goo blog サービス終了のお知らせ 

五行目の先に

日々の生活の余白に書きとめておきたいこと。

2月1日(日)晴(東京)→小雪(弘前):「Song & Dance 55 Steps」

2009-02-02 00:42:34 | 舞台
 今日も父に昭島駅に送ってもらう。ホームに下りると、車両故障の影響で電車が遅れる旨アナウンスがある。5日間のうち3日トラブル。電車が新しくなったにもかかわらず、「お家芸」の車両故障が続くとは。まあ中央線は中央線らしさを失っていない、ということか。

 東京駅の改札を出て、丸ビルのLOFTへ。今日発売の「ほぼ日手帳Spring2009」を買う。まだまだ十分に使いこなすには至っていないが、書きやすい作りとひまつぶしに読むちょっとしたコラムが気に入っていて、今年で3年目になる。

 山手線で浜松町に行き、四季劇場へ。途中「らーめん万代」で昼食。本当はお隣のおそば屋さんが好きなのだが、日曜日は休みだ。

 せっかく東京に帰ってきたのだから、ミュージカルの1つでも、とチケットは予め取ってあった。最初「ウィキッド」にしようかとも思ったのだが、一度「55 Steps」も観ておこう、ということになったのである。

 率直にいうと、あまり期待した舞台ではなかった。ゆえに席も一番安いC席だ。学生のころは、C席よりもさらに安い立見席でよく観た。上方の視界が3階席で制限されるC席よりも、一番高いところから見下ろす感じの立見席のほうが好きだった。

 「55 Steps」は、ガラコン形式のショーである。これまでに劇団四季が上演した作品はもとより、それ以外のミュージカルナンバーもラインナップされている。

 歌はもちろん舞台と同じだが、ダンスのほうはオリジナルの振り付けである。構成・振付・演出は四季のトップダンサーでもある加藤敬二。今日は出演もしている。

 1幕はヴィヴァルディの四季や「アプローズ」のナンバーから。これらはこれまでの「Song & Dance」シリーズでも用いられていた流れ。ただし舞台装置がかなり凝っている。オープニングで登場する、生バンドが2段に分かれたセットが舞台上を移動する。そして「アイーダ」「ライオンキング」「壁抜け男」「マンマ・ミーア!」「美女と野獣」といった作品からのナンバーが続く。大好きな「アイーダ」の曲が3つも入っていて、うれしい。それぞれの曲は性格の違ったものだけれど、うまく「つなぎ」ができていて、テンポがいい。構成の妙である。

 上演作品以外には、「ノートルダムの鐘」や「メリー・ポピンズ」、「サウンド・オブ・ミュージック」「リトル・マーメイド」の曲も聴くことができる。観客参加型の「ドレミの歌」は、マリア先生役(?)の井上智恵さんが、雰囲気といい歌声といい、ぴったりはまっていた。舞台に上がって演奏するお客さんだけでなく、客席全体が楽しめるような趣向。

 キャストはヴォーカルパートとダンスパートに分かれているが、必ずしも厳密ではない。「ビー・アワ・ゲスト」なんかはダンサーの松島勇気さんがソロパートを歌っていたりもする。ヴォーカルパートのメンバーもしっかり踊る。この辺の器用さは四季の一番の魅力だと思う。

 2幕は前半が劇団四季のオリジナルミュージカルから、後半がアンドリュー・ロイド=ウェバー作品といった構成。オリジナルミュージカルの部分は、歌をじっくり聴かせるのが趣旨であるのはわかるのだけれど、リサイタルのようになってしまって、1幕のような躍動感が乏しかったのが残念。それと、1曲1曲はいいのだけれど、バラしてしまうと作品が持っていたメッセージがどこかに行ってしまう。ここら辺は海外作品とオリジナル作品の違いか。何に起因しているんだろう。

 ロイド=ウェバー作品は、聴き慣れているとはいえ、やはり振付の面白さで存分に楽しむことができた。「メモリー」は、やはり早水小夜子さんが歌うと、ぐっとくるものがある。

 僕にとって一番よかったのは、「ソング・アンド・ダンス」からの「ヴァリエーションズ」。歌詞のない、ダンスナンバーである。先頭で踊っているのは坂田加奈子さん。黒いシンプルな衣装で、7人の男性ダンサーを従えている姿がたまらなくカッコいい。この舞台のお目当ては、何といってもこの人なのだ。「コンタクト」の黄色いドレスの女の印象が鮮烈に残っている。京都の「コンタクト」千秋楽を最後に、しばらく舞台から離れていたようだったが、昨年「CATS」で復帰したのを知った。そちらは観られなかったが、この作品では坂田さんの本領発揮である。

 「締め」の「スーパースター」の後、カーテンコールは「クレイジー・フォー・ユー」「マンマ・ミーア!」「ウィキッド」から。「クレイジー~」は最も観た作品だし(だからもっと曲を使ってもらいたかった)、最後の「魔法使いと私」も好きな曲。この辺の選曲は本当に素晴らしかった。十分な満足感に浸ることができた。

 作品の世界にどっぷりとハマって観るのもいいが、あまり感情移入することなく、ちょっと引いた感じで音楽と踊りを楽しむこういった作品もいい。思った以上に楽しめた。これならチケットをケチるんじゃなかった。もう1回くらい観られたらと思う。東京にいたときには、授業の後なんかにふらりと立ち寄ったりできたんだがなあ。

 劇場を出た後、すぐには帰りたくない気分になるのは今も昔も変わっていない。



 帰りの新幹線までは2時間ほどある。中途半端な時間だ。とくに寄るところも思いつかないので、東京駅に向かって歩くことにした。浜離宮庭園沿いの道を歩く。風が強いが、かまわず歩き続ける。汐留のあたりはひととおり高層ビルが建ち揃ったようだ。ますますもって緑とビルのミスマッチに拍車がかかった感じ。



 新橋駅のあたりには、ちょっと変わったところがある。築地市場への専用線の跡地にはぽつんと踏切の警報機が残されていたりする。



 そしてきわめつけは中銀カプセルタワー。故黒川紀章の代表作のひとつである。周りの超高層ビル群に圧倒されて、ちょっと存在感が薄れてしまったものの、近くに寄ってみると、やっぱりキテレツ。1階にはモデルルームがあって、ガラス越しにビジネスホテルのような機能的な部屋の作りを覗くことができる。



 取り壊しの噂もあるようだが、何とか残して欲しいものだ。

 歩行者天国の銀座通りを歩く。みゆき通りのところで折れて、有楽町へ。そういえば、こっちのスタバに連続して振られたのを思い出し、行きつけの床屋さんのあるビルの店に行く。ここも混んでいて、座席は埋まっていたが、首尾よく座ることができた。これでやるべきことはやった。よしよし。

 有楽町から東京までは電車に乗る。乗っていた山手線と併走する形で寝台特急「富士・はやぶさ」(いわゆる「ふじぶさ」)が東京駅に入線した。ホームまでみに行ってみると、カメラをもったマニアが殺到していた。九州方面のブルトレ消滅まで、いよいよ秒読み段階だ。終焉のときが近づくにつれ、もっとヒートアップしていくんだろうなあ。





 グランスタでラフテー弁当を買い、「はやて29号」に乗り込む。車中では昨日から読み始めた海堂尊『ナイチンゲールの沈黙』(宝島社)に没頭する。この作者の医療の世界の描き方は、さすが現役の医者ならでは。ときどき過剰な比喩表現が鼻についたりもするけれど、やっぱり面白い。「つがる29号」でも引き続き読んで、青森の手前ですべて読み終えた。次は『ジェネラル・ルージュの凱旋』に行くか。

 弘前駅に降り立つと、ちらほらと小雪が舞っていた。東京ではほとんど着用しなかった手袋を取り出し、マフラーをしっかりと巻いた。

11月15日(土)晴:劇団プランクスター「STREET」

2008-11-16 18:02:50 | 舞台
 キャンパスにある「みちのくホール」に、劇団プランクスター「STREET」を観に行く。7月にあった旗揚げ公演の「Dis-dream」は学生会館だったので、本格的なホールでは初めての公演である。受付を済ませ、客席に向かう前にロビーのストリートチルドレンの写真展示を眺める。雰囲気作りにも配慮がなされている。

 中段よりやや後ろの席に座る。前説でできるだけ前のほうへ、と勧められたけれど、これくらいのほうが舞台を俯瞰するのにちょうどよい。

 シンプルな舞台セットがみえる。どんな感じのお芝居になるのか、わくわくしながら開演を待つ。

 ストーリーは、ロイ、ジム、ニナ、シンシアという4人のストリートチルドレン(ハイティーンの若者も含まれている)と、そこに迷い込んだ1人の日本人女子高校生との出会いから始まる。ありきたりのように繰り返される日常(といっても貧困や犯罪、暴力といったものの存在が示唆される)をどのように変えていくか、4人の子どもたちが意図する方向性はそれぞれ異なっている。それがどのように葛藤し、そして結びついていくかという形で進行する物語。「闖入者」である高校生は、ストーリーにとっての重要なスパイスとなる。

 どこの国かは明らかにされていないが、現地の子どもたちと高校生とのコミュニケーションの様子は、高校生の話しことばをたどたどしい日本語にすることで表現していた。うまいやり方だと感心する。

 4人のキャラクターの描き分けも見事だと思った。男性2人、女性2人の配役なのだが、男性キャストは知性(ロイ)と暴力(ジム)とを、女性のほうは純粋さ(ニナ)としたたかさ(シンシア)とを象徴する。しかし4人に通底する優しさというものもしっかりと表現されている。脚本に力がある。

 それにしても、この劇団の芝居は熱い。ひとつひとつの科白に感情が載っている。とくにロイとジムの掛け合いは、これぞ青春といった熱気に満ちていて、舞台に釘付けになる。それを緩和しているのがニナの純真さであり、シンシアのクールさであったりする。

 前作と比べて、今作では遊びや笑いの要素というのがほとんどない。まさにガチで90分を走りきるという芝居になっている。観ている側にほとんどリラックスさせることなく、これだけの時間、緊張感を持続させるのは大変なことだ。

 作り手、演じ手それぞれにとって、ほとんど縁がないであろう、ストリートチルドレンの世界をどれだけ消化できているかについても、相当に勉強をしたことが窺えた。それはよくできた衣装ばかりでなく、手足の身体所作などにもよく表れていたように思う。いわゆる社会派の芝居を、全身全霊を込めて送る、といったメッセージがポスターに書かれていたように思うのだが、彼ら彼女らの気構えは、看板だけに終わるのではなく、しっかりと形になっていた。

 存分に楽しませてもらった。大満足である。メンバーの数人とは日常的に顔を合わせているのだが、よくこれだけ違った表情を出せると思う。ロビーでは、いつも教室の利用許可証を持ってくる、劇団の代表と会ったのだが、今日の舞台では、普段の柔和な感じとは正反対の、恐ろしい警察官になりきっていた。「怒らせたら怖いということがわかったよ」と冗談めかしていってみたりする。

