五行目の先に

日々の生活の余白に書きとめておきたいこと。

5月31日(木)晴:創立記念日

2007-05-31 22:03:36 | Weblog
 今日は創立記念日ということで授業がない。昨日は疲れてすぐに寝てしまったので、月曜日にもらった「花の湯」の優待券を使って朝風呂に入る。9時ちょっと過ぎの時間でも結構賑わっている。

 宿舎に戻る途中、サンデーで虫対策グッズをあれこれ買い込む。僕の研究室には網戸がない。しかもクーラーなど設置されていないから、これからは終日窓を開け放さなければならない。そこにいろいろ虫が飛び込んでくるのだ。今週だけで2回蜂と格闘した。いずれもサンダルで撃墜したが、高いところには手が届かない。しっかりしたハエたたきとジェット噴射のスプレーを購入。

 昼休みに人文学部のH先生とスコーラムで昼食。学会に行かれた際のおみやげを頂戴する。同じく人文学部のI先生も加わって、学生の叱り方についてお話しする。僕などはどちらかというと及び腰になりがちで、おかげでパシリにもなってしまったりするのだが、両先生は割と厳しくしつけているのだそうだ。確かに知らないことは教えるのが教師の仕事だ。興味深かったのが、2年生男子の危機というお話し。1年生から2年生に進級した男子学生に、学習意欲を急になくして留年するケースがここ数年多いのだそうだ。同じ2年生でも、女子学生の場合はそうした傾向はみられないとのこと。

 安易な一般化は避けなければならないが、僕が接している学生に限っては、女子学生のほうが男子学生よりも優秀である。授業への質問・感想を読んでいてもそうだ。受講生の男女比はそう違わないのに、感心させられるものは女子学生のものが多い。ただし、毎回毎回コメントを読むのを楽しみにしているほど素晴らしく優秀な男子学生もいる。

 午後は明日の講義ノート作り。ようやく明日で折り返し地点だ。私大で教えていたときは、半期の授業は13回。実際には祝日などの関係で11ないし12回だった。こっちに来てからはしっかり15回ある。最終回はテストだから授業のうちに入らないが、この2回の違いというのは結構重く感じられるものである。

 夕食の時間までに少し余裕ができたので、『バンビ~ノ!』6~8巻を通して読む。『スピリッツ』で毎週読んできたのだが、あらためて読み返してみると、パティシエの織田さんなんかは最初からちゃんと画面の中に描かれていて、その辺の構成の確かさに感心する。個々の登場人物のバックグラウンドが丁寧に描かれているのもこのマンガの魅力である。

 少しばかりノドが痛み出した。カゼの兆候である。朝風呂が悪かったわけでもないだろうが、早々に帰宅して、休むことにする。

5月30日(水)晴後曇:『敗者から見た関ヶ原合戦』

2007-05-30 23:35:49 | 読書
 ここ数日、睡眠時間を十分に確保できたおかげで、たまっていた疲れも抜けてきた。やはり寝るのが一番。次いで温泉がよく効くようだ。

 今日は2コマのゼミがあるのみ。レジュメ作成も2回り目に入ると、僕のほうから格別注意することもない。今回は議論のタネになるような論点を提出しようという積極性もみえていいんじゃないかと思う。これでひととおり基礎固めはできたように思うので、今後はより高い質を求めていくことになろう。議論においても、僕がしゃべる時間をもっと短くするようにしなければ。

 昼休みは弁当で済ませるつもりが売り切れてしまっていたので、スコーラムへ。その前に生協に寄って三宅純正さんの『敗者から見た関ヶ原合戦』を買って行く。洋泉社新書yの歴史ものは、毎月毎月新刊が出るのが楽しみだ。いつも「通説」に挑むような元気のいい本が出る。

 本書は、「戦下手」「能吏」といった既存の石田三成のイメージに疑問を投げかけ、西軍の野戦築城をはじめとした周到な作戦準備と、巧みな戦略家としての石田三成像を提示している。しかも、これまでに読んだ本と違う面白い点は、実際に戦場や各武将の本陣となった山々を歩き、西軍の陣地構築の跡を丹念にたどっているところだ。地勢から関ヶ原合戦を検証しようとしているのである(既刊の『フィールドワーク関ヶ原合戦』という本があるのは知っているのだけれど、これが現在はなかなか入手しづらい)。いやはや、こんな本を待っていた。僕は別に判官贔屓というわけでもないのだけれど、なぜか関ヶ原から大阪夏の陣までの戦いに敗れていった人々に心惹かれる。真田信繁などもそうである。「恩顧」や「義理」といったことばに弱いせいだろうか。

 いずれにせよ、根拠なんてないけれど、絶対に石田三成は悪いヤツじゃない、と思っていた。陰険な謀略家石田三成というイメージは、勝者徳川が喧伝したものに相違ないとこれまた勝手に思い込んでいたので、本書には快哉を叫びたくなる。沢庵和尚が三成を慕っていたなんていうエピソードにはグッときた。昼休みと夕方とで一気に読み通してしまった。

 昼休みの後、クリーンデーという行事に参加する。学内挙げてキャンパス内と周りの道路のゴミ拾いをするというものなのだが、教授会でアナウンスがあったので行ってみると、参加している先生は10人にも満たない。僕は大学に行ってから気がついて、首にタオルを引っかけて出て行ったのだが、学部長さんから「服装からして準備は完璧ですね」といわれた。いや、別に今日のための格好ではなくて、普段からこんななのです…とはさすがにいえなかった。よっぽどのことがない限り、いつもよれよれのシャツとチノパンといった出で立ちなので、そうみられるのも仕方がないか。

 全体の集合場所に行ってみると、結構集まっている。理事さんの挨拶があって、事務員さんたちとおしゃべりしながら学部の校舎の周りを回る。いい天気だったこともあり、ちょっとした散歩とひなたぼっこといった感じ。

 30分ほどゴミを拾い集めてから集積所へ持って行く。学生さんには生協から飲みものの提供があったが、教職員にはナシとのこと。新任のK先生と、われわれくらいの若さならごまかせますかねえ、といってみたものの、大人しく引き下がって研究室に戻る。

 昨日のT実習の記録を作ってからしばらくは『敗者から見た関ヶ原合戦』を読みふける。おかげで今日中に終わらせるつもりだった今週の講義ノートの作成は明日に持ち越しに。明日は創立記念日で授業が休みということもあって、ちょっとだけ気分的にも余裕がある。


5月29日(火)晴:代役

2007-05-30 00:07:27 | 仕事
 いつもより少し緊張感のある朝。2コマ目の社会科授業構成論という授業に毎週オブザーバーという形で参加させていただいている(午後のT実習と連動しているので)のだが、今日は担当のI先生が海外にご出張で、代わりに僕が担当することになった。

 担当といっても、翌週に実習を行う学生さんの模擬授業をマネージメントするだけだから、仕事自体は大したことはない。ただ、いつものI先生の的確な指導と助言が今日はない。及ばずながら、気づいたポイントをチェックして、指摘しなければならない。これが結構なプレッシャーなのである。

 今年度のT実習は、機長(I先生)と副操縦士(僕)といった関係性のもとで行っているから、これまでは結構気楽でいられた。だが、自分で飛行機を飛ばすとなると、なかなかどうして、緊張するものである。そんな飛行機に乗らなきゃならない学生さんたちとて不安だろう。あらためてI先生の偉大さを実感する。

 それでも何とか無事乗り切ることができた。やれやれだ。学生さんたちにはいくつかコメントをする。こちらの意図していることはわりとよく伝わったようだ。

 お昼休みにPCをつけると、I先生から激励のメールが届いていた。ご出張先の美しい街並みの写真も添付してある。こういったお心遣いがありがたい。とはいえ、昼休みものんびりできず、昨日から続く「印刷走り」をし、おにぎりを2つ詰め込んで、附属中学校に向かう。午後のT実習はM先生が来てくださるので、いくらか気が楽だ。

 先週もそうだったが、学生さんたちは前の週の予行演習よりずっと高い水準のものを仕上げてきている。話しを聞いてみると、そんなに力を入れてやったわけではありません、といったことをいわれるのだが、実際はそうではあるまい。かなり細かい点を修正してきているのがわかる。これだけ伸びしろが大きいのならば、今後が楽しみでもある。

 授業後の協議もまずまず意見がまとまって出た。最後にM先生がご専門の立場から、かなり詳細な講評を述べてくださった。これなら授業を実施したグループの学生さんたちも大いに勉強になったことだろう。掃除を終え、担当の学生さんたちを労ってから大学に戻る。小さな会議がひとつ。あまり肩肘張らずにやれそうなので、ちょっと安心した。

 研究室に戻るとぐったりする。そういえば今日は附属中にいたとき以外はずっと靴を履いたままだった。おまけに立ち通しで足も疲れた。夕食後、仕事はしないことにしていつもより早めに帰宅。昨日に引き続いて「花の湯」でのんびりする。今日一日は何とか代役を務め上げることができたが、まだまだ役不足(本来の意味ではないほうの意味での)だと実感した。文字どおりの「アンダースタディ」としては、これもいい経験だと思う。

5月28日(月)晴:小間使い?

