五行目の先に

日々の生活の余白に書きとめておきたいこと。

4月16日(土)晴れ

2011-04-28 17:08:47 | Weblog

 8時起床。一晩寝て起きたら、もう内臓の痛みはすっかりよくなっている。まったく元通りになった。トーストと緑茶の朝食を摂り、実家を出る。

 昭島駅から青梅線・中央線を乗り継いで吉祥寺へ。吉祥寺から井の頭線に乗って渋谷に行く。いつもなら混んでいるイメージのある井の頭線も、何だか今日はやけに空いている。渋谷まではあっという間だった。

 渋谷駅近くのビルに用事で立ち寄っていると、比較的大きな揺れがあった。ガラスの多い場所にいたので、安全なところまで誘導される。ビルそのものが新しく、地震に強いとのことだったが、その分かえって揺れるようだ。

 用事が済むと渋谷から表参道のほうに歩いていく。いったん表参道ヒルズのほうに向かって進み、それから神宮前の路地裏をうろうろする。あてもなく歩いていくと青山劇場の裏手に出た。ちょうどお昼どきになったので、「京はやしや」でおばんざいランチを食べる。なかなか上品なお味。外に出ると、暑い。すぐに銀座線の表参道駅に潜り込む。

 銀座へ。東京宝塚劇場や日比谷シャンテにある宝塚グッズのお店を覗く。宝塚の劇場のほうは、僕は一度も行ったことがない。エントランスから覗いてみると、立派な階段があって、一歩足を踏み入れたらそこは特別な世界、といった感じだ。

 銀座五丁目の「マリアージュフレール」のサロンに入る。地下のほうに案内されたが、何だかまた地震があるんじゃないかと思うと少々落ち着かない。しょうがの入った紅茶(銘柄の名は忘れてしまった)とフルーツババロアを食べる。

 ババロアは実に上品な味でおいしい。だが、僕にとってのフルーツババロアの記憶というのは、かつて小田急エースにあった「ピレネーカタオカ」のものである。お店がなくなってから久しいが、今でもあそこのフルーツババロアとレモンケーキを食べたいと思う。

 帝国劇場へ。「レ・ミゼラブル」を観にやってきた。今年は帝劇100周年のメモリアルイヤーに当たる。内外にも特別な装飾が施されている。

 ロビーには、出演者の寄せ書きもあった。劇場は日常を忘れさせてくれる空間ではあるけれども、だからといって断絶しているわけではない。現実はつながっている。

 「レ・ミゼラブル」を観劇するのは今日が2回目である。主人公ジャン・バルジャンは前回と同じく山口祐一郎さんである。今回は何といってもこの人が観たくてチケットを取った。

 重苦しい雰囲気のなかでの物語の始まり。ああ、何だか懐かしい。冒頭のジャベールとのやり取りも記憶を甦らせてくれる。

 ジャベールを演じるのはKENTAROさん。これまでにも何度も舞台での活躍を観てきたのだけれど、どちらかといえば踊りの人、というイメージが強い。実際どの舞台でも華麗でキレのあるダンスを見せてくれていたから。だからこのキャスティングにはびっくりした。だが歌声もしっかりとしていていい感じだ。

 ファンテーヌは知念里奈さん。弱々しそうに見えながら、芯の強さを感じさせる。転落していくなかで、最後の希望をジャン・バルジャンへと託していく、その演技が素晴らしかった。

 ある意味一番の私的注目キャストは、テナルディエを演じる三波豊和さんであった。三波さんといえば、僕にとっては何といっても「いじわるばあさん」の万年さんだ。それが舞台では欲深き親父になっている。あくどいのだが、どこか憎めないキャラクターはぴったりだ。

 そしてテナルディエ夫人を演じる阿知波悟美は、もう東宝の舞台では欠かせない、というくらい、この手のおばちゃんをやらせたら天下一品である。抜群の安定感だ。

 今回の上演では、かなりキャストの世代交代が進んで(その代わり?に、スペシャルキャストの出演があるのだが)、全体として若々しい空気が漲っているのだが、そんななかでのベテランたちの演技はさすがだ。

 レミゼは、鹿賀さん、滝田さんがそれぞれバルジャンを演じたCDも持っているのだけれど、不思議と普段聴くことがない。こうして今あらためて劇場に身を置いていると、その楽曲の何と素晴らしいことか。社会が動き、変わっていく様がひしひしと伝わってくる。その高揚感と緊張感を、今回あらためて感じ取ることができた。

 カーテンコールの盛り上がりもまた、舞台の素晴らしさに対する端的な反応であるように思えた。東宝の舞台のカーテンコールは、それぞれが役柄から離れて、素に近い表情を見せてくれるのが楽しい。阿知波さんのコミカルな動きとか、そんな様子もまた実に微笑ましいのだ。

 お芝居が与えてくれる力を感じて、じっくりと余韻に浸りながら劇場を後にする。力強いナンバーを頭のなかで反芻する。こんな夜はすぐには眠りたくない気分になる。


4月15日(金)晴れ

2011-04-28 00:32:16 | Weblog

 4時起床。異例の早起きは検査のためである。これから1.8リットルの下剤を飲まなくてはならない。検査の経験がある人の話しでは、とにかくこの量を飲み干すのが大変なのだ、とのことであった。