 次回公演はクリスマスくらいの時期に、とのことだった。いちファンとして、今後がますます楽しみだ。

10月21日(火)晴:「ジーザス・クライスト=スーパースター」

2008-10-23 02:29:50 | 舞台
 ほぼいつもどおりの時間に大学に出る。好天が続く。いっときは初冬のような寒さを感じたが、最近は結構あたたかい。

 ようやく科研費の申請書類作成から解放された気でいたが、実はまだ終わりではない。事務方のチェックを受けて、手直しをして、それから正式な提出となる。しかも大きなミスに気づく。少々気がかりなことが残ってしまった。

 スコーラムでの昼食は久しぶりだ。ランチのメンチカツを食べる。少し早い時間に行ったので、まだ混雑していた。隈研吾・清野由美『新・都市論TOKYO』(集英社新書)を読む。買ったまま研究室に置いておいたら、ゼミ生のほうが先に読んでいて、週末の東京巡見に使えそうだ、とのことだった。「再開発」地区を巡るというのが今回の巡見のテーマのひとつなので、確かにこの本は格好の案内書になりそうだ。六本木、汐留、丸の内はコースに入れていたが、代官山は忘れていた。恵比寿あたりとセットで回るのもいいかもしれない。東京都写真美術館に行ってみるのもいい。

 夕方早くに仕事を切り上げて、自宅に戻る。自転車から車に乗り換えて、一路青森を目指す。青森市文化会館での劇団四季「ジーザス・クライスト=スーパースター」ジャポネスクバージョンを観るためである。出発が遅めになったのと、夕方の渋滞を見越して国道102号を黒石まで走り、そこから東北自動車道で青森に向かう。高速道路はびっくりするくらい空いていた。前にも後ろにもほとんど車はみえず、ANATAKIKOUの「Yellow Matador」をBGMに快適にドライブする。文化会館には開演の30分前に到着した。

 余裕をもって席に着く。最前列、それもど真ん中だ。舞台の高さを考えると、ちょっと観づらいかもしれないが、舞台自体が傾斜しているので、それほど問題なさそうだ。傾斜した白い板と、奥に大八車が鎮座するという、実にシンプルな舞台装置である。「JCS」はこれまで何度も観ているが、ジャポ版は今日で2回目だ。

 幕がないので、上がる前のドキドキ感は薄いのだが、照明が落ちて、Overtureがかかりだしたあたりから、さあ始まるぞ、という気分になっていく。

 ユダが登場し、その苦悩を表情と体の動きで表現する。金森勝さん演じるユダは初めて観る。これまで観た沢木順さん、芝清道さん、吉原光夫さんのユダとどう違うのかも僕にとってのみどころのひとつ。

 群衆たちが登場すると、熱気と風圧を感じる。最前列で観ることの醍醐味は、役者さんたちの息づかいが直に伝わってくるところだと思う。その迫力というのは、やはり格別だ。

 金田俊秀さんのジーザスが登場する。これまた初めて観るジーザスだ。先代の柳瀬大輔さんのジーザスと比べると、全体的に硬い印象。まだこのジーザス・デビューから間もないということもあるのだろうが、ちょっとしたぎこちなさは、それはそれでジーザスという青年をうまく表現しているようにも思えた。そしてとてもいい声だ。よく通る。長身で、これだけの声量があれば、ジーザスのカリスマ性を十分体現しているといえる。

 高木美果さんは、お正月に観た「ウエストサイド物語」でマリアを演じていた。そして今日の「JCS」ではマグダラのマリア役。これまたソプラノが素晴らしい。透明感が高く、どこまでも伸びやかな歌声。

 そして金森ユダは、芝ユダと比べるとパワーこそないが、苦悩に満ちた表情は実に真に迫るものがある。独特の歌声はもちろんいいのだが、それ以上に芝居で魅了するユダだ。

 「JCS」は休憩時間がなく、場面場面のつなぎも早い。スピード感のある舞台だ。ジャポ版は、笙とかの音が入ってはいるものの、疾走感はエルサレム版と変わらない。その流れのなかに、「今宵安らかに」「ゲッセマネの園」「スーパースター」をはじめとした珠玉のナンバーが並ぶ。この3曲は、マリア、ジーザス、ユダの魅力を存分に伝えるものだった。とくに「ゲッセマネ」の金田ジーザスと、「スーパースター」の金森ユダは、もう鳥肌ものだったなあ。

 ラストシーンまで、一瞬たりとも緊張感が途切れることなく、舞台の上に釘付けになって観た。それだけにカーテンコールの満足感もこのうえない。東京で観るのとは違った形で大いに楽しませてもらった。

 観終わった後で、これまではずっとユダを追いかけて観てきたのが、今日はずっとジーザスにシンパシーを抱きながら観ていたのに気づいた。以前観たときとは自分の立ち位置が変わったということもあるが、トシを取ることでみえかたが変わってきたのだろう。よく、何で同じ作品を何度も観るの?と聞かれるのだが、その答えのひとつは、トシを重ねることで同じ作品からでも感じ取るものが違う、ということだと思う。

 存分にミュージカルの原点の魅力を堪能した。帰りの車中でも、運転しながらナンバーを口ずさんでいた。今週は東京でもアンドリュー・ロイド=ウェバー作品を観ることになっている。こちらもまた楽しみだ。

7月31日(木)曇:「人間になりたがった猫」

2008-08-01 19:16:27 | 舞台
 8時半起床。今日は車で大学へ。新調したサングラスの力は晴れた日もさることながら曇った日により発揮されるようだ。視界が広くなったような印象を受ける。

 今日もデータ入力の作業をお願いする。ワークシートがかなり文字で埋まって、端からみていてもかなり進捗したことがわかる。

 昼休みを過ぎたところでスコーラムに昼食を摂りに行く。人文学部の社会学のH先生、Y先生、民俗学のY先生がいらしたので、ご一緒させていただく。一昨日の試験日の勘違いの話しはH先生からY先生に伝わっていて、頭をかく。Y先生は連絡ミスとおっしゃっていたが、いやそうではない。単なる僕の勘違いだ。

 3人の先生がお帰りになった後も、僕は残って『磯崎新の「都庁」』を読む。2時を10分ほど過ぎたところで「社会学の基礎」の試験監督に行く。監督をしながらも、やはり気になるのは僕の問題をどれくらい選択しているかということ。印象としてはもう一人の先生の問題を選択している人も割と多いように感じられた。

 試験が終了して枚数をカウントすると144枚。受験者は203人だから、金曜日と比べると割合はぐっと下がった。両方合わせて370枚を採点することになる。一応の期限は1週間。何とかなるだろう。

 研究室に戻ると3年のゼミ生2人が来ていた。夕食をどうしようかと話し合う。ミュージカルが始まるのは6時半で、5コマの試験を受けている2年生が研究室に来るのは5時半過ぎ。あまり余裕はない。僕のほうでサンドイッチを買ってくることにする。こういうとき、大学の前にあったマルエスの閉店が実に痛い。車で7,8分ほど走ったところにあるユニバースまで買いに行った。再度研究室に戻ると全員揃っていて、少し急ぎながら食べる。食べ終わったところですぐに市民会館に向かって出発。

 昨年は「夢から醒めた夢」が弘前にやってきたのだが、今年は「人間になりたがった猫」。子ども向けのファミリーミュージカルだ。

 昨年と同様に、開演前の市民会館の入口からロビーのあたりは独特の熱気がある。たくさんの人がこの公演を楽しみにしていたことがわかる。われわれは仮設の最前列に座る。舞台のほうが高いので、目線は上になるけれど、役者さんの生声を聞いたり、ダンスによって生じる風を感じるにはここがいい。飛び散る汗の多さに、とくに今回初めて間近で舞台を観る2年生は驚いたようだ。

 物語は、森に住む猫ライオネルが、ご主人である魔法使いステファヌス博士の魔法で人間にしてもらい、2日間の約束で町に出て、人々と出会い、人間のずるがしこさや優しさを知り、やがては恋をする、というお話し。少しずつ動物から人間になっていくのだけれど、それでもライオネルは、どこまでも純粋であり続ける。

 主人公ライオネルを演じるのは上川一哉さん。ダンスのキレが素晴らしいし、歌声もしっかりしている。それにライオネルの純真さがとてもよく似合う。猫としての動きもばっちり。

 脇を固めるベテランの役者さんは豪華だ。ステファヌス博士の種井静夫さんは、「CATS」や「オペラ座の怪人」で美声を聴かせてくれる人。それが今回は気難しそうな博士を演じるのだが、ちょっと太めの体型もあって、実にお茶目。要所要所で笑いを取っていた。とってもいいキャラクターだ。魚屋のトリバーははにべあゆみさん。いかにもきっぷのいいおばちゃんといった感じ。お医者さんのタドベリ先生は岡本隆生さん。知性を感じさせる落ち着きのある美声は変わっていない。

 スワガードの川原洋一郎さんは、陰険な悪役スワガードを、実にコミカルに演じている。一番笑いを取ったのはスワガードだ。これはかなりおいしい役どころ。最後にはちゃんと改心するしね。

 そしてヒロインである小川美緒さんは、お人形さんというか、お姫様というか、実にかわいらしいジリアン。「オペラ座の怪人」でメグ・ジリーを演じているだけあって、ダンスが実にきれい。ライオネルとペアで踊るシーンなどはとてもよかった。

 中堅から若手まで揃ったアンサンブルも素晴らしかった。劇団四季のよさは、このアンサンブルの充実度だということがゼミ生のみんなにもわかってもらえたようだ。

 それにしてもみんなの衣装のデザインがずいぶんと凝っているなあ、と思っていたら、森英恵デザインと知って納得した。幕間に2年生に「モリ・ハナエって知ってるかい?」って尋ねたら、即座に「森泉のおばあさんですよね」と返ってきた。そうか、今はそんな風に認知されているんだな。
 
 舞台の終わりとカーテンコールでは舞台上に字幕が出て「すてきな友達」という曲を歌うことになっている。もちろん僕もちゃんと歌ったさ。

 ロビーに出ると、役者さんたちが待っていて、握手をしてくれる。アンサンブルの役者さんたちなんて、「楽しかったです」というと、「よかったです~ありがとうございました!」と返してくれる。僕もすっかり調子に乗ってあちこちで握手してもらったが、子どもたちにはいい思い出になっただろうな。ジリアンは近くでみてもやっぱりお人形さんのようで、出口のところにいたライオネルは舞台上と変わらぬ好青年だった。スワガードの川原さんは素のおじさんになっていたのがこれまた面白かった。

 前に一度、NHKで放送されたものを観たことがあるのだが、実際に観てみるとそのときの印象よりもずっとずっと面白かった。きわめてシンプルな作りではあるが、それだけに訴えかける内容はよく伝わる。子どもだけでなく、大人が観てもちゃんと楽しめる作品だ。

 駐車場に戻るまで、それから車に乗り込んでからもしばらく感想をみんなでしゃべる。みんなには楽しんでもらえたようでよかったよかった。前期最大のゼミ行事はこれにて終了。同時に前期授業も終わり、明日からは夏休みだ。
コメント (2)

7月19日(土)晴:「Wicked」

2008-07-20 01:37:19 | 舞台

 7時起床。朝食を摂り、急いで出かける。

 バスで昭島駅へ。いつの間にか立川バスでもSuicaが使えるようになっていた。青梅線、中央線、南北線と乗り継いで永田町へ。目標としていた朝イチとまでは行かなかったが、国会図書館に着く。

