Tabi-taroの言葉の旅

何かいい物語があって、語る相手がいる限り、人生捨てたもんじゃない

【八仙過海(八福神海を渡る)】~その2~

2014年02月24日 | 中国
世界遺産、宏村


4月21日(日)
 昨晩、「明日は5時には起きて、食事の前に散歩に出掛ける」と意気込んでいたジュオジンだが、翌朝、何故か目覚めが悪く、6時を過ぎてようやく起き上がった。昨日、部屋に入ってから団結式ができなくてしょぼ暮れていたクロちゃんを慰めるため、二人で飲んだ寝酒を過ごしてしまったようだ。普段、11時には寝入っている人間が1時過ぎまでしゃべって起きていたのだから、起きられなかったのはまんざら酒のせいばかりではなさそうだ。

 起き抜けにサッとシャワーを浴び、着替えて朝食会場に向かった。既にマッちゃん&Dr.山中(山中氏がなぜDr.なのかというと、ジュオジンにとってマッちゃん同様テニスの仲間なのだが、本職は大泉学園で開業している歯医者さんなのだ)は料理を皿に山のように盛ってテーブルに着いていた。彼等が二人掛けのテーブルに座っていたので、ジュオジンとクロちゃんも自然と別の二人掛けのテーブルに着いた。食べ始めた頃にMr.太郎がやって来て、大きめのテーブルに座った。そこに後からやって来た女性三人(36名のツアーの中の山下氏が声掛けした八名の内の女性三人)を招き入れた。それを見てジュオジンは《この男のスマートさ、ホスピタリティーには到底適わない》瞠目すると共に脱帽した。ジュオジンとは同じ学年の筈だが、悔しいながらできがちがうようだ。今後も旅の途上、違いの差を思い切り見せつけられることだろう。少々悄然としながら食事を終えた後、黄山までの長旅のバスに乗り込んだ。

 今回の旅は《いい旅社》の黒埼会長と元々コンタクトのあったMr.太郎に会長から募集の呼びかけが有って回って来たツアーだ。Mr.太郎は以前、ジャパンポリストラベルと言う警視庁外郭団体の旅行社に勤めていて、定年退職後、旅行社の団体で作っているトラベル懇話会というところで引き続き勤務していて、言わば旅行のプロ中のプロなのである。黒埼会長が36人の団体の団長とすれば、Mr.太郎はジュオジン達8人のチームリーダーと言うことになる。リーダーはさり気なくチームを取り仕切る。「我々八人、固まって一番後ろのシートに座りましょう」まるで小学校の遠足で悪ガキどもが先生の目の届きにくい後部座席を陣取るようなものだ。後ろは揺れるのでジュオジンはあまり歓迎しなかったが、そこへムードメーカーのマッちゃんの「そうしよう、そうしよう」の一言が出て一方的に決議されてしまった。後々、これがジュオジンに災難として降りかかって来るとはその時は当の本人もゆめゆめ思っていなかった。

 バスは8時過ぎに出発した。これから五時間半の長丁場だ。乗った途端、マッちゃんは背中のリュックからビールは出すわ、ツマミは出すわで完全に宴会モード。ジュオジンも酒は好きだ。しかし、昼からは呑んでも朝からは呑まない。午前中は胃と肝臓を労るのがジュオジンの流儀なのだ。とは言うものの、あまりにキッパリ断ったのでは面白味のない人間と思われてしまうので、付き合い程度にコップのビールを啜ってごまかしていた。一方、マッちゃん、Mr.太郎、Dr.山中は順調に杯を重ね、あっという間に手持ちの酒が底をついてしまった。するとその手の嗅覚が抜群に鋭いマッちゃんは、「酒井ちゃん、免税店でウィスキー買い込んだって言ってたよな。あれ呑もうよ」と人の荷物にまで目を付けて迫った。元々ホテルの部屋でみんなで飲むために買った酒なので出し惜しみする気は毛頭無い。しかし、気前よく出したが最後、七割方残っていたウィスキーは見る間に無くなった。



 飲み物が無くなって、その上、多少酔いも回ったのか、バスの過酷な振動を残して周囲は静かになった。しかし、このバスはサスペンションが悪く、さらに高速道路にも関わらず舗装が悪いので振動が並大抵ではない。その上運転手の運転が荒っぽいときている。座席から浮き上がっては落とされるの連続だ。そのせいもあってか、普段は多少便秘気味で出ないことに悩んでいるジュオジンなのだが、今日に限って大腸括約筋が急に活動的になってきた。こういう現象は1、2ヶ月に一回位の頻度で起こるのだが、経験上、始まると2、30分しかもたない。朝の通勤時、運動のために自宅から最寄りの吉祥寺駅まで約30分程歩いている。たまに家を出て5分ぐらいしてもよおしてしまうことがある。途中に利用できるトイレはない。駅までの道は民家が立ち並んでおり、こっそり用を足せる場所など無い。コンビニが無いこともないが、トイレだけ借りる勇気のないジュオジンにとっては最後の最後の手段なのだ。最大限、駅まで我慢する。額には冷や汗が浮き出す。あまり早歩きもできない。腸内のガスは既に出切っており、これ以上ちょっとでもいきむことは危険な状態となっている。あまり神経をお尻に集中させないようにして、気持ちをなだめながら、騙し騙しなんとか駅までたどり着く。トイレまで後(あと)数十メートル。心の中でトイレが空いていることを祈る。並んで待たなければならないとしたら、我慢できず、爆発すること間違い無しだ。前を歩いていた初老の男がトイレに入って行く。まずい。続けてジュオジンも飛び込んだ。幸いにしてトイレは空いているが、前の男が先に入ってしまう。もう駄目かと思ったら男はまだゆとりがあるのか、和式のボックスを避け、奥にある洋式トイレのドアをノックしている。しめた!すかさずジュオジンは空いている和式トイレに飛び込んだ。ジュオジンには和式だとか様式だとかを選ぶ選択肢が全く無い状況なのだ。ズボンを降ろすのももどかしく、座り込んだ瞬間に怒涛のように吹き出した。危機一髪のタイミングで窮地を乗り越えることができたのだ。

