五行目の先に

日々の生活の余白に書きとめておきたいこと。

7月27日(月)雨のち曇り

2009-07-29 00:24:09 | Weblog
 9時起床。朝食は実家で母にもらった天然酵母のパンとしょうが紅茶。パンは軽く焼いて、小岩井農場のバターを塗る。

 すぐにでも出かけられるのだが、今日は格別用事もない。授業も大学の行事で休講になった。しかも洗濯をしているうちに雨が強く降り出した。しばらく外出を見合わせる。

 昼前に雨が小止みになったので、ようやく自宅を出る。「Bino Vision」で新しいメガネを作る。普段かけているメガネはひとつしかない。かけ心地もよく、気に入っているのだが、ずっとかけているせいか、塗装がはげてきてしまった。そろそろ塗装直しをしたほうがよさそうなのと、予備のメガネをひとつもっていたほうがいいだろう、ということで、もうひとつ買うことにしたのだ。

 普段愛用しているメガネも、それからサングラスも、こちらで誂えてもらっているので、安心して頼むことができる。大ざっぱな希望を伝えると、ただちにいくつかショーケースから出してきてくれた。順番にかけてみて、店員さんに合うものを選んでもらう。この辺の信用というのもこのお店のいいところである。

 2日後にはできあがるとのこと。楽しみだ。そしてしばらく今のメガネを休ませることができる。

 昼食は「月の舞」の健康弁当。1日10食限定で、600円と安く、それでいて内容は充実している。しっかり食べて539kcalというのもうれしい。

 ようやく大学に出る。あれこれたまっていた仕事を処理する。金曜日に行われた「社会学の基礎②」の答案を受け取る。中を確認してみると、245枚の答案が入っている。履修登録者は280人ほどだから、今回もかなりの選択率である。問題を少し難しくしたのだが、効果がなかったか。しかも「社会学の基礎①」の答案は別途ある。いやはや、今日からは採点まみれになりそうだ。

 その前に、調査の依頼状とか、『近代化のフィールドワーク』(「社会学の基礎」のテキスト)の2刷り向け校正とか、細かい仕事が重なっていて、それらを処理しているだけで、11時半を回ってしまった。採点は自宅に持ち帰ることにする。

 採点という仕事がやっかいなのは、人目につくところではできないことである。人目についても大丈夫なのは、教授会でこっそり内職をするくらいだろう。研究室でも、急な来客があるときにバタバタと片づけるのが面倒だ。だからやはり自宅でするより他にはないのである。

7月26日(日)晴れ

2009-07-28 23:32:56 | Weblog
 8時起床。朝食は天然酵母のパン、目玉焼き(父バージョン)、野菜サラダ。今日もやはり緑茶を飲む。

 9時に昭島駅に送ってもらう。青梅線、中央線と乗り継いで東京駅へ。GRANSTA近くのコインロッカーはふさがっていたので、穴場のほうに預けに行く。

 地下から地上に出る。日差しがまぶしい。天気予報では雨だったんじゃないかな。どうも予報というのはアテにならない。でも雨降りよりは夏らしく晴れたほうがいい。

 東京での週末もひとまず終わり(といってもひと月先にはまた帰るのだが)ということで、バスの旅に出ることにした。今日は都営バス。もちろん500円の一日乗車券を使い倒してやろうという魂胆である。

 東京駅丸の内北口のバス停から、「東43」系統荒川土手行きのバスに乗る。いつの間にか乗り場が少し移動していた。日曜ということで、車内は空いている。駿河台下から御茶ノ水駅前に上り、東大赤門前で下車する。日曜日だから、図書館で作業をするアテもない。純粋に構内を散策する。

 お金持ち大学だけあって、施設なんかがどんどん新しくなっているようだが、安田講堂のあたりなんかは、そう大きくは変わっていない。キャンパスツアーか何かがあるのか、案内をされている団体さんもいる。その人たちに混ざって、安田講堂にカメラを向ける。

 この建物は、いつも遠巻きに眺めるだけだったが、正面入口のところに近寄ってみると、なかなか凝った意匠がみられる。扉の上のガラスのデザインなんかは、ちょっとかわいらしい。

 第二購買部が営業していたので、野球応援用(?)の小旗と東大マーク入りの手ぬぐいを買う。そこから三四郎池に回ってみる。釣りをしている子どもがいる。この辺も変わっていないな。

 東大構内バス停から、「学01」系統のバスに乗り、竜岡門で下車。東大のキャンパスの端から端まで乗ったということ。ここからは湯島天神を目指して歩く。途中、麟祥院という緑豊かな寺院がみえて、吸い込まれるように入ってみる。何の前知識もなかったのだが、ここが春日局のお墓なのだそうだ。規模からいうと、豪徳寺の井伊直弼のお墓よりも立派だ。そして墓石に穴が空いている。

 湯島天神に参拝する。おみくじを引く。小吉。やはり学問に関しては厳しいメッセージが書かれていた。

 それにしても暑い。道路を渡って、今日の第一の目的地である旧岩崎邸庭園に着いたころには汗だくになる。

 旧岩崎邸は、以前訪れたときには和館のみが公開されていて、僕はまだ洋館の内部をみたことがない。あれこれ洋館をみてきたけれども、とくにここは特別、という印象がある。

 実際入ってみると、金唐革紙の貼られた壁面とか、天井の意匠とか、とにかく凝っている。当時の贅を尽くした感がある。とはいえ、それらは決して嫌味な感じがしないのがポイント。イスラム風の装飾にこだわった、ジョサイア・コンドルの意図は、案外そんなところにあるんじゃないかと思う。

 2階のバルコニーから眺める青々とした芝生の色も鮮やかだ。

 重要文化財だけあって、クーラーは設置されていない。ますます暑い。庭園入口のところでみた看板に期待を寄せて、和館のほうに回る。こちらは一転して、質素(あくまで一見、だが)なつくり。ここに茶室が設けてあって、抹茶なんかをいただくことができる。だが今日は迷わず抹茶金時だ。

 見た目も味も涼やかだった。すっかり生き返った。元気を取り戻して、庭のほうに回ってみる。バルコニーを外から眺め、場所を変えると角度によって建物の表情が大きく変わることに気づく。さらに撞球室をみて、塔屋のある玄関のほうに回る。

 湯島三丁目から「都02」系統に乗り、石原一丁目へ。横網町公園に行く。ここに足を運んだのは、東京都震災慰霊堂と復興記念館をみるためである。先日、築地と月島に行ったとき、築地本願寺をみてきたので、東京の伊東忠太の代表作をチェックしておこうと思ったのだ。

 復興記念館のほうは、静かな雰囲気のなかで、古びた展示品や、色褪せかけた写真が余計に被害の生々しさを伝えてくれる。

 再び「都02」系統に乗って錦糸町へ。ここで少し遅めの昼食。五右衛門でパスタを食べる。チェーン店でも、普段食べられないお店の味というのはうれしいもの。

 錦糸町駅前から「都07」系統に乗る。終点の門前仲町に行くには、もっと近道の路線があるが、ちょいと遠回りをしてみる。門前仲町からは「門19」系統に乗り継いで、お台場方面に回ってみることにした。だが、このあたりから少々帰りの時間が気になりだした。

 終点の国際展示場駅前に着くと、目の前に「虹01」系統のバスが発車直前だった。小走りに飛び乗る。とりあえずこれに乗ってしまえば大丈夫だろう。ひと安心する。

 だが、船の科学館の前あたりから、大渋滞に巻き込まれる。フジテレビ前に到達するまでに15分近くかかった。渋滞がどこで終わるのか、前方をみても、見当がつかない。仕方なくフジテレビ前でバスを降りる。そこからお台場海浜公園駅まで歩いて、ゆりかもめに乗った。こちらもラッシュ時のような混雑だ。だがバスに乗り続けていたら、相当遅くなったことだろう。