 今日みようと思っていた史料は2点で、ワンサイクルで終わる作業。いつもより早く出てきた。コピーの量もそう多くはなく、思った以上に早く片づいた。バスで新橋に出る。ちょっと寄り道をしてから有楽町へ。

 丸ノ内線銀座駅構内のカフェカプシーオ・トーアコーヒーでチーズスティックとアメリカンコーヒー。半ば儀式となっている定番メニューだ。

 予約を入れていたタニクリニックに行く。今日の待合室は混んでいた。持参した田中利幸『空の戦争史』(講談社現代新書)を読む。欧米の爆撃思想史とでもいうべき内容の本。アメリカが現代においても振りかざす「精密爆撃」(ピンポイント爆撃)があくまで理想に過ぎないということ、および爆撃が戦争の早期終結の手段であるという見解が歴史的にみて当を得ないこと、といった議論にハッとさせられる。思想史の分析としてはきわめて冷静でありながら、それでいて強烈な戦争批判の書になっているところが素晴らしい。こんな内容のものが新書で読めるとは、うれしいことだ。

 診察のほうは格別問題なく、1ヶ月分の漢方と頓服を処方してもらう。ビルの表に出ると、日差しがまぶしい。アスファルトの照り返しの暑さもどこか懐かしく感じられる。有楽町ビルの1階にある「茶らく」というお茶漬けの店で、冷汁膳を食べる。宮崎名物の冷汁とショウガ焼きのセット。暑い日にはぴったりのさっぱりとしたメニュー。ちゃんとした定食系は重いし、かといって麺だと物足りないし、という今日にはちょうどよかった。

 しばらく周囲をぶらつく。普段表側(第一生命側)ばかりが注目されるDNタワーだが、裏側(農林中金側)もなかなかどうして、美しい出で立ちである。僕の好みは表側より裏側のほう。両方とも、同じ渡辺仁の設計によるもので、この人の多才ぶりがよく伝わる建物になっている。

 いつもの床屋さんに散髪に行く。朝方母に夏なんだから短くしたら、と勧められたのだが、天の邪鬼ゆえさほど短くしないことにした。実はどうしようか迷っていたのだが、ラム・タム・タガーよろしく「忠告なんてそいつはご無用」な気分になったのだ。何もいわれなかったら短くしていたと思う。

 洗髪してもらっている間、ベイスターズファンの理容師さんと野球談義。現状を嘆いておられたが、わがライオンズとてうかうかしていられないのだ。

 歩行者天国の銀座通りに出る。「伊東屋」や「山野楽器」を覗いてから、新橋方面に向かって歩く。四丁目の交差点の和光は、全面的な改装を行っている最中で、ネットで保護されていた。シンボルである時計台も覆いがされている。

 銀座四丁目の交差点を過ぎると、先日雑談の中で話題に出た、銀座のユニクロの前に差しかかる。

 何となく、普段利用している弘前のユニクロと比べると敷居が高いような感じがする。

 カレッタ汐留に到着。上を見上げると、「サイバーパンク」というか、妙に安心感を覚える光景に出会う。

 なんだか大巨人が映っているかのよう。

 電通四季劇場・海に到着。先の寄り道は、劇団四季の「Wicked」の当日券を買うためであった。幸い、2階のど真ん中、しかもかなり前方という良席を確保することができた。

 この舞台を観るのは初めてだ。開幕してから1年以上経っているというのに。しかも主役のエルファバは、昔からの大ファンである濱田めぐみさんが演じる。ずっとずっと観たいと思っていたのだが、東京への出張とチケットの取れる日がなかなか重ならなかったのだ。

 「マンマ・ミーア!」と「オペラ座の怪人」を観に通ったこの劇場も久々だ。舞台の上に鎮座するドラゴンがひときわ目を引く。いつも以上に期待に胸ふくらませながら開演を待つ。

 シャボン玉に囲まれて天から下りてくる「よい魔女」グリンダを演じるのは西珠美さん。この人を観るのも初めて。透き通ったような美しいソプラノを聴かせてくれる。そしていかにも快活で、善良で、ちょっと抜けたところがある感じがとてもいい。「オペラ座の怪人」のクリスティーヌ役でも高い評価を受けているのがよくわかる。

 エルファバの出生の秘密を経て、いよいよ濱田エルファバの登場。待ちこがれた瞬間だ。外見にコンプレックスを持ち、しかし優等生であり、ひねくれた性格の持ち主。グリンダとは対照的なキャラクター。

 天然系のお嬢様と地味な優等生の邂逅から、物語は展開していく。反目しあう2人が徐々にうち解けていく様は、ちょっと急ぎ足だけれど、微笑ましい。その合間には華やかなダンスシーンがインサートされている。見た目にとても美しい舞台だ。

 しかし2人の友情は、転入生フィエロの存在によってゆらめき、そして大人たちの思惑の中に巻き込まれていく。少しずつ重苦しさが支配していく。そして最後にエルファバが自らの決意を歌い上げて1幕は終わる。この前半のラストを飾るナンバー、「Defying Gravity」には鳥肌が立った。これこそ濱田さんの真骨頂というべき圧倒的な歌唱力と迫力。舞台の前半だけで涙が出たのはこれが初めてである。

 2幕になると、物語はますます悲劇性を帯びていく。エルファバの孤独は一層深まり、愛する者との別れが重なる。逆境のなかでも冷静さを失うことなく、強く生きようとするエルファバと、心の底では案じながらも自らに科せられた役割を全うしようとするグリンダ、いずれもが切ない。

 大詰めとなるところで、エルファバとグリンダとが、それぞれの生きる道を歌い上げる「For Good」も実に美しい。濱田さんと西さんとが奏でるハーモニーは強く強く心を打つ。そして最後に、悲劇のなかにいくらかの救いがみいだされ、そして「オズの魔法使い」の物語へと続く流れが余韻として残る。

 想像以上に素晴らしい舞台だった。もっと早く観るべきだったと思った。何よりも濱田エルフィーと西グリンダのすごさに尽きる。いずれの役も、演技力もさることながら、何より歌唱力に優れていなければならない。とくに西珠美さんの歌声にはすっかり魅了された。かわいらしくもあり、美しくもあり。そして濱田さんの力強い歌声を全身で感じるのは、僕にとってはまさに至福のとき。この余韻をできるだけ長く保っていたいものだ。

 考えてみると、エルファバ、グリンダ、フィエロの3者の関係は、「アイーダ」のアイーダ、アムネリス、ラダメスの関係にちょっと似ている。女性2人と男性1人の三角関係というのは、物語として作りやすいのだろうか。いずれにせよ、お気に入りの作品のなかに「Wicked」は確かに加わった。

 終演後はカレッタ汐留地下2階の「百豚」という店で若豚とんかつ膳を食べる。量は少なめだが、厚手で、それでいてやわらかいとんかつは実にうまかった。

 僕にとっては、劇場の座席に身を預けているときが最も幸せな時間である。劇場で舞台を観ながらの最期というのが、究極の理想である。そして今日の終わりに、これだけは書いておかねばならない。

 濱田めぐみは、最高である。

コメント (2)

7月10日(木)雨時々曇:劇団プランクスター「dis-dream」

2008-07-13 14:05:35 | 舞台
 8時起床。シャワーを浴び、シリアルの朝食を食べ、9時半に間に合うように出かける。雨が降っているので傘を差して歩く。途中立ち寄ったコンビニで『週プロ』を購入する。

 9時半を過ぎてもデータ入力の学生さんはやってこない。10時になって「今日は来られないのですか」とメールしたら、10時半になってやってきた。

 今日の午前中は仕事に追われる。授業のプリントを刷り上げたところで昼休みはもう終わりそうだ。生協の出店の弁当を冷蔵庫に押し込んで、おやつにと思って買ったパンをかじって研究室を出る。

 3コマの「社会学概論」は今日が授業の最終回。来週は社教主事講習でお休みになるので。現代社会におけるリスクの増大がテーマ。このときばかりは大学院まで行ってなかなか食えなかった自分の経験が役に立つ。「自虐ネタが一番面白い」と学生さんにいわれる僕の授業の真骨頂(?)である。授業評価アンケートを書いてもらっている間、BGMとしてMr.Childrenの「雨のち晴れ」を流す。

 4コマの「公民演習」に入る前に冷蔵庫の弁当を急いでかき込む。腹ごしらえをして落ち着いたところで『社会学入門』の4章を読む。新聞に投稿された短歌から「愛」「自我」の変容を読み取るというのは見田宗介さんならではである。誰にもできない名人芸。ヘタに真似るととことんつまらないものになってしまう。

 5コマの時間、「地域生活調査実習」のテーマ発表(それぞれの担当の先生の調査テーマが書かれたプリントが配布される)に顔を出して、僕のところは厳しいので来ないでね、とネガティブキャンペーン(?)を張ってくる。

 6時15分に学生会館3Fの大集会室に行く。一昨日から劇団プランクスターの旗揚げ公演「dis-dream」をやっている。3日間の公演の千秋楽を観ることになった。

 前から2列目の席に座る。暗幕で囲われた部屋は暑い。なにしろクーラーはないし、窓を開くと音楽サークルの練習の音なんかで騒々しくなってしまうからだ。受付でもらったパンフレットに目を通す。「Special Thanks」のところにはちゃんと僕の名前も書いてあった(顧問だからね)。義理堅い人々である。僕の真後ろで、「ここに名前の書いてある先生って誰?」「ほら、『社会学の基礎』のコスプレの先生だよ」という会話が聞こえたので、振り向いて「こんにちは。顧問の高瀬です」といったら、びっくりされた。そりゃそうか。

 開演前の口上を、脚本を書いたUさんが務める。研究室に来たときに何度も話していたのだが、別人のような美しい発声である。日常生活と芝居のときとはモードが違うんだなあ。

 お芝居は、別れのときを迎えた2人のカップル(いずれも大学生)の会話から始まる。男性のほうは別れを悔いて、やり直すことができれば、と考える。そこに未来と引き替えに過去をやり直すことを勧める業者(?)が現れて…といった形でストーリーが展開する。

 普段から接している学生さんたちの芝居だから、何だか不思議な感じだ。いつも教室使用願の書類にサインをもらいにくる、代表のO君なんかは、画に描いたような好青年であるにもかかわらず、今日の役どころはヒゲ(ハゲ)男爵である。Nさんは、団員の皆さんで挨拶に来てくれたときにはやはり真面目な印象を受けたが、コミカルなキャラクターが実におかしい。

 序盤はネタがことごとくスベってどうなることかと思ったのだが、徐々に熱が入ってよくなってきた。Uさんも女医さんの役で一場面だけ登場。立ち姿が実に美しく、ここだけでも存在感は際立っていた。真矢みきみたいな感じだったなあ。

 終盤にかけては、もうやたらと熱くなっていく。学生さんたちなら、引き込まれるだろうなあ。僕なんかは、ちょっと気恥ずかしくなってしまうのは、やはりトシを取ったということか。

 それでも、一切科白を言い違えることなく、情熱的な場面を演じきった役者さんたちの技量は大したものである。とくに中心人物である4人は素晴らしかった。はっきりいって期待以上だった。最後がハッピーエンドで締め括られるのもよし。