 ペットボトルの水を、専用の容器に入れて、粉末と混ぜ合わせる。混ざったところでポリカップを用意する。1杯200ミリリットルとのことだから、これを2時間ほどかけて9杯飲めばいい勘定だ。飲んでみると、思った以上に飲みやすい。ポカリスウェットみたいな味だ。昨夜水分を控えて寝たせいか、すいすい飲める。あっという間に全量飲んでしまった。

 ほどなくすると効いてきた。準備は万全で臨める。8時少し前にかかりつけの医院に到着。準備の総仕上げをしてから検査を受ける。

 苦しいと聞いていたが、思ったほどでもない。胃カメラに比べたらずいぶんマシだ。だが先生が困っている様子がだんだんわかってきた。カメラがなかなか思うように進まないらしい。足を組んだり、姿勢を変えたりしてみたが、なかなか難しいようだ。だんだんお腹の突っ張りがしんどく感じられるようになってきた。

 何でも僕の腸というのが異様に長いらしい。確かに、思い当たる節はある(詳細は書かない)。どうにか目標地点に到達したようで、そこから実況解説つきでモニタ画面を眺める。格別大きな問題はなさそうだ。ひと安心する。

 歩いて帰宅する。若干内臓のあちこちが痛む感じがする。普段どおりの朝食を摂る。少しばかり横になったらだんだん落ち着いてきた。

 両親と車で出かける。旧青梅街道を走る。安晴堂に寄って、酒まんじゅうを買う。ここのおまんじゅうは祖父の好物だった。皮の食感と餡の量が絶妙である。お店のたたずまいが変わっていないのもうれしい。

 隣の村山織物組合の建物も、昔のまんまだ。祖母は生前村山大島紬を織っていた。機織りのパタンパタンというリズミカルな音は今でも脳裏に残っている。そしてこの建物は、武蔵村山では数少ない戦前からの近代建築(1928年)である。

 第一小学校の角を曲がって、三本榎から日産村山工場跡地の前を通る。住宅街に分け入って、最近母がお気に入りのお店に寄る。ランチのお弁当とデザートのパウンドケーキを食べる。コーヒーがおいしいお店とのことだったが、今日のうちはコーヒーを控えるようにお医者さんにいわれているので我慢する。

 国立に行く。画廊・岳さんで開催されている「藤井哲 素描集刊行記念展」を観る。藤井先生は2年前に亡くなられたが、以前増田常徳先生と一緒にお話しをさせていただいたことがある。遺された素描は5,000点にもなるとのこと。その一端を眺めて、先生を偲ぶ。

 お天気もいいので、一橋大学の構内を散歩する。すでに大学通りの桜はあらかた散ってしまったが、枝垂れ桜はまだまだ見頃である。仕事と関係なしにこの大学を訪れるというのはいつ以来だろう。ごあいさつをしなくてはならないところもあるのだけれど、今日のところは散歩の一環なので、失礼させていただく。

 帰りに名倉堂に寄る。東京に帰る機会がめっきり少なくなったので、時間があればできるだけ行くようにしている。仕事がまだハードではないせいか、凝りのほうはさほどひどくはない模様だ。

 何だかやけに一日が長く感じられた。4時起きだったから、当然といえば当然だが、長く有効に過ごせたような気がしている。今夜は早寝をして、じっくり休むことにする。


4月14日(木)曇り(弘前)→晴れ(東京)

2011-04-27 00:35:54 | Weblog

 8時半起床。朝食は検査食のおかゆ。味気ないものを予想していたら、グリコ製のものでそれなりにおいしかったりする。

 10時20分から新設のタスクチームの会議。男女共同参画推進室の「つがルネッサンス!」事業の一環として設置されたものである。本日のみ、僕が取り仕切ることになっている。用意した資料をもとに進行する。僕はこういった会議の進行というのが実に苦手だ。質問が出されただけでびびってしまう。できるだけ早く終わるようにと進めていくのだが、出席者からは当然質問や意見が出る。何も発言のない会議よりいいのは間違いなのだが、対応がしどろもどろになる。まるで何かの面接を受けているような気分になる。

 幸い、オブザーバー参加してくださった推進室の室長先生のサポートなどもあって、どうにか乗り切ることができた。終わった後に「いや~緊張して緊張して」といったら、他の委員の先生方からは、そうは見えなかったけど、といわれた。緊張が表に出ないというのは損なのか得なのか、よくわからない。

 昼食も検査食のおかゆ。食べた直後は水分が多いので、かなり満腹な感じになる。お腹がたっぽんたっぽんしている。そのまま3コマの「社会学概論」の教室へ。30分ほどオリエンテーションをして終える。こちらは受講者が60名ほど。教室の定員ギリギリである。今の時期はいいが、夏場になったら大変なことになりそうだ。さりとて代替えの教室もないようである。

 4コマは4年生の公民演習。こちらは今年度から卒論ゼミといった感じになる。9人の4年生に、ほぼ月1回のペースで研究の進捗状況を報告してもらう。1回3人ずつのローテーションに、僕の講義を交える形。論文の書き方といった話しを、学生たちは1年の基礎ゼミナールで学んではいるのだが、すでに時間が経っているし、学んだ技術も実際に使わないでいると錆びついてしまう。だから復習かたがたお勉強もしてもらう。僕にとっても、書くということの原点に立ち返る機会になるだろう。

