっては諸説あるらしく、ガイドさんが詳しく解説してくださった。

 礼拝堂は、緑に囲まれた場所に静かに建っていた。



 内部は以前は撮影禁止だったが、現在はかまわないとのこと。現在も8人の女性が厳しい修道生活を送っているそうだ。

 入口正面には祭壇が設けられている。



 その上方にはフレスコ画があり、これはルドルフ皇太子の死後、父フランツ・ヨーゼフ1世が自らの家族の理想の姿を重ね合わせて描かせたものとのことだった。



 母エリザベートが寄贈した祭壇も残されている。



 マリー・ヴェッツェラのかつての棺も展示されていた。何度か墓を暴かれたりしたそうで、現在はハイリゲンクロイツ修道院の墓地に眠っているとのこと。



 皇太子ルドルフは、「エリザベート」「ルドルフ ザ・ラスト・キス」という2つのミュージカル作品の登場人物となっていて、いずれにおいてもその死が描かれている。そんな人物はそうはいないだろう。斜陽の大帝国の悲劇を象徴する人物として、多くの人の興味関心を惹きつけるからだろうか。

 こちらも見学コースの出口のところに小さな売店がある。日本語のガイドブックもあった。タイプ文字なのがらしくてよい。修道女さんたちが作った製品も売っている。おばさんが「はちみつ、はちみつ」という。日本から訪ねてくる人も結構多いのかもしれない。とくにミュージカルファンが。かくいうわれわれだってそうなのである。はちみつの他に、はちみつを使ったリップクリームや蝋燭を購入。



 これでツアーの見学地はすべて見終えて、あとはウィーン市街に帰るのみである。途中温泉地のバーデンの街を通る。ああ、こんな郊外もゆっくり訪れてみたい。

 運転手のゲオルグさんが、せっかくだからちょっと寄り道してみないか、と提案をしてくれた。広大なブドウ畑に立ち寄る。ちょうどワイン用のブドウの収穫時期で、今しか飲めないお酒(シュトルム)があるとのこと。ワインになる前の濁り酒で、シュトルムとは嵐の意味である。

 お酒は飲めないので、発酵する前のモーストというジュースを飲むことにした。これがまたおいしい!自然な甘みとブドウのしっかりした味。それでいて全然くどくない。のんびりした風景を楽しみながらいただいた。ゲオルグさんはこっそりブドウ畑に入って、いくつかの実を獲って渡してくれた。ブドウそのものも甘くておいしかった。



 楽しい半日ツアーは、出発地の「シュターツオーパー」の前に戻って終わる。まだ明るいので「ホーフブルク宮」の庭園を散歩する。

 フランツ・ヨーゼフ1世の銅像は、マイヤーリンクを見学した後だからか、寂しそうな表情に見えた。孤独を独り噛みしめているようだ。



 対してモーツァルト像のほうは陽気に見える。たくさんの天使たちに囲まれてもいるし。



 今日もお昼ご飯はケーキだけだったが、あまりお腹が空いていない。それでも少し食べておこうということで、何だか人気のありそうなホットドッグのスタンドに行ってみる。実物を見ないで頼んでみたら、こんなでっかいものを渡された。ベンチに腰掛けて食べたら、もうすっかりお腹いっぱいになった。



 今宵も音楽を楽しむことになっている。「楽友協会」で「ヴィーナー・モーツァルト・オーケストラ」の演奏を聴く。チケットは予め日本でインターネット予約をしておいた。「シュターツオーパー」のあたりにもいろいろなチケットを売っている人を見かけたが、事前に取れるものなら取っておこうと考えた。それにしてもチケット売りの人はわれわれを見るとただちに日本語で話しかけてくる。中国語や韓国語であることはほとんどない。そのあたり、ちゃんと見分けがつくところがすごい。

 「楽友協会」はニューイヤーコンサートの会場として知られる。その外観からして他の建物のなかでもひときわ目を引く。



 観光客向けのコンサートなので、普段着で観に行った。服装についてとやかくいわれることはなかったが、買い込んだおみやげはクロークに預けるように指示された。この辺は結構厳格なようである。

 大ホール(黄金ホール)のバルコニー席に座る。文字通りきんきらきんである。演奏中もシャンデリアは点いたまま、つまり明るい客席で演奏を聴く。





 演奏する人びとは、モーツァルトの時代の衣装で登場する。演目も、普段クラシックを全く聴かない僕のような者でも知っているものばかりだった。オペラの曲のときには、ちゃんと歌手も登場する。



 手荷物に関しては結構厳格なホールだが、お客さんのマナーというとかなりひどいものだった。フラッシュを焚いての撮影とか、演奏中の私語なんかも当たり前。演奏する人たちもその辺は割り切ってやっているのだろうが…。

 とはいえ、親しみやすいラインナップで楽しいコンサートではあった。カーテンコールの最後が「美しき青きドナウ」「ラデツキー行進曲」なのは不思議だったが、みんなでノリノリで手拍子したりできたのでこれもよし。

 ここでのコンサートに関しては、何よりもこの場所で聴くということに価値があるのだ。



 気がつけば、ウィーン観光も残すところあと1日となった。美しい夜の街並みを見ていると、ホテルにさえ帰りたくなくなる。


9月12日(月)晴れ(その1)

2011-10-25 23:20:22 | 

 6時半起床。今朝もホテルのバイキングの朝食。コーヒーをポットでもらってくる。午後にも飲むことがわかっていながら、ついつい2杯飲んでしまう。

 今日もいいお天気だ。目の前の通りを路面電車が走っていく。すぐにも乗りたいが、本日はタイトなスケジュールゆえ、地下鉄で移動する。





 地下鉄3号線でシュテファンプラッツへ。オープンと同時に「シュテファン寺院」を見学するつもりで出かけてきた。まずは内部に入る。



 チケットを買って見学したいのだが、肝心の売り場がよくわからない。それにガイドブックによると場所によって見学開始時刻が異なるようである。いったん外側に出て、南塔の入口へ。こちらでオール・インクルーシブチケットを買う。まだ少しぼーっとした頭のまま、螺旋階段へと足を踏み入れる。

 これが登れど登れどまだまだ続く。狭い階段をぐるぐると回っているうちに、平衡感覚がおかしくなりそうだ。汗もだらだらと出てきた。体力がずいぶん落ちているなと実感する。

 ようやく見張り台に到着する。だがここからの眺めは素晴らしい。周りに高い建物がないから、まさに一望である。

 「ホーフブルク宮」方面


 「シュターツオーパー」方面


 「ヴェルヴェデーレ宮殿」方面


 「プラター公園」方面


 見張り台の内部には塔の写真が掲示してある。ここまでの階段は343段あるそうだ。この高さでもまだ塔の半分くらいなのだな。



 屋根にはハプルブルク家の象徴、双頭の鷲がデザインされている。



 階段を下りていく。もう膝は笑いっぱなしである。時間が早かったせいか、途中ですれ違う人は少なかった。上りと下りが分かれているわけではないので、人が多いと大渋滞になるだろう。

 下まで下りて、上を見上げる。首が痛くなるような高さ。装飾に目を凝らそうとすると頭がくらくらしてくる。



 身廊中央部を見学する。こちらは身分証明書と引き替えにオーディオガイドを借りる。パスポートはホテルに置いてきてしまったので、コピーで勘弁してもらった。至るところに見事な彫刻や彫像がある。





 中央の祭壇の向かって右側には、フリードリヒ3世の棺が安置されている。



 主祭壇のところは外からの光が差し込んでまばゆい。



 距離を置いてみると、ステンドグラスの色合いも違って見える。



 見どころはまだまだある。きらびやかなノイシュタットの祭壇に目を瞠り、



 精巧なピルグラムの説教壇にため息をつく。



 続いてカタコンベツアーに参加する。入口には次回のツアー開始時刻が表示されていて、時間になるとガイドの方がやってきてドアを開けてくれる。ここでもまずドイツ語、次いで英語で説明をしてくれる。

 地下室に足を踏み入れると、ひんやりとした空気が漂う。ウィーンの司教の棺が安置されている場所は思ったよりも明るい。しかも割と真新しい感じがする。ハプスブルク家の内臓を収めた壺が安置されている部屋は薄暗い。

 さらに進むとペストで亡くなった人びとの遺骨が安置された場所に至る。こちらは床も土で、壁面はレンガ造り、そして暗い。遺骨は直接目にすることができる。同じ空間に様々な人びとが眠っているというのが不思議だ。しかも大都市のどまんなかに。

 出口にたどり着くと、外の空気を吸い込む。とても不思議な時間を過ごしたような気がした。出口のところにはモーツァルトの葬儀がここで行われたことを示す記念碑がある。



 「シュテファン寺院」見学の最後は北塔に上る。こちらはエレベータで上るようになっている。

 南塔と比べると北塔はかなり低い(予算の都合で高くできなかったとのこと)。それでも南塔とはまた違った景色が楽しめる。



 南塔はこんなにも高い。





 ひととおり見学するだけで約2時間を要した。ほとんど待ち時間なしで、しかもそれほどじっくりというわけでもないのにこれだけかかる。それくらいスケールの大きな建物なのである。

 「ホーフブルク宮」へと向かう。歩いているとパカパカと蹄の音が近づいてくる。ザルツブルクでもウィーンでも、観光馬車が至るところで走っている。それが何の違和感もなく、街並みとよくマッチしている。歩いている側もそれほど気を遣わなくて大丈夫。