2007-05-28 23:15:57 | 仕事
 朝6時半、もうすぐ鷹巣駅に到着というアナウンスに目が覚める。思った以上によく眠れた。寝台車は眠れないという話しをよく聞くが、僕には向いているようだ。初めての普通のB寝台(これまでは同じB寝台でも個室の「ソロ」というタイプを利用していた)でも問題なし。

 7:44定刻どおりに弘前着。降り立つと、昨日まで夏日の中にいたので、高原に来たような感じ。駅前に止めてあった車で「花の湯」へ向かう。こちらの温泉は朝早くからやっている。おかげで出勤前に一風呂浴びることができる。これなら寝台のシャワーを借りる必要もない。

 家で着替えを済ませ、ほぼいつもどおりに大学に着く。授業は午後からで、それまで留守中にたまったメールの返事を書く。

 昼休みと4コマの時間に設定しているオフィスアワーには何人かの学生さんの出入りがある。T実習の記録の提出に、模造紙を受け取りに、それから配付資料の印刷を頼みにやってくる。記録紙の受け取りはいいとして、後の2つは何だか自分が教員であることを忘れてしまうような仕事である。学生の要望に応じて買いに行き、指定されたメモ書きのとおりに縮小だの拡大だのして印刷をする。僕が学生だった時分には、先生に「これ印刷しといてください」とはいえなかったなあ。

 うちの学部には助教や助手さんがほとんどいないから仕方がないのかもしれない。ただ、実習をするうえで必要なコピーは自己負担でさせるくらいでもいいのではないかと思う。何だかやたらと過保護な気がしてならない。まあ簡単に安請け合いしてしまう僕自身の問題もあるのだろうから、何ともいえない気もするが、夜10時を回って、ほとんど人のいない大学で印刷機を回しているというのはやはり釈然としない。せめて手間をかけさせてすまない、というくらいの気持ちをもってもらえたらうれしいが、そんなことはないのだろうなあ。これで「大学の先生は好きなことをやれていいですね」なんていわれた日にゃあ、堪忍袋の緒も切れるってことですよ。

 こんな様子で一日が過ぎていったものだから、今週中に提出しなければならない後期の「総合演習」の授業テーマも、「大学を問う」という当初の案から、「日本の学校と若年労働市場」という、僕にはやりやすいものに変えてしまった。大学について、自分なりの問題意識をもっているつもりだが、それを懸命に問うことにいささかの徒労感を感じてしまったので、テンションがた落ち、ついつい妥協してしまったのである。

 はしか流行の余波がうちの大学にも来たようで、まだ感染者はいないものの、学生さんたちには既往歴を調査する用紙が配布された。何といっても健康であるのが一番だから、何とか未然に食い止められればいいと思う。

5月27日(日)晴:「コンタクト」千秋楽

2007-05-27 21:45:40 | 舞台

 朝8時に目が覚めた。ゆっくりと支度をしてホテルを出る。今日もいい天気だ。夏日になるとのこと。淀屋橋駅まで、古い建物の前で時々足を止めながら歩く。駅の地下街の喫茶店でモーニングを食べ、京阪特急に乗る。今度は一番前に陣取る。私鉄最長の複々線区間を先行列車を次々に追い抜きながら走る。


 途中で思い立って丹波橋で下車する。伏見桃山城址に行こうと思ったのだ。だが、駅にも案内図らしきものが見あたらない。仕方なく当てずっぽうに歩く。そのうちに桃山御陵の参道に出た。確か城址は御陵の敷地内だったな、と中へずんずん入っていく。しかし、行けども行けども両側は高い木ばかり。こんなに広いのか。明治天皇陵の前に出る。大きさにもびっくりする。踏み外したら大変なことになりそうな石段をおそるおそる下る。


 JRの桃山駅に行き、そこで案内地図をもらう。なんと城址の入口はうっかり通り過ぎてしまったらしい。今回は縁がなかったと諦めて、奈良線に乗って京都駅へ。駅構内のうどん屋で簡単な昼食を済ませ、京都タワーのみやげもの売り場を覗く。何を買うでもないけれど、どこか昭和の薫りを残すこの手の場所が好きなのだ。

 いよいよ「コンタクト」の千秋楽。決してそうであっては困るが、これがひょっとしたら最後になるかもしれない。一瞬一瞬を観逃すまい、と気合いが入る。何となく客席全体にも緊張感があるような気がする。でも、本来「コンタクト」は肩肘張って観る作品ではない。それこそお酒のグラスを片手に観るのがいいくらい。

 Partアクロバットと倒錯。最も優雅で最もエロティックな場面だ。文句なしの「Well played!」。

 Part抑圧の中でのささやかな抵抗。夢想の中の自由。団こと葉さん演じる妻の表情が素晴らしい。生き生きとしたダンスと、最後の絶望=精神的な死。重苦しい結末だけれど、だからこそ心に響くものがある。

 休憩時間に温かいお茶を飲みながら、いよいよだなー、と感慨深く思う。隣りに座っていた初老の女性に話しかけられた。劇場で知らない人に話しかけられるのは初めてのことだ。「コンタクト」は何回目?と尋ねられたので、たぶん1314回目(初演から)くらいですね、と答えたらびっくりしていた。そりゃあそうか。その方は荒川務さんのファンなのだという。こんな会話があるのも「コンタクト」ゆえか

 Part孤独と出会い。きっかけなんて何だっていい。出会えることがすべて。僕は、「コンタクト」全体が好きだけれど、とりわけ今回は黄色いドレスの女とマイケル・ワイリーの物語りを観るためにやってきた。坂田加奈子さんの黄色いドレスの女には、瞬間瞬間で移り変わっていく気まぐれな、しかしだからこそワイリーをはじめとする男たちを魅了してやまない小悪魔的な魅力が満ちあふれている。ワイリーと同様に、黄色いドレスの女の一挙手一投足を凝視する。荒川さんのワイリーは、これまで観てきた加藤敬二さんのワイリーとは違った面白さがある。ちょっとしたユーモアさと、彼女に対するまっすぐで真摯な思いは荒川ワイリーのほうがあるような気がする。どっちも甲乙つけがたいくらい素晴らしいのだが。ラスト近くの「Sing Sing Sing」のパーカッションの音が、心臓の音とシンクロしているんじゃないかと思うくらい興奮した

 カーテンコール。拍手は鳴りやまない。何度も幕が上がり、出演者たちはお辞儀をする。手を振って下がっていってもまだまだ拍手は続く。荒川さんがタップダンスを踊ったり、明戸信吾さんが投げキッスをして、さらに盛り上がる。客席の電気が点いて、送り出しの音楽が始まってもカーテンコールは続いた。最後の幕が下りて、祭りの後の寂しさのような感情が訪れる。隣の女性が「お気をつけて」といって帰っていった。