 帰宅して、バスで青森空港に向かう。車内で検査食の「おやつ」を食べる。さすがグリコ、ちゃんとビスコがあったりする。栄養補給用の粉末ジュースもまずくはない。ペットボトルの水に溶いて飲む。空港に着くと、本日最後の食事であるポタージュスープを飲んだ。

 空港ロビーで出発を待つ。東京からやってきたエアバスの操縦席の日よけには、「頑張ろう東北」のメッセージが入っていた。

 飛行機は満席である。依然として新幹線の復旧が見えない今となっては、やはり頼りになるのは飛行機である。

 ほぼ定刻に離陸して、分厚い雲を突き抜けると、窓の外がオレンジ色になる。新幹線からでも夕陽を眺めることはできるけれど、空からの眺めというのもまた格別である。

 今日のフライトも、ほとんど揺れることはなく快適だった。夜景のなかへと降りていく。心なしかいつもよりほのぐらい感じがするが、そういった心持ちで眺めているからかもしれない。いつもなら煌々と光っている東京ディズニーリゾートのあたりも、暗くてよく見えない。

 羽田空港に到着する。空港内も節電で照明控えめである。たくさんの乗客が降り立ったにもかかわらず、どこか閑散とした印象を受けた。

 モノレールに乗って浜松町へ。このあたりにくると、ようやく明るい街明かりになってくる。22時過ぎに帰宅。そろそろお腹が空いてきた。これから検査が終わるまで、しばらく我慢しなければならない。


4月13日(水)晴れ

2011-04-27 00:26:26 | Weblog

 9時起床。「野風パン」の全粒粉パンと野菜サラダ、紅茶の朝食。

 大学に着いて、廊下を歩いていると、何人かの学生に声をかけられる。公民演習に出たいのですが、とのこと。先日、追加の参加を認めてしまった以上、ここで断るわけにもいかない。いいですよ、と答える。これで9人か。もう当初の目論見通りの調査は難しくなってしまった。僕の事前の見通しが甘かったといわざるをえない。

 午前中は授業の準備。今日は授業は2つである。いずれもシラバスを配布してのオリエンテーションだ。

 お昼休みは学生の応対をしていたら終わってしまった。昼食は後で食べることにしよう。どっちみち3コマはそう長くはかからないだろうから。

 「比較社会学」は、出席者が30名ほど。昨年度は50人近かったから、少し落ち着いた感じ。開講年次を3年次から2年次へと繰り下げたことで昨年は多かったわけだが、今年度はほとんどが2年生で、ぽつぽつと3年生が混ざっているような具合である。「比較社会学」という科目名称も、実質的には今年度までである。

 オリエンテーションは40分ほどで終わり、それから研究室でお弁当を食べる。広いテーブルでゆったりと食べられたらいいのだが、こちらは書類やら本やらで散らかっている。パソコン机のキーボードをよけて、ひっそりと食べる。

 4コマはゼミ。先日のゼミガイダンスで顔を合わせているから、あらためての自己紹介はなし。もっぱら文献購読の順番を決める。3年生を前半に集中させたのは、身を以て2年生のお手本になってもらうためである。分担を決めるのにそう時間はかからなかった。残りの時間は僕のほうで講義をする。今年度のテキストは佐藤健二・吉見俊哉編『文化の社会学』(有斐閣)である。文化を研究するとはどういうことかについて、30分ほど即興でしゃべる。これくらいの時間なら、本やメモがなくても話すことができる。少しは成長しているのかな、と思う。

 研究室に戻ると、明日の会議のための資料づくり。こういったものを準備していると、規程や○○要項といった文書を作成することの難しさを痛感する。この日記のように適当に書き散らすものならともかく、「公的書類」というものがいかに複雑なことか。ささっと作り上げてしまう事務職員の皆さんの能力にはただただ感心するばかりなのである。

 20時過ぎに帰宅。明後日に大腸の検査を受けるので、繊維質のあるものは控えなくてはならない。少々不便だ。明日から東京に帰るので、今夜は温泉に行っておく。ゆったりのんびり温まる。


4月12日(火)晴れ

2011-04-26 23:52:40 | Weblog

 9時起床。昨日に続いて「野風パン」の田舎パンをトーストして食べる。さすがにもう雪が降るということはないだろうが、それでもまだまだ冷える。

 大学に出ると、卒業生の社会調査士資格申請の書類作成に取りかかる。本来ならば卒業式の前後に準備をして、余裕をもって提出の運びとなるはずだったのだが、震災の影響で必要書類を取りまとめるのに手間取ってしまった。卒業生もすでに弘前を離れてしまっている。事務の方々を煩わせて、何とか取りまとめるメドが立った。こういうとき、うちの学部の事務の皆さんは本当によくしてくださる。それに甘えてばかりではいけないと思いつつ、頼ってしまう我が身を反省する。