 終点新橋のひとつ手前、汐留で下車する。そういえば、2ヶ月ほどまえにはここで「Wicked」を観たのだった。あの日も抹茶の金時を食べたんだったな。ついこの前のような、結構前のような、不思議な気分だ。日本テレビのビルの脇を通る。8月末に公開の「20世紀少年」のオブジェもスタンバイしていた。

 新橋駅から東京駅に着いたのは5時半。例によって新宿アカシアで弁当を買い、17時56分発の「はやて29号」に乗り込む。食事をしたとき以外はほとんど眠っていた。八戸から乗り継いだ「つがる29号」でも同様に。

 弘前駅に降り立つと、ひんやりと涼しい。猛暑の一日がまるで夢のようだ。再び現実の生活に戻る。まずはテストの採点を乗り切らなければ。

7月25日(土)晴れ

2009-07-28 22:58:49 | Weblog
 8時起床。朝食は目玉焼き、野菜サラダ、天然酵母のパン。この組み合わせでも、飲むのは緑茶というのが実家での定番である。

 西武立川駅まで送ってもらい、整骨院に行く。コンスタントに通えるのは今日が最後である。次はお盆休み明けまでかかることができない。肩こりと腰の張りがほぼ抜けたのは本当にありがたかった。本当は毎週東京に帰るのだから、以前通っていた英語の学校にでも、などと考えていたのだけれど、今となっては整体のほうがはるかに価値があった。

 青梅線、中央線と乗り継ぎ、三鷹から東西線直通電車に乗って早稲田へ。今日も昼食はメルシーだ。ラーメンかたと半ライス。メルシーのラーメンもしばらくおあずけとなるか。

 「青少年と学校」は教場試験。当初は持ち込み不可としたのだが、学生さんたちからの要望もあって、一部持ち込み可とした。その分採点のハードルが上がる。

 解答している様子を眺める。おや、と思う。問題は事前に知らせてあるのだが、下書きを用意して臨んでいる人は少ない。多くはその場でノートやプリント(いずれも自筆のメモ書きのあるものに限って許可した)をめくって、「考察」をまとめようとしている。それではダメである。コースナビに掲示した問題についての注意書きには、「考察」は、授業内容をふまえたうえで、自ら発展的に「学習」した内容をまとめること、と書いた。自習の成果を表現しなければならないのだから、その場限りの思考なんてものはおよそ用をなさない。

 多くの学生さんたちは、「考察」を、コースナビのディスカッションへの書き込みと同等のもの、あるいはその延長線上にあるものと考えたのかもしれない。しかしそれは思い違いである。きちんと下書きを用意してきた人は、参考文献を引用しながら考察を進めているのである。これを基準とするなら、当座でちゃちゃっと考察をまとめた人は総崩れだ。

 持ち込み可とした時点で、下書きをまとめるというのは当然のことと思っていた。実際、僕が学生の時分もそうしていたからだ。だがフタを開けてみたら、持ち込み可にしたことで「勉強しなくてもよい」という雰囲気を生み出してしまったのかもしれない。

 提出された答案をざっと眺めてみたけれど、こんなものか、と思った。はっきりいって、一部のすぐれた答案を除けば、うちの学生たちのほうが上である。コースナビのコメントの質の高さには感心させられたけれども、メール的な短い文章と、じっくり思考を練り上げる文章とでは違うのかもしれない。後者に関してなら、早稲田の学生と遜色ないレベルでやっていけるぞ。

 成績評価にあたっては、最上位、上位の成績が全体の○%という規定があるようだが、その辺のことはあまり苦労せずに済みそうである。多くの学生さんは、「しっかり書いた」という実感と、実際の成績とのギャップに驚かれることだろう。

 答案をカバンに詰めて、神保町に向かう。早稲田からならすぐだ。九段下で下車して歩いていくことにした。気になる建物があるからである。「九段下ビル」。大震災の教訓から、都市の不燃化を目的とした昭和初期の建築のひとつである。老朽化が著しく、大半がネットで覆われていた。保存措置が講じられるとは考えられないから、この建物がみられるのもあとわずかだろう。とにかく今日の時点では何とか健在でよかった。

 岩波ホールで「嗚呼 満蒙開拓団」という映画を観る。開拓団の悲劇というのはあちこちで語られていて、僕も何度か耳にしたことはあるけれども、まとまった像として知る機会はこれまでなかった。

 この作品では中国に建てられた日本人公墓を起点として、その周辺で起きたできごとと、今では中国から全国へと散らばっていった人々の人生を、インタビューによって構成される。

 中国残留孤児のことについても、僕が子どもの時分に行われていた肉親捜しと、感動的な対面シーンしか記憶に残っていない。ときどき、帰国したものの日本社会になじめず、再び中国に戻っていった人々のドキュメンタリーをみることはあったが、きちんと思いを致すことはなかった。

 どこまでも語りが中心で、悲劇さえもが淡々と語られる。でもその分、重みがずしりと伝わる。これから僕自身も、この歴史の一端に触れていくことになる。覚悟、というと変ないい方になるけれども、思いを強くもつためにも、本作は避けて通れなかった。何とか上映最終週に間に合って、本当によかったと思う。

 それにしても、岩波ホールというのは実に変わった映画館である。何が変わっているかというと、お客さんの層である。大半が中高年で、ご夫婦か、女性のグループが多い。そして会話に耳を傾けていると、何だかとっても知的だ。僕が普段行くような映画館の雑然とした感じ(これはこれで好きだ)とはえらく違うのだ。久しぶりにこの映画館の雰囲気を楽しめたのもよかった。

 少し遅くなったが、夕食は自宅で摂る。夏野菜のカレー。ナスがメインで、野菜も多く、さらに数種類のキノコが入っている。うまい。暑くても食が進む。

 まだテストの採点が残っているとはいえ、これで早稲田通いは終了した。無事やり通すことができて、ほっとしたと同時に、家族の支えに感謝するばかりだ。

7月24日(金)曇り(弘前)→雨(東京)

2009-07-27 11:18:20 | Weblog
 8時起床。すばやく支度を済ませて、自宅を出る。朝食はマクドナルドで摂る。朝から少々カロリー過多だが、たまにはこういうのもいい。

 弘前駅9時9分発の「つがる12号」に乗る。かれこれひと月ぶりの新幹線である。『ビッグコミックスピリッツ』を読みながら、時折うたた寝をする。青森あたりでは空も晴れて、海はきれいにみえた。

 今日も先行する貨物列車の遅れのため、八戸到着は4分ほど遅れたが、問題なく「はやて12号」に乗り継ぐ。こちらでも、ブランケットを引っかぶって眠る。仙台で一度目が覚めたが、次に目覚めたのは鉄道博物館の脇を通過するころだった。鉄博の新幹線の高架を眺められる部分には、小学生とその親がたくさんいる。そうか、もう夏休みなんだ。全然実感がない。それどころか、まだ夏という感覚さえないのである。確かに暑いけれど、東北はまだ梅雨の最中なものだから。

 東京駅に降り立つと、むっとした蒸し暑さに閉口する。着ていたジャケットもすぐに脱ぐ。

 有楽町へ。タニクリニックの診察時間が迫っていたが、昼食を摂っていない。駅のガード下の立ち食いそば屋に入る。そばを食べるつもりでいたのだが、お客さんたちはこぞって焼きそばを食べている。ならばと僕も焼きそばにする。普通の焼きそばだが、懐かしい感じがした。