 
 昨日農業祭が行われていたところから「ホーフブルク宮」に入る。シシィ・チケットという、「ホーフブルク宮」と「シェーンブルン宮殿」共通のチケットを購入する。こちらも日本語の音声ガイドがある。これはもちろんありがたいサービスなのだが、うっ、また時間がかかるのか、と思ってしまう。それはシステムの問題ではなく、タイトなスケジュールで動いているわれわれの側の問題なのだが。



 最初はハプスブルク家の「銀器コレクション」を見学する。この部分は音声ガイドは聴かず、名品の数々に目をやる。

 2階へと階段を上る。階段ひとつとってみても、装飾がハンパではない。



 「シシィ博物館」へと進む。エリザベート(音声ガイドなどは一貫して「エリザーベト」と呼んでいた)ゆかりの品々が展示されている。僕は高校のときには西洋史はまったくといっていいほど勉強しなかったし(その分中国史はみっちり教えてもらった)、大学に入っても必要な科目を取っただけなので、この人物のことを知ったのは帝劇で「エリザベート」を観たのが最初である。舞台作品の人気もさることながら、人物そのものの人気も非常に高いことは、見学者の多さからもよくわかる。

 「シシィ博物館」から「皇帝の部屋」へ。こちらはエリザベートの夫、フランツ・ヨーゼフ1世の執務室やエリザベートの居室などを見学することができる。ガイドの解説とともに、皇帝の多忙な様子が窺える。執務室などはこの建物の部屋としては割と質素な造りだ。そして執務中、いつでも見られるようにと、机の前には大きなエリザベートの肖像画がでん、と構え、それを囲むように家族の肖像画がある。

 他方エリザベートの部屋には実家のほうの家族・親族の写真が飾られている。うーん、本当にこのような状態だったとしたら、かなりの温度差を感じるなあ。そしてフランツ・ヨーゼフ1世には、僕が舞台を観たときに演じていた、鈴木綜馬さんがぴったりと重なってしまうのである。肖像画の風貌もそっくりだ。

 エリザベートはどこか奔放さとか自由さを感じさせるが(それは窮屈さへの抵抗としても)、居室の吊り輪などを見るにつけ、いかに美に対しては厳しかったかがわかる。

 今、こんな風に私生活の様子が多くの人に見せられていることを、当の人物たちはどう思ってしまうのだろう。僕は何だか、やけにフランツ・ヨーゼフ1世に思い入れを持ってしまうのである。


 
 おみやげを、ということで「ホーフブルク宮」のなかにある、「マリアー・シュトランスキー」というお店に行く。プチポアンという、精巧な刺繍が施された商品が並んでいる。お値段も相当なものなのだが、普通のおみやげ屋さん然としたたたずまいなのがちょっと面白い。だが、お店の入口近くには、さる高貴なご一家の方々がこちらで商品をお求めになった証拠写真がしっかりと飾られている。なぜかこの国の方のお写真だけあるのが不思議だ。

(その2)に続く。


9月11日(日)晴れ

2011-10-25 18:04:09 | 

 6時起床。この旅行中、早寝早起きを徹底している。朝食のバイキングは、さすがに3日目となるともなると飽きるかと思っていたのだが、案外そうでもなかった。何しろ種類が豊富なものだから、食べられなかったものもあるくらいだ。旅の朝の基本はしっかり食べておくことだ。

 出発の準備をして、到着時に迎えてくださったガイドさんと待ち合わせ。スーツケースを曳いて歩いて駅まで向かう。列車を待っている間、いろいろとおしゃべりをする。そのうちにいろいろと列車が入線してきた。こちらの列車は流線型が基本である。

 何しろローカル列車でさえこんなにカッコいい。



 国際列車が到着する。オーストリア連邦鉄道(ÖBB)の誇る「Railjet」だ。連結作業が行われるので見物に行く。日本のものと比べるとかなりシンプルな造りである。



 ミュンヘン発ブダペスト行きの「Railjet RJ61」列車を見送ると、間もなくしてわれわれの乗る「Eurocity OEC861」列車が入線してきた。「Railjet」より遅いものの、機関車重連の客車列車は堂々たる雰囲気をまとっている。



 2等車のコンパートメントに乗る。6人がけの広々とした座席。大きなトランクもゆったりと置ける。検札に来た車掌さんは陽気なおじさんで、しかも日本にも行ったことがあるらしく、「水道橋」なんていう地名まで出てきた。震災のこと、とくに福島のことを心配していた。記念写真にも快く応じてくれた。



 コンパートメントには途中3人ほど出入りがあったが、いずれも短い区間の乗車で降りていった。それにしても乗り心地が素晴らしい。標準軌ということもあるが、ほとんど揺れない。滑らかに、滑るように駆け抜けていく。そして車窓に広がるのは広大な田園風景である。真っ青な空の下、3時間あまり、これまでの汽車旅のなかでも至高のひとときとなった。





 ウィーン西駅にはほぼ定刻に到着。ホームに下りると今度はウィーンの現地ガイドの方が待っていてくださった。乗っていた車両の位置も伝わっていたようで、探す手間もいらなかった。

 ガイドさんの案内でホテルにチェックインする。こちらでもウィーン滞在中の注意事項についてレクチャーを受けた後、ホテルのフロントでウィーンカードを購入し、早速街へと繰り出すことにした。

 ウィーン市内は至るところに路面電車が走っている。近代的な車両と古びた車両とが混ざって走っているのでたまらない。ウィーンカードがあれば市内交通は乗り放題ときている。ますますたまらない。

 地下鉄3号線に乗って中心部へと移動する。改札口はなくて、最初に乗車する際に日付をカードに刻印するのみ。車両はこちらも新旧混ざっていて、ドアを手動で開けるものとボタンで開けるものとがある。プラスチックのボックスシートが並んでいる。急発進急停車といった感じで走る。

 ウィーンの真ん真ん中、シュテファンプラッツで下車する。まずは「シュターツオーパー」(国立オペラ座)を見に行くことにした。真っ直ぐ進めばすぐにたどり着くはずなのだが、うっかり右に曲がってしまって遠回りをする形になった。

 人通りの多い中を「ペスト記念柱」の脇を抜けて歩き出す。



 さらに突き当たりを左に曲がったら、「デーメル」の前を通り、「ホーフブルク宮」の前に出た。トラクターや農具を持った人びとが集まっている。何かのお祭りだろうか。



 「シュターツオーパー」の裏手に出た。まずはウィーンでの最初の目的地、「ホテル・ザッハー」に到着。旅行プランに「カフェ・ザッハー」のクーポン券が付いているのである。ガイドブックには行列必至と書いてあったが、少し待つと座ることができた。





 こちらに来たら何といってもザッハー・トルテを食さねばならない。「デーメル」のものはザルツブルクでいただいたので、ウィーンでは「ザッハー」を食べる。オーダーをして待つ間は、辺りをきょろきょろと見回す。調度品からして素晴らしく凝っている。



 メランジェとザッハー・トルテがやってきた。こちらは「デーメル」とは違って生クリームが添えてある。





 やっぱり、非常に甘い。「デーメル」のものよりもアプリコットジャムの酸味が効いている。そして甘みのない生クリームと一緒に食べるとちょうどいい味加減になる。うーん、贅沢だ。

 再び「シュテファン寺院」に戻る。あらためて大寺院を見上げる。大きい。そして高い。戦禍にも遭っているこの建物は、その煤けた色合いからして独特のオーラをまとっているような感じがする。





 「モーツァルトハウス・ウィーン」へ。オペラ「フィガロの結婚」を作曲した家とのことで、かつては「フィガロハウス」と呼ばれていたそうだ。日本語のガイドを聞きながら見学する。

 展示は充実、音声ガイドの解説も非常に詳しいのだが、いかんせん長い!途中途中で置いてあるイスに腰掛けたりしながら聞いていたのだが、だんだん疲れてきた。出口までたどり着くとほっとした。「モーツアルト愛」が足りない者にはなかなか大変であった。



 ウィーンでの3日間は、いずれも音楽を楽しむことにしている。初日はウィーンミュージカル観劇である。地下鉄3号線から6号線へと乗り継ぐ。6号線の電車は路面電車がそのまま地下鉄になったような、少し小ぶりの車両である。



 「ライムント劇場」へ。「Ich war noch niemals in New York」という舞台を観る。10月には帝国劇場で「ニューヨークに行きたい!!」というタイトルで上演される作品である。予めインターネットでチケットを予約しておいたのだが、現地のガイドさんによれば、こちらでは大人気の作品なんだとか。「よくチケットを取れましたね!」と驚かれた。

 当日券売り場で予約確認のメールのコピーを示すとチケットを渡された。劇場のエントランスにはもぎりの人はおらず、そのまま階段を登って3階席へ。客席に入るところにもぎりの女性がいる。男性も女性もミュージカルのテーマに合わせて船員の格好をしている。

 3階の最前列の席に座る。眺めはこんな感じ。



 目の前の手すりが邪魔である。周りの人を見てみると、皆前方に身を乗り出している。日本の劇場だったらきっと注意されるだろうが、こちらでは問題ないようだ。外国人観光客と思しき人はほとんど見当たらない。