 ひととおり手続きが済むと、もうお昼どきである。例によってお弁当を食べる。毎日梅干しを食べるようになった。あらためて白米との相性のよさを知る。

 13時からTuesday実習のオリエンテーション。着任して以来、隔年でTuesday実習を担当している。最初に担当した4年前と比べると、進め方もだいぶ簡素化してきたようだ。その一方で社会科の履修希望者は18名と、ほぼ例年通りである。教員免許の取得が卒業要件とはなっていない生涯教育課程の学生が多いのには、やはり昨今の就職難というのも反映しているのだろうか。

 オリエンテーションを途中で抜け出して、別の委員会の会議に出る。そう長くはかからなかった。研究室に戻る。卒論指導を1件。明日が23日に行われる卒論構想発表会のテーマ提出期限なので、それに向けての相談を受ける。やはり発表が近づくと緊張感が高まってくるのだろうか。僕などは、2年生から研究構想を考えてきて、助走期間は十分なのだから、批判されるのも恐れずにやったらいい、などというのだが、当の本人からすれば、やはり厳しいコメントをもらうというのは避けたいのだろう。気持ちはわからないではないが、叩かれてナンボだと思うのだけどねえ。打たれ強い学生を育てるというのは難しい。いや、そもそもそんな学生を育てることなど僕にはできないのかもしれない。

 20時過ぎに帰宅。新居に移ってから、何となくこのような生活パターンが定着してきたような感じだ。おかげで体調も割といい。もっとも少しずつ花粉症にやられつつあるような。飛散量をネットで見てみると、確かに多くなっている。ここのところ、まともな対策を取ってこなかったから、こりゃあ今年はばっちりやられるかもしれない。


4月11日(月)曇り

2011-04-26 23:34:17 | Weblog

 9時起床。昨日岩木山神社に行った折りに立ち寄った「野風パン」の田舎パンを焼いて食べる。少しばかりオリーブオイルを付けると実にいい感じである。

 自転車で大学に出る。時間に余裕があるときには歩いて行くのもいいのだが、なんだかんだ理由をつけて自転車に乗ってしまう。

 僕にとっては今日が授業のスタートである。といってもひと回りはオリエンテーションだから、まだまだウォーミングアップといったところである。配付資料などもあれこれ用意するようになって、それらしい雰囲気になってきた。

 昼食はお弁当。まだ研究室が冷えるので、行きがけに買ってきたインスタント味噌汁も飲む。部屋にある冷蔵庫は気がついたら故障していて、常時温蔵庫状態である。生味噌タイプの味噌汁が妙な具合になっている。今日もお米は温かく、色とりどりのおかずとともにいただく。一見すると少ないようで、しっかりと詰まっているので、意外に腹持ちもよい。

 3コマは3年生の公民演習。今年度から3年生のこの授業は社会調査実習である。受講生は5人くらいだろう、と思っていたら、6人の出席者があった。テキストも5冊しか頼んでいないから、追加注文しておかなくては。

 社会調査実習はこの授業の他に、もう1クラスあって、僕のほうが質的調査、もうひとつが量的調査である。とくに棲み分けを行っているわけではないが、何となくそうなっている。6人なら動きやすそうだ。ちょうどいい人数だと思う。

 授業を終えるとそのまま男女共同参画推進室に向かう。所定の打ち合わせが終わって帰ろうとしたら、もうひとつ臨時の会議が入る。それを終えて研究室に戻ったときには17時近くになっていた。

 17時40分から社会調査士資格ガイダンス。出席しているのは2年生と3年生合わせて10人程度。説明をした後で、来週から公民演習に出てもいいか、という問い合わせを受ける。何で初回に出ないのか、と少し機嫌を悪くしながらも、まあ1人くらいなら何とかなるかな、と考える。想定している人数は、僕を入れて8人だ。大学の公用車の定員である。それ以上になると移動の手段を別に考えなくてはならない。

 20時過ぎに帰宅する。ようやく引っ越し先に落ち着いたが、ひとつ困った事態に直面している。先日市役所に行って、ゴミの収集カレンダーをもらってきた。どうも今住んでいる場所は、2つのエリアの境界らしく、最初は以前住んでいた場所と同じカレンダーを渡され、それから別なものと交換した。だが日々ゴミの集積場所を観察していると、どうも市役所でもらったスケジュールでは収集されていない。どう考えても前住所と同じスケジュールだ。前の部屋のときから持ってきたカレンダーに従って出すことにした。明日になれば、どちらが正しいものなのか、はっきりするであろう。


4月10日(日)晴れ

2011-04-26 18:48:22 | Weblog

 9時半起床。久しぶりに張さんのコーナーを見たが、大沢親分亡き後、やはり迫力不足の感は否めない。

 おいしいものを求めて、少しばかり遠出をすることにした。鰺ヶ沢に行こうと思う。だがその前に岩木山神社にお参りをすることにした。何かあると、この場所に足が向く。こういうのがパワースポットたるゆえんなのかもしれない。

 よく晴れて、岩木山がくっきりと見える。鳥居からも、そして山門の上にも、真っ白な頂上が顔を覗かせている。

 湧き水の手水で清めてから、お参りをする。おみくじも引いてみる。思うようにすっきりと「大吉」とはいかないものだ。

 つづら折りの道をくねくねと下って鰺ヶ沢に至る。目的地の「たきわ」で昼食。地魚丼を食べる。定番のまぐろ丼やうに丼などもうまそうだが、この地魚丼もなかなかである。値段は安く、新鮮だ。わざわざ足を運ぶだけの価値はある。