 現在の体調を報告し、ひととおり診察をしてもらう。いつものとおり漢方薬を処方してもらってから、例によってカフェカプシーオ・トーアでアメリカンコーヒーを飲む。雨を避けて地下道を通り、東京交通会館や、かつての宝塚歌劇団の仮設劇場だった無印良品なんかを覗いて歩く。

 有楽町から山手線・中央線・青梅線と乗り継いで拝島へ。雨脚が強くなってきた。今日は大きなトローリーバッグを転がしてきた。さすがにこいつはコインロッカーに預けたいところだが、拝島駅には大型のコインロッカーがなかった(僕がみつけられなかっただけかもしれない)。仕方なく、片手で傘を差し、片手でバッグをゴロゴロと曳いて整骨院へ。

 雨のせいか、いつもより整骨院は空いていた。2週間空いてしまったので、また少し肩とか腰が張っている。タイミングよくオールスターゲームのラジオが流れ出して、先生方とひとしきり野球談義をする。

 体の硬さは相変わらずだけれども、首のほうはかなりよくなったことが自分でもわかる。強く揉んでもらっても、さほど痛みを感じなくなった。血のめぐりもよくなったように思う。すっかり元気になって、また雨のなかをゴロゴロとやりながら拝島駅に戻る。父に迎えにきてもらい、帰宅。

 夕食は、好物の鰯団子だった。それからたくさんの野菜をしっかり摂る。週末に帰るたんびに、体にやさしい食事を食べさせてもらえたのは大きかった。どうしても偏りがちな独り暮らしの食事とはえらい違いだから。

 これまでは金曜日の晩も講義ノートに目を通したりしていたが、さすがに今週はなし。コースナビへの書き込みをひととおりチェックして、タモリ倶楽部をみてから就寝。しかし蒸し暑い。時折目を覚ましては、冷風扇の風に当たる。この暑さから思えば、弘前の自宅の暑さなんてどうってことはない。

7月23日(木)曇り

2009-07-26 00:33:37 | Weblog
 8時半起床。例によってシャワーを浴び、イギリストーストとしょうが紅茶の朝食を済ませた後で大学に出る。今日はいつもよりは少しゆっくりめだ。

 昨夜採点したテストの点数をExcelに入力。あとはアップロードをするのみ。いちいち手書きで採点表を提出していた時分と比べると、格段にラクになった。かつてはいちいち採点表に捺印なんかもしていたが、このシステムを使うとそうした手間もかからなくなる。

 午後の地域生活調査実習の打ち合わせに向けての資料を準備する。昨年と比べると、まだ他の仕事がごちゃごちゃっとしていて、こちらの準備が十分に進められない。夏休みになると学生は散り散りになってしまうから、ある程度授業期間中にコンタクトを取っておかなければ。

 昼食は生協の出店の弁当(ビビンバ麺)。しかし今日も蒸し暑いな。

 3コマは「社会学概論」。採点したテストを返却する。解説よりも読みやすい答案とは何かという説明に多く時間を割く。質問やクレームがある程度出ることを予想していたが、こちらできちんと対応できるものが2件ほどあっただけだ。

 4コマは「公民演習」。どうも暑くて仕方がないので、アイスクリームを振る舞うことにした。生協のコンビニに買いに走る。5つ買って戻る。が、よくよく考えてみると、受講生は5人。僕を入れると6人だ。受講生の5人ばかりが頭にあって、自分の分を買い忘れた。僕の分は後から買ってくることにして、みんなに食べてもらう。

 『自爆する若者たち』の6章を読む。先進国において生じると予想される労働力不足と、果たしてそうした労働力をわれわれが受け容れられるかといったところがひとつの論点になる。もうひとつは、生殖に対する他者の介入やコントロールの意思をどう受け止めるかというものであった。身近なところに収束しない思考を、という意図で取り上げたテキストだが、要は比較的ミクロな事象であれマクロな事象であれ、身近であるかどうかということは、あくまで受け手の捉え方に依存するということだ。他人ごとと思って読んでしまったら、それは自分自身にいつまで経っても近づいてくることはないだろう。知に対する貪欲さや好奇心が、「身近なこと」の範囲を決めるのである。

 5コマの時間に「地域生活調査実習」の打ち合わせ。夏休みの日程表を配り、都合のつかない日に×印をつけてもらう。なんだ、×ばっかりじゃないか。仕方がないな。みんなの都合のつかない日は、僕一人で行くことにしよう。いやー、残念で、断腸の思いだが、忙しいんだから仕方がないよな。うん、やむを得ぬ措置として、メンバーが揃わない日は、僕の単独行動で行こう。実に残念だ。思った通りの展開で、僕のやりたいように…、おっと口が滑った。とにかく残念だ。

 ようやくアイスクリームを買ってくる。もう夕食までそんなに時間があるわけでもなし、わざわざ食べることもないかと思ったのだが、 まあ区切りは区切りだ。爽のソーダフロート味がこの夏のお気に入りである。

 コースナビへの書き込みに返答を書く。いつもより少し遅めにしたのは、できるだけ多くの人に返答しようと思ったからである。何とかアフターケアまで、できる範囲ではあるものの、することができた。

 それにしても、今ごろになって、出席をコースナビへの書き込みで取ることを知らなかったという学生からの申し出があって、少々困惑する。4月にはコースナビの「お知らせ」に掲出しているわけだし、授業の冒頭にも再三再四ディスカッションへの書き込みに言及している。話しを聞くと、他の先生はほとんどコースナビを使わないので、みていませんでしたとのこと。だが、僕は授業で何度もいっているはずだ。

 授業をやっていて気になったのは、遅刻が非常に多かったことだ。朝イチの授業ならばわかるけれども、「青少年と学校」は4コマの授業である。私語が少ない(というより、ない)のは素晴らしいことだが、これにはちょっと当惑した。いちいち注意をして授業の流れを切るのもどうかと思ったし、土曜日の授業だから、個々の事情もあるのだろうと思って、さほど気にかけないでいたが、結局のところ、遅れてきた結果の聞き漏らしだとしたら、その代償は自分で支払ってもらうしかないのである。

 とはいえ、明後日は試験だけでこの授業も終わりである。最後まで、無事に勤め上げること(テストの採点や評価も含めて)という目標をどうにか達成するメドはついた。

7月22日(水)曇り

2009-07-26 00:24:53 | Weblog

 8時半起床。シャワーを浴び、イギリストーストとしょうが紅茶の朝食。歩いて大学に出る。

 教育学部棟の正面玄関のところに、理科の先生と学生さんが結構な人数集まっている。手にしている道具をみてわかった。日蝕を観察しようとしているのだ。

 だが空はどんよりと曇っている。果たしてみえるんだろうか、という思いながら仕事を始める。少しして、玄関先のほうから歓声が聞こえるようになった。わあ、みえる、などといっている。そうか、みえるのか。

 無関心を装っていたくせして、いざとなったらちゃんとみに行く。観察用のグラスなんかもっていないから、肉眼でみることになる。だがさすがにまぶしい。周囲の学生たちがケータイを日蝕に向かって向けている。そうか、デジカメなら大丈夫か。

 研究室からカメラをもってきて、撮影してみる。こちらでみえるのは部分日蝕だから、三日月お月様のようなものになる。それでもみんなでワイワイやりながらみるというのは楽しいものだ。こういった雰囲気がうちの学部の好きなところだ。