 今度この作品に会えるのはいつのことだろう(案外すぐだったりして)。オーバーだと思われるだろうが、僕の人生を変えた、いや、少なくとも大きく揺さぶった作品である。東京で観終わったとき、さすがに京都には行けないと半ば諦めていたけれど、思い切って来てよかった。本当によかった。

 京都劇場の入口の脇には、「コンタクト」のダイジェスト映像を流すモニターが設置されている。名残を惜しむ人々が、食い入るように映像に見入っていた。

 まだ帰りの列車までにいくらか時間がある。『建築マップ 京都mini』を片手にいくつかの近代建築を観て歩くことにした。ごく自然に、かなりおしゃれなバイク屋さんがあったりする。と思ったら、現在は「なか卯」がテナントとして入っているようだ。へえ、うまい建物の活用法だな、と感心する。


 東本願寺近くにある伝道院へ。伊東忠太の手によるものだが、現在は修築がままならない状況で、劣化を食い止めるための覆いに隠れてしまっていた。


 烏丸通りに出て、五条方面に歩く。この辺は研究会で何度か泊まった場所だ。畏友Aにコーヒーをごちそうになった喫茶店もちゃんとあったそういえば京都はA君と歩いて回ったときの思い出が多い

 昨日も少しだけ歩いた三条通を通して歩いてみる。面白い建築がたくさんある。それらは元々の用途からは外れて、現在はおしゃれな店舗として活用されている例が多いようだ。今回は限られた時間ながら、今まで見過ごしていた京都の楽しさに触れられたような気がする。

 

 京都駅に戻って、イノダコーヒでケーキセットを頼む。ここのコーヒーが大好きなのだけれど、お店で飲むのは本当に久しぶりだ。研究室用に挽いた豆を買い込む。

 京都駅1822発寝台特急「日本海1号」に乗り込む。湖西線を走っている間は右手に琵琶湖が望める。

 やがて日が落ち、北陸線に入る。B寝台はそこそこ人が乗っている。ちょっと賑やかなくらいがちょうどいい。

 もうそろそろ高岡だ。時間があれば、好きな都市の中でも上位に入る高岡や富山にも寄りたいところだが、それはまたの機会に。そろそろ横になるとしよう。寝っ転がりながら、しばし「せんたくの旅」の余韻に浸ろう。


5月26日(土)晴:京都へ

2007-05-27 01:57:06 | 
 先週と同じ6:01発「つがる6号」に乗る。岩木山を眺めた後はひたすら眠る。

 途中本を取り出してみたものの、眠気には勝てない。八戸から「はやて6号」に乗り継いだときにはいったんノートPCを取り出したが、30分も作業したらバッテリーが切れた。やむなくこちらでも眠る。

 東京で25分間の乗り換え時間。構内の本屋で『バンビ~ノ!』3・4巻を買う。「のぞみ85号」の車中で読む。乗り慣れた東北新幹線と東海道新幹線とは結構趣が違う。700系新幹線の窓際のスペースは小さく、コーヒーを置くには狭い。三島を過ぎて富士山がみえてきた。津軽富士もいいが、やはり本家の富士山の秀麗さは格別である。

 定刻どおり午後2時ちょっと前に京都に着く。駅ビルで五目そばを食べながら、夕方5時までに行ける場所、行きたい場所を考える。結論が出るまでそうは時間がかからなかった。二条城に決める。僕は修学旅行で京都に来たことはなかったから、ここに行ったことがないのだ。でも城好きとしてはやはり押さえておきたい場所ではある。

 着いてみると、結構混雑していた。修学旅行生の姿も目立つ。規模は大きくないとはいえ、城門などはがっちりと整っている。早速国宝の二の丸御殿に上がってみる。狩野派の襖絵やうぐいす張りの床、複雑な天井の文様。これらひとつひとつが権威というものを雄弁に物語っている。そしてこうした御殿こそ、城の本質なのだ。天守閣が城の中心であったわけではない。明治維新や戦災の結果、御殿が失われて天守が城の象徴のように考えられるようになったのだ。だとすれば、二条城こそ城というものの姿を端的に伝えているのかもしれない。単なる豪華さという以上の面白さがこのお城にはある。

 二の丸御殿と比べると、本丸御殿は小さく、松代にある真田邸などと比べてもほとんど同じくらいの大きさだろう。とはいえ、なかなか好ましい建物である。天守台から眺める本丸は、地味だがしっかりまとまっている感じだ。

 割と急ぎ足で回ったのだが、1時間はゆうにかかった。ここから四条まで歩く。途中三条通近辺の近代建築をチェック。電電公社の社屋の外壁を活用して、内部をショッピングモールにした新風館(上)、現在も現役の中京郵便局、日銀京都支店の建物を転用した京都市文化博物館(下)など、このあたりは近代建築の宝庫である。僕にとっての京都の魅力は、何よりこうした建築が上手に保存・活用されているところにある。このあたり、東京は足下にも及ばない。

 5時ちょっと前に京都劇場へ。今回の旅行の目的は「コンタクト」を観ることである。今夜の前楽と明日の千秋楽を観る。主要なキャストでは、マイケル・ワイリーが荒川務さんに、ウェイター長が松島勇気さんに、それぞれ東京で観たときから代わっている。今日はもう小難しいことは考えず、ひたすらこの作品の世界に浸ることにした。この劇場にいる2時間半ほどの時間が、とにかく心地いい。そのためだけにここに来たのだ。

 舞台はかなりの熱気で、カーテンコールの拍手もなかかな鳴りやまない。最後はほとんどのお客さんが立ち上がって、役者さんたちを称えていた。舞台の上にいる人も、下にいる人もこの作品を愛しているんだなあと実感できた。

 いよいよ明日が千秋楽。まだ次の公演予定があるわけではないから、もしかすると最後の上演になるかもしれない。しっかりと目に耳に焼きつけるつもりだ。

 劇場を出ると、京都タワーがひときわ輝いてみえた。

 バスで河原町三条へ。京都に来るとよく食べていた「かつくら」のロースかつを食べる。最近は立川にもお店ができて、京都で食べるありがたみがなくなってしまったのだけれど、本店はここ三条のお店である。

 三条大橋を渡って、京阪電車に乗る。京都のホテルが満杯で、大阪に宿を取らざるを得なかった。それなら大好きな京阪特急に乗ろうと思い立った。しっかり2階席に陣取って、少し遠方に街の灯りを眺めながら、私鉄とは思えない乗り心地のよさを楽しみつつ、淀屋橋に到着した。


5月25日(金)曇後雨:オムライス

2007-05-25 23:39:26 | 

 朝7時に目が覚めたが、9時まで眠る。とにかく寝られるときに寝ておこうというのが目下の至上命題。

 雲行きが怪しいのでバスにしようか迷ったが、自転車で大学へ。午前中は2通の手紙を書いて、発送準備を整える。その後今日の授業の講義ノート作り。できるだけ前日までに済ませるようにしているのだが、今週は当日までずれ込んでしまった。落としどころを何パターンか考える。結局まとまらないので、そのまま残して時間との兼ね合いで考えることにする。

 昼休みに手紙の発送がてら駅まで行く。先日東京に帰った際に実家に買っていったしかないせんべいのこあき、さくら、らぶる、が好評だったそうで、アプリーズで買い求めて送る。ホームページを見て、オンライン販売もやっていることを知る。はじめからこちらで頼めばよかったか。

 弘前はおいしいお菓子屋さんが多いのだが、どちらかというと生菓子が主のような気がする。ある程度日持ちのするものとなるとやや選択肢が狭くなるような気がする。

 地方を旅していて、おいしい地元のお菓子屋さんをみつけるとうれしくなる。最近はそういった探索をしていないが、かつて山形の鶴岡に調査に行っていたころのお気に入りは木村屋という老舗のお菓子屋さんだった。

 大学に戻ってスコーラムへ行く。日替わりランチ(ハンバーグピザソース)を頼もうと思ったら、ついさっき売り切れたという。仕方がないのでオムライスを頼む。そういえば久しく食べていなかった(ような気がする)なあ。