 海の駅わんどに寄って、長谷川自然牧場のお肉と卵を買う。いろいろな魚を見て回る。どんな風に調理して食べるものか、わからないようなものもたくさんある。いろいろ試してみたいところだが、結局魚というと刺身か、アジの開きといったものばかり食べている。

 今日もわさおに会いに行く。ポカポカ陽気のせいか、でれーんと寝そべったままである。観光客の呼びかけにも、ほとんど反応しない。

 ところが、飼い主の菊谷さんが声をかけると、徐に起き上がる。ちゃんとそちらのほうを向く。映画「わさお」にもあったように、本当に菊谷さんのいうことだけは聞くのだなあ。あらためて感心する。

 わさおは滅多に吠えないそうだが、今日は大声で吠えるところを見た。これはなかなか珍しいことらしい。

 お散歩に出るとのことで、軽トラックの荷台にひょい、と飛び乗った。しばらく菊谷さんと2人で写真のモデルになっていた。五能線沿いの坂を下って、浜辺で散歩する。

 イカ焼きを買って、車のなかで食べる。遠くを見やると、おお、浜辺を走るわさおの姿が見えた。散歩というよりトレーニングといった感じであった。

 そのまま車を五所川原に向かって走らせる。エルムの街に寄って、スターバックスで一服する。今のところ青森県内唯一のスタバは、今日もなかなか盛況である。ひととおり買いものをする。エルムの街全体を歩いてみても、賑やかだ。週末はこうやって賑わっているほうがいい。

 帰りがけにさくら野に寄って、「アンさんの店」のキムチを買って帰る。この辛さがたまらなくうまい。

 久しぶりに遠出をしたような気がする。出かけてしまえば、いろいろな人やモノに触れられる。出かけられるときには出かけよう。


4月9日(土)曇り

2011-04-26 18:31:58 | Weblog

 9時起床。バタートーストと野菜サラダの朝食。週末は引き続き部屋の整備に費やすことにした。僕にとっては、研究室の引っ越しが遅れたことで、多少の余裕が生まれた。もし予定通りに研究室のほうも移転していたら、両方の整理でてんてこ舞いになっていただろう。

 必要なものの買い出しに出る。こういうとき、ホームセンターや100円ショップなので細々とした買いものをするのが好き、というのが僕の性分である。実際に活用はするのだが、いわゆる「便利グッズ」の類に弱いのである。おおこれは、と、ついつい手を伸ばしてしまう。

 昼食は「和歌山」のしじみラーメンを食べる。大好きなお店だが、そうしょっちゅう通う、というわけでもない。ときどき無性に食べたくなる。ラーメンをすすってから、一粒一粒しじみをつまんで実を食べる。殻は専用の器のほうに捨てていく。ああうまい。ここのラーメンは、最後までスープを飲みきってしまう。

 帰宅してほどなくすると、リサイクルショップの人が、引き取りを依頼していた商品を受け取りにやってきた。家具が1,000円、インテリア用品が500円。前の部屋では大活躍していたものだが、新しい部屋では居場所がなくなってしまった。それなりに愛着はあるが、置き場所がなければ仕方がない。

 大きな家具が片づいて、ずいぶんと片づけがしやすくなってきた。引っ越し用の段ボールも、業者さんが引き取ってくれた。

 夕方に再び買いものに出る。気まぐれにリサイクルショップに寄ってみたら、家具のほうは6倍、インテリア用品のほうは5倍の値段が付いて売られていた。芥川龍之介の小説に出てくる大導寺信輔だったら、その場で買い戻してしまっただろうが、僕としてはただ苦笑するのみである。

 去るものあれば来たるものありで、新たな家具を購入した。こちらは自分で組み立てる。価格の安さをカバーするのは、自ら行う作業である。組み立て作業じたいは決して苦痛ではない。むしろ好きなほうである。だが、できあがりがまずいときの失望感が大きいから、何となく避けたくなるのだ。もともと模型づくりは好きなのだ。ただ上手でないだけである。今回は、易しい組み立てだったこともあって、なかなかの出来だと思う。しかるべき場所に収まると、いい感じじゃないか。ひとつ組み立て終わると、さあ次はこんなものを、と欲が出る。自制しなくてはいけない。


4月8日(金)曇り

2011-04-26 18:11:28 | Weblog

 目が覚めたのは8時過ぎ。どうやらまだ停電が続いているようだ。窓から外を見ると、ほとんどの信号はストップしているが、ところどころ動作しているものもある。

 地元のFMは、引き続き停電の状況を丁寧に伝えてくれている。ありがたい。電気はダメだが、ガスはいつもと同様に使える。お湯を沸かして熱いお茶を飲む。パンは焼かずにかじる。

 今日から授業開始ということになっているのだが、僕は金曜日には授業を持っていない。出かけるにしても停電の復旧の見通しが立たない以上、仕事にならないだろう。自宅にとどまったままじっとしている。そのうちに市内で電気が点いた場所が次々と報じられるようになった。よく注意をして聞いていると、やはり市役所の周辺は戻りが早いようだ。そのうちに僕の部屋も電気が点いた。ちょうど12時間ばかり停電していたことになる。