 ゼミの4年生がやってきて、卒論指導。作ってきたレジュメをもとに1時間ほど話す。読書のベースはできているから、あとはいかにしてデータを収集し、分析するかだ。就職活動がひと段落する(らしい。秋にまた本格化するそうだ)夏休みに、どれだけ作業を進められるかにかかっているだろう。

 昼食は生協の出店の弁当を食べる。焼きそばとマーボー丼が半々になったもの。それに野菜サラダを付ける。

 3コマは大学院「社会学演習」。『知識の社会史』の第8章を読む。知識の受け手としての読者層の広がりがテーマ。精読から多読へ、という流れについて議論する。

 仕事柄、本というのはきちんと読む、つまり精読しなければならないはずなのだが、正直ままならない。それなりに精読、それなりに多読、といったスタイルを追求しなければならないのだが、それさえもできていないような気がする。精読っぽい少読といったところか。どうもいかんなあ。ちなみに、この章では「積読」は出てこなかった。

 4コマはゼミ。後期のテキストである今橋映子さんの『フォト・リテラシー』にちなんで、写真の社会学の基礎として、考えておきたいことを30分ばかり話す。前期のような、広く社会学の領域をカバーするテキストと違って、かなりマニアックな内容になる。ゼミ生たちがちゃんとついてきてくれるかどうか。

 ゼミを終えると大急ぎで大会議室へ。教授会。ほんのささいなことだったが、初めて教授会で挙手をして発言した。他学部の話しを聞く限りでは、若手教員も積極的に発言しているそうだが、教育学部ではまれである。やはり学部ごとのカルチャーの違いってあるんだろうか。

 今日も思ったよりも長くかかった。終わってからひとつふたつ用事を済ませ、夕食を摂ると、みたび採点作業に従事。今日は赤ペンである。これまでの書き込みに加え、新たにみつかったポイントについて記入し、最後に点数を書き入れる。

 1時過ぎまでかかって、それでも終わりきらず、あとは家に持ち帰って続ける。研究室にいたまんまだと、ずるずると長引きそうな気がしたので。3時に採点終了。点数をエクセルファイルに打ち込む。まずは第一関門突破。今期、答案の採点が必要な科目はあと5科目ある。うち3科目は選択回答のもので、学生が選ぶか選ばないかで採点の量が変わってくる。願わくば、昨年よりは少なくなってほしいと思う。


7月21日(火)曇り

2009-07-26 00:23:42 | Weblog
 8時半起床。シャワーを浴びる。イギリストーストとしょうが紅茶の朝食を済ませ、徒歩で大学に向かう。途中でゼミ生に声をかけられる。シンポジウムで聞いてきた話しが面白かったものだから、ここぞとばかりにしゃべる。聞かされるほうは迷惑だったろう。

 2コマは「戦後日本の子ども文化」。今日が授業としては最終回である。つい2週間ほど前に放送されたNNNドキュメント「ホームそらまめ~“独り立ち”までの3年間~」を観る。先週観た「誰も知らない」の主人公、明少年の「その後」を想像するのに適当な映像と思って観てもらうことにした。子どもから大人へと移行すること、そしてそこでのキーワードである「自立」とはいかなるものであるのかについて、みんなに考えてもらった。

 いつもの授業とは違い、かなりゆるめの内容設定をしたので、あれこれ意見を拾いながら進めることができた。昨年度に行った授業よりも、僕自身が肩の力を抜いてしゃべれたこと、そして興味本位で集まってきた学生が多かった(僕にとって、「興味本位」は「単位本位」より上位の価値である)こともあり、受け手としても送り手としても楽しくやれたという満足感はある。

 スコーラムで昼食。和風明太子パスタに野菜サラダとコーヒーをつける。

 午後から夕方にかけて、ひたすら答案を読む。ほんの60枚弱の答案だが、「社会学概論」は、一応僕の担当科目のなかでは「メイン」のものなので、じっくりと目を通す。昨日はただ読み通しただけだが、今日は青ペンをもって、チェックポイントに線を引いたり、丸囲みをしたりしながら読む。

 キリのいいところでいったん帰宅して、すぐに出かける。両親から頼まれたお中元の品を買いに行く。この時期、りんごジュースは喜ばれるようだ。

 自宅で夕食を摂る。お中元を買いに行ったついでに買ってきたおそうざいと助六寿司で済ませる。夕食時を少し過ぎたあたりに買い物に出ると、人民食堂での夕食よりも安上がりで、塩分も抑え目にできる。週に何日かは自宅での夕食がいいなあ。夏休みになったらそれも可能になりそうだ。

 再び採点に従事。出題にあたって、誤字脱字のチェックは厳格にする、原点対象にする、と脅しをかけておいた効果があったのか、これまでのテストの答案と比べるとかなり少なくなっていた。やればできるじゃないの、という気分だ。

 ただ、もう少し読みやすい答案というものに対する心がけが必要な気もする。こちらについては返却・解説の際にレクチャーすることにしよう。試験自体はこれからが本番の時期だから、いくらかは役立つはずだ。

7月20日(月)晴れ(盛岡)→雨のち曇り(弘前)

2009-07-26 00:17:04 | Weblog
 7時起床。朝食の前にひと風呂浴びに行く。昨夜露天風呂の浴槽のへりで光っていたホタルは、そのまま力尽きたのか、動かなくなったまま同じ場所に姿をとどめていた。

 朝食をしっかり食べる。今日はいいお天気になりそうだ。宿の前の川も、昨日と比べたら水量は落ち着いてきていた。

 玄武温泉の先には、玄武洞という名勝がある。そこに行ってみよう、ということになった。洞とつくからには、鍾乳洞のようなものを期待したのだが、行ってみると、大きな玄武岩の下に開いた洞穴のようであった。しかも崩落して、柵越しに眺めるのみ。ちょっと残念。

 気を取り直して、青空の下、高原の道を走る。メンバーのなかでは、観光気分はうせていたようだが、僕が強引に押し切って(なにせドライバーは僕だから)、小岩井牧場の上丸牧舎群をみに行く。昨年も訪れているけれど、あの日はお天気が悪かった。今日は見学にはもってこいの日和だ。

 木造建築の牧舎をひとつひとつみて回る。先に訪れたときには入らなかった資料館も見学。日本ではないような、のんびりとした気分に浸る。馬車鉄道の線路跡も、昨年とは違ったアングルでカメラに収める。

 今日もソフトクリームを食べよう、ということになったが、どうもまきば園に入園しないとソフトは食べられないようである。仕方がない、と、まきば園の向かいの地産地消の物産品を売っているお店で、ハチミツ入りのラクトアイスを買って食べる。だがソフトに負けず劣らずこのアイスクリームもおいしかった。

 2日にわたって小岩井牧場を楽しんでから盛岡方面に下る。早めの昼食は、国道沿いのぴょんぴょん舎で食べる。まだ11時半なのだけれど、もうすでに駐車場はいっぱいだ。冷麺の人気おそるべし。

 こちらの冷麺は、キャベツのキムチがベース。スープの味は一昨日の食道園のものとは微妙に異なる。しかもスイカが載っている。こちらもおいしくいただいた。

 盛岡駅にメンバーの一人を送ってから、弘前に向かう。帰りの高速道路も空いていた。だが途中から雨がぽつぽつと落ちてくる。2時過ぎに弘前に戻った。全員無事に送り届けてから帰宅。睡眠時間は足りているはずなのだが、それでもまだ眠い。昼寝をする。5時過ぎに起きる。

 洗濯だの何だの、細かい用事を済ませ、月の舞で夕食(梅おろしうどんとおまかせセット)を食べてから研究室へ。明日の授業準備を済ませ、木曜日に返却する予定のテストの採点を開始する。3回読んで採点するつもりで、今夜は全体にひととおり目を通しておく。