 ひとつ注文をつけるとしたら、タイムスリップした際の変化を、観る側がただちに理解できるような工夫があればよかったと思う。ただし、音響などは完璧だった。携帯電話の着信音をテープで流すのだが、役者の操作と音の流れるタイミングなどはバッチリである。裏方さんもきちんと仕込まれているのがよくわかった。

 背伸びをすることなく、地に足をつけて、しっかりと作り込んだという印象をもつお芝居だった。旗揚げ公演でこれだけのものをみせてくれるのなら、今後がますます楽しみである。出口のところで代表のO君とUさんとがっちり握手をして集会室を出た。

 外は雨が落ちてきた。自転車でも移動できなくはないが、これからもっと降りそうだから、車で動きましょう、ということで、アパートまで歩き、車で鍛冶町へ。「おしゃべり」に行く。この間観た劇団マップレスの舞台との比較なんかも交えつつ、感想をしゃべる。四季劇場とか帝劇で舞台を観て、その後ゆっくりディナーを楽しむなんていうことは、こっちでは到底かなわないことだけれど、気のもちようでは、それっぽいことはできないわけではないなあ。今夜の舞台は面白かったし、食事もおいしかったし、おしゃべりも楽しかったし。

6月29日(土)晴:「たとえば野に咲く花のように」

2008-06-29 01:21:26 | 舞台
 目が覚めたのは11時半だった。メールチェックを済ませると、パスタとサラダの朝食兼昼食。冷蔵庫に1本残っていたバナナを食べる。

 部屋の床が埃っぽくなってきたので、掃除機をかけ、拭き掃除をする。床に散らばっていたものを片づけた(というより「寄せた」といったほうが正確だ)ら、幾分部屋が広く感じられた。

 ドラマ「CHANGE」をみる。今日は何やら通常の回と、「いいでば!英語塾」を挟んで15分拡大の回とを続けてやっていた。キムタクの総理がなんとなくそれっぽくなってきたのが面白い。

 BS1のライオンズ-マリーンズ戦の中継をみる。今日からライオンズクラシックと銘打って西鉄ライオンズのユニフォームを着用してのゲーム。豊田泰光さんが始球式を務めた。先制したものの、リードを許したところで大学へ。今日中にどうしても片づけておきたい仕事がひとつ。試合は投手陣が崩壊したライオンズが大敗。明日何としても巻き返してもらわないと、西鉄のユニが因縁のユニと化してしまう。

 6時半に土手町へ。瓦ヶ町に車を停め、スペース・デネガへ。うちの大学の演劇サークルである劇団マップレスの「たとえば野に咲く花のように」を観る。プロの劇団も使うアトリエを借り、パンフレットもちゃんと作成した堂々たる公演である。昨年僕が担当した鰺ヶ沢の調査実習のメンバーだったKさんが制作を担当している。有料公演ゆえ、僕もちゃんとチケットを買わせてもらった。観るほうも結構気合いが入る。

 舞台は朝鮮戦争の最中の、日本のある町のダンスホール。頭上には戦場へと向かう飛行機の爆音が轟き、店には祖国に帰ることもままならない朝鮮人の姉弟がいる。戦時下で朝鮮人でありながら憲兵を務めた弟は、過激な運動に走り、姉(満喜)は戦死した恋人を思いながら暮らしている。そこにライバル店のダンスホールの経営者の男(康雄)が現れ、康雄は満喜に夢中になる。しかし、満喜は康雄を受け容れない。そして康雄の婚約者は、愛憎の火に身を焦がす、といった感じでストーリーが展開する。

 愛する者に愛されないという関係性がもたらす、ひとつの悲劇である。ギリシア悲劇のアンドロマケを、鄭義信さんが翻案したお芝居とのこと。昨年七瀬なつみさんと永島敏行さんの主演で新国立劇場で上演されている。つまり本格的なお芝居なのだ。テーマ自体も重く、難しい。

 何よりもこういった真面目なお芝居に真摯に取り組んでいる姿勢がとてもよかった。科白が多少稚拙だったり、大人の感情がことばに載っていかないのは仕方のないところ。それぞれが一生懸命に演じているのが伝わってきた。かなりの長科白の場面もあったが、きちんとこなしていた。

 弘前劇場の影響を強く受けている劇団だけあって、そのテイストを随所に感じられたのは面白かった。同時発話だったり、ものを飲み食いしたり(すいかとかビールが登場した)。この辺はこの劇団ならではの演出なのだろう。

 昔の時代を演じることの難しさを感じたのは、1950年代の風合いを演技でどう出すかというところである。あの時代の猥雑さや翳りといったものを、科白以外のところでいかに表現するか。演じている学生さんたちにとって、おそらくもっともリアリティのない時代であろう。そのあたりがうまく消化できていたら、もっといい芝居になったはずだ。

 チケット代の価値は十分にあった。約90分の舞台だったが、飽きることなく楽しむことができた。出口のところでにこやかにお客を見送っている役者さんたちは、確かに学生さんの顔になっていて、先ほどの舞台の上での表情とのギャップが微笑ましかった。

 デネガから歩いてすぐのもつ焼きの「もつべえ」に入る。満席だったのを、何とかカウンターの席を空けてもらって座ることができた。舞台の感想などをしゃべりつつ、もつを突っつく。ここのもつは新鮮で臭みがないのがいい。

 今日の舞台を観ても思ったのだが、うちの学生さんにも相当に光る可能性をもった人がいる。それをどうやって見いだして、支えてあげられるか、まだまだ新米の僕にはわからないことが多いが、できる限りのことをやって、何とかしてあげたいという思いはある。

 それに最近になって、今の環境がそれまで以上にいいものだと思えるようになった。それはひとえに新しい仲間が増えたことによっているのだが、あれやこれやと試してみて、その中から次に、その次にとつながるものを見いだせたらいいと思う。

 なかなかのお芝居を観て、うまいものを食べて、とぜいたくな週末を過ごしている。

6月22日(日)雨(東京)→曇(弘前):CATS6996

2008-06-24 01:19:57 | 舞台
 8時起床。昨日母が買ってきた「萌留珠」のカレーパンを食べる。実家にいたころにはこのお店のパンが大好きでよく食べた。揚げていないカレーパンなのだが、中のカレーの味が実にうまい。

 父に昭島駅まで送ってもらう。中央線で東京駅へ。まずはコインロッカーを探す。主だったところのロッカーは満杯で、同様にロッカーにあぶれた人々と、どこか空かないか目を走らせながら、結局諦めて八重洲口の地下改札口を出る。自動改札機からきっぷを取ったとき、見慣れた文字が目に飛び込んできた。



 積極的に宣伝しようという大学の姿勢は立派だと思うが、しばらく忘れていたかったので、ちょっと気分は台無しだ。

 ようやくみつけたロッカーに荷物を詰め込んだ後、山手線に乗って大崎へ。傘を差しながら、キャッツシアター東京まで歩く。今回はミュージカルを観る予定はなかったのだけれど、ふいに観たくなったのだ。当日券売り場に行ってみると、残席ありの表示。窓口の方に勧められた席を断って、2階の通路側の席にしてもらう。

 チケットを確保した後、劇場から五反田駅に向かう道の途中の「広州市場」というラーメン店に入る。「CATS」のチケットを提示すると餃子が無料サービスになるそうな。野菜タンメンと餃子を食べる。ラーメンと熱さと、梅雨の湿気とで汗だくになる。

 劇場に戻る。もうすぐ上演回数7000回を迎えるとのことで、メモリアルポスターなんかが飾られている。「CATS」は10回くらいは観ているはずなのだが、そうすると10/7000か。あんまり大したことはないな。割合ということでいえば、「Crazy For You」か「contact」のどちらかになると思う。



 「CATS」のいいところは、どんな席に座っても、様々な楽しみ方ができるということ。1階の回転席はもちろんだが、2階席だと舞台全体が俯瞰できて楽しいし、後ろのほうでもちゃんと猫たちはやってくる。それにしても、2階席は結構空席が目立つ。以前ほどの勢いはなくなっているのかなあ。

 パンフレットを買い、キャストシートをもらって座席で眺める。昨年も7月に観ているのだが、同じ出演者はほとんどいない。それだけ役者さんたちの入れ替わりも多いということなのだろう。

 「オーヴァーチュア」が流れ、やがて暗闇の中に目の形をした電灯を明滅させながら猫たちがすぐ近くを駆け回り出すと、始まった、という実感がわく。そして「ジェリクルソング」になると一気に気分が昂まる。ああ、「CATS」に求めるのはこれだ、と思う。

 昨年観たときのキャストと比べると、やや大人しい感じがする。あのときには阿久津陽一郎さんのラム・タム・タガーに新鮮な驚きを覚えたが、金森勝さんのタガーは控えめだ。飯田洋輔さんのバストファージョーンズは歌がとても上手。2幕のアスパラガス=グロールタイガーへの期待もここで高まる。ジェリーロラム=グリドルボーンの金平真弥さんは、この役をきっちりと演じている。歌もいい。そしてグリザベラの奥田久美子さんは、歌唱力そのものは他の役者さんに譲るかもしれないが、十分な哀歓が歌に乗って伝わってきた。

 カーテンコールでは、通路を上がってきたヴィクトリアと握手する。「CATS」を観るときにはやはりこれがなくては。昨年もヴィクトリアと握手をしたから、ほぼ同じ席に座ったということか。

 今日は7000回達成目前ということで、通常のものに加え、スペシャルカーテンコールがある。いくつかのナンバーに乗ってのコーラス、そして天井からぶら下がったロープをお客さんの1人が引っ張ると、「6」「9」「9」「6」の数字が下りてきた。金森タガーによるご挨拶もある。こういった記念の回の観劇は初めて(千秋楽は何度かあるが)だが、楽しいものだ。チケットが売れるというのもわかる気がする。

 ああ、やっぱり来てよかった。外は相変わらずの雨降りだったけれども(昨年も雨に降られた。まあ同じ梅雨時だったから)、気持ちのほうはうんと晴れた。何もなく帰っていたら曇ったままだったろう。


 
 五反田から山手線で新宿に出る。「エディー・バウアー」で服を買う。ネットでも買っているが、会員全品30%オフとあらばトクである。店員さんに色の組み合わせなんかをコーディネートしてもらった。

 新宿高島屋地下の「ノリエット」でマカロンを買う。これは明日の食事会のおみやげに。

 「ウインズ新宿」に寄って、この間のNHKマイルカップの当たり馬券を払い戻しする。閉館ぎりぎりの5時に何とか間に合った。 

 中央線で東京駅へ。「大丸」の8階にある「イノダコーヒ」でコーヒーを飲む。やはりここのコーヒーは僕にとっては一番のお気に入り。あまり時間はなかったが、香りと味を楽しむ。研究室で飲むためのもの、おみやげ用のものを買う。東京のみやげが京都のコーヒーというのも変だが、おいしければそれでよい。

 コインロッカーから荷物を引き出す。結構な大荷物になってしまった。新幹線で戻るときの例によって、「GRANSTA」の「新宿アカシア」でロールキャベツ弁当を買う。両手いっぱいの荷物を抱えて、「はやて」29号に乗り込む。お弁当が冷めないうちに食べる。お店で食べるのには及ばないが、好きな味だ。