 午後から大学に出ようかとも思ったが、大学のほうが復旧したとの放送はまだない。よって今日は自宅で大人しくしていることにした。といっても、何から手をつけていいのかわからない。やるべきことはあれこれあるはずなのだが、地震の後は放心状態になってしまう。

 夕方になって、少しばかり陽も差してきた。イトーヨーカドーに買いものに出かける。ここのところスーパーに買いものに行っていなかったから、あらためて商品の陳列を眺めると、まだまだ流通に支障があることに気づかされる。「普段通りの生活」というのは、ずっと遠いところにあるような気がする。レジにしたって、それほど待たずに会計ができるというのはありがたいが、それだけお客さんが少ないということだ。控えめの照明と相まって、買いものの場さえ重苦しい感じがする。

 たびたび襲ってくる余震は、物理的な影響よりも精神的な影響のほうが大きい。ひたすら「忘れるな、気を抜くな」といわれているようで、緊張感がなかなか解けない。忘れないことの大切さを、ひしひしと噛みしめる。そうして、想像力を繋ぎとめながら、日々を送る。


4月7日(木)曇り

2011-04-26 16:56:41 | Weblog

 8時半起床。トーストと野菜サラダ、紅茶の朝食。いくらか暖かくなってきたような気がする。自転車で大学に出る。

 今日はガイダンス・デー。といっても1年生はまだ入学していないから、2年生以上を対象としたガイダンスである。

 午前中はメールの返信をしているうちに過ぎる。スコーラムで昼食。ランチのオムライスを食べる。食後にはコーヒーを注文する。いったん研究室に戻ってから、総合教育棟へと移動する。

 最初に社会科のガイダンスに出る。こちらのガイダンスには出る必要はないのだが、社会調査士の資格ガイダンスのアナウンスだけはやっておかなくてはならない。途中で抜けて、今度は地域生活専攻のガイダンスにも顔を出し、同様にアナウンスをする。

 講座や専攻別のガイダンスの後には、ゼミガイダンスを行う。僕は例年この任意のガイダンスをやってこなかったのだが、今年度は学生数も多くなったことだし、きちんと行うことにした。開始時刻は講座・専攻別ガイダンスの終了予定時刻に合わせて設定したのだが、どうやらこれらが相当に早く終わってしまったようで、少々手持ち無沙汰だ。

 ゼミのガイダンスには、全員が顔を揃えた。2年生から4年生まで、それぞれが置かれている状況は様々だが、とにもかくにもこうしてみんなが集まることができて、本当によかったと思う。順番に自己紹介をしてもらう。2年生の話しのなかには、ええ!と驚くようなものもあった。一番最後に僕も自己紹介をした。ちょっとしたサプライズを用意していたため、歓声が上がった。ようやく新年度の実感を得る。

 20時近くまで仕事をしてから帰宅する。夕食を摂り、のんびりテレビを見たりしながら過ごしていると、緊急地震速報の警報音が鳴る。ほどなくして大きな揺れがやってきた。3月11日の地震と同じような、大きな横揺れである。間もなく停電した。部屋の外に出てみる。周りを見回しても、部屋から出てきている人はいないようだ。

 廊下の非常灯が点いているので、それなりに外は明るく感じられた。しかしそれとて充電池が生きている間だけなので、次第に弱々しい光になって、やがて消えてしまった。表は真っ暗闇である。

 引っ越したばかりで、懐中電灯などは無造作に段ボールに突っ込んだままになっていたりする。それらから探し出してきて、どうにか灯りは確保した。ラジオを聞く。どうやら東北全域で停電しているらしい。本震のときと同様に、AMラジオは広域の情報を伝えているから、知りたいことがわからない。地元のFM局を聞きながら、休むことにした。いつ停電から復旧するかは、皆目見当がつかない。


4月6日(水)曇り

2011-04-26 16:28:04 | Weblog

 8時起床。朝食はトーストと野菜サラダ、紅茶。スーツを着て、ネクタイを締めて出かける。

 研究室に着いて、お茶を1杯飲んでから出かける。10時から男女共同参画推進室の仕事。約2時間。その足で直接学部の委員会へ。約30分。その直後にTuesday実習の担当教員の打ち合わせ。約1時間。

 研究室に戻る。先ほど出かけてから、およそ4時間ほどである。講義だったら3コマ弱といったところだが、やけに長く感じられた。ようやく遅い昼食を摂る。ほんのりと温かいお弁当を食べる。いつも以上にじっくりと、噛みしめながら食べる。

 何人かの学生の来訪がある。ようやく少しずつ人が戻ってきたようだ。いつも以上の上機嫌で迎える。近況など、世間話に花を咲かせる。

 そんな休息も束の間、16時から男女共同参画推進室でのミーティング。さすがに疲労困憊して、いささか集中力を欠いた。1時間の予定だったが、2時間近くかかった。とはいえ、推進室ができてから、会議の終了予定時間をきちんとアナウンスするようになって、それだけでもずいぶん変わったような気がする。何時までに終わらせなくては、という意識が、議論を適当なところで切り上げて、という雰囲気につながるかと思っていたが、そんなことはない。むしろ充実した、中身の濃い話し合いができるようになった気がする。