 もう一度シンポジウムでもらった資料に目を通す。あれこれ研究のアイディアが沸いてくるようなシンポジウムだった。そして研究会では、これまでやってきたことをちゃんと形にするべく、刺激を与えてもらった。ちゃんと書けるかどうか、不安とプレッシャーが、今はかえって心地がいい。

7月19日(日)雨

2009-07-26 00:09:06 | Weblog

 8時起床。少々寝不足気味。ぼーっとした頭でいたが、今朝も大沢親分と張さんの「喝!」で目が覚めた。やはりこれがないといかん。

 朝食のバイキングは、3連休ということもあってか、ずいぶんと混雑していた。バイキングでも取るべき料理がなくなっているのだ。まあ安いんだし、無料だし、仕方がないか、とあるものだけでがまんする。

 生憎の雨模様だ。しかも昨日よりも強い降りになっている。これでは観光どころではない。まあ観光で来ているわけではないのだけれども。車で市内の名建築をぐるりとひと回りして(岩手銀行上ノ橋支店の建物は、メンテナンスを終えてすっかりきれいになっていた)から小岩井方面へ。

 空は明るくなってきたものの、雨は降り続く。それでも小岩井まきば園に入る。みんなでソフトクリームを食べよう、ということになったのだ。ざあざあ降る雨を眺めながら、みんなでソフトクリームを味わう。観光的にはイマイチでも、宮澤賢治になった気分なら、こういった風景も悪くはない。

 お天気は悪いのに、園内にはお客さんがかなりいる。ひつじ舎とか、雨のかからないところをみて歩く。それでも少々手持ち無沙汰。早めの昼食を摂ることにした。以前ゼミの巡見で来たときと同じレストランで、ビーフシチューを食べる。朝はバイキング、昼はビーフシチューとは、少々贅沢が過ぎる。だがしっかりと味わう。雨の音を聞きながら、静かに自家製のパンとシチューを楽しむのもいいじゃないか。

 まだチェックインの時間には早いけれども、今夜の宿である玄武温泉に向かう。宿の前の川は異常に増水している。大丈夫なんだろうか。心配ではあるのだが、こんな荒々しい風景をみることなんてめったにないので、興奮する。

 着くなりまずはひと風呂浴びる。鉄泉というのだろうか。茶褐色の濁ったお湯だ。湯温はちょうどいい。いろいろ効能がありそうだ。露天風呂の目の前は、玄武岩の切り立った崖である。

 お腹が満ち足りたせいなのか、メンバー一同部屋で昼寝をする。決して睡眠不足ではないのだけれど、座布団を2つ折りにして、畳の上に寝そべる。気持ちがいい。

 起きてから研究会。そうだ、これが目的なのだ。今回でメンバーがひととおり報告を終え、これからの具体的な進め方について話し合う。原稿のスケジュールもあらかた定まる。今年度の下半期の最重要課題は、この研究会の原稿をまとめることだ。夏休みが勝負だな。

 夕食はこれがまた豪勢だった。山の幸がふんだんに用いられている。大きなお膳にはみ出して、エビフライやらトンカツなんかまでついてきている。もう少し少なめでいいのになあ、と思う。最近の温泉旅館は、どこも相当に料理に力を入れているようだけれど、全部食べられるという人はそうはいないはずだ。もっとも、物足りないと思われては困る、という意識もあるのだろうけれど。

 食後に再び研究の話しをする。その傍らで、NHKの「ダーウィンが来た」をみる。ホタルを取り上げていた。雨上がりにはホタルがよくみえる、なんていう話しをしていて、ならばわれわれもみえるんじゃないですかね、などとしゃべる。実際、この宿のウリのひとつはホタルなのである。時期的にもいいころだ。だが、さすがにこれほど降った後だと難しかろう。

 ようやくお腹も落ち着いて、再び風呂に入りに行く。するとどうだ。露天風呂の前の小川の両岸に、無数の小さな光がある。浴槽のへりには、1匹のホタルが止まっていて、ちらちらと発光している。いや~、こんなすごいホタルをみたのは初めてだ。驚いた。ホタルに夢中になるとのぼせるので、浴槽から出たり入ったりを繰り返しながら、じっくりと眺める。

 部屋に戻ってからも、電気を消すと、窓の外にホタルがみえる。こいつはめったにない、いいものをみせてもらった。


7月18日(土)曇り(弘前)→雨(盛岡)

2009-07-25 01:40:49 | Weblog
 7時半起床。イギリストーストとしょうが紅茶の朝食。結局昨日ちゃんとやらなかった旅支度を整える。

 今日は盛岡での日本社会心理学会の公開シンポジウムに同僚と参加することになっている。翌日は温泉研究会だ。同行する仲間を順々に迎えに行き、盛岡に向かう。

 高速道路を走るのは久しぶりだ。ETCの調達が間に合えば、1,000円で行けるところ、わざわざ正規料金で走るのはちょっと癪に障る。でも意外と一般の料金レーンを通過する車が多い。ならばいいか。

 盛岡以北の東北自動車道というのは、滅多に混雑することはない。今日も快適なドライブだ。ただ、安代を過ぎたあたりから、雨がぽつぽつと落ちてくる。盛岡に着くと、降ったり止んだりの天気になる。

 シンポジウムは午後からなので、まだしばらく時間がある。少し早めの昼食を摂ることにした。盛岡に来たらやはり麺、冷麺がよろしかろう、ということで、食道園に行く。開店直前で、すでに用意されていた名簿に名前を書いて、しばし大通りを散策。いつ来てもきれいな街だと思う。そして商店街に活気がある。青森の新町通りだって、規模としては負けていないのだけれど、道路が広いのがかえってよくないのかもしれない。大通りは一方通行の狭い道である。弘前の土手町通りより狭い。だがそれがいいのだろう。

 食道園に行ってみると、しっかり行列ができていた。少し前に名前を呼ばれたらしく、書いた名に横線が引かれて、「キャンセル」となっていた。並び直して入店する。

 僕は盛岡ではこの店の冷麺を好む。非常にシンプルな味。キムチはカクテキである。辛いのだが、甘くも感じる。強い麺のコシも堪能する。

 まだ少し時間がある。岩手県庁の向かいのあたりの、内丸緑地のごちゃごちゃっとした飲み屋街をぶらついて、趣味のいいカフェをみつけて入る。コーヒーと抹茶のブラウニーを注文。内装もシックで、いい感じだ。こういったカフェが弘前にももっとあればいいのになあ、と思う。

 同じ界隈のじゃじゃ麺の名店、白龍の前にはこちらも行列ができていた。その脇を通って櫻山神社に詣でる。思い思いのおみくじを引く。だるまさんに入っているものとか、十二支の人形に入っているものとか、最近のおみくじは凝っている。学問に関しては、「自己への甘えを捨てよ」とあった。猛省します。

 だんだん雨脚が強くなってきた。シンポジウムの会場である、盛岡駅西口のアイーナへ。高速バスヨーデル号が発着するバスターミナルのまん前にあるので、存在は知っていたが、入ってみるととても大きな建物だ。県立図書館が入っているし、会議室もたくさんある。

 会場は150人収容とのことだったが、ほぼ満席だった。空いている前のほうの席に座る。

 今回のシンポジウムは、人文学部の作道信介先生が企画されたもので、岩手県立大学の細江達郎先生が「団塊の世代の人生経歴を辿って」、作道先生が「〈ホールド〉としての出稼ぎ」、人文学部の山下祐介先生が「限界集落をめぐる世代・家族・ふるさと」というテーマでそれぞれ報告をされた。つまり、集団就職、出稼ぎ、限界集落という、東北の戦後史を語るうえで欠かせない題材が並んでいる。