 食後は「白い船」のDVDを観る。ここでも何度か触れているが、僕にとってはNo.1の邦画作品である。大滝秀治のひいおじいさん、中村嘉葎雄のおじいさん、そして孫との絆が素晴らしい。れいんぼうらぶを追いかけて漁船が集まり、船の上から、そして岸壁から力いっぱい人々が手を振っているさまには何度観てもこみ上げてくるものがある。

 八戸駅で社会科教育のI先生とお会いした。弘前駅からご自宅まで大学に寄るついでにお送りする。お礼にと奥様からお手製のケーキをいただいてしまった。恐縮するばかりだったが、帰宅して早速おいしくいただいた。

 キャッツシアターの入口でもらった「大入り袋」を開いてみる。中にはグリザベラが描かれたチャームが入っており、裏面には今日の公演回数「6996」が印字されている。しばらくは劇場の興奮と感動を反芻しながら、次なる機会を励みにやっていくことにしよう。







1月6日(日)晴(東京)→小雪(弘前):「ウェストサイド物語」

2008-01-07 17:57:15 | 舞台
 朝8時半に起きる。この1週間を顧みれば、早起きの部類。4つの荷物のうち、2つは宅急便で送ることにし、残り2つを持って父に昭島駅まで送ってもらう。年末年始は本当にゆっくりくつろがせてもらった。本来ならあれこれ家の手伝いなんかをしなければならないところ、散歩に出たり本を読んだり、気ままに過ごすことができた。目にみえないところでの様々な配慮には感謝したいと思う。

 新宿で下車して、エディー・バウワーのショップに寄る。村山の店舗でも買い物をしたが、新宿の店はジャケットなんかも充実している。しかもウィンターセール中。「タカセさんはそれなりにいいものを着ているけど、いつも同じ」とのファッショセンス溢れる同僚(こんな遠回しないいかたをしてもすぐに誰だか特定できそうなものだが)からの指摘を受けて、ジャケットを2着買う。いずれも半額近く値下がりしている。今すぐに着られるものと、もう少し暖かくなってから着られるもの。プロ野球の先発ローテーションくらいの頭数は揃った。

 それにしてもいい天気だ。見上げるとゆったりと飛行船が飛んでいる。ますます戻りたくないなあ、という気分が募る。



 新宿駅南口近くの「かのや」でかのやうどんを食べる。何の変哲もない立ち食いそば屋(といってもイスはある)だが、化学調味料を使わない自然な味が好き。漫画家の吉田戦車もエッセイでお気に入りだと書いていた。

 浜松町駅で音楽家のI先生、人文学部のH先生と待ち合わせる。帰りがけに劇団四季の「ウェストサイド物語」を観ようと約束していた。客席はほぼ埋まっている。僕にとっては定番のB席で観る。

 今日はマリア役が高木美果さん。昨年観たときの笠松はるさんよりも歌唱力は上だと思う。高音の伸びが素晴らしい。ただ、どうにも日本語の台詞のイントネーションが不自然だ。プエルトリコからの移民なのだからことばがたどたどしいのはそういう演出なのだ(もちろん実際にはそうではない)と思いこむことにする。

 ベルナルド役の望月龍平さんは、加藤敬二さんよりも「年相応」な感じではあるが、ギラギラとした存在感はない。お芝居の上手い人だけに、ちょっともったいないような。

 幕間にI先生に感想を聞いてみる。音楽家の目からみると、相当に物足りない感じがするのではないか、と少し恐れていた。まずおっしゃっていたのは、歌唱力が足りないということ。あれだけ数多くのダンスシーンが散りばめられていながら、音楽的にはオペラに近いのだそうだ。それだけ高度な作品なのだ。僕などは、これまで観てきたミュージカルの延長線上にしか捉えられないから、細かい技術的なポイントなんかを指摘していただくと、なるほど~と感じ入るばかりである。

 先生によれば、50年前の舞台という、作品の背景を理解することもとても重要とのこと。若い役者さんが多い中で、どこまでリアリティーをもてるかというのは、確かに難しいところだろう。とくにオリジナル演出にこだわった、と強調されている今回の公演に関しては。

 H先生とは、若者問題という文脈で話す。ミュージカルは意外と社会問題に想を得ているものが多いよねー、というのは確かにそうだ。貧困とか人種差別とか、賃金格差とか、この作品の中に登場する社会問題を挙げていったら片手では足りまい。

 2幕はマリアの台詞が少なく、歌が多かった分、かなり安定した舞台になっていたように思う。団こと葉さん演じるアニタはこの間観たときと同様にとてもいい。今日のキャストの中では一番ハマっていると思う。後で語っておられたのだが、I先生はベイビー・ジョーン役の厂原時也さんの演技を絶賛されていた。まだそんなに知名度が高いわけではない。それでもわかる人にはわかるんだなあ。今後に期待してみよう。

 終演後、浜松町駅からモノレールで羽田空港に着くまで、あれこれ感想を話した。批判も含めて、これだけ長くしゃべれるというのは、音楽の専門家(I先生)、実際に演じた経験をもつ人(H先生)とご一緒したからこそである。純粋に舞台を観ることよりも、その後の歓談のほうが面白いことだってあるのだ。その意味では、この機会にこのメンバーで観られたのはとてもよかったと思う。

 帰りの飛行機が出発するまでに少し時間がある。I先生とH先生はそれぞれ別のラウンジへ。メンバーシップのない僕は、H先生のほうに連れて行ってもらう(同伴者は1名までOKらしい)。飛行機を利用し始めの僕には、こんなところがあったのか、というある種の別世界だ。

 窓際のソファーに座ると、窓から富士山が望めた。



 この日は相当に空気が澄んでいて、いつもより遠くから富士山を望むことができたらしい。

 H先生とゼミの話題になる。レジュメをどのように作らせているか、ちょっとした取材。レジュメの作り方には先生ごとのこだわりがあって、しかも僕自身作るのがあまり得意ではないから、教えるのはとても難しい。何しろ僕はレジュメの作り方など教わってはいないのだ。

 僕のゼミでは、文献の要約だけでなく、論点提出的なコメントも書いてもらうようにしている。要約担当者以外にコメント専門の担当を設けることもある。H先生はコメントを書かせることはあまりされないそうだ。思考の前提となる知識が備わっていないと、安っぽいコメントしか出てこないということだそうだ。それはそれで理解できる。

 ハーバーマスとかルーマンなんていう難しい本を読んで、無理矢理コメントをひねり出そうとしても、学生さんにはしんどい作業というだけで終わってしまう可能性はある。僕のゼミでは、そういった難しい本を読むことは滅多になく、しかも教育社会学系の本だと、「体験」や「教員指向」といったものをベースにある程度のコメントを書くことはできる。結局のところ、読む文献次第ですかねえ、といったところに落ち着く。

 今年はこんな風に研究をやってみるつもりです、なんていう大仰な話しもしてみる。研究がどのような方向性を切り開くものであるのか、甚だ心許ないけれども、話したいことを話させてもらって、とてもすっきりした。迷いもある程度は吹っ切れたように思う。僕なりに、一応の答えというものをみいだすことはできたし。

 飛行機は問題なく飛んで、定刻よりほんの少し遅れただけで青森空港に着く。空港の建物を出たが、思ったほど寒くはない。気温は0℃だが、風はない。雪も降った形跡はあるものの、道路は凍結しておらず、順調に走って弘前に着いた。

 夕食は「Cherry's Bar」で。H先生はお疲れとのことで、そのまま帰宅された。I先生と、4年生のお弟子さん3人と飲む。今日は僕もちょっとくたびれて、早く帰りたかったのだが、ワインのボトルが次々に空いていく。空になったところでお開きに、と思っていたのだが、うまい切れ目とならず、学生さんたちを送って帰宅したのは結局2時半近かった。ポストにたまっていた年賀状をようやく取り出す。どうやらこちらから出していない方にはこれからは出せそうにない。この場を借りてお詫び申し上げます。

12月1日(土)晴:「ウェストサイド物語」

2007-12-02 01:30:22 | 舞台

 朝8時半起床。朝食を摂ってから昭島駅に送ってもらう。青梅特快に乗って東京駅へ。そこから有楽町までひと駅。地下鉄銀座駅構内にある、「カフェ・カプシーオ トーア」でアメリカンコーヒーを飲む。

 地上に出ると、なんだかやけに長い行列ができている。警備員までいて、ちょっとものものしい。

 好奇心からそのまま列をたどって歩いてみると、年末ジャンボの売り場に並ぶ人々だった。とくに一番売り場に人気が集中しているらしい。ずいぶんと行ったところで、ようやく「30分」の看板が出ていた。ほとんど半日仕事である。東京ならではの光景だ。

 ふた月にいっぺんのタニクリニック通い。今日はいつも診てもらっている院長先生が出張で不在で、若い医師が臨時で担当だった。クリニックから予め電話があって、予約を変更してもよいとのことだったが、そうそう東京に帰れるわけではないから当初の予定どおりにした。おかげでいつもとは比べものにならないくらい空いていた。

 お昼はどこで食べようか、ちゃんと決めずに有楽町から銀座へ。せっかくだから「煉瓦亭」に行こうと思ったのだが、店の前に行ってみるとこれまた人の列ができている。そうまでして入ろうという気にもならず、また歩き出す。

 途中、ずいぶんと変わったデザインのビルに出くわした。奇をてらうのもほどほどに、といった感じがする。

 こんな変な建物でも、しっかりおしゃれにみえてしまうところが銀座の銀座たるゆえん。

 「つばめグリル」に行こうかとも思ったが、そういえば今日は週末。弘前にいたらカフェめぐりをしていたはずだ。ならば新規開拓の精神を忘れるわけにはいかぬ。しばらくぶらぶらして、目にとまった「珈琲専門店 ルシール」という店に入ってみる。

 外装からしていいし、しかも地下1階に下りていくというのがなおさらいい。店内も赤レンガの壁で、シックないい感じである。どうやら昼は喫茶店、夜はパブという形で営業しているようだ。そのせいかカラオケなんかも置いてある。ランチセットのカレー(1000円)を注文。ここではカレーの味には頓着しない。何せコーヒーが一番安いものでも500円以上するのだ。カレーライスはおまけのようなもの。店内の雰囲気とコーヒーの味が重要。食後に出されたコーヒーは実にうまかった。照明は暗いが、本を読みながらじっくり楽しむ。飲み終わってしばらくしたら、今度はこぶ茶を出してくれた。早く帰れという暗黙のメッセージかと思ったが、先客の女性ものんびりこぶ茶をすすっている。こちらもゆっくりいただいてから店を出る。

 銀座山野楽器に寄って、ミュージカルCDを物色。その近くに置いてあった「Tokyo Smart Music」「夜景コンピレーション」というCDを手に取る。いずれも夜景を楽しみながら首都高のドライブするといったシーンに合うコンピレーションアルバムである。選曲も僕好みなので、まとめて購入。弘前の真っ暗な道を走りながら、ネオン輝く都心の風景を偲ぶよすがとするか。

