須坂に到着したのはちょうどお昼ごろで、すっかりお腹も空いた。お昼ご飯を食べるところは予め決めてある。冷たい風が吹くなかを、5分ほど歩く。
古びたショッピングセンターの2階にある、「かねき」という洋食屋さんに入る。地元をよく知る人からの情報なので、おいしいに違いない。いろいろなオムライスメニューに迷ったが、結局スタンダードなオムライスを注文した。
ほどなくして出されたオムライスをみて、びっくりする。想像していたのよりもずっと大きい。これで普通サイズである。隣で注文をしていた高校生らしき若者は、こぞって大盛を注文していたが、それはどれほど大きなものなのだろう。
そして味も大変よろしい。懐かしい、正統派のオムライスだ。ケチャップライスの甘みもちょうどよい。たいそうな量ではあるが、食はどんどん進む。あっという間に平らげてしまった。これで520円とは安い。
お腹もいっぱいになったので、駅でもらった観光地図を手に歩き出す。駅にはあんなに人が大勢いたのに、街を歩く人はほとんどいない。空は明るくなってきた。
まずは墨坂神社をみる。参道に大きな石橋がある。向こう側には立派な拝殿がでんと構えている。ひょうたん池をぐるっと迂回してお参りする。
食べること以外、何の下調べもせずに歩いているが、どうやらいろいろと近代建築がありそうだ。神社の先の十字路を曲がると、ほう、と思わせる街並みに出会う。
ガイドマップにも、「蔵造り」が謳ってあったが、観光地然とした感じではなく、ごくごく自然に守られてきたという印象だ。ますます楽しくなってきた。
街中には、いくつかの小路があって、そのひとつ、「浮世小路」に入ってみる。「浮世亭」という料亭がある。かつての花街の跡(いや、まだまだ現役だ)らしい。往時は相当に栄えたところなのだろう。
ここが花街だったことを物語るように、銭湯もあった。今も営業しているのだろうか?名前もまた粋である。
浮世小路から少し歩くと、旧上高井郡役所の建物に行き着く。1917年築の擬洋風建築である。長らく地方事務所、保健所として使用されてきたものを、2007年から地域交流施設としてリニューアルオープンさせたものだそうだ。耐震補強もきちんとしているそうで、近代建築の活用法として素晴らしい。
昔山形で調査をしていたときに、たびたび旧郡役所の建物をみてきたが、それらと比べても遜色のない規模とデザインの建物である。こういった建物を活かしていく自治体はすごいなあ、と思う。
ここまで来て、そういえば昨年11月の「弘前景観まちづくりシンポジウム」のなかで、須坂市の事例が紹介されていたのを思い出した。地域でしっかりと景観計画を作って、その保持に努めているところだということを忘れてしまっていた。ならばここまで歩いてきた街並みの美しさにも納得する。
駅まで戻る道は、ますます楽しくなる。望楼(?)の付いた薬局なんていうのも珍しい。
「銀座通り」「中央通り」という、ますますかつての繁栄を伝えるような名前の通りを歩く。この通り一帯も蔵造りの景観が整っている。歩道は石畳だったりする。
呉服店の堂々たる看板の書体に目を瞠り、昭和初期のものと思われる教会建築にも出会う。
日本基督教団須坂教会は1933年築
かつての繁華街の終わり(というより、正しくはこちらが入口)には、3階建ての蔵のまち観光交流センターがある。明治中期の堂々たる建物がでんと構えている。
お向かいにある須坂市クラシック美術館は、旧牧新七邸。こちらも明治中期の建築なのだそうだ。
いやはや、すごいもんだ。実は、当地をよく知る人からは、「何もない」と聞かされていたのだ。とんでもない。時間をかけて歩けば、まだまだいろいろな建物に出会えそうである。地元の人々にとっては、(謙遜も込めての)「何もない」ところでも、ここは素晴らしい街である。屋代線に乗った、この線があったおかげで訪問できたことを感謝しなければならない。またじっくりと歩いてみたい。そのときには、屋代線を使って来ることができないのが残念だ。