 細江先生の報告は、集団就職世代で、調査のインフォーマントである2人の方も参加されて、そのときどきの思い出を映像とともに語ってくださった。何せ30年以上にもわたる追跡研究である。社会学のライフコース研究でも、追跡研究の蓄積は数多あるけれども、ここまで徹底して追いかけているというのは、管見の限りそうはないのではないかと思う。研究者の視点からだけではなく、実際に集団就職を生きた人の語りのもつ面白さに引きつけられた。

 作道先生・山下先生の報告も、丹念な調査の蓄積に基づいたもので、とても興味深かった。作道先生の使用されたスライドの写真の1枚(5月の調査に同行させていただいたときのもの)には、僕も写っていたそうだ。メモを取るのに一生懸命で、僕自身は見逃してしまった。

 知り合いの先生方によるシンポジウムということで行くことになったのだが、そうした要素を除いても、純粋に面白いものだった。いいものを聴き、みられたという実感がある。しかし、細江先生のライフコース研究なんかをみていると、およそ社会学がお株を奪われているような感さえもってしまう。天龍源一郎と阿修羅原の厳しい蹴りに、こんなことをされては自分たちの存在意義がなくなってしまう、という危機感を覚えた前田日明のような心持ちになる。

 懇親会のほうにも顔を出させていただいた。細江先生には、長年にわたる調査にまつわるエピソードをお話しいただき、また、インフォーマントのお2方からも、当時の事情なんかをじっくりとお聞かせいただいた。いやー、楽しかった。今後の研究のヒントになるようなこともたくさん得ることができた。

 早起きをして、慣れない長距離運転をしたものだから、ちょっと眠くなったので、一次会だけで失礼する。外は雨だけでなく、風も強くなってきた。だが、雨に濡れた駅前あたりの風景というのも、なかなか美しい。


7月17日(金)曇り、夜に雨

2009-07-19 01:45:58 | Weblog
 9時起床。トーストを1枚食べる。しょうが紅茶も忘れずに飲む。

 金曜日を丸々弘前で過ごすには久しぶりだ。大学に出てみても、ちょっと新鮮な気分。今日は一日使えるのだ、と思うと、ちょっと得したような気分になる。

 午前中から出席データの入力に従事。もし僕の研究室に大学院生でもいれば、こういったものの処理を頼むことができるかな、と考える。でも、実際には頼むことはないだろう。どうしても雑用を他人に頼むのは気が引けるのである。ましてや学問をするために来ている院生を使うことにはどうも抵抗感をぬぐい去れない。

 そのせいで余計な仕事まで抱え込むことになって、にっちもさっちもいかなくなる。仕事ができる人間というのは、個人としての能力の高さを表すばかりではなくて、うまく人を使いこなせる能力という意味も含んでいる。だから僕はきっと死ぬまで仕事ができないまんまだろう。まあそんな人生でもいいさ。

 昼食はスコーラムで摂る。豚丼のランチ。一見シンプルな豚丼ながら、暑い日でも食欲が出るようなあっさり目の味つけがよい。食後にコーヒーを飲みながら『雷撃深度一九・五』を読む。

 午後も引き続き単純作業に従事。おかげであらかた片づいた。これが済むとテストの採点に専念できる。

 黒石調査関連の資料を読み散らかす。授業なのだから、僕ばかり突っ走っても仕方がないことはわかっているが、自分が興味あることをテーマにしているから、ついついあれこれ考えてみたくなる。昨年までの鰺ヶ沢調査と違い、現地見学会がないので、地図上で眺める予定地が、実際にはどんなところなのか、行ってみないとわからない。だからこそ想像が広がって面白い。

 5時過ぎに大学を出る。帰宅して、近所のガソリンスタンドに洗車に行く。1時間ほどかかるとのことだったので、車を預けて、その間に買いものに行く。イトーヨーカドー地下で食料品を買う。今日は無性に刺身が食べたい。鰯の刺身がベスト。鮮魚売り場に行ってみたら、しっかり置いてあった。迷わず購入。帰宅して、買ってきたものを冷蔵庫に入れておく。

 ワーナーマイカルシネマズ弘前に行く。3度目の「ウルトラミラクルラブストーリー」を観る。本日のアーリーレイトショーがこの映画館での最終上映である。どうしても最後の1回を見届けておきたくなった。

 ストーリーはしっかり頭に入っていて、それをトレースしながら、今日は画面のすみずみにまで目を配るようにした。何気ない背景ににじみ出る津軽の雰囲気を、ワンシーンごとに噛みしめるように観る。そして今日もまた、ラストシーンの麻生久美子の表情に見入る。

 そしてパッと画面が黒くなり、エンディングテーマの100s「そりゃそうだ」が流れる。この曲は、まさしくこの映画にふさわしい。素晴らしくマッチしている。映画の感動を増幅させる。

 帰宅して、夕食を摂る。鰯の刺身がうまい。量は控えめに、しかし細かい総菜を並べてゆっくりと楽しむ。学食と違って時間を気にすることもない。食後にひと息つくと、健康温泉桃太郎で温まる。今日の夜はかなり涼しくなった。

 夜半に雨が降り出す。せっかく洗車をしたというのに台無しだ。不思議と洗車をすると必ずといっていいほど雨が降る。早晩降られるわけだから、早いか遅いかの違いなのだけれども。

 今日は、わが家の愛犬レオの命日である。両親と僕、弟の一家全員に看取られて天に昇ったのが、2002年7月17日21時15分だ。あの日から早いもので7年が経過したことになるが、今でも僕が使用するパソコンの壁紙は、自宅・研究室・持ち歩き用のノート、いずれも、ありし日のレオの写真である。


7月16日(木)曇りのち晴れ

2009-07-19 00:20:30 | Weblog
 8時半起床。シャワーを浴び、イギリストーストとしょうが紅茶の朝食を摂る。いやはや、今日も暑くなりそうだなあ。

 大学に真っ直ぐ向かうことはせず、宮脇書店に立ち寄る。黒石市の市街地図を界に行く。だが青森県の地図のラインナップのなかで、黒石のものだけがない。どうしても今日のうちに欲しいので、土手町の紀伊國屋書店に行ってみる。こちらにはちゃんと置いてあった。早速購入して、富田大通りをてくてく歩いて大学に出る。

 研究室のドアを開けると、外に内側の熱気がどろんと流れ出る。急いでブラインドを上げ、窓を開ける。扇風機のスイッチを入れる。昼食は塩焼きそばと海鮮サラダ。何となく食欲も落ち気味。でもしっかり食べないと仕事ができない。

 3コマの「社会学概論」は、教場試験。今年度から、今まで認めていた持ち込みを不可にした。事前の学習の時間を増やすためには、こうした手段を取るより他にない、と思ったのだ。実際にどの程度の影響が出るのか、懸念していたが、少なくとも量的には、皆それなりにしっかり書けていたようだった。問題は事前に知らせてあるのだから、それで持ち込みを認めたら、大盤振る舞いが過ぎるだろう。採点してみないとわからない部分はあるものの、全員がかなりの程度解答用紙を埋めているのをみて、一定の手応えは得た。

 4コマの「公民演習」は、『自爆する若者たち』の4章を読む。1930年代の日本の戦争の背景にも、今日世界で起きているのと比べれば小さいものの、ユース・バルジがあるという説明には首肯させられる。