 僕にとってオムライスは特別な食べものだった。数年前に体調を崩して、すっかり外食が苦手になってしまった。出されたものをみると、気分が悪くなって食べられないという、厄介な症状だった。それでも資料集めや何やらで出かけていたから、そういったときには食事に苦労した。そんな中で、何とか食べられたのがオムライスだったのである。大阪や京都に出かけたときは、たいてい地下街のレストランなんかでオムライスを食べていた。どうにか体調が戻ると同時に、オムライスは特別な存在ではなくなったのである。

 スコーラムのオムライスはケチャップがかかっており、玉子もふんわりとしていて、なかなかおいしかった。

 研究室に戻ると、T実習の学生さんが模造紙と画用紙をください、とやってきた。しまった、うっかり買っておくのを忘れていた。慌てて生協に走って買う。急いで戻って手渡す。学生さんに直接買ってもらえばいいのだが、校費で処理するので、僕が行かないといけないのだ。そんなふうにバタバタしていると、A先生が研究室に寄られて、いろいろと労ってくださった。こういうひとことをかけていただけるだけで救われる。おまんじゅうをいただいて、おやつに食べる。

 ふう、とひと息つくと、5コマ目の授業の時間が近づく。今日のテーマはアノミー。最初に1970年前後の学生運動のニュース映像を流す。これまでもそうだったのだが、学生運動というのは今の学生にとっても大きな関心を呼び起こすもののようだ。そのうえで、社会秩序を乱す者は革新者と逸脱者とに分かれて、といった話しをし、後者の逸脱行為について、社会学独特の説明の仕方(アノミー概念)へとつなげていった。アノミー状態というのを実感しづらいかと思って、現代社会の状況をアノミー概念を使って説明するという部分も用意していたのだが、そこまでやらなくても理解してくれていると判断して、少しだけ早めに切り上げる。

 ひとつ質問の中で面白かったのは、「先生はアノミー的先生ですか?」というもの。そもそもアノミー概念を理解しとらんじゃないか、と憤りつつも、とりあえずこうお答えします。僕自身は革新教員のつもりですが、はたからみればまぎれもない逸脱教員です、と。その違いはノートを読み返してちゃんと確認しておくこと。

 夕方6時から生協の総代会というのに出る。とにかく座っていればいいから、といわれて出席。その割には議長選出だの、4つの議案の討論だの、やけにものものしい。途中で退屈して、プリントの余白に「ショットガンフォーメーション」のいろいろなパターンを落書きして遊んでいた。やっぱりショットガンの場合にはワイドレシーバーといわずにスプリットエンド、フランカーといった呼称こそふさわしい、といったことを考えていた(真面目な会議の場なのにごめんなさい)。出席を引き受けたのは、弁当が出るということばにつられてだったのだが、もらったお弁当は何とオムライス。これまで30年あまり生きてきて、二食続けてオムライスを食べるというのは初めての経験である。まさに奇縁といえようか。同じ生協のものだから、そうそう食材に差はないはずだが、こちらは冷えている。会議の途中でも空腹にたえかねて遠慮なくもそもそと食べた。

 少しばかり仕事をしてから、いつもよりは早めに帰宅。明日も「つがる6号」で南下する。先週と違うのは、東京から「のぞみ」に乗り継いでさらに南下することである。


5月24日(木)晴:三沢さん

2007-05-25 00:16:59 | Weblog
 昨晩タニクリニックの頓服を飲んで早く寝て、朝方はゆっくり起きたので、体調は戻ってきた感じ。

 午前中は講義ノートの作成。時折介護等体験の証明書類にサインと印鑑をもらいに基礎ゼミの学生さんがやってくる。結構研究室に長くいるつもりなのだが、授業数が多い学生さんにとっては、つかまえるタイミングというのは結構難しいそうだ。事前に連絡をくれれば、できる限りいるようにします。

 昼食はスコーラムでそそくさと済ませ、演習をひとつ。最近話題になっているネットカフェ難民をテーマにしたドキュメンタリー映像を観たが、意外と議論しづらい題材だったかもしれない。

 一度宿舎に戻って車で大学へ。今日はうちの学部のH先生主宰の教育学部プロレス同好会第2回会合として、青森産業会館にプロレスリング・ノアの試合を観に行く。前回は学生さんは2人だったが、今回は4人である。着実に会員が増えている。

 青森まで車で行ったのは初めてだ。会場に行く前にアスパムの近くにある「虎の家」というラーメン屋でとんこつラーメンを食べる。全員替え玉を注文。久しぶりに本格的なとんこつを食べた。

 産業会館に着くと、すでに第2試合が終わるところだった。第3試合から観戦。最近注目しているアニキ&カシラのパンパーズの試合である。しかも相手コーナーには田上選手がいる。この時点で元GHC王者が観られるというのはぜいたくだ。笑いどころたっぷりの中、きっちりと志賀選手が取った。



 休憩明けの第4試合は、花道の脇に立って、入場選手に触る。丸藤選手の筋肉などは身近でみるとすごいものがある。ちょっと珍しい組み合わせの6人タッグマッチだったが、この試合は「やられ役」菊地選手の独壇場だった。しきりに佐野選手を挑発してはやられ、懲りずに飛び込んではやられ。最後は杉浦選手のアンクルホールドにやられたが、うーん、こういった存在感のアピールの仕方もあるのだなあ、と感心する。

 第5試合は、見慣れない外国人選手が入ってくるな、と思っていたら、全日本に上がっていたRODのブキャナン選手とディーロ・ブラウン選手だった。ブキャナン選手はとにかく大きい。2メートル近くあるんじゃなかろうか。それでいて器用。ロープ渡りをしたかと思えば、三角跳びのキックなども見せる。ディーロ選手もひとつひとつの技がきちんとしている。ノアの水が合っているんじゃないだろうか。ブキャナン選手は外敵かつ怪奇派のはずなのに、試合後四方に丁寧にお辞儀をしていた。こういう技術のしっかりした選手は応援したくなる。

 セミファイナルは、会場に向かう車中から、バイソン・スミスってどんな選手なのだろう、と盛り上がっていた。この間のテレビではハンディキャップマッチをやっていたくらいだから、相当の強豪だろう、と想像が膨らむ。相手の森嶋選手も巨漢だから、迫力あるぶつかり合いになるだろうね、と話していた。実際そうなったのだが、予想していなかったのは、場外乱闘が僕らの目の前で行われたことだ。座っていたイスから慌てて立ち上がると、森嶋選手が投げられてきて、そこにバイソン選手がイスを振り下ろす。



いやはや何とも。これこそ文字どおりの「ド迫力」である。両選手が場外で争っているうちに、リング内ではモハメド・ヨネ選手が必殺技の筋肉バスターを繰り出してピン。場外戦を見ようか、それともリング内か、迷っているうちに決着がついてしまって、筋肉バスターをきちんと見られなかったのが少々心残り。

 これだけでも十分なのだが、まだメインがある。僕は大好きな秋山選手の入場を見届けんと、花道に駆け寄る。三沢さんが大好きなH先生は赤コーナーの花道のほうに走っていった。三沢さんの入場テーマ「スパルタンX」がかかると、場内から「ミサワ!ミサワ!」の声が上がる(しっかり僕も叫んでいた)。やはりオーラが違う。



 さすがメイン。実に味わい深い。三沢さん、小川選手の、長年組んできたからこそのタイミングぴったりの連係、鼓太郎選手のスピード、金丸選手のいやらしさ、そして現タッグチャンピオンの秋山・力皇選手の力強さ。それらが目まぐるしく展開していく。



 もっとも、闘いがシリアスな面ばかりであったわけではない。というより、お笑いの要素がてんこ盛りだった。三沢さんは、ひたすら金丸選手のケツを攻める攻める。蹴って張って蹴って張って。しかもいつものしかめっ面のままやるものだから、そのたびに会場からはえもいわれぬ笑いが起きる。地方大会ならではの遊びも存分に含まれていた。