 ウィーンでのミュージカルだから、当然言語はドイツ語である。だが科白の内容はわからなくても、わかりやすいストーリーと軽快な音楽、アンサンブルの見事なダンスとで十分楽しめる。そして何よりキャストの歌唱力が素晴らしい。主人公リサ役のAnn MANDRELLAさんは、長身でカッコよく、よく通る歌声の持ち主である。相手役のアクセルを演じるKai PETERSONさんも上手だ。日本ではリサを瀬奈じゅんさんが、アクセルを橋本さとしさんがそれぞれ演じることになっている。

 初めて聴いたにもかかわらず、とても親しみやすい音楽は、こちらの名歌手ウド・ユルゲンスによるものである。現地のガイドさんは、「わかりやすくいえばオーストリアの北島三郎みたいな人です」とおっしゃっていたが、そうか、どおりで客席が中高年のおじさまおばさまばかりなのか。納得である。

 でも決して観客が落ち着いた雰囲気でいるわけではない。国民的歌手のジュークボックス・ミュージカルとあって、お客さんたちは皆口ずさみながら観入っている。だから客席はものすごく熱い。カーテンコールの盛り上がりは「マンマ・ミーア!」さながらである。

 これは実に楽しい作品だ。帝劇で上演されると知ったとき、どうもピンとこなかったのだが、これなら絶対に楽しめそうだ(帰国後、CDを買い、公演のチケットもしっかり入手した)。

 「ライムント劇場」は、重厚な造りで歴史を感じさせる。天井のあたりの装飾もそうだし、終演後の緞帳も開演前のものとはずいぶん違う。




 
 劇場の外に出る。こんなに歴史ある劇場でも、作品に合わせて船のような格好にしてしまう(屋根の上には赤い煙突まで付いている!)のがお茶目だ。劇場前に横付けされた観光バスには、おじさまおばさまが次々と乗り込んでいった。日本でいうと、かつてのコマ劇場に芝居やショーを観に来るのに近いのかもしれない。



 再び中心街へと戻る。昼間見た建物も、夜になるとまた違って見える。

 「シュテファン寺院」の内部ではミサが行われていた。詳細はわからなかったが、おそらく「9・11」の追悼が行われていたのだと思う。あの日からちょうど10年である。



 「シュターツオーパー」も灯りが点ると黄金に輝いて見える。



 劇場入口上のスクリーンには、上演中のオペラが生中継されていて、それを観る人だかりができていた。立ち見の人もいれば、しっかり敷物やイスを用意して観ている人もいる。



 さて、さすがにお腹が空いた。ウィーンのカフェは午前0時くらいまで開いているところもあって便利だ。地下鉄もそれくらいまでは動いている。

 「ホテル・ザッハー」の建物の一角にあるカフェ「モーツァルト」に入る。辺りは明るいので、外の席に座る。しっかり日本語のメニューまであって親切だ。ウィーンの名物料理、「ヴィーナー・シュニッツェル」を注文した。薄く叩いた子牛のカツレツに、たっぷりとレモンを搾って食べる。揚げ物だけれど、まったくといっていいほどしつっこくない。サクサクした食感がおいしい。

 すっかり満腹になって、ホテルに戻る。うん、ウィーンは素晴らしく楽しい。明日以降も楽しみでならない。


9月10日(土)晴れ

2011-10-25 00:14:35 | 

 6時半起床。今日も快晴である。ザルツブルクは雨の多い街だと聞いていたが、たまたまなのだろうか。ホテルでの朝食の際は昨日と同じ席に着く。昨日は中国からの旅行者が多い感じだったが、今朝は欧米の人が多いようだ。

 ホテルの前で一昨日申し込んだ現地ツアーの送迎車が来るのを待つ。ホテルの向かいの建物に朝日が当たっている。窓のところに黒い鳥がいつも留まっていると思っていたら、それは飾りだった。芸が細かい。



 予定よりも少し遅れてツアー会社の送迎車がやってきた。だがわれわれの予約については知らないとのこと。そんなはずはない。ホテルのフロントでちゃんと申し込んでおいたのだ。送迎車は他のお客さんを迎えに来たようなのだが、何とか乗せてもらって集合場所に行く。

 パノラマツアーズの「The Original Sound of Music Tour」に参加する。大型のバス2台仕立てだ。日本語のツアーももちろんあるのだが、こちらのほうが短時間で効率よく回ってこれるようだ。英語のほうは何とかなるだろう。

 2号車のバスに乗った。ガイドのペーターさんはわれわれが日本から来たと知ると「Sushi!」とかいってにこやかに迎えてくれた。後から知ったところではとても有名なガイドさんらしい。

 最初の目的地「レオポルツクローン城」に向かう。「サウンド・オブ・ミュージック」のなかで、マリアと子どもたちがボートから池に落ちてしまった場所である。背後には「ホーエンザルツブルク城」も聳え立っている。



 お次は「ヘルブルン宮殿」。ツアーではこの建物は外観を見学するのみ。お目当ては「もうすぐ17才」「何かいいこと」の場面で使用されたガラスの家である。こちらは元あった場所から移築されたものらしい。記念写真の人気スポットになっている。



 ここを出発すると、バスは丘陵地帯をぐんぐんと上っていく。見晴らしのよい草原地帯を勢いよく登る。途中、「サンクトヴォルフガング湖」に立ち寄る。



 市街地から少しばかり走るともうこのような風景に出会えるのだ。

 ツアーのお客さんは一見してわかるほどに多国籍である。説明は英語だが、会話はいろいろな言語が飛び交っている。そんな雰囲気もまた楽しい。

 モントゼーという街に着く。ここでは約1時間の自由行動。何といっても中心は「教区教会」である。映画のなかでマリアとトラップ大佐が結婚式を挙げるシーンで使われていた場所だ。映画のなかではずいぶんと煤けた印象の建物だが、実際はパステルカラーの明るいものである。



 内部はピンク色と、こちらもまた明るい。これから結婚式が開かれるらしく、歌の練習が行われていた。歌詞がわからなくても、上手かそうでないかはそれとなくわかるものである。音響がよいのでなおさらだ。だがそれがまたよい。



 結婚式に参列する人びとは、この地域の民族衣装に身を包んでいた。教会は壮麗だが、結婚式はいかにもアットホームな感じのようである。



 こちらでも観光地というのはだいたい同じようで、教会の前にはおみやげ屋さんが軒を連ねている。それらを眺めるのも楽しかったが、こちらでの一番のおみやげは、教会のなかで寄付をしていただいた小さな瓶に入った聖水である。

 少し早めにバスに戻る。バスには映画の場面場面があしらわれており、やけに目を引く。写真の反対側の側面中ほどには、乗降用の扉が付いていて、後ろの乗客はそちらから乗り降りする。よくできている。


 さて、そろそろ出発時間である。一応点呼を取っているのだが、かなりアバウトである。積み忘れ(?)が出てもおかしくなさそうだったが、何とか全員乗っていたようだ。

 ザルツブルク市内へと戻るバスの車中では、映画でリーズルを演じた女優シャーミアン・カーのインタビュービデオが流れていた。帰りは高速道路経由であっというまに出発地点の着いた。ほぼ定刻通りである。その手際のよさには感心した。

 バスを降りて、すぐ向かいの「ミラベル庭園」へ。マリアと子どもたちが「ドレミの歌」を歌うシーンに登場する。ああ、確かにこの「ペガサスの泉」なんか、見覚えがある。



 曲が終わる場面の石段は、写真を撮る人が多くいた。ちょうどこんな角度からカメラはマリアと子どもたちを撮っていたような気がする。



 撮られた側はこんな目線で進んでいったのではなかろうか。



 土曜日というのは結婚式の多い日らしく(日本でもそうだけれど)、こちらでも結婚式のカップルが歩いていた。この緑のトンネルも子どもたちが走り抜けた場所だ。



 それにしても美しく整備された庭園である。真っ青な空がよくマッチする。



 ここでいったん「サウンド・オブ・ミュージック」ロケ地めぐりは小休止。「モーツァルト!」ツアーへと移行する。ミラベル庭園からほど近い「モーツァルトの住居」へ。生家から移り住んだ家で、ウィーンへと移住するまでの間を過ごした建物だそうだ。内部には数々の楽器が展示してある。



 ずいぶんとお腹が空いてきた。新市街から旧市街へと移動して、モーツァルトも訪れたというカフェ「トマセッリ」に行く。1705年創業というから、3世紀以上の歴史がある老舗である。



 名物のチーズ入りオムレツを食す。コーヒーはアインシュペナー(ウインナーコーヒー)を注文。





 オムレツはまさに「フワトロ」で、実においしい。格別工夫がされているような感じでもないのだが、うまい。うーん、これが老舗の味というやつか。ウェイターさんがお皿を持って勧めているケーキにも惹かれるものがあったが、ここは自重。

 しかしさすがに観光地だけあって、料理を注文する際にもカタコトの英語で全く問題ない。その点ずいぶん気楽でいられる。

 ツェントラル界隈は、昨日にもまして活気があり、あちこちで大道芸人たちが技を披露している。呼び寄せられるままにコインを渡したら、美しい絵はがきをくれた。



 お腹もいっぱいになったので、腹ごなしに少し歩く。「ノンベルク修道院」へ。こちらは実在のマリア・フォン・トラップが生活した修道院で、トラップ大佐と実際に結婚式を挙げたのもこの場所である。