東京から弘前に戻る日、少し早く実家を出たので、新幹線の時間まで余裕ができた。東京駅前の丸善で時間をつぶそうかとも思ったが、ふと思い立って、中野から地下鉄東西線に乗った。
九段下で半蔵門線に乗り換えて、神保町で下車する。そこから古本屋街を歩く。何軒か覗いてみたが、欲しい本がネットで容易に買えるようになってから、しっかりと棚を睨んで掘り出し物を探そうというモチベーションがかなり下がってしまった。あんまりよろしくないことである。
それはこちらに立ち寄った目的が、古本ではなかったこともある。昨年末から取り壊しが始まった九段下ビル(今川小路共同建築)を見ようと思ったのである。ちょっと前に見に行ったと思っていたのだが、どうやらそのちょっと前というのはこの日のことで、もうずいぶん前のことになる。
てっきり更地になってしまったのだろう、と思っていたら、白い鉄板の向こう側には、まだいくらか残存部分があるようだった。
といっても、今となってはもはや見る影もない。前日に訪れた豪徳寺の「明菓堂」の跡も同じように鉄板で覆われていたから、この白いやつが何とも憎らしく思えてくる。
僕が大学院に入って、この界隈が街歩きのエリアになってきたころ(学部時代はまず滅多にこっちに来ることはなかった)には、竹平寮(憲兵司令部竹平下士官官舎)があった。今の千代田区役所の場所である。それからもうずいぶん時間が経っているのだから、建物の入れ替わりがあるのは当然といえば当然だけれど、九段下ビルがなくなってみると、あるべきものがそこにないという、空虚な感じがしてならない。
九段会館のほうに行く。昨年の震災で天井が崩落し、以後廃業・閉館した。おかげでひっそりとたたずんでいる。九段下ビルなどと比べれば、そうそう簡単に取り壊されることはないものと思っていたが、この建物の今後も予断を許さないのかもしれない。何より、ここで命を失われた方がいるという事実は大きく、重い。
東京のなかでも、九段は昭和の記憶というものを鮮明に遺している場所のように思っていたのだけれど、それもまた、不確実なものになっていくようである。東西線で大手町に出て、丸善で本を物色してから、オアゾの前に出る。東京駅の駅舎を見上げる。復原工事は着々と進んでいるようで、天井のドームがピカピカに輝いている。東京中央郵便局の旧庁舎の外壁も、何とかそこに踏みとどまっている。こちらも修復後はすっかりきれいになるに違いない。その一方で、くすんだ色の昭和のほうは、ますます失われていくようだ。
先日、帰京した。年末年始にかけて、それから1週間後にも帰っているから、久しぶりというわけでもない。渋谷に用事があって、それが済んだ後、夕方に観る舞台「ハムレット」まで時間があったので、久々にバスに乗ることにした。
渋谷駅西口のバスターミナルに向かう。いろいろな方面に路線が出ているから、少し迷う。東急バスもいいが、今日は小田急バスに乗ろう。バス停からの眺めは、昔とあまり変わらない。東急東横店に、地下鉄銀座線の電車が吸い込まれていき、様々なバスが顔を並べている。
もっとも、東急の看板の頭越しには渋谷ヒカリエが顔を覗かせている。ついこの間、「ブラタモリ」で建築現場を見たような気がしたが、もう完成なのだなあ。
5分ほど待つと、「渋54」系統の経堂駅行きのバスがやってきた。この路線には一度も乗ったことがない。他の路線と重複する区間もあまりないから、楽しみだ。
渋谷駅を出て、しばらく246号を走り、道玄坂上を過ぎてから、駒場に向かって進む。窓の外には、蜜柑だか橙だかがなっているのが見える。
梅ヶ丘の駅前で4分ほど停車する。僕の記憶にある駅の姿と違って、高架化が成った後のこの駅はきれいさっぱりしている。
松原を過ぎて、次の六所神社前で下車した。世田谷線の線路に沿って歩く。以前祖母と伯母が住んでいたアパートや、仕事場にしていた小さな一軒家が残っていた。この辺はあんまり変化がないようだ。