 場合によっては、予定時間をオーバーして、むう、と思うこともあるけれど、そんなことは滅多にない。早く終わったときにはお得感があってよい。他大学では、これを全学的に進めようというキャンペーンをして、着実に成果を挙げているところもあるようである。うちの大学でも、そういった流れができてきたらうれしいと思う。それほど手間のかかることではない。一人一人の意識の持っていき方だけで何とかなるものなのだ。

 再び研究室に戻る。1件、書類の手直しをして、メール添付で送信してから帰宅。スーツを脱いだら、どっと力が抜けた。温かい食事をおいしくいただく。外はまだまだ冷えて、自転車に乗るにも手袋が必要なのだが、家のなかは暖かくて、ほっとする。


4月5日(火)晴れ

2011-04-26 15:29:06 | Weblog

 9時起床。朝食はトーストと野菜サラダ、紅茶。昨日よりはいくらか暖かくなったような気がする。

 新居は割と暖かい。外が冷えていても屋内に入るとほっとするくらいの暖かさである。だが、今の時期からこのように暖かいということは、夏はかなり暑くなるということを覚悟しておかなくてはならない。前に住んでいた部屋の難点は、最上階(3階)で、夏場がかなり暑いということであった。その点今度の部屋は最上階ではないから、大丈夫であろう、と考えているのだが、いやいや、安心はできない。

 自転車で出かける。大学に出る前に市役所に寄って、転居届を提出する。新年度ということもあって、混んでいるかと思ったら、ほんの10分ほどで手続きは完了した。市役所のほうから、鍛冶町へと坂を下って、それからまた少し上ると大学である。

 お昼休みの時間帯に、公民科の教員のミーティング。新しい部屋の使い道などについても話し合う。これまで教員4人に対して1室だけだった科室が、改修後は2室に増える。1室は従来通りとして、もう1室をどのように使っていくか、いろいろとアイディアを出し合う。

 少し遅めのお昼ご飯。今日もお弁当を食べる。お弁当箱の保温性の高さに驚く。小学生の時分に、塾の冬季講習に通っていたころ、ランチジャーを肩から提げて持って行っていたが、それにひけを取らないくらいの保温だ。しかもレンジで加熱することも可、とある。こんなところにも技術の進歩を感じる。

 今日いっぱいくらいまでは、まだのんびりしていられる。授業の内容なんかをゆっくり考える余地がある。ゼミのテキストに目を通して、報告の割り振りなどを考えたりする。ゼミの報告分担は、できるだけ各人の負担が均等になるようにしなくてはならない。後期と合わせてトータルで考えて調整するというやり方もあるだろうが、できれば半期のうちに報告○回、コメント○回というのを均分したい。

 これが結構悩ましかったりするのである。今年のゼミ生は、院生も含めれば21人。この人数を上回ることは今後ないだろう、という数字である。結局、余分が出てしまったところは、僕が報告を担当して埋め合わせることにした。自主的に「僕が、私がやります!」と名乗り出てくれるのを期待してもよかったのだろうが、たまにはレジュメを自分で作る機会も持たないと、僕自身がなまってしまう。

 20時近くになって帰宅。今日ののんびりした雰囲気から一転、明日は朝から用務が目白押しである。


4月4日(月)晴れ

2011-04-26 14:57:56 | Weblog

 9時起床。朝食は昨日市立博物館に行った際に寄った、白銀館のパン。バタークリームの味わいを楽しむ。自宅からはちと遠いが、昔ながらのパンは、青森の栄作堂本店に通じるところがあって、これから贔屓にしようと思う。

 歩いて大学に出る。いつもなら新年度の賑わいを見せるキャンパスも、ひっそりとしている。歩いている学生を見かけることも滅多にない。

 研究室に入る。重油不足のためなのか、それとも暖房が動く時期を過ぎてしまったから(たいてい新年度にはスチームの供給は打ち切られる)なのか、えらく冷える。メールをチェックして、そのうちの何通かに返信する。指がかじかんで仕方がない。ファンヒーターを焚く。あまり暖まらないが、これとてぜいたくなことなのだ。

 こんな日は、お昼はすぐにやってくる。お弁当を開いて食べる。まだご飯が温かい。いつものように急いた昼食ではなく、のんびりゆっくり食べた。昼食を摂ると、いくらか元気が出た。

 授業のスケジュールづくりを始める。授業の日程表とにらめっこしながら、15回の授業内容を考える。2年生の授業は今週金曜日からスタート、1年生は来月9日からのスタートという、二重構造の授業日程である。おまけに16回の授業実施(教場試験は15回の授業以外で行うように、ということになったので)のために、土曜日に授業が入ることもある。スケジュールを組んでいて頭がこんがらがりそうになる。

 キリのいいところで終わりにして、早めの帰宅。昨日ホームセンターに組み立てを頼んでおいた家具を取りに行く。おそらくそれほど難しい組み立てではないはずだが、自分で組み立ててみたらうまく行かずに後悔する、ということがたびたびあった。ここは用心のためにお願いした。さすがにプロがちゃんとした工具で組み立てると、かなりしっかりしている。

 まだどことなく引っ越し仕様というか、完全に落ち着いた生活とはなっていない。何だかんだで1ヶ月くらいはこんな具合の日々が続くのかもしれない。だが遅くともGW前には、散らかったものをしかるべきところに収納したい。まだまだ先は長い。


