朝7時半に起きる。買い置きしてくれていた五日市街道沿いにある喫茶店「ゼルコバ」のパンを久々に食べる。ケヤキ並木(そもそもゼルコバ=ケヤキである)にある隠れ家的な店で、石窯で焼いたパンを買うことができる。少々堅いのだが、その分味がある。
父に昭島駅まで送ってもらい、ピークを過ぎたとはいえ、ラッシュの電車にこれまた久しぶりに乗る。新宿駅でりんかい線に乗り換えて、国際展示場へ。癌研有明病院に行く。昨年の夏に耳下腺の腫瘤(良性だった)の切除手術をここで受けて、それから経過観察のため現在は半年に一度のペースで通うことになっている。今回の帰京の一番の目的は、ここに来ることだった。前回、昨年11月に今日の予約をしていたのである(それぐらい混むのだ)。
予約をしてあっても、その時間にすぐに診てもらえるわけではない。しばし中庭のパラソルの下で本を読む。この病院は新しいこともあって、いかにも病院といったような陰気さがない。海から吹く風が気持ちいい。
予約時間を1時間ちょっと過ぎて、B医師の診察を受ける。先生とはかれこれ3年あまりのおつきあいになる。往診に出ていた立川の病院での初診から、手術までずっと面倒をみていただいている。弘前の桜はどうでしたか?なんていう雑談を交えながら、傷跡をチェックしてもらった。次に先生とお会いするのはまた半年後である。
有明からゆりかもめに乗る。最前の特等席が空いていたので、当然のごとくそこに座る。相変わらず、どこかしらで重機の音が聞こえて、開発が進んでいる。終わりなどないんじゃないかと思うほどに、東京は変わっている。
豊洲で有楽町線に乗り換えて、有楽町で下りる。帰りの新幹線は診察が遅れることを見越して遅めにしてある。時間的にそれに乗るしかないので、日比谷に出て映画を観ることにした。
みゆき座に入って、「主人公は僕だった」を観る。この作品の予備知識は全くなく、ただ時間の都合でこれにしたのだが、ウィル・フェレル主演と知って、期待が高まる。「奥様は魔女」でのジャック(ダーリン)役や、「プロデューサーズ」のフランツ・リープキン役が印象に残っている。コメディ精神にあふれる役者さんという印象がある。この人は、どこか抜けているというか、すっとぼけているというか、それでいて、いやそれゆえに愛されるようなキャラクターが似合う。この作品でのハロルド・クリック役もまさにそうだ。
自分の人生が、ある小説家の書く小説の筋書きとシンクロして展開し、日常の規則正しいリズムが崩されていくことによって、ある運命性というものを帯びていく。崩れたリズムのもとで遭遇する新たな事態にどう向き合うのか、そして悲劇として終わる小説の結末をいかに受け止めるのか、がストーリーの焦点である。といっても、全然暗くない。というより映画そのものは全くのコメディーである。
エマ・トンプソンの演じるペシミスティックな小説家(つまりハロルドの人生のストーリーテラー)や、ダスティン・ホフマン扮するちょっといい加減で怪しげな文学者など、ひとクセある周囲の人々がいい味を出している。何となく、舞台作品にでもなったらより面白くなるんじゃないかなあ。大作ではないし、センセーショナルなものでもないけれど、「人生の物語をどう生きるか」ということを考えさせてくれる映画だと思う。それに、僕はこういった「都会のちょっとしたいい話」的な作品が好きなのだ。
やっぱりウィル・フェレルはいい。ブッシュ大統領のモノマネもすれば、「
オペラ座の怪人」までやってしまう。大した芸人であり、役者だ。好きだなあ、こういう人。何となく、竹中直人に通じるものを感じる。
新幹線の車中で、昨日買った徳渕真利子『
新幹線ガール』(メディアファクトリー)を読む。筆者は23歳の東海道新幹線のパーサーで、個人別ワゴン売り上げランキング1位に輝いた人とのこと。パーサーの勤務実態や、本人がこの仕事に就くまで、そしてフリーターから正社員になる過程などが描かれている。真っ直ぐな文章で、読んでいて楽しい。
個人的にパーサーという仕事には興味があった。CAの世界というのはさんざんドラマや映画で描かれてきたが、新幹線のパーサーが主人公というのはあまり多くはない(かつて「新幹線物語」というドラマはあったが、ちょっと荒唐無稽な内容だった)。ゆえにどれほどの労働なのか、よくわからなかったのだ。東海道新幹線なら、一日に東京→新大阪、新大阪→東京の往復くらい働くのだろう、と思っていたが、一往復半の勤務もあるのだとか。ずっと立ちづめで、しかもかがんだりもするわけだから、大変な仕事だ。
僕は新幹線の車内で売っているコーヒーの味が好きで、必ず買う(グリーン車に乗るときはサービスで出る)。味の善し悪しについては正直そんなにわかるわけではないのだが、この本によれば、味にはかなり自信があるのだという。なるほど。単に雰囲気だけでおいしく感じるわけではないのだな。
筆者が若いということもあるのだろうが、あのときは大変だった、的な苦労話はそれほど多くはなく(もちろん重要な意味をもっているのだが)、本人の性格もあるのだろうが、前向きな話しが多い。それでいて、プロとしてのしたたかなこだわりも感じられる。飛行機とは違う鉄道のよさ、といった記述などは、強烈なライバル意識のようなものも見て取れる。ミュージカル「CATS」に登場する鉄道猫スキンブルシャンクスを思い出す。スキンブルは「職業に誇りをもつ」というイギリス労働者の伝統を体現するキャラクターとして描かれているのだが、彼女のように、新幹線が、そしてパーサーという仕事が好きで好きでたまらない、そしてその仕事を天職と考えている人は、まさに現代に実在するスキンブルなのかもしれない。
面白くて、一気に読み通してしまった。だが、この本ではパーサーはお金を両手で受け取るのが作法と書いてあったが、車内でコーヒーを買ったときに渡した代金は片手で受け取っていたぞ。東海道新幹線と東北新幹線とで違うのか?などとついついくだらないことを考えたりもした。この本は、いずれ「天職」について授業で扱うときの参考文献に使うことにしよう。
ふだん東京から戻る新幹線は夕方の便を利用することが多いので、あまり車窓の風景に目をやることはなかった。今日は昼行の列車なので、今まで気にも留めなかった景色が新鮮に感じられた。八戸に近づくころには日も暮れてきた。
特急「つがる」に乗り換えた後もまだ表はいくらか明るい。浅虫温泉のあたりの海も、じっくりと眺めるのは初めてである(行きの車中では眠っていたので)。
いつもより早く戻ってきたので、研究室で仕事をする。何だか1週間分に相当するくらい、密度の濃い3日間だったような気がする。