 それでも、三沢選手のタイガードライバーや秋山選手のエクスプロイダーといった得意技が出たときの興奮といったら格別だ。最後は力皇選手が重みのある無双で決着をつけた。

 本当に大満足である。どの試合もハズレなし。前回ここで観戦した無我は、個々の選手の技量は高く、またファンサービスのあたたかさなどはとてもよかったが、肝心の試合内容では、ちょっとがっかりするようなところがあった。それと比べるとノアの試合のクオリティの高さはすごいものがある。ノアが安定した人気を誇っているのも、試合内容を観れば十分に納得できる。

 弘前に戻る車中も、そして帰りがけに立ち寄ったガストでも、興奮さめやらぬまま感想を語る。やはり生の試合の臨場感は特別だ。今度はいつ来てくれますかねえ、とさらなる期待をもって、熱狂の夜はお開きに。

 休憩時間中に「のあのあクジ」というのをやってみた。1回500円で、ポスターから選手のサイン、さらには選手愛用のグッズまで当たるというもの。半分冷やかしでやってみたら、秋山選手のサインと日テレ賞(ホームページによると目玉商品のひとつとのこと)の、馬場・ハンセン組対三沢・小橋組のビデオが当たった。





もとより秋山選手は大好きだし、さらにスタン・ハンセン選手もファンだった。だからとてもうれしいのだが、ひとつ困ったことがある。このビデオのハンセン選手のサインは、パッケージのビニールの上から書かれてある。つまり、ビデオを観ようとすればパッケージを破かねばならず、サインが損なわれてしまう可能性がある。よって、これは観たくても観られないビデオなのである。うーん、それでも観たい気もする。何とも悩ましいところである。

5月23日(水)晴:占い

2007-05-23 23:26:23 | Weblog
 毎朝、朝食のパンをかじりながら新聞を読む。テレビ欄でその日に録画すべき番組を探し、社会面、スポーツ面ときて、ラジオ欄の下にある占いを読む。別に信じるわけではないのだが、何となく気にはなる。本日はこう書いてあった。

 「他人に振り回されそう。一人で行動した方が無難です。」

うーむ。何だかよろしくないな。どうもこの占いはいつもいいことはあまり書いてないような気がするのだが、気のせいか。いや、そんなことはなかろうと信じ込むようにして大学へ。ゼミでは僕の文献報告とデータの落とし穴ついての議論。日頃誤字脱字はなくせ!といっているくせに、今日の僕のレジュメには誤変換がいくつかあった。反省します。

 お昼から講座会議。講座会議というのは大学生活の中でもっとも憂鬱な時間である。行けば必ず仕事が増えるからだ。だが、今回は僕が担当する案件の委員選出だから行かねばならない。5人分の仕事のうち、1つが回ってくる。しかも一番面倒なのを引き受けざるを得なかった。なるほど、確かに振り回された。占いのとおりじゃないか。だが一人で行動っていうわけにもいかないもんなあ。避けようがない。もう1つ回ってきそうなのは断固拒否した。ちょっと体調が悪く、それに加えてちょっと不機嫌なものだから、今日の昼メシは不味い(いや、ご飯そのものはおいしかったのだが、気分的に)。

 研究室で先日の学校訪問のお礼状と今後の調査の依頼状を書く。一度面通しは済んでいるからあまり丁寧すぎてよそよそしいのもよくないし、かといって馴れ馴れしいのもよろしくない。その辺の匙加減に気を配りながらまとめる。ひととおり書き上げたところで教授会の時間になる。内容からして早く終わると思っていたが、僕からみればどうでもいいことで結構長引いた(それでもいつもよりは早かった)。大学教員とは「繊細な」人々の集まりだとつくづく思う。

 先日お借りした資料を写真複写する。ひととおり撮り終えて、確認してみると、あまり画質がよろしくない。文字は読めなくはないが、拡大するとぼやけてしまう。仕方ない。一から撮影をし直す。今度はきれいに撮れた。資料の借りっぱなしというのは、歴史を研究する者として最も恥ずべき行為だと思う。ゆえにできるだけ早くお返しして、信頼関係を確かなものにしていくつもりだ。

 生協食堂で夕食。どうも食欲が少し落ちている感じ。午後から熱っぽく、体がだるい。ノドも渇く。暑い日ではあったが、それ以上に火照るようだ。控えめの量、そして脂っこいものを避ける。それでも、音楽のI先生とご一緒して、いいたいことをいっていたら、多少元気が出た。仕事を早めに切り上げ、帰宅。今のところ熱はなさそうだ。大事を取って今日は早く寝ることにする。

5月22日(火)晴:トップバッター

2007-05-23 01:46:24 | 仕事
 9時起床。それでも眠い。研究室に着くと、まずはコーヒーを一杯。

 今日は初夏を思わせる暑さだ。昼間はシャツ1枚で十分だった。学生さんの中には半袖の人もみえる。

 2コマ目の授業構成論に出る。模擬裁判をテーマにした模擬授業。これが来週のT実習で実際に中学生に対して行われることになる。課題も多いけれど、面白いポイントもたくさん詰まっている。

 昼休みに学生さんが次々に来訪。介護等体験に必要なサインと捺印をもらいに来たとのこと。基礎ゼミの学生さんたちの中には、僕の研究室の場所を知らない人もまだいるようだ。いい機会なので、学部内をくまなく歩き回って探し出してください。ヒントは「3階」「社会学研究室」です。ちなみに、正面玄関を入ったところにある案内図には記載されていない(前任者がいたときのままになっている)のでご注意を。  

 慌ただしく弁当をかき込んで、午後のT実習のため附属中学校へ。少し早く着いたので、全体の会合が行われる3階の部屋から岩木山を望む。



手前の建物がちょっと邪魔だけれど、広い裾野を全部見渡せるのがいい。気がつくと山頂あたりの雪の量もずいぶん少なくなってきた。

 今日から学生による授業実践が始まる。トップバッターを務める3人にはかなりプレッシャーがかかっていただろう。しかもただの授業ではない。チームティーチングで、かつゲームをスムースに進行させなければならない。100分の中で演じる役割がかなり多様なのだ。

 先週の予行演習からの1週間、いろいろと練習を重ねたり、試行錯誤しながら準備を進めてきたのだろう。しっかりとした面白い授業になっていた。中学校の生徒の反応も上々だったと思う。

 T実習の一日は、授業をやって終わりではなく、その後の協議にもかなりの時間が割かれる。学生さんたちは立ちづめで疲れているのだろう。しきりにふくらはぎのあたりをさすっている人もみられた。僕は一応教員ということで、ちょくちょく座ったりしていたのだが。

 大学に戻って、明日のゼミのレジュメを作る。ゼミ生が2人だと、1週おきに文献報告が回るので、なかなか大変だ。そこで僕が入って3人で回すことにした。ちょっと仕事は増えるが、僕自身、レジュメ作りを教える立場にあるわけだから、実際にいろいろな形のレジュメを作ってみて、使い勝手を試してみるのも悪くはない。

 一度宿舎に戻って、車検の終わった車を受け取る。そのまま大学へ行って、再びレジュメ作り。何とか片づいた。こっちもだいぶ日が伸びてきたが、それ以上に一日が長い。最近は風呂のお湯張りをする間にこのブログを書くというのが定番になりつつある。

5月21日(月)晴:『新幹線ガール』

2007-05-22 00:09:00 | 読書
 朝7時半に起きる。買い置きしてくれていた五日市街道沿いにある喫茶店「ゼルコバ」のパンを久々に食べる。ケヤキ並木(そもそもゼルコバ=ケヤキである)にある隠れ家的な店で、石窯で焼いたパンを買うことができる。少々堅いのだが、その分味がある。

 父に昭島駅まで送ってもらい、ピークを過ぎたとはいえ、ラッシュの電車にこれまた久しぶりに乗る。新宿駅でりんかい線に乗り換えて、国際展示場へ。癌研有明病院に行く。昨年の夏に耳下腺の腫瘤(良性だった)の切除手術をここで受けて、それから経過観察のため現在は半年に一度のペースで通うことになっている。今回の帰京の一番の目的は、ここに来ることだった。前回、昨年11月に今日の予約をしていたのである(それぐらい混むのだ)。