 有楽町電気ビルの地下の床屋で散髪。2か月にいっぺんしか行かない(つまりタニクリニックに通うついでに髪を切るのだ)ので、店を出がけに「よいお年を」といわれる。そういえば今年ももう残すところあと1か月なのだ。

 夕方、浜松町の四季劇場・秋へ。「ウェストサイド物語」を観る。一度チケットを取っていながら、別の用事と重なって、観ることができなかった。ようやく念願かなって今日になった。やはり専用劇場のもっている独特の雰囲気はいい。青森や弘前での公演とは、劇場に入るときの気分が違う。

 「ウェストサイド物語」は、一度映画版を観たことはあるけれど、舞台版は初めて。ちゃんと生オケが入って、序曲から気持ちが高揚する。

 バーンスタイン作曲の音楽の素晴らしさもさることながら、やはりこの作品の魅力はダンスにあると思う。実際、ベルナルド役の加藤敬二さん、リフ役の松島勇気さんら、踊れるキャストが揃っている。アニタ役の団こと葉さんのキレのあるダンスも素晴らしい。ああ、そういえばこの人たちはいずれも「コンタクト」に出ていた人たちだった。

 言い古されたことだけれど、この作品には、現在のわれわれがあまり意識しないようなアメリカ社会の構図が埋め込まれている。ほんのちっぽけなテリトリーをめぐる若者たちの争いは、人種差別、貧困、家族、ドラッグといったさまざまな社会問題に根差している。人種差別なんて、白人と黒人といった形で捉えられがちだけれども、ここでは白人対プエルトリコ人になっている。しかも白人の中でさえ、ポーランド系、イタリア系、と実に複雑になっている。

 そういった若者たちの世界に、大人たちがどのような形で干渉しているかというのも面白かったりする。どうも含むところありげな警部であったり、何とか融和を図ろうとする大人であったり。2つのグループの若者は、若者そのものというよりは、様々な思惑や背景を背負う形で対峙している。

 ひとつひとつのシーンが、珠玉の名曲で彩られているが、僕にとって一番印象深いのは、「トゥナイト」の五重唱の場面。対決を目前に控えたところで、ジェット団とシャーク団、さらにはアニタ、トニー、マリアがそれぞれの思いを歌い、それがシンクロしていく様子にはゾクゾクした。何かが起きる前の緊張感が、下から照らす照明によって否応なく高まっていく。

 アニタ役の団さん、マリア役の笠松はるさんは実によかった。団アニタは姐御っぽい強さと、内に秘めた優しさとのバランスが絶妙だし、笠松マリアはとにかく歌唱力が素晴らしい。映画を通じて数々のナンバーが耳慣れた人でも、感嘆させられるであろう、それほどの美しいソプラノである。映画のナタリー・ウッドが演じたマリアのイメージとはずいぶん違うけれど、素朴さと純粋さは本当に魅力的。

 女性キャストと比べると、男性キャストはやや影が薄いような印象である。阿久津陽一郎さんのトニーは好青年ではあるが、もっと愛の強さを出して欲しい。加藤敬二さんのベルナルドは、さすがベテランの味ではあるけれど、さすがに10代の若者という感じはしない。いずれも悪くはないのだが、やはりアニタ、マリアの存在感には負ける。ただ、ジェット団、シャーク団の群舞はさすが。「アンサンブルの四季」の本領だ。それと木村仁美さん演じるエニイ・ボディズはキュートでよく目立っていた。

 悲劇的な結末で舞台は幕を閉じ、かつ、他の作品にみられるようなカーテンコール用のナンバーも存在しない。それだけに単なる感動という形で終わらないのがこの作品の深いところ。ちょっと重苦しい気持ちを抱えて席を立つ。できればもう一回くらい、今度はもうちょっといい席で観てみたいところだ。

 劇場には早くもクリスマスツリーが飾られている。ますます受け容れたくないが、やはりもう師走なのだ。

 劇場が、舞台がくれるエネルギーというのは計り知れない。かつてのように、毎月のように通うというわけにはいかないけれど、東京に帰るときはできうる限り劇場に足を運ぼう。ここにくれば、仕事にも、プライベートにも、有形無形のヒントやパワーをもらえるような気がする。


9月26日(水)晴:「エビータ」青森公演

2007-09-27 00:37:57 | 舞台
 1年間にそうめったにない、スーツを着て大学に行く日。今日は午後に大学院入試の面接があり、僕も初めて担当することになっている。

 昼食を摂り、少しして時間になったので面接会場に行く。まだ前の方の面接が終わっていないようで、地理科の学生控室にお邪魔して、K先生としばし雑談する。自分の出番になったので、面接室に入る。何だか受験生の方以上に僕も緊張している。先にお2人の先生が質問をされて、僕の番になる。自分でもちょっとおかしな質問かな、と思って、ドキドキした。採点をして、少しばかり経済学のA先生の研究室にお邪魔していくつかの相談事をし、研究室に戻ると4時近くなっていた。

 今日はゼミ生のAさん、Wさん、調査実習の学生さんのKさん、それから人文学部のH先生、Y先生と青森市文化会館で劇団四季の「エビータ」を観ることになっている。Aさんとは現地で合流することにして、5人で車で青森に向かう。H先生、Y先生、それから僕がよくしゃべるので、2人の学生さんは少々大人しめである。弘前市内を抜けるのと、青森市内の混雑とで、会場に着いたのは5時40分。会館の中にあるレストランで軽く食事を済ませてから座席に着く。

 この作品を観るのは、今日で4回目である。最初に観たのは今から10年くらい前、日生劇場での公演で、エビータは野村玲子さんが演じていた。そのときは大学時代の友人と「美女と野獣」か「エビータ」を観ようということになり、僕は「美女と野獣」を観たかったのだけれど、友人はすでに観ていたので「エビータ」にしたのだった。その日生劇場の公演の後に全国を回ったらしく、青森で「エビータ」が上演されるのは約10年ぶりなのだそうだ。

 その後、2年前に東京でこの作品を2回観た。エビータ役は今日と同じ井上智恵さんだったが、何となく優等生がムリをして悪女を演じている、といった印象をもった。歌唱力は素晴らしいのだが、いかんせんキャラ違いといった感じ。今宵はいかに。

 「EVITA」と大きく描かれた緞帳をみるだけで、期待感が高まる。幕が上がり、「レクイエム」の場面になると、座っている席のすぐ脇をチェが通り抜け、舞台に駆け上がる。大好きなナンバー「こいつはサーカス」が始まる。今回チェを演じるのは佐野正幸さん。前回東京で観たときにはマガルディを演じていた。先日はペロンも演ったそうだから、この作品の主要な男性キャストは全部こなしたことになる。チェ役は芝清道さんのパンチの利いた歌声の印象が強いが、佐野チェは声量豊かに、少し上品に歌い上げる感じ。この役のモチーフになっているチェ・ゲバラはもともと中産階級の出身なのだから、青年チェとしてはこういった役作りもありだと思う。

 井上エビータが登場すると、舞台がぱっと華やいだ感じになる。以前観たときよりも、表情がより豊かになっている。とくに成り上がった後の重く鋭いまなざしには、吸い寄せられるような迫力がある。少女から成熟、そして30代前半での死へと至る、比較的短い時間での有為転変をしっかりと表現している。すごいの一言。まさにタイトル・ロールにふさわしい。完全にエビータという役にはまり切っているという印象をもった。

 それにしても、実際のエビータというのはたいそうな美人だったのだなあ。舞台の中でも実際の映像が流れるのだが、これはフアン・ペロンならずとも、魅了されるのがよくわかる。

 もうひとつ印象に残ったのが、久居史子さんのミストレス。これも東京で観たときには、情感が薄いなあ、と思ったのだが、今日の久居ミストレスには、しっかりと感情を歌に乗せていて、胸を打たれるものがあった。ミストレスの出番はほんの1シーンに過ぎないが、それだけに存在感をきちんと示せるか、とても難しく、重要な役どころなのだ。

 カーテンコールも大いに盛り上がる。衰弱して花のように散っていったエビータが、再び栄光のときのドレスに身を包んで舞台に戻ってくると、ひときわ輝いてみえた。

 エビータが駆け抜けた時代というのは、1930年代から50年代半ばにかけて。この間、世界が戦争をしていたことは学校で教えられることだが、日本からみて地球の裏側でこうした人物がいて、こうした社会相があったことはあまり知られていないように思う。教科書に書かれている歴史も大切だが、舞台には、それとは違った、好奇心をかき立てるきっかけがあったりするのだ。そして、エビータが死んでから、50年以上経過した今も、この作品に関わる物語は続いている。フアン・ペロンの3番目の夫人(エビータは2番目)であったイザベル・ペロンは、今年になってから大統領時代の反政府勢力弾圧のかどで逮捕されているのだ。

 帰りの車の中でもあれこれ感想などをおしゃべりする。僕も興に乗ってきたものだから、「こいつはサーカス」をフルコーラスで歌う。同乗の皆さんはさぞ迷惑だったろうが、僕自身はとてもすっきりしていい気分。みんなで舞台を観に行ったときの楽しみは、こうやっていろいろ語れることだ。もちろん、独り静かに物思いにふけりつつ、余韻を楽しむというのもいいのだけれど。ゼミ生の2人には、6月に観た「夢から醒めた夢」とはがらりと違うイメージの作品だったけれど、それぞれ独自の視点で楽しんでくれたようだ。帰りは国道7号線を真っ直ぐに進み、行きとは違い、道も空いていて、すいすいと走ってあっという間に弘前に着く。

 大学で2人の学生さんを降ろして、教員3人はちょいと小腹が空いたので駅前の「炙」で温麺を食べる。Y先生もH先生も、四季のミュージカルは今日が初めてだったとのことで、とても喜んでくださった。ならば「ミュージカル奉行」の面目躍如といったところである。今度は東京ツアーを、ロンドンツアーを、と夢も広がる。東京ツアーはそのうち実行したいと思っている。幕が開く前のワクワク感から、終演後のおしゃべりまで、今日はミュージカルを楽しみ尽くしたという満足感がある。明日からも頑張っていこう!という気持ちになれる。

7月28日(土)曇時々雨:バレエ

2007-07-29 12:21:32 | 舞台
 朝9時に起きる。「花の湯」で遅めの朝風呂。一度帰宅して、着替えをしてから大学へ。

 少し仕事をしてから、生協で昼食。ここで猛烈な雨に降られる。ちょっと待てば止むだろう、と思っていたのだが、10分経っても止まない。やむなく教育学部棟まで駆ける。ほんの数十メートルなのに、結構濡れた。せっかくの朝風呂が台無しである。

 午後は担当授業の「質問・感想カード」の整理作業。序盤は毎回授業が終わるごとに平常点を入力していたのだが、中盤以降は講義記録を作成した後はほったらかしになっていた。これらをまとめて入力していく。すでに評価は済んでいるのだが、ついつい目を留めて読んでしまう。どんな授業でもそうなのだが、最初のうちは感想の中には「もっと板書をきれいにしてください」とか、「レジュメと板書の関連づけをもう少しちゃんとしてほしい」といった、形式的な部分に関わるものも目につくのだが、一定回数を過ぎると、きちんと内容を踏まえたうえでの質の高いものになってくる。ひとりひとりの14枚のコメントカードを束ねて返却してあげたら、書いた当人が読み返してみたときに自分の「知的成長」を実感できるだろう。後期からはそんなこともやってみようかと思っている。