 修道院内部での撮影は許可されなかったものの、一度修道院に帰ったマリアを子どもたちが訪ねるシーンは実際の入口で撮影されている。



 停まっていたナチスの車がシスターの機知で動けなくなってしまった場所もこちらである。



 修道院の聖堂も見学することができる。ただし「ガイドツアーお断り」という貼り紙がしてあるところを見ると、あくまでも静粛に見る人だけに、ということなのだろう。大きな教会と比べると、ひんやりとして、厳かな雰囲気がある。





 なだらかな坂を下り、「サウンド・オブ・ミュージック」ロケ地めぐりのラスト、「メンヒスベルク展望台」へ。エレベーターで展望台に上がるのだが、入口がよくわからずにまごついた。というのも美術館の入口と一体になっているからである。一方通行の狭い道をしばらく右往左往した。こんなところをトロリーバスがすいすいと走ってしまうのだからすごい。



 こちらの展望台では、「ドレミの歌」の「ソ~ド~ラ~ファ~ミ~ド~レ~」の場面が撮影されている。旧市街が一望できる素晴らしい眺めである。こちらでも結婚披露パーティーが開かれていた。3つも結婚式に出会ってしまった。



 だんだんと日も傾いてきた。夕暮れの景色もまた美しい。さすがは世界遺産の街である。



 夕食はガイドさんおすすめの中華料理店「福楽飯店」に行く。かの小澤征爾さん行きつけのお店とのこと。さぞかし高級なお店だろうと少々びびっていたら、非常に庶民的な感じである。日本語のメニューもあって親切。春巻きとラーメン、それからもやしの炒め物を注文する。この炒め物の味が絶品だった。お値段もリーズナブル。ただし量が多くて、すっかりお腹いっぱいになってしまった。





 今夜でザルツブルク観光はおしまいである。名残を惜しんでまたしばらく街歩きをする。ぼんやりとした夜の表情もまたなかなかよい。





 新市街から旧市街へと戻る。川面に街の灯りが美しく映る。



 ゲトライデ通りは、多くのお店が閉まっているが、それでもショーウィンドーの灯りは点いているので明るい。買い物こそできなくても、ディスプレイされた商品を眺めているだけで十分楽しい。こういった街の造りだからこそできるのだろう。



 昼間は賑わっていた市場も、出店がすべて引き払って広々とした感じ。



 最後に「馬洗い池」を訪れる。こちらも昼と夜とで表情が異なる。



 ミュージカル「モーツァルト!」では、モーツァルトが「ザルツブルクなんか大嫌いだ!」と叫ぶのだが、いやはやどうして、とても美しい街である。何より中心部に見どころが密集しているので、てくてくと歩きながら回れるのがいい。もう1日くらいゆっくりしていたかったなあ、と思う。


9月9日(金)曇りのち晴れ

2011-10-24 12:43:36 | 

 6時半起床。ホテルの朝食はバイキング形式。チーズやらソーセージ、ハムやらがとても充実している。コーヒーがおいしい。

 今日が実質的な観光の初日である。外はどんよりと曇っていて、生憎のお天気ではある。ザルツブルク中央駅前の観光案内所でザルツブルクカードを購入。市内の交通機関とほとんどの観光施設が無料(もしくは割引)となるすぐれものだ。

 さっそくOBUSというトロリーバスに乗り込む。2車体連結のバスで、駅前のプラットホームのような停留所から乗る。どの系統に乗るべきかは昨日ガイドさんにレクチャーをしてもらっていた。いざ走り出すとモーターの音がするだけで、普通のバスと比べるとはるかに静かだ。

 降りるべき停留所のところで停車ボタンを押し、降車口に立ったが、ドアは開かない。ん、困った。そのうちにバスはさっさと発車してしまう。次の停留所で降りるべく停車ボタンを押した。ドアの開閉ボタンがどこにあるのか、見つけられないでいたら、見かねた他のお客さんが親切に開閉ボタンを押してくれた。ようやく下車して街歩きを始める。厚い雲の下にホーエンザルツブルク城と旧市街が見える。



 旧市街のなかで最も人通りの多いゲトライデ通りに入る。狭い道の両側が5階建てくらいのアパートなので、少々圧迫感があるが、細かな装飾が楽しい。マクドナルドでさえこんな感じだ。



 この通り沿いにあるモーツァルトの生家を見学する。内部はモーツァルト一家が生活していた当時をできるだけ再現しているようだ。子どものころに使っていたバイオリンや同じく幼い時分に書いた楽譜を見る。



 そのままゲトライデ通りを抜けてモーツァルト広場へ。中心にはモーツァルト像がある。



 朝方は少し冷えるような感じだったが、だんだんと暖かくなってきた。この銅像のほぼ真正面にある「DEMEL」のカフェに入る。こちらのチョコレートは日本でも売っていて、以前いただいて食べたことがある。まだ開店してそれほど経っていないせいか、それほど混んではいない。入口で案内されるのを待っていたが、格別声をかけてくれるわけでもないので、勝手に席に座る。すると店員さんがやってきた。そういうものらしい。

 ザッハートルテとメランジェを注文する。



 ザッハートルテは甘かった。甘いとは聞いていたが、想像以上に甘い。だがメランジェを飲むとこれが案外いい感じだ。何よりコーヒーがおいしいのがうれしい限りだ。ミルク入りのものを飲んでいるが、シュヴァルツァー(ブラック)でももちろんおいしいだろう。

 カフェで一服して外に出ると、いいお天気になってきた。映画「サウンド・オブ・ミュージック」に出てくる噴水を眺める。





 この地への旅を選んだのは、大好きなミュージカル作品「サウンド・オブ・ミュージック」「モーツァルト!」「エリザベート」の舞台を訪ねてみたかったからである。あえてそこに行ってみるというよりは、歩いているとここそこにゆかりの場所があるという感じである。

 広場から大司教の宮殿である「レジデンツ」に進む。何となく宮殿というと複雑なお城のようなものを連想してしまうのだが、こちらの宮殿は外見というか、格好は街中のアパートと同じような四角い建物である。





 だがひとたび足を踏み入れてみると、そこが庶民の世界とは大きく隔絶した場所であることを思い知らされる。こちらは日本語のイヤホンガイドがあって、詳細な解説を聞きながら見学していく。まず一歩進んでみれば、いきなり壮麗なホールだ。



 天井、壁面、床、どこに目をやっても、ひたすら贅沢で華やかだ。ここの主の一人が「モーツァルト!」に登場するコロレド大司教なわけだが、その大司教を演じた、真っ赤な衣装の山口祐一郎さんがこの場所にいることを想像して思わずにんまりする。もちろんこの建物はモーツァルトゆかりの場所でもある。











 「レジデンツ」を出ると、目の前には双塔の大きな教会「ザルツブルク大聖堂」がある。モーツァルトが洗礼を受けた場所である。



 外観もさることながら、内部の装飾の見事さに息を呑む。



 薄暗い中に陽が差してきて、明暗のコントラストが美しさをいっそう引き立たせる。



 教会と教会の間の道を通り抜けて「馬の水飲み場」に行く。こちらも「サウンド・オブ・ミュージック」に登場した場所だ。映画の印象だと少しくすんだような色合いだったような気がするが、実際に見てみると鮮やかな色彩に彩られている。



 この「馬の水飲み場」のほうからゲトライデ通りを眺める。お天気がよくなってきたこともあって、人出が多くなってきた。



 大学前広場にはたくさんの出店が出ていて、こちらも活況を呈している。気温が上がってきて暑い。スーパーでペットボトルの水を買う。つい目と鼻の先の出店とスーパーとでは、同じ銘柄の水がえらく違う。ただスーパーでの買い物はちょっと気ぜわしい。ベルトコンベアに載せた商品の会計をささっと済ませて前後の人に迷惑をかけないように気を遣わなくてはならない。



 「祝祭劇場」に行く。ガイドツアーは1日に数回で、その時間つぶしのために辺りをうろうろしていたのだ。ガイドさんは1人で、まずドイツ語で説明を、次いで同じ内容を英語で話してくれる。

 豪華なロビーを抜けると、メンヒスベルク山の岩盤をくりぬいて作られた劇場だ。「サウンド・オブ・ミュージック」のザルツブルク音楽祭でトラップ一家が合唱を披露した会場である。客席全体を巻き込んだ「エーデルワイス」の合唱は印象的だった。なぜだかやたらと司会役のマックスおじさんの姿が記憶に残っている。



 舞台の上にも上がらせてもらった。客席のほうはすっかり近代的な劇場然としている。

 続いて大劇場へ。こちらは毎年のザルツブルク音楽祭のメイン会場として知られている。





 舞台袖から裏側も見せてもらった。熱心な見学者の方は、ガイドさんにたくさん質問している。これくらいの気合いで見学したいものだ。

 祝祭劇場の見学は思ったよりも時間がかかって、時計的にはすでに夕方である。だがまだ明るい。

 「ザンクト・ペーター教会」へ。こちらは内部もさることながら、われわれにとってはやはり裏手の墓地のほうに惹かれる。





 こちらの墓地は「サウンド・オブ・ミュージック」のなかで、トラップ一家が「祝祭劇場」から逃げ出したときに身を潜めた場所である。



 いよいよザルツブルクのシンボルである、「ホーエンザルツブルク城」に上る。ケーブルカーであっという間に到着する。ものの本によっては、「城」ではなく「要塞」と書かれている。実際の印象も後者に近い感じである。