4月3日(日)曇り

2011-04-21 21:18:26 | Weblog

 8時過ぎに起床。トーストを食べる。引っ越しの際に、古くなったトースターを捨ててしまったので、電子レンジのトースター機能を使って焼く。それなりに焼けるが、片面からしか焼けないので、いささか物足りなく感じる。

 今日も引っ越しの荷物の片づけ・収納である。いろいろな段ボールがごっちゃになっているので、これらをひとつひとつ片づけていかなくてはならない。そこに大きな荷物が届く。これらが部屋を占めていく。1つの部屋は段ボールでほぼ埋まってしまい、物置状態になってしまった。

 昼食を食べに行く。どうせならおそばにしよう。引っ越しそばというのは振る舞うものだが、今日は自分で食べる。久々に「真そばや 會」に行く。奮発して特製會そばを食べた。昨日にも増して冷えるものだから、温かいそばがうれしい。お客さんが多かったこともあって、二階の座敷に通してもらって、落ち着いた気分で食べる。

 おそばのお会計をしようとしたら、ちょっと気になるポスターが目に留まった。弘前市博物館で小惑星探査機「はやぶさ」の帰還カプセルの展示をしているとのこと。確か丸の内オアゾで展示されて相当に話題を呼んだもののはずだ。それが弘前でも見られるのか。興味を惹かれて行ってみる。

 駐車場は満車で、何だかぞろぞろと歩いている人がある。ずいぶんと盛況のようだ。入口のところには行列ができていた。とはいっても割とスムースに中に入ることができた。

 宇宙のことにはまったく疎い僕でも、本物のインスツルメントモジュール(カプセル本体)やパラシュートなどを見ると、おお~、と思う。ちょっとした汚れとかくたびれ具合なんかさえ、感動を呼び起こすものだ。これはいいものを見ることができたなあ。

 帰宅して、昨日まで住んでいた部屋に行く。僕の立ち会いのもとでの引き渡しだ。この部屋には3年あまり住んだ。官舎から出て、気分的にも前向きになれる部屋だった。いざこの段になると、何だか別れが惜しくなる。幸い、次の入居者も決まっているようだ。震災のために転居が遅くなって、大家さんにはご迷惑をおかけしたけれど、ブランクが生じずに済んだのはよかった。大家さんにもごあいさつをする。

 少しずつ部屋の構図が固まってきた。すると今度は新たに必要なものの買い出しだ。ホームセンターなんかに行って、いろいろと物色するのが楽しい。予算は限られているが、その範囲内でできるだけいいものを探す。片づけるほうはダメなクセに、新たに買い揃えるほうは心が躍る。これもまた一種の現実逃避のような気がしてきた。


4月2日(土)曇り

2011-04-21 21:03:07 | Weblog

 昨夜は徹夜になるかと思っていたが、案外よく眠った。いや、作業もそこそこに適当に寝てしまったというのが正確なところである。

 だらだらと荷造り作業を進めていく。おおよそ箱詰めは終わった。あとは引っ越し屋さんが来るのを待つ。約束の時間まではまだいくらか時間がありそうなので、「すき家」で昼食。ここに昼食を食べにくる、というのは滅多にないな、と思う。

 不動産屋さんに寄って、新居のカギを受け取る。何せ内部を実際に見ないで入居を決めた物件だ。ゆえにどんなものだかドキドキしたが、入ってみると悪くはない。今までの部屋とはずいぶん雰囲気が違う。

 14時に引っ越し屋さんがやってきて、荷物の運び出しが始まる。その手際のよさにはただただ感心するばかりだ。重たい荷物も実に要領よく運んでいく。傷をつけないような配慮とか、そういったこともさすがプロである。

 僕が新居を実見せずに決めてしまったように、引っ越し屋さんも僕の荷物を見ていない。当初は見に来て見積もりを出す予定だったのが、先の震災による混乱で、来ることができなかったのだ。ゆえに電話でこれこれの荷物があって、という僕の説明を聞いて見積もりをしている。そして実際に運び出す段になって、想定以上の荷物の多さに閉口しているようであった。用意したトラックに荷物がギリギリ載るといったところにまでなっていた。

 荷物の積み込みが終わると、トラックより先回りして新居のドアを開ける。部屋を実際に見たのはついさっきだから、大きな家具をどこに配置するかなどは前もって決めていない。瞬時に判断しないと、あとで自分の力で動かさなくてはならなくなる。これはかなり重要な決断を要するのだ。運んでくれる人も、運び出しのときには3人だったのが、いつの間にか応援の人が増えて5人になっている。

 移動の邪魔にならないように立ち位置を変えながら、それはそこ、これはここ、といった具合に指示を出した。どうにかすべての荷物が部屋に運び込まれた。トラックに乗らなかった自転車だけは自分で取りに行った。

 さて、何をどこからどう手をつけていいのかわからないが、とりあえず引っ越しそのものは完了した。やはり新鮮な気持ちになる。それほど新しい物件ではないけれど、クリーニングされたばかりなので、ぴかぴかだ。これからいろいろなものを配置していくことになるのだけれど、これはゆっくりやればよい。慌ただしいなかでも、まあどうにかなるもんだ。