 夕方5時半過ぎにH先生、K先生と弘前市民会館に「アカネバレエ弘前教室」の発表会を観に行く。昨夜もF研がらみでお世話になった社会心理学のS先生からチケットをいただいたのだ。車で市民会館のほうに行ってみると、市役所の駐車場のほうまでいっぱいである。お濠端の道をぞろぞろと会場に向かう人々が歩いている。手には花束を持っている人もいて、お芝居の公演なんかともちょっと違った雰囲気だ。

 会場もほぼ満席の状態で、座席もかなり後方になる。H先生の話しによると、弘前にはバレエ教室が2つもあるのだそうだ。何しろお金のかかるお稽古ごとである。それだけ弘前の文化意識が高いということか。

 バレエの公演を観るのは初めてである。何となく、白鳥の湖のような、純白の衣装を着て踊る、といった程度の認識しかない。とはいえ、大好きなミュージカル「コンタクト」で「黄色いドレスの女」を演じていた酒井はなさんは新国立劇場のソリストだということは知っているし、ミュージカルの中にもバレエ・シーンは多く登場する。「オペラ座の怪人」がそうだし、また「キャッツ」のヴィクトリアやミストフェリーズのダンスにはバレエの要素がふんだんに盛り込まれている。歌や科白がないところでどれくらい楽しめるものなのか、興味がある。

 始まってみると、これが実に楽しい。ちゃんと舞踏だけでストーリーが表現されている。また、モダン・バレエやジャズダンスのような演目もあって、飽きることがない。ひとつひとつの細やかな動きに集中することができて、よりいっそう、その美しさを堪能することができる。

 まだ幼稚園に上がるかどうかといったくらいの子どもたちのバレエも微笑ましかった。精一杯周りの動きに合わせようとし、四苦八苦しつつも、最後のポーズはちゃんと決めてみせるあたり、泣いたりぐずったりもしながら、頑張ってきたんだろうなあ。

 S先生と、教育学部のR先生のお嬢さんの出る演目も素晴らしかった。ソロのバレエもいいが、僕にとっては群舞のほうがより楽しめる。周囲との調和を保ちつつも、存在感もしっかりアピールする。H先生に教えられて、両先生のお嬢さんがどこにいるかもわかった(隣同士で踊っていたのだ)。堂々たるものである。ひときわ大きな拍手を送る。

 ロビーでS先生、人類学のS先生ご夫妻、R先生とお会いする。ダンディで、ちょっとクールなS先生も、今日はさすがにお父さんである。家族の理解や支えもあってのことだろう(とくに発表会前の数日間は、両先生とも、とても気を遣ったそうである)から、なおのこと今日の晴れ舞台は素晴らしい。本当によいものをみせていただいた。

 夕食は上瓦ヶ町の「リストランテ・ダ・フェリード」で。現在タイにご出張中のI先生(今夜は先生がいらっしゃらないのが返す返すも残念である)の大学院の教え子のKさんのダンナさん(チュニジア人のフェリードさん)が営むイタリアン・レストランである。先日F研の食事の際にも寄らせていただいたのだが、生憎満席だった。温野菜のサラダ、エビのトマトソースのパスタ、生ハムのピッツアを頼む。どれも非常においしい。とくに生ハムの載ったピッツァのうまさは格別である。H先生、K先生の飲んでいるワインもこれまたおいしそうであった(といっても、お酒の善し悪しというのは飲めないのでわからないのだが)。途中で臨月のKさんもお店に来られた。どうか無事に元気な赤ちゃんが生まれますように。

 これからアフリカに調査に出られるH先生の現地話に耳を傾けつつ、お料理を楽しむ。素敵な舞台を観て、おいしいものを食べる。とてもぜいたくな週末の過ごし方である。

7月14日(土)晴(弘前)→雨(東京):CATS!

2007-07-15 01:10:19 | 舞台

 朝5時に起きる。昨夜は何だかんだで寝たのは2時。3時間ほどしか寝ていない。軽くパンをつまんでから荷物を車に積み込み、弘前駅へ。

 今日も「スーパー白鳥」用789系電車を使用した「つがる6号」に乗る。これまでとは違い、グリーン車を利用。3連休パスが使えて、東京方面に出るにはそちらのほうがお得なせいか、弘前を出た時のグリーン車の客は僕一人。普段のJR東日本の車両を使用する「つがる」のグリーン車と比べて、789系のほうは3列シート、しかも革張りである。さらにPC用のコンセントなんかまでついている。せっかくだからとノートPCを広げ、昨日の日記を書く。

 八戸で新幹線に乗り継ぐ。連休の関係で土曜日発売の『ビッグコミックスピリッツ』を買い、ひととおり読み終えると、あとはひたすら眠る。途中何度か目が覚めたが、ブランケットを引っかぶって(冷房が効いて寒かった)眠る。

 有楽町のタニクリニックへ。顕著な改善がみられるとかで、薬の種類が少なくなる。ほんの数分の診察のために2ヶ月にいっぺん、ここに通っているのだが、谷先生に診てもらうと、安心できるというか、漢方の薬効を実感できるような気持ちになれる。

 昼食をどこで摂ろうかしばし迷った末、京橋まで歩いて「つばめグリル」へ。つばめ風ハンブルクステーキを食べる。銀紙の包みを開くときに広がるうまそうなにおいが実にいい。店を出て、山野楽器へ。行くのはもちろんミュージカルコーナー。さんざん迷ったあげく、「オペラ座の怪人」の海外版を購入。「カフェカプシーオ」でコーヒーを飲み、行きつけの床屋で散髪。2ヶ月にいっぺんしか来ない客をちゃんと覚えてくれていて、例によって旅行の話しをする。インターンの人も東北出身者が多く、地元の話題になる。

 山手線で新宿へ。格別用はなかったのだが、何となく新宿に行きたくなった。東急ハンズと紀伊國屋書店をぶらつく。再度山手線で五反田へ。降りの強くなった雨の中を「キャッツシアター」まで歩く。

 ここで観る「CATS」は初めて。東京ならいつでも行ける、と開幕以来、別の演目を観ていたら、なかなか行けない場所になっていた。台風の影響で団体客にキャンセルがあったのか、2階席は半分くらいの入りだった。

 円形の専用劇場ということで、これまでとは趣が全然違う。それだけに始まる直前のワクワク感もこれまで以上だ。しかもうれしいことに、5月の末に京都まで追っかけた「コンタクト」の出演者が5人もいる。ついこの間までは、これにワイリーさんとウェイター長もいたのだが、それはぜいたくというものだ。団こと葉さんなんて、「コンタクト」ではちょっと抜けた妻役だったが、今日はシャープでキレのあるディミータだし、コンテンポラリーなダンスとニヒルな笑みが印象深かった金井紗智子さんは、純白でバレエが見せ場であるヴィクトリアだ。

 他にもいろいろ興味深いキャストである。ぃよう!と登場する阿久津陽一郎さんのラム・タム・タガーなんかは、歴代タガーとは異なったくせ者だし(あくまでもいい意味で)。木村花代さんのジェリーロラム=グリドルボーンはかわいらしくもあり、それでいてしっかりとしたお姉さん的な安定感もあり、素晴らしい。この人がいるおかげで舞台が締まっているような印象さえ受けた。鈴木涼太さんのスキンブルシャンクスは、役柄そのもののキラキラした好青年といった感じだ。スキンブル・ナンバーの楽しさは不変だ。

 反面、ミストフェリーズはダンスはいいとしても、科白や歌がよろしくない。どこか緊張感に欠けているようにみえてしまう。それから、グリザベラの歌声は素晴らしいのだが、情感に乏しい。見事に歌い上げているにもかかわらず、胸を打たれるところまで行かないのが残念だった。

 2階席までしっかり猫たちがやってくるし、迫力という点では、もっと舞台近くで観たこれまでよりもあったと思う。「CATS」の魅力を再認識させられる。そして何よりうれしかったのが、握手のときにやってきたのがヴィクトリアだったこと。今回は通路側の席ではなかったので、握手はムリと思っていたのだが、席が空いていたおかげで、通路側に移動することができた。前述のように、「コンタクト」Part3での金井さんはとても素敵で、僕は彼女のファンなのだ。大好きな役者さんと握手できるというのはファン冥利に尽きる。いざ握手をしてもらう段になると、あまりの美しさにぽーっとしてしまった。
 
 と、思いがけずいい思いをさせてもらった。ああ、東京に住んでいたら、少なくとも月イチくらいのペースで通うんだがなあ。幸せいっぱいの気分で劇場を出る。夜の劇場というのも、興奮と感動のせいもあってか、実に美しくみえた。

 雨の中を五反田駅まで歩く。駅前で懐かしい東急バスと再会。「反01」系統の川崎行き。国道1号(第2京浜)を走って県境を越える。

 「渋72」系統渋谷駅東口行き。目黒不動の門前を走る。狭い道をクネクネ走る、泉麻人さんイチオシの路線。

 そして「反11」系統世田谷区民会館行き。武蔵小山の商店街の脇を走り、環七を経て世田谷区役所のところまで行く。

 いずれも思い入れのある路線で何回も乗ったことがある。今度これらのバスに乗れるのはいつになるだろう。

 東京駅に戻り、コインロッカーに預けた荷物を取り出して、中央線に乗る。いつの間にか新型のE233系電車ばかりになっている。昭島駅に迎えに来てもらって、ようやく帰宅。久々に「ふつう」の夕食を食べる。


6月29日(金)雨後曇:「廃墟のイエ」

2007-06-30 11:26:11 | 舞台
 ようやく梅雨らしい雨降りの朝。バスに乗って大学に行く。雨のせいか、バスは前に乗ったときよりもかなり混んでいる。同僚のY先生、音楽科のY先生と乗り合わせる。

 午前中は夕方の授業の資料を揃える。手持ちの図表の数字がいつのまにか古くなってしまっていて、急いで新しいものと差し替える。厚労省などの統計情報はインターネットで簡単に手に入るから便利だ。何とか昼休み前にできあがる。昼食は生協の出店の弁当で済ませる。

 3コマ目は21世紀教育の「社会学の基礎」の教室に行く。先週で僕の出番は終わったのだが、やりっぱなしで終わるというのはどうも気分がよくない。そもそも、学生さんからの評判も芳しいとはいえない。「近代化」という共通テーマは設けているものの、7人の教員がそれぞれ「得意分野」を中心に話すので、どうしても散漫な印象を与えるようだ。僕などは一番下っ端だから、与えられた仕事をこなせばそれで十分なのだろうけれども、せめて他の先生がどのような授業をしているのかは知っておきたい。そんなわけで、教室に「潜入」した。

 教室は学生さんでぎっしり埋まって、僕は教室の一番後ろの隅の折りたたみイスに腰掛ける。今日からご担当の主任のY先生にはみつからないだろうと踏んでいたのだが、プリントを配布しに来られた際にみつかってしまった。そりゃあもう、昨日行きますっていったのだから、行かないほうが非礼に当たる。