 こちらは内部の混雑を避けるためか、一定間隔で見学者を入場させているようで、入るまでにしばらく待たされた。日本語ガイドがあって、それを聞きながら進んでいく。案内されるままに上へ上へと上がっていくと、展望台に出る。ここからの眺めは素晴らしい。旧市街から新市街を一望できる。



 もともとは軍事上の要塞としての機能をもつホーエンザルツブルク城ではあるが、豪華なところはしっかり豪華に設えてある。黄金の広間ではコンサートのリハーサルが行われていた。

 再びケーブルカーで下りてくる。ツェントラルと呼ばれる旧市街は、建物と建物の間の小路が複雑に入り組んで迷路のようだ。行き止まりかと思うと、建物の中をくりぬいたような通路(パッサージュ)がある。ちゃんと外に出られるのか心許ないが、ぶらぶら歩きするのは楽しい。



 朝からさんざん歩き通しだったので、いったんホテルに帰ることにした。系統番号1番のObusに乗る。今度は終点のザルツブルク中央駅までの乗車だから、降りる際の心配もない。



 ホテルの部屋に帰ったら、へとへとになってしまった。夕食を食べに再び市街地に戻るのが面倒になって、中央駅のマクドナルドに入る。少し高めの(あくまでマクドナルドにしては、の)セットを注文したら、えらく大きなものが出てきた。それだけにお腹いっぱいになってしまった。

 時差ボケはほとんどない。よく歩いたおかげでよく眠れそうだ。


9月8日(木)晴れ(成田)→曇り(フランクフルト)→曇り(ザルツブルク)

2011-10-23 17:13:12 | 

 5時過ぎには目が覚めた。外を見るとようやく日が昇るころだ。すぐ目の前の空港がだんだんとはっきり見えてきた。

 ホテルからバスで5分ほど、成田空港の第1ターミナルに到着する。昨日下見をしておいたから、迷うことはない。だが旅行代理店のカウンターはまだ開かない。ロビーのソファは結構埋まっている。何とか空いているところを見つけて腰掛ける。

 ようやく代理店のカウンターが開いて、航空券等一式を受け取る。今回利用するのは「個人旅行」という商品で、現地での送迎や移動の面倒見てもらう以外はすべて自由である。自由はありがたいのだが、旅慣れていないわれわれにとっては、若干の不安もないではない。まあ何とかなるだろう。

 サブウェイで軽めの朝食を摂り、チェックインを済ませて搭乗口へと向かう。結構歩いた末に現れたのは、これから搭乗するエアバスA380の巨体だった。いやはや、これはでかい。でかいだけあって、搭乗するのにもいろいろ順番があって、われわれは最後のほうだった。



 座席に着く。元来飛行機は苦手だが、こうも大きいと、何だかそれこそ大船に乗った気分でいられる。通路際の席だったから、窓の外もよく見えない。ただ怖いと思っている割には、ついつい機体カメラの映像に見入ってしまったりもする。

 ルフトハンザLH0711便は、ほぼ定刻通りに成田を出発した。本当はウィーンへの直行便で行きたかったのだが、そちらはもう予約が埋まってしまっていた。よってフランクフルト乗り継ぎとなった。

 飛行機には日本人のキャビンアテンダントの方も乗務しているし、映像プログラムなんかも日本語のものがちゃんとある。もっともちょっとおかしな日本語であったりする。「エンターテインメントの概要」なんていうのは、いささかわかりづらい。その辺は質実剛健なドイツの航空会社のこと、ということで納得する。乗務員の制服も紺色で、まさに質実剛健である。機内食もまた…いやこれはなかなかおいしかった。

 映画があまり面白くなかったので、フライトの位置を示すGPS画像のようなものをたびたび眺めていた。目的地までの残り時間が表示されているが、なかなか減らない。手荷物のなかに入れておいた3冊の文庫本も読み終えてしまった。となると眠るしかない。だが明日以降のことを考えるとできるだけ起きていたい。

 フランクフルト国際空港には、ほぼ定時に到着した。空はどんよりと曇っている。確かに外国なのだが、曇り空は日本とあまり変わらない。当たり前か。

 ここで飛行機を乗り継ぐことになる。A380から降りて、長い通路を歩く。さて入国審査をどこで受けたらいいものやら。降機の際に係員の人に説明を受けたが、空港じたいがあまりにも広いものだから、よく分からない。長い列のできているところに並ぼうとしたが、どうもここで正しいのかわからない。そのうちに日本人旅行者の方が、「よくわからないですよね」と声をかけてくれた。どうも先のほうに乗り継ぎ用のゲートがあるようだ。そちらに行ってみると問題なく通過できた。

 乗り継ぐ飛行機の出発時間まで3時間近くある。さて、どうやって時間をつぶしたらいいやら。空港内のお店を覗いて回る。だが重い手荷物を持っているので、早々に疲れる。カフェに入ってみたいが、まだ外国に来たという実感が十分でないのでどうも腰が引ける。というわけで安心のスターバックスに落ち着く。こちらはShortサイズがなく、Tallサイズが標準の模様。味は当然日本で飲むものと変わらないが、周囲は飲み散らかしたのがそのまんま放置されていて、あまりきれいな感じはしない。

 出発前に、フランクフルトでは飛行機の出発ゲートの変更がままあるので注意するようにいわれていた。なので早めに再び手荷物検査を済ませて予定のゲートの前まで移動する。紺地に黄色のルフトハンザのマークが掲示されていたが、しばらくして赤地のオーストリア航空のものに変わった。どうやらここでいいらしい。

 ゲートが開いた。階段を降りるとバスが待っている。お客さんをひととおり乗せると走り出す。広い空港に駐機しているたくさんの機体を眺めながら走る。



 それにしてもなかなか着かない。いよいよ空港のはずれというところまで来て、バスが停まった。目の前には小ぶりのジェット機が駐まっている。あれ、ザルツブルクまでの飛行機はプロペラ機と聞いていたのだが(どうやら多客機にはジェット機が使用されるらしい)。

 飛行機にはフォッカー100と書いてある。リヒトホーフェンの愛機フォッカーDr.Ⅰとか「フレンドシップ」のフォッカーか!小学生のころは飛行機好きだったのだが、その後鉄道に転向して以来、ほとんど関心がなくなっていたのだが、こんなところで懐かしい社名を思い出した。



 OS266便も、ほぼ定時出発。当然小さい飛行機だから揺れるであろうと、席に着くと再び緊張してきた。だがスムースに離陸すると軽快に上昇していく。曇り空だが、そこそこ景色も見える。遊覧飛行みたいだ。

 オーストリア航空の乗務員の制服は鮮やかな赤で、ルフトハンザとは対照的だ。1時間半ほどのフライトだが、お菓子と飲みものも出た。これは実に快適。

 あっという間にザルツブルク空港に着く。タラップを降りると、あとはターミナルまで滑走路をてくてくと歩いていく。いかにもローカルな感じがする。



 荷物も無事到着した。ここで現地の旅行代理店の方が待っていてくださった。ホテルまで送っていただく間、そして到着してから、滞在中の注意事項などについてレクチャーを受ける。

 長旅の疲れと気分の高まりで、何だかおかしな感じだ。今夜はしっかり眠らなくては。とりあえず飲み水だけは買っておく。オーストリアでは水道水も問題なく飲めるとのことだったが(実際飲んでみると硬水独特の風味がするがむしろおいしい)、偵察がてら少しだけザルツブルク中央駅周辺を歩いてみた。ここに至ってようやく異国の地にたどり着いたことを実感した。


9月7日(水)曇り(弘前)→晴れ(成田)

2011-10-23 16:49:32 | 

 9時過ぎに起床。トーストと紅茶の朝食。空はどんよりと曇っていて、雨がぱらつく。

 念入りに出発前の確認をして、大きな荷物を持って部屋を出る。スーツケースはすでに今夜の宿泊先に送ってあるのだが、それでも手荷物はかなり重い。

 弘前から普通電車に乗り、新青森で乗り換える。乗り継いだ「はやて」はJ編成。読書灯と電源コンセントが付いている。ちょっと得した気分になる。

 東京駅に向かう。約ひと月ぶりの東京(今年の夏はお盆を避けて1週前に帰省した)なのだが、今日はやけに長く感じた。震災ダイヤにも慣れたつもりだったが、途中居眠りをして目を覚ましても、なかなか東京にたどり着かない。

 ようやく到着して、成田エクスプレスに乗り継ぐ。切符の手配を依頼した旅行代理店のほうで、少し余裕をもった接続を取ったのだろうか、すぐに乗り換えられる列車ではなく、その1本後の列車を待つことになった。東京駅の地下街で時間をつぶす。

 総武横須賀快速線の地下ホームで列車を待つ。まず横浜方面から来た列車が停車して、その後ろに新宿方面から来た列車が連結された。新型の成田エクスプレスに乗るのは初めてだ。



 乗り込んでみると車内はガラガラである。総武線の車窓からの眺めは、ちょっと懐かしい景色である。両国の先から地上に出ると、ほどなくして日が沈んでいくところだった。



 千葉を過ぎると、田園風景を走る。日もすっかり暮れた。定刻通りに成田空港駅に到着する。いきなり荷物の検査があったりして、普段の日常からちょっと離れたところに来たという気分になる。