 予約をしてあっても、その時間にすぐに診てもらえるわけではない。しばし中庭のパラソルの下で本を読む。この病院は新しいこともあって、いかにも病院といったような陰気さがない。海から吹く風が気持ちいい。

 予約時間を1時間ちょっと過ぎて、B医師の診察を受ける。先生とはかれこれ3年あまりのおつきあいになる。往診に出ていた立川の病院での初診から、手術までずっと面倒をみていただいている。弘前の桜はどうでしたか?なんていう雑談を交えながら、傷跡をチェックしてもらった。次に先生とお会いするのはまた半年後である。

 有明からゆりかもめに乗る。最前の特等席が空いていたので、当然のごとくそこに座る。相変わらず、どこかしらで重機の音が聞こえて、開発が進んでいる。終わりなどないんじゃないかと思うほどに、東京は変わっている。

 豊洲で有楽町線に乗り換えて、有楽町で下りる。帰りの新幹線は診察が遅れることを見越して遅めにしてある。時間的にそれに乗るしかないので、日比谷に出て映画を観ることにした。

 みゆき座に入って、「主人公は僕だった」を観る。この作品の予備知識は全くなく、ただ時間の都合でこれにしたのだが、ウィル・フェレル主演と知って、期待が高まる。「奥様は魔女」でのジャック(ダーリン)役や、「プロデューサーズ」のフランツ・リープキン役が印象に残っている。コメディ精神にあふれる役者さんという印象がある。この人は、どこか抜けているというか、すっとぼけているというか、それでいて、いやそれゆえに愛されるようなキャラクターが似合う。この作品でのハロルド・クリック役もまさにそうだ。

 自分の人生が、ある小説家の書く小説の筋書きとシンクロして展開し、日常の規則正しいリズムが崩されていくことによって、ある運命性というものを帯びていく。崩れたリズムのもとで遭遇する新たな事態にどう向き合うのか、そして悲劇として終わる小説の結末をいかに受け止めるのか、がストーリーの焦点である。といっても、全然暗くない。というより映画そのものは全くのコメディーである。

 エマ・トンプソンの演じるペシミスティックな小説家(つまりハロルドの人生のストーリーテラー)や、ダスティン・ホフマン扮するちょっといい加減で怪しげな文学者など、ひとクセある周囲の人々がいい味を出している。何となく、舞台作品にでもなったらより面白くなるんじゃないかなあ。大作ではないし、センセーショナルなものでもないけれど、「人生の物語をどう生きるか」ということを考えさせてくれる映画だと思う。それに、僕はこういった「都会のちょっとしたいい話」的な作品が好きなのだ。

 やっぱりウィル・フェレルはいい。ブッシュ大統領のモノマネもすれば、「オペラ座の怪人」までやってしまう。大した芸人であり、役者だ。好きだなあ、こういう人。何となく、竹中直人に通じるものを感じる。

 新幹線の車中で、昨日買った徳渕真利子『新幹線ガール』(メディアファクトリー)を読む。筆者は23歳の東海道新幹線のパーサーで、個人別ワゴン売り上げランキング1位に輝いた人とのこと。パーサーの勤務実態や、本人がこの仕事に就くまで、そしてフリーターから正社員になる過程などが描かれている。真っ直ぐな文章で、読んでいて楽しい。

 個人的にパーサーという仕事には興味があった。CAの世界というのはさんざんドラマや映画で描かれてきたが、新幹線のパーサーが主人公というのはあまり多くはない(かつて「新幹線物語」というドラマはあったが、ちょっと荒唐無稽な内容だった)。ゆえにどれほどの労働なのか、よくわからなかったのだ。東海道新幹線なら、一日に東京→新大阪、新大阪→東京の往復くらい働くのだろう、と思っていたが、一往復半の勤務もあるのだとか。ずっと立ちづめで、しかもかがんだりもするわけだから、大変な仕事だ。

 僕は新幹線の車内で売っているコーヒーの味が好きで、必ず買う(グリーン車に乗るときはサービスで出る)。味の善し悪しについては正直そんなにわかるわけではないのだが、この本によれば、味にはかなり自信があるのだという。なるほど。単に雰囲気だけでおいしく感じるわけではないのだな。

 筆者が若いということもあるのだろうが、あのときは大変だった、的な苦労話はそれほど多くはなく(もちろん重要な意味をもっているのだが)、本人の性格もあるのだろうが、前向きな話しが多い。それでいて、プロとしてのしたたかなこだわりも感じられる。飛行機とは違う鉄道のよさ、といった記述などは、強烈なライバル意識のようなものも見て取れる。ミュージカル「CATS」に登場する鉄道猫スキンブルシャンクスを思い出す。スキンブルは「職業に誇りをもつ」というイギリス労働者の伝統を体現するキャラクターとして描かれているのだが、彼女のように、新幹線が、そしてパーサーという仕事が好きで好きでたまらない、そしてその仕事を天職と考えている人は、まさに現代に実在するスキンブルなのかもしれない。

 面白くて、一気に読み通してしまった。だが、この本ではパーサーはお金を両手で受け取るのが作法と書いてあったが、車内でコーヒーを買ったときに渡した代金は片手で受け取っていたぞ。東海道新幹線と東北新幹線とで違うのか?などとついついくだらないことを考えたりもした。この本は、いずれ「天職」について授業で扱うときの参考文献に使うことにしよう。

 ふだん東京から戻る新幹線は夕方の便を利用することが多いので、あまり車窓の風景に目をやることはなかった。今日は昼行の列車なので、今まで気にも留めなかった景色が新鮮に感じられた。八戸に近づくころには日も暮れてきた。

 特急「つがる」に乗り換えた後もまだ表はいくらか明るい。浅虫温泉のあたりの海も、じっくりと眺めるのは初めてである(行きの車中では眠っていたので)。

 いつもより早く戻ってきたので、研究室で仕事をする。何だか1週間分に相当するくらい、密度の濃い3日間だったような気がする。

5月20日(日)快晴:恩師

2007-05-21 01:35:44 | 
 朝10時に起きる。同級生との旅行に出かける母を見送ってから朝食。パンの朝食はいつもどおりだが、実家だとスクランブル・エッグとサラダが付く。

 昨日の分のブログを書く。やはり寝て起きた後だと、出来事を思い出すのにちょっと苦労したりする(まだまだそんなトシではないつもりなのだが)。

 書き終えたところで、父と羽村にある「菜厨る ZONAVOCE」というイタリアンレストランに行く。ビュッフェ形式で、ランチ1,480円。パスタ、グラタン、サラダと結構な品数が揃っている。ジュースやコーヒーも飲み放題だ。店名にも表れているように、新鮮な野菜が売りものらしい。反面肉や魚の料理はほとんどない。手ごろな値段と健康志向が相まってか、混んでいた。いずれもイタリアンの割にしつこくなく、おいしかった。コーヒーゼリーやシフォンケーキといったデザート類もしっかり楽しんだ。

 羽村駅で下ろしてもらって、電車で国立へ。僕の師匠である一橋大学の木村元先生の研究室にうかがう。弘前に行ってから、きちんとしたご挨拶もできないままでいた。昨年度は木曜日の授業で毎週一橋に行っていたにもかかわらず、その日は先生のほうがお忙しくて、お会いすることができなかった。研究会でよく集まっていた研究室も懐かしい。

 今回帰京することになって、わざわざお休みの日にお時間を割いてくださった。この半年ばかりの間に書いてきた原稿について、コメントとアドバイスをいただきに上がった次第。といっても、堅苦しい内容ばかりでなく、慣れない大学の仕事のこととか、弘前の気候のこととか、そんなこともいろいろとお話しさせていただいた。

 先生が書かれた論文の原稿を読ませていただいたり、先日僕がアドバイザーを務めた先生と院生の共著論文について議論したりと、久しぶりに自分の関心領域と密接な内容のお話しができた。かつては当たり前のように身近にあった討論の機会が、すっかり貴重なものになってきたことを実感する。