 ドイツの歴史教育が、戦争を実際に体験していない世代にかえってユダヤ人に対する敵意を増幅させているという指摘も、かなり「引っかかる」ところだ。平和教育が悪いというわけではない。しかし、平和教育の副作用というものに、これまでどれだけの人が関心を払ってきたのだろう。

 5コマは「地域生活調査実習」のメンバー発表と初回の打ち合わせ。結局僕のグループには7人が所属することになった。うちのゼミ生が4名、他のゼミ生が3名という構成である。このグループを選択した動機は人それぞれだろうが、とにかくこの夏をチームとしてともに闘うのだ。メンバーが確定した後は、少々狭苦しいが研究室に集まってもらい、午前中に買ってきた地図をテーブルの上に広げ、調査のコンセプトを説明する。来週のこの時間に第2回の会合をもつことに決めて、今日のところは解散。

 3年のゼミ生がやってきて、夏合宿の報告に向けての相談を受ける。いくつかの参考文献と切り口を紹介する。月曜日の卒論指導と同様、過剰な押しつけにならぬよう気を遣う。ただ、何かヒントをつかんだようで、いい表情で帰って行くのをみると、こちらの疲れも吹き飛ぶ。

 「青少年と学校」のパワーポイントを作成する。一昨日ノートはできあがっているので、そこにまとめた内容をスライドに貼り付けていく。それにしてもパワーポイントは苦手だ。背景とかフォントとか、そんなところにセンスが表れるような気がするから、ちょっと見栄を張ろうなんて考えたら、やたらと面倒なことになる。今回のものはあくまでもシンプルに作る。こちらはほとんど単純作業なので難なくできた。

 ライオンズ-イーグルス戦の試合結果を見届けてから、いよいよ大詰めの作業に入る。先ほど作成したパワーポイントを操作しながら、ICレコーダに講義の音声を吹き込んでいく。パワーポイントは文字通りの紙芝居。音声はそれを上演したもの、という形だ。

 板書がない分、かなりスムースに進む。いつもの講義と同じだけのノートの話しをして、時間は55分。そうか、板書を省けば僕の講義は正味こんなものなのか。でも、90分フルにしゃべったら、それはそれで相当な情報量になって、聴く側としては結構な負担となろう。これからもこんな分量でいいんじゃないかな、と思う。

 音声ファイルは6.8MBになった。コースナビにアップロードしようとしたら、ひとつのファイルの最大サイズは5MBで、サイズオーバーでアップロードできない。対応策としては、ファイルを2分割するか、それとも音質を下げてファイルサイズを小さくすることである。少し考えて、後者でいくことにした。だが、WMA形式のファイルを圧縮するソフトというのを持ち合わせていない。あれこれフリーソフトを落としてきては、その都度試してみる。だがなかなかうまく行かない。

 結局この作業に2時間あまりを要した。何とか4MBちょっとにサイズダウンすることができた。だが音質の劣化は否めない。まあ仕方ないか。音楽ではないのだから。内容を理解するには十分だろう。1時半過ぎにようやく全作業を終える。ほっとした。まだすべての授業が終わったわけではないけれど、大きな仕事をやり終えた安堵感を得る。

7月15日(水)雨が降ったり曇ったり

2009-07-18 22:56:50 | Weblog
 8時半起床。シャワーを浴びてから朝食。イギリストーストとしょうが紅茶。外はどうもすっきりしない天気。すぐに出かける気にならず、洗濯をしたりして様子をみる。

 傘を手に出かける。2コマの時間が始まったころに大学着。ゼミで読む文献はすでに目を通してあるから、午前中は細々とした用事をせっせと片づける。

 生協の出店の弁当(ピリ辛チキン丼)とコーンサラダを買ってきて食べる。研究室は蒸し暑い。扇風機を回す。それでもむんむんとした重たい空気はそう簡単に抜けるものではない。

 3コマの大学院「社会学演習」は、『知識の社会史』の第7章を読む。知識が市場のなかで流通するに至るプロセスが描かれている。もっぱら出版界の動向が話題になる。現在の新書文化をどうしたらよいか、議論する。

 僕自身、新書には相当にお世話になっている。新書だけでは講義には間に合わないが、専門外の知識を手っ取り早く仕入れるには、やはり新書が一番である。卒論の構想を考え出している3年生なんかには、入口として新書を薦めることにしている。

 だが、どうも最近の新書というのは、安直なものも目立ってきたように思う。新書というよりは文庫のほうが当てはまるのかもしれないが、学術書の新書化というのをよく目にする。かつては2千円から3千円くらいした専門書が、1,000円くらいで買えるようになったのは喜ばしい。学生にも気兼ねすることなくテキストに指定することができる。ただ、新書や文庫の類、ペーパーバックには欠点もある。それは線が引きにくかったり、メモなんかを書き込みにくいことである。ハードカバーなら、電車のなかでカバンの上に載せて線を引いたりすることができる。文庫本や新書だとそれはなかなか難しい。

 そもそも新書や文庫本というのは、電車のなかで、片手はつり革につかまり、もう一方の手で読むことを前提にしていると思う(そんなことはないかもしれない)。そして、基本的には一度読んだら終わりだ。そういう読み方が前提の新書・文庫というスタイルに、学術書がなじむのかどうか。何となく、知のダンピングのような気もしてしまう。絶版本が復刊という形で出ることもあるから、その恩恵は小さくはないが、ハードカバー離れが進むというのは、学問にとっては、少々懸念されるところである。

 4コマはゼミ。ギデンズ『社会学』の第19章「人口成長と生態系の危機」を読む。昨年度から読み始めたテキストは、1年と半期かけてようやく全部読み終えるに至った。

 環境問題とリスクの関係は、おそらく今後の社会学研究のなかで、もっとも先鋭化していく領域だろう。そして実効性とそのための合意をいかに形づくっていくかというところで、社会学の存在意義が厳しく問われることにもなっていくだろう。

 議論のなかで、コメンテーターから、日常行っている環境保護の取り組みにはどんなものがあるか?という問題提起があった。それぞれ考えてみたが、ぱっと思い浮かぶものはない。僕なんかはまったくといっていいほどないぞ。いや、あった。エコバック持参だ。いまだにスーパーのレジ袋1枚3円を支払いたくなくて、必死に抵抗している。自宅にたまるレジ袋は確実に減少しているから、個人的には節約に貢献しているような気もする。でも、『偽善エコロジー』を読んだ後では、何だかバカバカしい取り組みに思えてならない。

 これで2年生も全員、レジュメを作成し、文献報告をする、ということを経験した。やはり上級生が示したお手本の影響力が大きかったと思う。その点人数が増えても僕の手間は昨年よりも減った。それもこれも3、4年生のおかげである。

 研究室に戻る。ライオンズ-イーグルス戦のネット中継を眺めつつ、コースナビのディスカッションに書き込まれた感想への返信を書く。返信作業を開始した時点での書き込み数は13。だいたいいつもと同じ。ただし、今回の場合は、授業中にも尋ねて回った「記憶に残る先生」についてさらに語ってくれたものが多かった。それぞれの印象に残る先生のイメージにケチをつけたりすることがないよう、いつも以上に慎重に返信を書いていく。

 教室での講義は先週が最後だったから、授業そのものに対するお礼のメッセージを書いてくれる人もみられた。多少のリップサービスが含まれているにせよ、そう書いてくれる人は総じて高い評価を与えてくれて、うれしくなった。ものすごく青臭いことをいうようだが、一生懸命やれば、伝わる人には伝わるのだ、という実感を得たことが何よりの収穫。そして、現在の職場の雰囲気になじんで、どこか講義をルーティンワークのように「こなす」だけになっていた自らのあり方を反省する契機にもなった。授業料を「払って」教えに行ったことの、もとは十分に取ったように思う。