 明日からの旅行中に使用する携帯電話を借りて、ついでに出発の際の集合場所も確認しておく。のんびり食事をして、ホテルの送迎バスに乗り、投宿する。

 明日は早起きだ。だが古臭いホテルの廊下からは、何やら外国語でしゃべっている声が聞こえてくる。ドアの開閉の音もバタンバタンとうるさい。久々の海外旅行への高揚感もあって、なかなか眠れなかった。飛行機のなかでは眠れるだろうか。


2月25日(水)曇:八戸港町

2009-03-02 23:32:08 | 
 6時起床。昨夜は10時に寝たので睡眠時間は十分。すぐに着替えをして、朝食を食べに行く。今回の宿舎は試験会場のすぐ真上なので、遅刻の心配はない。

 朝食は値段の割に豪華な和定食。ちゃんとイカ刺しが出た。しっかり食べて部屋に戻り、ネクタイを締めて試験監督の控室へ。

 数学と国語の試験は滞りなく終わった。急病の人なども出ず、ひと安心。

 お昼過ぎに入試業務は終了した。すぐに八戸駅に向かう。ノートパソコンなんかはコインロッカーに放り込み、八戸線の気動車に乗り込む。何人か、受験帰りの高校生たちと同じ車両に乗り合わせた。試験問題についてあれこれ会話をしているのを遠くから聞く。



 のんびり車窓を眺める。八戸臨海鉄道やら、廃止になった貨物線の跡なんかがみえ、なかなか楽しい。15分ほど揺られた後、陸奥湊で下車する。

 わざわざここまで足を運んだのは、昨日ゼミ生に「八戸おすすめ情報」をもらったからだ。駅を出て、両側に魚を売る店を眺めながら少し歩くと、お目当てのお店「喜代志」はすぐにみつかった。



 入口は狭いが、中に入ると、食堂部、寿司部、居酒屋部、といった具合にセクションが分かれている。普通のお昼を食べにきたので、食堂部に入る。

 周りでは地元のおばあちゃんたちが、定食を食べた後、食後のコーヒーを楽しみながらおしゃべりを楽しんでいる。ゆったりとした時間の流れを感じる。

 「おすすめ情報」では、唐揚げが絶品とのことだった。タイミングよく今日の日替わり定食が唐揚げだったので、迷わず注文する。



 揚げたてアツアツの唐揚げは、しつっこくなく、それでいて鶏肉は実にやわらか。これはうまい。お腹ペコペコだったので、あっという間に平らげてしまった。食後にはコーヒーのサービスが付いて、680円は安い。わざわざ列車で食べにきた甲斐があるってもんだ。

 食事を済ませて街を眺めてみると、いかにも昭和的な、実に雰囲気のいいたたずまいだ。





 土曜日なんかには朝市が立つそうだから、そんなときに訪ねたら楽しいだろう。

 陸奥湊から乗る予定の列車まで、しばらく時間がある。館鼻公園という看板をみつけたので、行ってみることにした。坂を上って少し行くと、急に視界が開けて海がみえる。立派な展望台が設けられていたので昇ってみた。





 お天気が曇っていたのは残念だったが、グレーがかった港の眺めも悪くはない。ゆっくりしていたかったが、列車の時間が迫っていたので、降り出した雨の中を急いで駅に戻る。

 やってきたのは「うみねこ」仕様のキハ40。去年の暮れに乗ったのと同じ列車だ。



 本八戸で下車し、昨日に続いて中心街へ。「おすすめ情報」にあった喫茶店に行ってみたが、こちらは臨時休業だった。

 代わりに表通りから一本それたところをうろつく。かつては百貨店であったと思しき建物のなかに、せんべい汁を飲ませてくれるお店があったりして、なかなか楽しい。せっかくなのでせんべい汁を飲んだ。体が温まった。

 「八戸フォーラム」で「大丈夫であるように Cocco 終わらない旅」を観る。入場券売り場が混雑していたので何かと思ったら、「おくりびと」を観る人々だった。席は売り切れ。アカデミー賞効果はすごいものがある。それに対して「大丈夫であるように」は、お客さんはわずか4人。青森県が重要な存在である映画なのに、ここでしか観られないのはもったいない気がする。

 映画館の入ったビルの裏手のバス停からバスで八戸駅へ。青森いち押し弁当を買って、特急「つがる」に乗り込む。自由席は満席になった。24日までのブログをまとめる。

 弘前駅には4分ほど遅れて到着した。そのままタクシーで大学に行く。明後日の研究会の報告原稿の準備。午前0時を過ぎたところで帰宅。早起きしたこともあって、ずいぶん一日が長く感じられた。

2月24日(火)曇:八戸へ

2009-02-25 21:12:57 | 
 10時に起きる。トーストを食べ、もそもそと身支度をして出かける。今日は大学のほうではなく、弘前駅へ。11時54分発の各駅停車に乗り、青森に向かう。車内では『ビッグコミックスピリッツ』を読む。

 青森駅で函館からやってきた「白鳥18号」に乗り換える。待ち時間の間に青森駅ホームの売店で買った「若鶏弁当」を食べる。右手に八甲田山を眺めながら弁当をつつく。自由席はそこそこ混雑していた。

 定刻に八戸駅に着き、そのまま八戸線に乗り換えて本八戸に向かう。キハ40・48の2両編成。ディーゼルエンジンのうなる音が心地いい。



 八戸の街は、昨年暮れの帰省の際に立ち寄ったから、あらかた町の様子はわかっている。弘前とも、青森とも異なった雰囲気の街。さくらの百貨店の隣に、魚介類を売る店があったり。路地に入り込むと、こうしたバラックのような店がたくさんある。



 本八戸駅から中心街へ向かう道も、どこか鄙びた独特の雰囲気をもっている。



 コーヒーを飲んで、映画館「八戸フォーラム」へ。商業ビルの1フロアが映画館になっている。シネコンタイプの映画館だが、ここはこだわりをもって市民映画館と称している。

 「少年メリケンサック」を観た。この映画は弘前での上映予定はないようなので。映画の感想はあらためて。

 夕方の街を少しぶらつく。気温は1℃ほどなのだが、思ったよりも寒い。

 本八戸駅に戻り、八戸に向かう。中心街から八戸駅行きのバスは頻発しているのだが、値段の安さ(JR180円、バス310円)と早さ(JR9分、バスは約30分)を比べると、やはり鉄道のほうがいい。

 八戸駅に隣接する、ホテルメッツ八戸にある、日本料理の店「烹鱗」でイカ刺し定食を頼む。やはり八戸といったらイカを食べねばなるまい。セットの味噌汁は、八戸名物の煎餅汁にしてもらった。けんちん汁に南部煎餅を入れたものだが、食感はすいとんに近い。

 夕食後は真っ直ぐに今日の宿舎に入る。何しろ明日の朝は早い。幸い、宿は試験会場のすぐ真上だから、よっぽどのことがない限り寝坊することはあるまい。

 少しだけ持参した本に目を通し、やはり少しだけ原稿に手を入れて、10時に就寝。遅く起きた割には、スムースに眠りにつくことができた。

1月28日(水)晴(弘前)→曇(東京):旅情あり

2009-01-31 22:27:40 | 
 いいお天気だ。融けかかった道路の雪がまぶしい。お正月に買った新しいコートを着て大学に行く。今日が特別な日だからではなく、東京出張用に下ろしたのだ。

 G2(まだ仮称)をいただく。さわやかな空とすっきりとした飲み心地がぴったり合う。  昨日に引き続いて出張先である早稲田大学の男女共同参画に関する情報収集。勝手知ったる大学ではあるが、それでも段々緊張してきた。何しろ自分の研究や学会といった用事以外での出張はこれまでほとんど経験がないのである。

 正午から講座会議。戻ってきてから昼食。ナスのドライカレーは冷めてしまったが、なかなかうまかった。

 4コマのゼミは『社会学』の5章「ジェンダーとセクシュアリティ」の前半部分を読む。「社会とジェンダー」の僕の担当講義で話した内容とも少し重なっているのだが、あらためてじっくり読むと勉強になる。一時はジェンダー論が、生物学的な差異までも社会的に構築されたものである、といった議論を提示して、相当な勢いを示していたように思うのだが、最近はそこまでの勢いはないように感じる。その理由は脳科学ブームにある。先日のNHKスペシャルでも(ウトウトしながらみていたのでうろ覚えだが)恋愛をしているときに男性と女性とでは脳の働く部分が違う、なんていうのをやっていた。そうなるとやはり男と女は生物学的(というのが不適切なら脳科学的)に異なった存在である、ということになる。社会学者としては、何だかなあ、という気分になる。  

 社会の心理主義化というのが進んだ先に、最終的な人間の探求と解明は脳科学に委ねられたかのようだ。今や脳科学者はちょっとしたTVスターだもんな。そんな時代だからこそ、「社会」というものを粗略にできない、と思う。でも新書の世界に氾濫している社会学書にもシンパシーを抱けない。何だかなあ。

 タクシーに飛び乗って弘前駅へ。16:05発の「つがる28号」に乗る。窓越しに岩木山の左側に沈んでいく夕陽を見送る。時期的にこんなきれいな夕陽がみられるのは珍しい。本を読むでもなく、居眠りをするでもなく、完全に暗くなるまで窓の外を眺めていた。青森を出て、浅虫温泉あたりまでは景色をみることができた。いつもの帰省とはひと味違う、旅情ある鉄道の旅の風情。