 僕の原稿については、ほんの短い間にお忙しいスケジュールを縫って、丹念に読んでくださっていた。指摘していただいた大きなポイントは、かなりあいまいな形で用いている概念の説明を詰めていくことと、レビューしている先行研究の重みづけをしたうえで、重要なものについてはより丁寧な読み込みと論点の抽出を行うことの2点である。基本的な枠組みは、ラフではあるけれどもとりあえずはいいのではないか、との評価をいただいて、今後の作業を進めていくうえでの手ごたえを得ることができた。

 先生は僕の性格をよくわかってくださっているので、ストレスをためすぎてぺしゃんこにならないよう、ほどほどにコントロールをして、といったアドバイスもいただいた。僕がいま、曲がりなりにも研究を続けていけるのは、ひとえに先生のおかげである。身も心もボロボロになり、いちどは研究をやめようと思っていた時期に手を差し伸べてくださり、ペース配分に気を配りながら、いろいろとサポートしてくださったのが木村先生と、先生を中心とした研究会の皆さんである。外様で、生意気な口を利き、感情の起伏が激しい僕のような者をあたたかく支えてくださったのは、ひとえに先生や研究会のメンバーの人徳のおかげである。だから、そうした恩顧に報いるためには、まず何よりも学位論文を書き上げねばならない。

 院生時代に目の当たりにした、人の和などおかまいなしに一心に研究を進めればそれでよい、といった研究者たちのあり方に、生理的な嫌悪を覚える僕にとっては、一橋で出会った師や仲間こそが研究の支えなのである。そんな当たり前のことさえ理解できないような人間が、外側から偉そうに教育学を批判し、事実をゆがめた他人の悪口を書いて金儲けをしている。僕は教育学者ではないが、そういう偽善者の無責任な批判には徹底的に対抗しなければならないと思っている。

 今日の師とのひとときは、何ものにも代えがたい価値があった。明日からまた、歩みは遅くとも、一歩一歩進めていこう。

 帰りがけに立川の第一デパートに寄る。マイホビーキョーサンで鉄道模型を眺め(トミーテックの「鉄道コレクション」第4弾を3つ購入)、オリオン書房でやはり鉄道関連の書籍を買う。夜も7時になろうとしているのに、まだ外が明るいことに驚く。弘前だったらとっぷりと暗くなっている時間だ。今まであまり意識したことがなかった日本列島の長さを自覚する。

 帰宅して、久々の家での食事。イタリアンもいいが、やっぱりこういううちで炊いたメシと家庭的なおかずが自分には合っている。

 昭島の「遊楽の里」というスーパー銭湯に行く。天然温泉でもないのに680円も取られるというのは、弘前の温泉に慣れた者としては高く感じられる。おまけに中は混雑していて、まさにイモ洗いといった感じ。これなら弘前の温泉三昧の生活はやっぱり恵まれているなあと思う。

5月19日(土)雨(弘前)→曇(東京):神楽坂

2007-05-20 11:26:47 | 
 朝4時50分起床。トースト1枚とりんご1個を食べ、タクシーで弘前駅へ。

 6:01発「つがる6号」を待つ。この列車は土・日曜日のみ弘前から出る(平日は青森発)。よって週末だけは高速バス「ヨーデル」ではなく、鉄道の利用が可能になる。ホームで到着を待っていると、見慣れない電車が入ってきた。JR北海道の789系電車である。ふだんは八戸-函館間の「スーパー白鳥」に使用されている車両だ。運用の都合か何かで「つがる」に使用されることになったのだろう。鉄道に興味のない人にはどうでもいいことだが、これはこれでちょっと得した気分である。

 車内はこれまで利用したときと比べてかなり混んでいた。飛行機を使わずに、時間効率を考えて東京や仙台に出ようと思ったら、この列車が便利なのだろう。

 車中では『週刊プロレス』を広げたまま、ほとんど居眠りをしていた。八戸で新幹線に乗り継いだ後も、車窓風景にはほとんど目もくれず、休養に専念。定刻どおり、11:08東京着。

 有楽町のタニクリニックへ。偶然父と予約時間が同じで、待合室で一緒になった。診察の後、いつもの漢方と、風邪の頓服薬をいただいてから昼食を摂る。かつては「ニューワールドサービス」のハンバーグステーキがこちらに来たときの定番だったが、失われて今はない。クリニック近くの有楽町電気ビル地下の「どんと」という店に入る。居酒屋のようだが、ランチをやっていた。まぐろのづけ丼と冷やしうどんのセットを注文。値段の割にはとてもおいしかった。食後にはいつもの「カフェ カプシーオ」でアメリカンを飲む。東京に出てきても、食べるものはあくまで安物指向である。

 父と別れ再び電気ビルに戻って、散髪。さすがに弘前から予約を入れてくる客は珍しいようで、桜のことをいろいろと聞かれた。秋田出身の理容師さんとは北東北の町々の面白さについて語る。

 日比谷三信ビルの前に行ってみる。周りは鉄塀で囲まれ、中ではドリルの音が響いている。足場を組んだ窓の外から作業員が出入りしている。何とも重い気分になった。


 日比谷から三田線で神保町に行く。何軒か古本屋をはしご。ただ、手に荷物を多くもっていることもあって、買おうかと思う本があっても消極的になる。結局今日は何も買わずに水道橋のほうに向かって歩く。昨年、夏休みの前まで「アテネ・フランセ」に英語を習いに行っていたことがあって、三崎町から駅のあたりの界隈も懐かしく感じられた。

 総武線で一駅、飯田橋へ。ここで法政大学に教えに行っていた時に僕の授業を履修していたYさん、Aさんと待ち合わせ。お2人とも社会人学生さんで、人生のうえでは僕よりも先輩である。この春に卒業し、Yさんは大学で保育実習の指導に携わる傍ら、大学院生として研究もされている。Aさんはもともとお勤めの大学で事務職員をされている。僕が弘前に移ってからも、いろいろと気にかけてくださり、メールのやりとりをしていた。今回、せっかく上京するのならということで、お忙しい時間をわざわざ割いてくださったのである。

 神楽坂の「あべや」という比内地鶏の専門店に連れて行ってもらう。神楽坂を歩くのは何年ぶりだろう。「あべや」は、メインストリートからちょっと奥まったところにあり、落ち着いた感じのいいお店である。お2人とも、教育に関わるお仕事をされているので、自然とその方面の話題が中心になる。Yさんは教える側と学ぶ側の2つの側面から、Aさんは年々悪化していく労働環境の側面から、現在の大学について、いろいろと現状を教えてくださった。

 このブログもちょくちょくご覧下さっているようで、僕の弘前での生活も話題になった。Aさんには、「子どもの食べるもの(ハンバーグとか)ばっかり食べてちゃダメですよ」と「大人の食べもの」を頂戴してしまった。何だかお母さんとお姉さんに諭されるダメな次男坊といった構図である。「先生の冗談は、結構スベってましたよね」とも。そうですか?自分ではなかなかイケてたと思ってたんだけどなあ。いやいや、こんな思い出話もとても楽しかったのですが。何より、法政で教えた2年半の最初(Yさん)と最後(Aさん)をみてくださっていた方々だから、僕の成長過程(あまりしてないかも)をご存じなのである。

 教えに行っている間は、夜間の授業ということもあって、なかなかこういった機会をもてずにいた。今思うと、他の学生さんともお話しする時間をもてたらよかったのにな、と思う。5時ちょっと過ぎにお店に入って、気づいたら10時近くになっていた。Yさん、Aさんそれぞれからおみやげをいただいてしまった。あたたかいお心遣いに感謝するばかりである。秋に六大学野球と関東学生アメリカンフットボールを一緒に観戦することをお約束して、お別れした。

 夜の神楽坂界隈は街灯と並木の新緑のマッチングがとてもいい感じだ。つい先ごろテレビのニュースに頻繁に登場した場所などを写真に撮る(行きがけに前を通った際には「ペコちゃん焼き」を求める人が列をなしていた)。