山下の商店街を歩く。よく人形焼きを買った「明菓堂」はどうなっているだろう?と思って行ってみると、建物はすっかり撤去されて、更地になっていた。もう以前から人形焼きは売っていなかったけれど、こうして跡形もなくなってしまうと、すっかり過去のものになってしまったのだな、と思う。
気を取り直して、豪徳寺駅と山下駅とを結ぶ路地に入る。こちらは中華料理の「満来」も健在だ。もうずっと昔からある本屋さんで、『文藝春秋』2月号を買う。この本屋さんは、ちゃんと奥行きがあるのだが、ほとんどのお客さんは店頭の雑誌を買うのが主のようで、お店の人も入口のところで応対している。奥の本は何だかずっと昔から同じもののような気がする。
山下駅にある、「たまでんカフェ」に立ち寄る。以前はドトールコーヒーが入っていた場所だが、現在は「NPO法人まちこらぼ」が運営している。昔の写真パネルなどが展示してあって、玉電ファンにはうれしい。玉電カレンダーと開業100周年記念の写真集を買う。
山下駅のホームに立つと、貼り紙が目に留まった。なんと、せたまる回数券が廃止になるのか。確か初めて大学で教えるようになったのとほぼ同じ時期に売り出されて、早速買ったのだった。偶然だが、今日1回乗車すると、残額がほぼゼロになる。デポジット分は来月以降払い戻してもらえるようだが、せっかくだから記念に手元に取っておくことにしよう。
世田谷線に乗る。坂を下って山下駅に到着する様子は昔と変わらない。
上町や松陰神社前で途中下車したくなる衝動を抑えて、終点三軒茶屋まで乗車する。
駅前からすぐ近くの目青不動にお参りする。
不動堂には、秘仏のお不動様が鎮座しているようだが、お参りできるのは前立ちのお不動さんとのこと。
不動堂の左手には教学院がある。高いビルのすぐ足元に、こんな場所があるというのは何とも不思議な感じだ。
お不動さんの旧参道を歩いて、街のほうに出る。以前はここに釣り堀があったはずだが、と思っていたら、ちゃんと建物は残っていた。バーになっているようだが、姿は昔のままだし、「鯉・金魚」という文字が残っているのもまた憎い。
世田谷通りを渡って、エコー仲見世商店街を見て回る。うなぎの「花菱」には休業の貼り紙がしてあった。またこちらの鰻を食べてみたい。あの2階の小さなお座敷で。
三軒茶屋に来たときには必ず訪れる場所へ。2つの映画館は健在である。時間があれば、座り心地のすこぶる悪いイスに座って映画を観たいのだが、今日は時間がない。それでも、これらの映画館は、建物を眺めるだけで、どこか安心できる。ああ、まだあるのだな、と思えることで、記憶の街がそのままであることにほっとするのだ。
三軒茶屋シネマの屋上からは、相変わらずバッティングの音が聞こえて、ごちゃごちゃっとした街のなかに、キャロットタワーが1本、にょきっと伸びている。
キャロットタワーの展望台に上ってみる。空は全体的に曇っていて、合間から陽が差している。
それでも結構遠くまで眺めることができる。横浜方面はランドマークがいろいろあるからわかりやすい。こんなお天気ということもあって、どこか蜃気楼のようにも見える。
駒沢給水塔を望む。三軒茶屋までは来ることがあっても、なかなか間近で見ることができない。ただただ健在を喜ぶばかり。
今度は足元のほうに目を凝らす。三軒茶屋中央劇場は、上から見ると蒲鉾形の屋根をしている。それがまたいかにも映画館らしくていい。
世田谷線の線路をたどっていく。
線路は途中から建物の陰に隠れてしまうけれども、下高井戸の方向はわかっている。かつて教えに行っていた日大文理学部のキャンパスが目印になる。
エレベーター前の窓は、新宿方面を望める場所である。歩き回った場所よりも、こちらのほうがよっぽど変化していないように思える。俯瞰するだけでは見えない変化がいろいろとあるのだなあ、としみじみ思う。
帰京するとき、なぜいつも世田谷に足が向くかというに、何かが存在し続けていることを確認して安堵し、失われた何かに郷愁を感じるためなのだろうと思う。かつてこの街には、人の縁もあった。それもそのうちすっかり遠い過去のものになっていくのだろう。それでもまた、時々はこの界隈を訪れたくなるのだろう。