 そこから先は『ビッグコミックスピリッツ』を読み始める。八戸での新幹線乗り継ぎも今回はスムースに。引き続きスピリッツを読み、それを終えると今度は新潮社編『『週刊新潮』が報じたスキャンダル戦後史』(新潮文庫)を読み始める。スキャンダルを報じた当時の記事をそのまま採録したもの。面白いのだが、もう少し個別の事件についての解説をしてくれたらいいのに、と思う。何となく松本清張の『明治百年百大事件』的な感じで楽しめる。眠くなるとブランケットを引っ被って眠る。

 東京駅に降り立つと、上越新幹線の200系が高崎に向けて出発するところだった。0系新幹線が引退した今、オリジナルの新幹線スタイルを残す最後の形式。最近は滅多に乗る機会はないが、なくなる前に一度乗ってみたい。まだ3列の席は方向転換できなかったりするのだろうか。

 やはり東京は暖かく感じる。中央線の電車は混んでいた。今さらのような気がするが、ポケットからマスクを取り出して着用する。これまで何とかインフルエンザ禍を逃れてきているが、安心はできない。

1月24日(土)晴後曇(その1):朝湯三昧

2009-01-25 11:20:23 | 
 昨夜は10時ちょっと過ぎに寝付いたものだから、6時半には目が覚めた。外は少しずつ明るくなっていくところ。せっかくの名湯、朝湯に行かねばならない。

 夜明けの温泉街の雰囲気もまた格別である。ただし静かではない。お湯をバッシャンバッシャンかけたりする音とか、話し声が聞こえたりする。





 それらは共同浴場の「鶴の湯」からのものである。なんと朝4時から営業している。仕事に出かける前にひと風呂浴びて、という人が多いそうだ。実際、僕が行ったときにはすでに10人以上の人が浴室内にいた。



 皆さん地元の方のようである。朝の挨拶を交わして、湯に浸かりながらおしゃべりに興じている。一種の社交場のようだ。

 「鶴の湯」は1回200円で入ることができる。安い。浴室はまだ新しく、清潔である。地元のお年寄りに配慮してか、手すりがあったり、浴槽の段も低くなっている。

 さて、お湯のほうはというと、温湯なのにかなり熱い。ただし少し湯温を抑えた浴槽と、熱い浴槽と2つに分かれているので、前者には比較的長く浸かっていられる。後者のほうはというと、30秒も入っていられなかった。そんなお湯に目をつぶってじっと浸かっている人は、どこか修験者のようなオーラを放っている。

 ロビーの小上がりに座り、サイダーを飲む。これはよく温まった。時間差をおいてやってきた同僚の先生方も集まって、しばらく雑談。

 「鶴の湯」の目の前の宿に戻ると、ご主人が雪かきをされていて、しばらく建物を見上げながら、ご自慢のポイントを教えていただいたり、維持していくうえでのご苦労などを聞かせていただく。よくこんな雪の多いところで、これだけの木造建築がいい状態に保たれているものだと感心する。ひとえにしっかりとしたメンテナンスがされているからだろう。

 朝食は細かいところまで心配りの効いた、シンプルながら実においしい和食だった。先ほどの「鶴の湯」の温みが冷めてしまった(いかんせん気候が寒いのだ)ので、今度は宿のお風呂に入る。朝湯を2回はいるなんてのは初めてである。昨夜と違い、朝日がさんさんと降るなか、浅瀬石川を眺めつつ檜風呂に浸かる。これを極楽といわずして何といおう。

 今度は一人で1週間くらい泊まってみたい。客舎に泊まれば素泊まり自炊もできるし。ちょっとした「逃避行」的気分を味わえるだろうし、じっくりものごとを考えられるような気がする。今はそれだけのゆとりがないけれども。

 もうしばらく逗留していたいところだが、どの先生方もお仕事を抱えておられるので、直ちに現実世界に戻らなければならない。

 帰りがけにちょっとだけ黒石市街に立ち寄る。藻川屋のたい焼きが食べたくなったのだ。前に黒石に行ったときにはお店がお休みだったので、健在かどうかを確かめたくもある。行ってみると、前と変わらずご主人がたい焼きを焼いていた。4つ買って、缶のお茶と一緒に車の中で食べる。こみせ通りに回って、鳴海酒造に立ち寄る。お酒を飲まない僕にはどうにも入りづらくて、店内に入ったのは今日が初めてだ。高い天井、堂々とした梁が実に重厚。そしてお酒もおいしそうだ(僕には味がわからないのだけれど)。いつかおみやげに買っていきたい。

 国道102号を真っ直ぐに弘前に下る。ほんの20㎞ほどの距離なのに、温湯と弘前では天気が全然違う。無事大学に到着して、研究会は終了。今回に味をしめて、次回もまた温泉開催なんていうことになったら楽しいのだがなあ。

 研究室に戻って、引き続き研究会のデータ作成をする。せっかくいい具合で背中を押してもらったので、もう少し集中力を持続させるつもり。

 夜に観た「誰も守ってくれない」については、別項にて。

1月2日(金)晴:思い出散歩

2009-01-02 22:32:54 | 
 10時少し前に起きる。今日も快晴だ。パンとソーセージをかじりながらテレビをつけると、箱根駅伝はすでに2区に入っていた。山梨学院大のモグス選手のスピードと、日大のダニエル選手のごぼう抜きに目を奪われる。早稲田もいい感じでタスキをつなぎ、3区の竹沢選手で一気に差を詰めた。

 伯母の作ってくれたけんちん汁とお餅で早めの昼食。買い物に出る母に便乗して父ともども立川に行く。パークアベニュー駐車場からは、真っ白な富士山がみえる。うっかり携帯電話とカメラを置いてきてしまったことを後悔する。南口のTSUTAYAに借りていたDVDを返しにいき、ビッグカメラで実家用の加湿空気清浄機を買う。店内は混んでいて、店員さんをつかまえるのにずいぶん時間がかかった。

 オリオン書房で昭和30年代の立川の様子を写したカレンダーを買う。昨年自宅用に買ったらいい感じだったので、今年も引き続き。店内のラウンジでコーヒーを飲む。買った本をただちに読めるのがここのいいところ。

 帰宅してから散歩に出る。旧青梅街道沿いには、武蔵村山市の指定した史跡がいろいろある。宿の子育て地蔵尊は母の実家の側にあって、よく前を歩いたところ。

 母方のお墓に行き、お参りをする。そのまま斜面を登って富士山を眺める。日が傾いてきて、先ほどのような真っ白さは望めないが、まばゆい光のなかにもそのシルエットはしっかり認めることができる。

 落ち葉を踏みながら、ちょっとした山歩きを楽しむ。途中カタクリの群生地を右にみると、通っていた幼稚園の運動場に出た。ここで運動会をやったし、下の田んぼ(今は荒れ地になっていた)ではミズスマシを捕ったりもした。

 お伊勢山に登る。年に一度のお祭りのときに、祖母に手を引かれて石段(といっても斜面にところどころ段をつけるためのコンクリ板が埋めてあるだけだが)を登った。ずいぶん高い山だと思っていたが、今歩いてみると5分ほどで上の神社にたどり着いてしまう。小さな神社も昔と変わらない。

 裏手に回り、再び山道を歩く。大将山はちょっとしたビュースポットで、右をみれば富士山が、左をみればイオンモールを中心に村山が広く見渡せる。

 ここから急な石段を下りると後ヶ谷戸グラウンドの側に出る。ほどなく「ハセガワ」というお店の前を通る。祖父母の家に遊びに行ったとき、たびたびおつかいに行ったお店だ。こういったところが残っているとうれしくなる。

 宿の薬師堂をみる。祖母や母が「薬師さま」と呼んでいたところで、ここでも盆踊りがあるときには夜店を楽しみに遊びに行った。市の案内板をみると、薬師堂の建物は昭和15年に消失し、翌16年に再建されたものだという。

 かつては当たり前のように感じていた建物だが、実は戦前からの生き残りなのだ。こんなところにも意外な発見がある。

 宿のバス停の近くには赤稲荷がある。文字通り真っ赤に塗られた小さなお稲荷さん。ここのバス停から祖母と一緒に阿佐ヶ谷行きの都営バス(現在は西武柳沢駅行きに短縮されている)に乗った記憶がある。

 母の実家と僕の家は自転車で20分ほどの距離なので、よく遊びに行った。そのときに通った道を歩くと、古い倉庫なんかがなくなって、新しい住宅地になっている。あまり変わっていないようで、つぶさに眺めると結構変化があることに気づく。

 新青梅街道を越えて山王森公園へ。ここは小学校のころ、放課後に野球をしたところ。だいたいクラス対抗という形だった。三振ばかりしていた僕が、一度だけ会心の当たりを放ったのもここである。

 公園の南側には自転車道が通っている。ここはかつて村山貯水池を作るために多摩川から砂利を運んだ軽便鉄道の廃線跡である(宮脇俊三さん編の『鉄道廃線跡を歩く』に、羽村山口軽便鉄道という名で紹介されている)。自転車道の先には鉄道時代のトンネルも残っているのだが、ここには残堀砕石工場の遺構とされるコンクリートの土台が残っている。小学生のころ、ここは高射砲の跡だと教えられたのだが、真相は砕石工場跡だと後に知った。