 飯田橋駅西口からは法政大学のボアソナードタワーが見える。このまま電車に乗るのももったいない気がして、大学のほうに歩く。いつの間にかかつての学生会館のあったところには新しい建物が建っていた。しかし、法政大学の白眉は何といっても55・58年館である。今ではすっかりその存在感がかすんでしまったが、白いパネルを用いた校舎は、日本建築学会賞も受賞した、戦後建築の名作なのだ。

 中央線の線路の上の土手を歩く。かつて授業の後に、1週間の仕事を終えた開放感に浸りながら歩いた道だ。外濠に映るネオンサインも大好きな風景だった。

 「そのうち会いましょう」ということばは、普段もよく口にすることがあるが、実際にそれが実現することはまれである。このフレーズが一種の社交辞令であることは、よくわかっている。それだけに、今日のような再会は、それぞれのちょっとした努力のおかげなのであって、そのありがたみをしみじみと感じるのである。


5月18日(金)曇時々雨:ドトールのミルクレープ

2007-05-19 00:13:04 | 
 朝8時起床。おかげで生ゴミをちゃんと出すことができた。いつもより1本早い(1時間10分も前)のバスで大学へ。

 今朝の仕事は調査協力の依頼をしに行く学校の歴史を頭に入れておくこと。この間の教会訪問ではしくじってしまったから、念には念を入れる。正門で人文学部のS先生、それといつもご一緒しているH先生を待っている間におみやげの菓子折を買う。学校を訪問するときは、多少値段は安くても、それなりに大きな箱のものを用意するのだ、とかつて教わった。それにならって、値段よりは少し大きくみえる菓子折を選ぶ。

 今日お会いするのはお世話になる学校法人のトップの方で、いわば「本丸」である。ここでしくじってしまっては何にもならない。ただ、これまでH先生と僕の若手2人でやってきたところ、今回はS先生がいてくださるのが心強い。先方もとても協力的で、いい調査ができそうな気がする。いや、いい調査にしなければならない。

 S先生が「茶でもしばきますか」とおっしゃったので、大学に戻る途中の喫茶店に寄る。しかしまだ開店前だ。仕方なくスコーラムへ。コーヒーを飲みながら、今後の作業の見通しについて話し合う。だが、作業に要する時間とお金は、早めに予想を立てなければならないのだけれど、正直わからない。僕は人を使うのが苦手で、どちらかというと使う立場より使われる立場に安心感を覚える性質である(要するに貧乏性)。学生を投入すればいい、というおいしい話しに乗っかれず、やっぱり自分で時間をかけてでも、と思ってしまうところが出世できない理由かもしれぬ。

 昼食を生協の弁当で済ませ、車検を出した工場に進捗状況を尋ねる。今日中に戻ってくればという淡い期待も虚しく、どうしても明日以降になるという。明日から東京に帰るので、本当は朝方駅まで車で行くつもりだった。だが仕方がない。空き時間を利用して駅まで行き、みどりの窓口に駐車場の利用券を返却する。ついでにおみやげを買う。ここまででどっと疲れが出た。何だか大学にも戻りたくなくなってしまった。

 こりゃあいかんと駅ビルのドトールに入る。アメリカンとミルクレープを注文。僕はここのミルクレープが大好きだ。格別おいしいわけでもない。それこそ、よそのケーキ屋さんのほうがずっとずっとおいしいのだろう。だが、ドトールで食べるミルクレープは、その味以上の安心感のようなものを与えてくれるのである。ちょっと行き詰まったところで気分転換を図るには、何よりドトールのミルクレープが一番だ。

 甘いものを食べて、機嫌が直ったところで大学に戻る。5コマ目の社会学概論。大学院の先輩である西島央さんの「想像のにっぽん」という論文を元ネタに、尋常小学唱歌を聴いてもらいながら「国民化」というひとつの社会化の形態について考えてもらう内容。なじみのある音楽をかけたせいか、学生の反応は今までで一番よかった。ただ単に内容が平易であったということにすぎないから、素直には喜べないが。

 学生さんからの質問に答えているうちに、委員会の時間が迫る。委員会資料は研究室に入ってすぐのテーブルの上に用意してある。講義の道具をポンと置いて、会議室に入る。今日は僕が記録を作成することになっているから、いつも以上に集中して聴かなければならない。早く終わらないかな、終わってくれ、と心の中で念仏のように唱え続けた。結局、終わったのは8時ちょっと前。当然学食は閉まっている。近所に手軽に食事ができる店はないから、コンビニでおにぎりとサラダ、味噌汁代わりの小さなカップ麺でわびしい夕食。

 すぐに記録作成に着手したが、ほどほどのところで帰る。ああ、今日も一日がとても長く感じられた。明日は5時起き。ちょっとでも寝坊して、電車に乗り遅れたら、文字どおりの致命傷である。よって、いつもよりは早く床に就くことにする。

5月17日(木)雨:眠気

2007-05-18 02:47:44 | Weblog
 朝9時起床。雨が降っていたので、バスを利用する。Y先生と乗り合わせる。

 大学に着いて少ししてから、Y先生の研究室にお邪魔する。PCが数日前からトラブルに見舞われて、データのバックアップとリカバリ作業を少しだけお手伝いする。僕はいまだにWindows2000を愛用していて、Vistaはおろか、XPがどういうものなのかもほとんど知らない。今回のトラブルは、XPの過剰なサービスに起因するもので、便利になったらなったでいろいろとやっかいなことも起きるのだな、と思った。

 自室に戻って、明日の授業の準備。配布するレジュメ、資料、講義記録の確認をしてから印刷する。今日のうちにやってしまえば、明日は少し気楽でいられる。なにしろ明日は朝から夜まで用事が詰まっているのだ。

 スコーラムで昼食(麻婆豆腐定食)。知っている顔も見当たらないので、ドリンクは注文せず、食事だけさっと済ませる。

 4コマ目の演習はフリーターとマナー(ビジネスマナー)に関わる部分を読む。今日は社会学的な議論よりも雑談めいた話しのほうが多くなってしまった。受講生の3人は、いずれも4年生で、目下教員採用試験の願書作成に追われている。僕などは、基本的な情報さえ整っていればいいんじゃないの、といったいい加減さ(今日の『反社会学講座』の購読部分にも出てきた)なのだが、教職に対する志望動機や受験地(都道府県)の教員を志望する理由なんかを重視するとのことで、先生の中には何時間も学生と付き合って修正の手助けをしている人もいる。何だか変な感じだ。そうした書類を上手く書けることと、教員としての資質との間にどれほどの相関があるというのだろう。ミュージカル「コーラスライン」のポールだってこう歌っていた。

 「写真を見ても/履歴書を見ても/本当の自分はわからない/ぼくは誰になればい
  いのか/たくさんいるけどぼくはぼく/どうかぼくにこの仕事を」

学生自身やそれを指導する大学教員に消耗戦を強いて、本気度を測ろうとしているんじゃないか、といった下司の勘ぐりでもしたくなる。

 授業が終わるとどっと眠気が押し寄せてくる。だいたい6時間くらいは寝ているのだが、昼間と夕方に眠くなる。どうも寝覚めもよくない感じ。変な夢を見たりもする。あれこれ原因を考えてみたが、どうもここ数日寝る前の一時間に観ている「眠れる森」がいけないようだ。僕にとっては、日本のドラマ史上に残る最高傑作で、何度も何度も繰り返し観ているのだが、やはり寝る前には向いていないな。

 そんなこともあって、イスの背もたれの上の部分に頭を預けてしばし仮眠。15分でもちょっとした居眠りをすると頭がすっきりする。

 夕食は生協食堂で、F先生、Y先生と一緒に食べる。両先生は普段お忙しいので、こういう機会こそ、共有しておくべき情報の、貴重な交換の場になっている。

 来週の授業準備に着手しはじめたところで、再び睡魔に襲われる。今日はこれ以上の成果は望めまい、と途中で切り上げることにした。深夜1時ちょっと過ぎに帰宅。雨上がりの道を歩いていても、ほとんど寒さを感じなくなった。