 公開授業などは何回か見学したことがあるが、通常の授業を聴くのは本当に久しぶりだ。同じ大学の先生の授業でも、公開授業は「非日常」の空間であり、今日のような「日常」とは似て非なるものである。そして、僕が座っているのはいつもとは正反対の位置にある。

 教室の通路を動き回って、スペースを広く使ったり、黒板に目いっぱい大きな文字を書くなど、Y先生の工夫がよくわかった。僕の目でみて、それでも何とか読めるくらいだったから、僕が先週書いた板書は、最後方からはほとんど読めなかっただろうということもわかった。

 学生さんたちを後ろから眺めていると、いろいろなことがみえてくる。ひとつ気になったのは、ほとんどの学生さんがきちんとしたノートテーキングができていないこと。先生が板書した内容をただ写すことしかしていない。口頭で述べていることをささっとメモを取るような人はほとんどみられなかった。静かには聴いているが、映画でも観るような感じで前を向いている。これはちょっと拙いような気がする。来年度も引き続き基礎ゼミを担当するのであれば、ノートの取り方というものをちゃんと教えていかなければならない。こうなってくると、「先生の授業はきちんと板書をしてくれるのでとてもよかったです」なんていう感想にも喜んではいられない。

 Y先生の授業そのものもとても面白かった。ご専門のホームレスの人々を、いかに学生さんに身近なものとして感じてもらうか、そこここに配慮がなされていた。僕自身もほとんど勉強したことのない領域だから、とても新鮮だ。来週からは堂々と見学させてもらおう。

 授業を聴いたらお腹が空いたので、生協でドーナツを買う。先日幼なじみのFさんから、ドーナツを食べ過ぎないように、とメッセージをもらったので、一瞬躊躇したが、1つならいいだろう、と買って食べる。

 5コマの社会学概論は、いい授業を聴いた後のことだったので、何だかリラックスして、なかなかいい感じで進められた。こちらの授業は履修者が50名弱。さすがに全員の名前と顔を覚えることはできていないが、これくらいの人数がちょうどいい。ある程度慣れてくると、間を取るタイミングも学生さんたちのペースに合わせられるので、やりやすい。

 授業を終え、学食で急いで軽く夕食を摂り、大学会館の3階の大集会室に行く。6時半から、ここで「劇団MAPLES」という演劇サークルの「廃墟のイエ」というお芝居があるのだ。社会学概論を取っている団員のKさんが、どこからか僕の演劇好きを聞きつけて、招待してくれたのだ。

 5分前に入場すると、もう席は8割方埋まっている。当たり前だが皆学生さんのようで、教職員の客は僕くらいしかいないようだ。暗幕が張られ、照明も落としてあり、独特の雰囲気が漂う。舞台も鉄色の暗いトーンになっている。

 山間の廃墟にいくつかの若者(のグループ)が入れ替わり立ち替わりやってきて、そこで交わす会話によって舞台が進行する。科白の中には2ちゃんねるやmixiなども登場して、今どきの若者(大学生)のノリもしっかり押さえられている。普段接している大学生の雰囲気を上手に、特段飾り立てることなく表現できていて、面白い。ちゃんと笑いを取る役回り(やたらとテンションの高い大学院生)なんかもいたりする。

 ただ、たとえば大学生と大学院生という役回りがいるとしたら、実際には「微妙」な両者の違いをもっとデフォルメしたほうがいい。学生さんの感覚では地続きであるとしても、両者の間にはなにがしかの「境界線」がある。それがはっきりとみえてこないと、わざわざ2つの属性を設定することの意味がぼやけてしまう。

 表現方法には、先日観た弘前劇場のテイストが感じられた。同時に複数の会話が並行したり、ものを食べるといったところは、まさにそのものである。実際、弘前劇場の協力もあるようだ。弘前劇場の方法が、ある種地域特性としてこういった学生演劇にも浸透しているというのはとても面白い。でも、それだけに、弘前劇場の「模倣」(あくまで僕の個人的な印象だが)を越えたものを押し出してもいいとも思う。彼らには彼らにしかできない表現の仕方というものが他にもあるはずだ。

 50分の舞台は、あっという間に終わってしまった感じで、もっと観たいとも思った。真摯に取り組んでいることがよくわかる、いいお芝居だったと思う。

 研究室に戻って、いくつか書類書きをする。10時を過ぎて、講義記録はどうしようか、と思ったが、今日は早く帰ることにする。ちょっと仕事のことは忘れて、買ったままになっていた『鉄道ファン』をパラパラとめくっているうちに眠くなったので、早寝する。

6月16日(土)曇後晴:弘前劇場「冬の入口」

2007-06-17 00:30:47 | 舞台
 今日もいい天気。遅い朝食を済ませ、洗濯をし、昼近くになってから出かける。新里の「うどんや一番」でひやとろうどん、筍の炊き込みご飯、舞茸の酢みそ和えを食べる。



 ここのいいところは、うどんはもとより、サイドメニューが充実していること。いかにも地元のおばちゃんの手作りといった酢みそ和えなどが僕のお気に入りである。

 この店からすぐ近くの「健康温泉桃太郎」で昼風呂。先日訪れたときにはお湯が茶褐色になっていて驚いたが、今日は以前と同じほぼ透明のお湯になっている。やはり、あの日は何か異常があったのではないか、と気になる。湯上がりにクラシカルな瓶のコーラを一気に飲み干す。

 大学へ行って、しばし仕事。途中テレビで先日静岡の富士宮で行われたB-1グランプリの模様を観る。青森からは八戸のせんべい汁と、青森の生姜味噌おでんが出場していて、地元の放送局が取材したものだ。せんべい汁は食べたことがあるが、生姜味噌おでんというのはまだ食べたことがない。今度地元のAさんに聞いてみよう。

 富士宮市は、僕の先祖代々のお墓がある土地で、間近にみえる富士山といい、グランプリの会場になった浅間神社の清らかな水といい、とても思い入れのある町である。今は親戚もおらず、墓参に行くだけなのだが、その富士宮が誇る富士宮焼きそばのV2は、やはりうれしい。

 夕方になって、鍛冶町へ。角み小路の「ニューマツダ」で夕食。今日はチキンソテーを頼んでみた。柔らかい鶏肉に、この店の象徴ともいうべきちょっと甘めのデミグラスソースがかかっている。付け合わせのほうれん草とにんじんも甘みがあり、気取ってはいないが、おいしかった。

 土手町を少し歩いて、上瓦ヶ町のスタジオ・デネガで、弘前劇場の「冬の入口」という舞台を観る。先週、音楽科のI先生から、一度ここの芝居を観てみるといいですよ、と勧めていただいて、ネットで調べたらこの週末にタイミングよく公演があることを知り、大学の生協でチケットを買った。浪岡に本拠を置いているが、札幌や東京など、全国的に公演を行っているようだ。誰か知り合いに会うかな、と思っていたら、大学院生のSさんとお会いした。

 ストレートプレイを観るのは久しぶりだ。物語の舞台は、青森のどこかにある斎場である。齢80歳にして世を去った老人の火葬を始めようとするところに家族や知人といった、生前縁のあった人々が集まる。ところが、「点火式」を行おうとしたところで、経を上げるお坊さんが来られず、その待っている間に交わされる会話が芝居の根幹をなしている。

 故人の生涯は、すべて登場人物によって語られる。舞台装置はきわめてシンプルで、図工室にあるような、大きなテーブルと、丸イス、それに背もたれのついたイス4脚と、灰皿があるのみ。斎場の殺風景さがさりげなく伝わってくる。あるものはすべて機能的であり、余分なものは何もない。

 個々の登場人物は、一見とても平凡なようでいて、平凡ではなく、とても面白い。教員、斎場の主任、料理人、書店の外販部長、といった職業の人々がもつ、独特のアクのようなものがとても上手に描かれている。職業柄身についてしまうクセのようなものが、くどすぎない程度に表れて、笑いを誘う。だから、会話もウィットに富んでいる。前半部分は、笑いどころも多い。

 緊張感が高まるような場面で、人はふと笑いを浮かべそうになることがある。僕などは、お葬式に参列していて、不意に理由のない笑いがこみ上げてくることがある。葬送という場面において、人は独特のテンションの高さを経験する。それがどこかぎこちないコミュニケーションになったりもする。だからこそ、葬式はこれまでたびたび映画の題材にもなってきた(伊丹十三の「お葬式」とか、マキノ雅彦の「寝ずの番」とか)。

 ありふれた平凡な(故人は個性的な人物ではあるのだが)葬送は、一組の夫婦(その関係は円満ではないことがそれとなく伝わる)の登場によって一変する。招かれざる客(夫は故人の私生児である)の存在が、前半の登場人物による猥雑な会話から、後半のぎこちない会話、一見饒舌にみえる寡黙さへと、その場を変容させていく。このあたりのコントラストは実に見事だと思った。

 東京からやってきたその子ども(といっても30歳になっている)は、地縁的に「よそ者」であり、血縁的にも、実際には血のつながりがあるとはいえ、「よそ者」である。しかも、彼と、故人の家族とをつないでいたのが、昔気質の職人である料理長であるというところにも、ある種の断絶がある。

 全体としてはとても面白かったけれど、お互いに語ることばをもたない故人の次男と、東京の子のコミュニケーションギャップを埋めるすべが、故人の好きなものを集めた弁当を一心に食べる、というラストはちょっと平凡に思えた。若さに任せたやけ食いならばまだしも、2人の登場人物は立派な「大人」である。「大人」と「大人」との間ならば、重苦しい沈黙のままに終わったほうがよい。緊張というのは、そう簡単に瓦解するものではなく、そういう場こそ、儀礼的な振る舞いのほうがより強く出るのが自然だと思うのだ。だから、いささか興ざめした。

 また、シンボリックなものとして登場するふくろうの意味も、わかりづらかった。故人と重なり合う部分があるのか、あるいは、表題にあるような、冬という季節を象徴するものなのか。観ていて、冬という季節感があまり感じられない。終わってみて、そういえば冬(単なる季節ではなくて、人生の冬ということでもあるのだろうが)がテーマだったな、と思い返した。

 もうひとつ残念だったのは、きちんとしたカーテンコールがなかったこと。やはりカーテンコールというのは、出演者全員が舞台に揃って行うほうがいい。ロビーに役者さんが出ていたが、知り合いと話しているばかりでは、僕のような一見さんはすっ、と通って終わりである。観た人すべてに、ああ、劇場に来てよかったという思いを抱かせるには、カーテンコールは重要なものだと思うのだが。

 とはいえ、なかなかいい舞台だった。十分に楽しめた。また公演があったら、足を運ぶつもり。料金もとても良心的だし、しっかり、丁寧に舞台作りをしているのもよくわかった。すでに高い評価も、知名度もあるが、僕としても応援したい劇団である。

 劇場を出て、大きな音をするほうを見上げると、花火が上がっている。今日は「花火の集い」という市のイベントがあったらしい。どうりで町中を浴衣姿の女性が歩いているわけだ。まだ6月なのに、と思っていたのだが。中三の脇のミスタードーナツで、コーヒーとドーナツで、しばし芝居の余韻に浸る。芝居の後はすぐに帰宅してしまったらもったいない。閉店近くになって、腰を上げて宿舎に戻る。