 ここから5分ほど歩いて伯母の家に新年の挨拶に立ち寄る。伯父さん伯母さんに両親もやってきて、お寿司をごちそうになる。みんなで賑やかに食べるお寿司はおいしかった。亡くなった祖父母の思い出話なんかもする。普段から「なんにもないところ」といっている土地だけれど、やっぱり故郷は故郷であり、いろいろな記憶が染みついている。
コメント (2)

12月29日(月)晴(弘前)→晴(東京):足止まらず

2008-12-30 23:17:20 | 
 9時起床。帰りの電車には悠々間に合う時間だ。ケータイにメールが届いているのに気づく。新幹線のシステムトラブルを教えてくれたものだった。えっ、テレビをつけ、ネットを覗く。どうやら9時近くに運転を再開したものの、ダイヤは大幅に乱れているようだ。遅延はもとより、運休もあるとのこと。こりゃ大変だ。

 支度をして、10時半少し前に弘前駅に着く。どうやら弘前発の特急「つがる16号」は時間通りに走るようだ。右手に岩木山を眺めながら津軽平野を走る。

 青森で進行方向が変わり、浅虫温泉を過ぎたあたりで、乗り継ぎ予定の「はやて16号」の運休のアナウンスが入る。運休は決まったものの、その先どうなるかは八戸の駅で聞いてくれ、という。ちょっと釈然としない。八戸で駅弁を買うつもりだったが、今日の混乱で売り切れになっていそうなので弘前で買っておいたコンビニのおにぎりを頬張る。

 八戸駅に到着すると、在来線から新幹線への乗り継ぎ改札のところに行列ができていた。1256分八戸発の「はやて16号」は運休で、その次の146分発の「はやて18号」が先発になるとのこと。ただしこの列車はすでに満席で、途中の駅でお客が乗ってくるまでは座席に座ってもよいが、以後は立ってもらうようになる、とのアナウンスだった。大荷物を抱えていて立って帰るのはちょっと厳しい。その次の1457分発「はやて20号」ならば指定席を確保できるとのこと。しかもグリーン券はそのままグリーン車に替えてくれるので、そちらを選んだ。17時に予約を入れてあった床屋さんに電話をして、1時間半ほど遅らせてもらう。

 これくらいの遅れなら、どうってことはない。無事に帰れればいい。その点、僕には唯一無二の旅のお守りがある。これを身につけていれば大丈夫だ。

 とはいえ、こういったときのJRの対応はなっていないなあ、と思う。案内放送にせよ、切符の振り替えの手配にせよ。一緒に列に並んでいるおばちゃんたちが苛立つのもよくわかる。その点遅延がしょっちゅう生じる飛行機のほうが手慣れていて、丁寧だ。

 さて2時間の余裕ができた。喫茶店で本を読めばつぶれる時間ではあるが、じっとしていられない性分だ。せっかくなので八戸の街に行ってみよう。コインロッカーに荷物を預け、駅前から出発するところの「中心街」行きバスに乗り込む。

 途中根城の前を通ったので、バスを降りる。が、城跡は年末休園になっていて、入ることはできず。よって今日は下見にとどまったが、なかなか面白そうな史跡である。再びバスを待つ。向こう側からは、ずいぶんと年代物のバスがやってきた。こんな古い形式が現役とは。僕が小学生のころに立川バスで走っていた形だ。いいものをみた。

 八戸の市街地に差しかかると道路は大渋滞。バス停は「二十三日町」「十三日町」と続く。「三日町」まで行くつもりだったが、すっかり動かなくなってしまったので「十三日町」で降りて歩くことにした。年末の買い物客で賑わっている。青森や弘前よりも活気があるように思えるのは時期のせいだろうか。八戸名物として売り出し中らしい横丁も歩いてみる。だが、いかにも観光客向けの人工的な横丁で(自然な横丁など存在しないのだけど)、惹きつけられるところはなかった。むしろ大きなビルの陰で花を売っているような路地のほうが魅力的。

 八戸城跡の公園をぶらつく。晴れてはいるが、吹き抜ける風が冷たい。そのまま本八戸駅に出る。八戸線の快速「うみねこ」に乗る。やってきたキハ48の2両編成は、リクライニングシートを備えた豪華仕様だ。

 もっと乗っていたかったが、10分ほどで八戸に着く。この列車は「はやて20号」に接続するようになっていて、ロッカーから荷物を出し、ようやく新幹線に乗り込んだ。

 車内では読書とうたた寝を繰り返す。乗客も気のせいか全体的に疲れている感じだ。僕などはまだずいぶんとマシなほうなのかもしれない。

 仙台までは4分ほどの遅れで走っていたが、大宮から先は、上越・長野の各新幹線も合流するため、糞詰まり状態になる。なかなか出発できない。ここで遅れの幅が一気に拡がる。いったい全体、こんな調子でJR東日本は320km運転なんてやって大丈夫なんだろうか。どこかで大事故を引き起こすような気がするぞ。東海道・山陽新幹線のほうがよっぽど安定している。

 床屋さんには、連絡を入れてずらしてもらった6時半よりさらに10分ほど遅れて着いた。それでもいつもと変わらず親切にしてもらった。新年を迎えるに当たり、この前よりもさらに短く刈ってもらった。

 予定より2時間ほど遅れての帰宅となる。といっても出発が早かった分、さほど遅い夕食とはならなかった。

 弘前を出る前に書くことができなかった年賀状の添え書きを書く。今夜一晩で片づける。明日投函すれば、ようやく新年を迎える準備が一応整うことになる。
コメント (4)

12月3日(水)晴(名古屋)→曇(弘前):Morning Flight

2008-12-05 00:51:17 | 
 6時に起床。時間に余裕がないのですぐに身支度をして、荷物を持ってホテルのロビーに下りる。少し急いでバイキング式の朝食を摂る。日出前の、少しずつ空が明るくなってくる様子を眺めながらというのはあまり経験したことがない。だがのんびりもしていられない。

 ホテルの前から空港までの送迎バスに乗せてもらうことができた。9人乗りの9番目だったのだが、乗せられたのは助手席で、他の席よりもゆったりと座ることができた。

 なんだかんだで空港には早めに着くことができた。出発まで少し時間がある。展望デッキに出て、並ぶ飛行機をみて歩く。風はあまりないが、空気が冷たい。





 デッキの入口のところには、シミュラークル的横丁とでもいうべきものが設えてある。何となく川越の街のコンビニを思わせるようなスターバックスがあったりする。



 こういった空間的な工夫には心動かされなかったのだが、空港のキャラクターである「なぞの旅人フー」はすっかり気に入ってしまった。「なぞのトリ」を友連れに旅をしているなんてのが実にいい。



 おみやげ物屋さんでキャラクターグッズを買い込む。ゼミ生へのおみやげは「名古屋コーチン饅頭」にした。うーむ、見本品で包装紙の中身もしっかりみたのだが、どうみても「ひ○子」のパ○リのような気がしてならない。ネタとしていいだろうということでチョイス。

 行きに続いて帰りもX線検査場で引っかかった。持っていたリュックの中身が問題のようだったが、2回目は問題なく通過した。何なんだろ。

 青森-中部便は12月からは1日1往復しか飛ばない。よって直接帰るにはこの8時ちょうど発の飛行機しかないのだ。ちょっと不便。飛行機はMD-90で、行きのMD-81よりはいい。81のほうは座席からして窮屈だった。

 定刻通りに出発。しっかり整備士の方々が手を振ってくれている。映画「ハッピーフライト」を先日観たものだから、こうした光景にもちょっとぐっとくるものがある。

 窓際の席が取れたので、ずっと窓に顔を付けるようにして景色を眺めていた。天候もよく、ほとんど揺れることもない。実に快適なフライトだ。富士山をみたいと思っていたが、生憎僕の座った左側の席ではなく、右側からしかみえなかったようだ。

 昼間のうちに青森空港に着く飛行機に乗ったのは初めてで、着陸に備えて高度を下げてくると弘前の街がはっきりと視認できる。弘前駅に、うちの大学に、弘前公園と確認すると、帰ってきたという実感が出てくる。

 定刻より5分ほど早く到着した。預けていた荷物を受け取り、車で帰宅する。着替えを済ませるとすぐに大学に出る。11時少し前に研究室に入る。1週間ほど留守にしたおかげで郵便物なんかがずいぶんと溜まってしまっていた。

 ポットの脇にYMが入ったティーポットがあったので、遅ればせながらの今日の一杯を飲む。生協の弁当を買って、日常生活に復帰する。

 4コマのゼミは先週に引き続いて『社会学』13章の後半部分を読む。段々と疲れが出てきて、僕自身の解説や議論が上滑りする。疲れているときほどしゃべろうとして、かえって饒舌になるのだが、中身がない話しになってしまう。こりゃあいかん。

 明日の「比較社会学」の授業は、急遽思いついた新しいネタで行くことに決めた。だが何の準備もできていないので、疲れた体にムチ打って、といった格好になる。帰宅して作業をするも、コタツでうつらうつらしてしまう。どうにもならないので、2時間寝ては起きて作業し、また寝て、というのを繰り返す。早くまっとうな生活のリズムを取り戻さなければ。