 涌井投手の完封によるライオンズの勝利の喜びと、一種の達成感を得て、いい気分で深夜の家路についた。

7月14日(火)曇り

2009-07-18 00:45:04 | Weblog
 8時半起床。シャワーを浴びた後、イギリストーストとしょうが紅茶の朝食。歩いて大学に出る。

 2コマは「戦後日本の子ども文化」。前回までのちょっとおちゃらけたムードから一変、今週と来週はシリアスな内容を取り上げる。今日は映画「誰も知らない」を使って、大人と子どもの「関わり」を考える、というのがテーマ。

 急なシフトチェンジで反応はいかがなものだろう、と思っていたのだが、コメントを読んでいると、その辺の心配はまったく必要なかった。まあ学生さんからすれば、毎日違う授業を受けていて、ひとつの講義を「連続ドラマ」のように捉えるということは、そうはないのかもしれない。僕のほうが切り替えができていないのだ。

 それにしても、なかなかいいメンバーの揃った授業である。教育学部以外の学生さんでも、割と積極的に話してくれたりするのでやりやすい。

 昼食は昨日に続いてスコーラムで摂る。チキンの味噌マヨ焼き。何だかしつっこいんじゃないか、という気もしたのだが、実際に出てくると、そんなことはない。しかも皮がぱりぱりに焼けていて、なかなかうまかった。弁当と違って、できたてが食べられるというのはうれしいことだ。

 すでにTuesday実習も終了しているので、火曜日の午後は丸々空いている。来週からの採点シーズンを前に、ぽっかりと空いた、ちょっとのんびりできる時間だ。

 30分ほど居眠りをしてから、図書館に足を運ぶ。夏の調査地である、黒石市のことを勉強するために、市史や郷土資料なんかを借りてくる。古い写真集なんかもあったので、それらもまとめて研究室に抱えて戻る。テーブルの上に積み上げて、ぱらぱらとページを繰ってみる。考えているテーマと直接関係があるところ以外にも、興味を引かれるようなところがある。

 昨年度までの鰺ヶ沢町も、とても魅力的なフィールドだったが、黒石市も面白そうである。何しろ広い。歴史もある。さらには温泉もある。僕が担当するグループは、街中というよりはかなりはずれのほうに足を運ぶことになるので、楽しみは焼きそばよりももっぱら温泉である。

 夕方から、ライオンズ-イーグルス戦のネット中継の傍ら、「青少年と学校」の講義ノートを作る。本来ならば、水曜日か木曜日に行う作業なのだが、今週に限っては事情が異なる。

 土曜日の授業を休講にし、その振り替えとなる授業(通常なら補講)は、コースナビに教材(パワーポイント)をアップロードして、それを使って自習をしてもらう、という形を取った。だから、ノートを作ったうえで、あらためてパワーポイントも作成しなければならないのである。はじめっからパワーポイントだけ作ってしまえばよさそうなものだが、来年度はきちんと授業を行う予定であるから、やはり今のうちに講義ノートを作ってしまったほうがよい。

 あれを話そう、こんなことを盛り込もう、といったアイディアは、事前にできていたので、中盤まではそんなに手間はかかならなかった。だが、最後の締めくくりの部分がうまくまとまらない。今回は、これまでの12回の授業の総括的な意味合いももっているので、その全体のまとめがうまくできないのだ。書いては消し、消しては書き、という状態が続く。

 おまけにライオンズも、1回裏の明らかなミスジャッジ(それにしても栄村さんという審判は、素人目にみても下手くそな人だと思う)に始まり、岸投手が4点のリードを守れず、挙げ句の果てに逆転負け、といった試合で、どうにも機嫌が悪くなる。イライラが募る。危うくものでも投げ散らかさんばかりになる。

 上等とはいえないが、何とかノートのまとめも終わる。ふう。これをもとにパワーポイントを作成し、さらにそれを使っての講義音声を録音してアップロードするつもりでいる。何でも、早稲田では、休講の代わりに「オンデマンド授業」という、ビデオ映像を使ったものを用意することができるらしい。収録用のスタジオもあるそうだ。だが、僕みたいな非常勤講師の授業で、そこまで仰々しくやる必要はない。スライドをみながら、音声を聴く、といった形で、つまりラジオ版を提供できれば十分だろう。

 今夜はパワーポイント作成にまでは至れず。あと2日が勝負である。

7月13日(月)曇り

2009-07-18 00:09:15 | Weblog
 8時半起床。どうもすっきりしない空模様である。トーストとしょうが紅茶の朝食を済ませ、歩いて大学に出る。昨日日に当たったところが真っ赤に焼けている。少々ひりひりする。顔もよくみると真っ赤だ。

 午前中は卒論の個別指導。4年生の当面の目標は、8月半ばのゼミ合宿である。そこまでにはある程度方向性を固め、夏休み中に稼がなくてはならない。

 コンセプトに関しては、あらかじめ承知しているので、具体的な構成と、作業の進め方といったところが今日の検討課題である。自分の研究を考えるのはどうにもしんどくて、しょっちゅう投げ出したくなるのだが、他人の研究について考えるというのは結構楽しい作業である。あんなこともできるんじゃないか、こんなふうにやってみてはどうか、といったアイディアが浮かんでくる。ただし、注意をしなければいけないのは、僕のその場での「思いつき」を、教員の「指導」ないし「指示」として受け止められることだ。

 もちろんひとつのアドバイスとして、参考にしてもらうのはかまわない。だけど、こちらは自分の仕事として考えているわけではないから、最後の結末までを読み切っていっているわけではない。あくまでも卒論を書くのは学生本人である。だから、ひとつひとつのメッセージを伝えるときに、相応の気を遣う。たくさんのエクスキューズを挿入しながら指導をしている。僕にとってもこれが最初の卒論指導なのだ。

 昼食はスコーラムで摂る。オムライスを食べる。冷房が効いていて涼しい。ここでお昼ご飯を食べられるというのは、それなりに時間的なゆとりが生まれてきたということでもある。

 3コマは大学院「社会学特論」。『孤独な群衆』の12・13章を読む。第二次産業中心の社会から、第三次産業中心の社会へと移行していくなかでの、「感情労働」の重要性の高まり、といったことが議論のポイント。さらに「人格化過剰の社会」なんていうのは、まさに現代の状況に当てはまる。最近の青年研究や子ども研究のなかで、この『孤独な群衆』がたびたび引用されるのもよくわかる。まさに今起きていることが、半世紀以上も前に予見されているのだ。もっとも、すごいすごい、と昂奮しながら読んでいるのは、授業に参加している人のなかで僕だけのような気もしている。「孤独な教員」か。

 オフィスアワーに来客がないのを見切ったうえで、生協にアイスクリームを買いに行く。研究室が蒸し暑くてしょうがない。パソコンの脇にUSBで動くミニ扇風機を、入口の脇に980円で買ってきた扇風機を配しているが、ほとんど焼け石に水といった感じである。風は通らないではないのだが、涼しいところまではいかない。

 「戦後日本の子ども文化」の授業準備。明日の分だけでなく、来週の最終回のノートも一緒に作っておく。ある程度授業の終結のメドが立つと、今度は試験である。リアクションペーパーのデータ入力(出席カードの意味合いもあるので)なんかは、学期途中まではこまめにやっていたのだが、最近はすっかりため込んでしまっている。そういった作業をちょこちょこと進めていく、そんな時期になってきた。