 あの恐ろしい体験の予兆が高速道路上のバスの中で起こっているのだ。しかも揺れのひどい後部座席だ。座席が振動で下から突き上げてくる。この状況が続けば、2、30分保つはずの忍耐力も15分か20分で切れてしまう。日本の高速道路では10kmか15km於きにサービスエリアが設けられているが、中国では50kmから60km毎にしかない。と言うことは時速100kmで走ったとしてまだ3、40分かかると言うことだ。ジュオジンは茫然自失した。絶対にそんな長時間は保たない。自分で窮状を訴えるゆとりも気力も失ったジュオジンは隣に座っていたクロちゃんに「お腹が痛くて我慢ができない。どこかで停めてもらつて」と泣きついた。クロちゃんは最前列のガイドの所まで歩み寄って行ってパートナーの苦境を訴えてくれた。しかし、ジュオジンの切羽詰まった状況を正確に伝えきれなかったのか、冷淡にも「つぎのサービスエリアまでもう少しですから、なんとか我慢して下さい」と言う血も涙もない回答だった。既にジュオジンの忍耐力は限界に近づいていた。ジュオジンは窓外を見つめ、バスが止まれて、しかもブッシュ等でブラインドになりそな場所を必死に探した。なかなか適所は見つからない。それ程切迫した状況下にあった。後は実行する勇気があるかないかだ。うじうじ悩んでいる間に次のサービスエリアまで25kmの看板が見える。後15分。我慢すべきか、勇気を出してストップを掛けるべきか。どちらも勇気がいる。もし我慢してここで粗相でもしてしまったら前代未聞の大失態、大恥をかくことになる。結局、ジュオジンには我慢する勇気しかなかった。ひたすら耐えた。サービスエリアまでのカウントダウンが異常に緩慢に思えた。昔のインチキプロレスのカウントダウンみたいにわざとカウントを引き伸ばしているように感じられた。そういう神様の意地悪にもじっと耐えているとなんとか希望も見えてくるもので、歯を食いしばっている内に距離は次第に縮まってくる。後2kmの表示が出たところでジュオジンはゆっくり立ち上がり、中央通路を静かにドアの方面に歩き始めた。通路両サイドの人たちは既にジュオジンの苦境を聞き及んでいるらしく、「頑張って、もうちょっとよ」と小声でエールを送って寄越す。爆発物を抱えたジュオジンはあくまでも慎重に3、4分掛けて最前列までたどり着い。と同時にバスもサービスエリアに滑り込んだ。エリア内は意外と車が少なく、中を歩く人も比較的少なかった。ジュオジンはホットした。トイレの争奪戦を繰り広げる気力など、全くなかった。後数十メートル先に天国がある。それでもダッシュはできない。老人のようにゆっくりゆっくり歩いてようやくたどり着く。神のご加護か、ボックスに空きがあった。座り込んだ途端、爆発物は一気に火を噴いた。後30秒遅れていたらと考えると冷や汗が吹き出した。

 たまりにたまっていたモノをすっかり出し切ってしまうと、さっきまでの苦痛は嘘のように消え去っていった。トイレから出た所にMr.太郎とクロちゃんが立ちすくんでいた。あまりにすがすがしい顔を見せることになったジュオジンは何とも恥ずかしさでいっぱいだった。殺人犯が特赦で刑務所から釈放された時のような清々しさと恥ずかしさだ。それにしても何物にも代え難い解放感だ。これでまたまともな人間として生きられるのだ。

 バスに凱旋して戻ってきたジュオジンは何事もなかったようにまた後部座席に座った。まだ行程の三分の一しか走っていない。五時間半の旅は長い。しかし、そこはさすがに旅行会社会長が同道しているだけあって、飽きさせない企画をちゃんと用意してくれている。旅行会社自らが提供してくれる品物、それは会長のお仲間の中華街で商いをしているツアー参加者から購入した中華粽(ちまき)だったりするのだが、それらを景品にしてビンゴゲームをやろうということになった。ついさっきまで青菜に塩だったジュオジンも元気を取り戻して参加した。かなりの景品を用意したくれているのだが、なぜか不思議と太郎グループ八人の中からのビンゴが続出。粽三個セットを三人がゲットすると言う幸運に恵まれた。そんなわけでバス全体が盛り上がっている中で特に後部座席の八人は弾けていた。景品が尽きかけるとマッちゃんはDr.山中が買い込んでいたビールをまるで自分の物のように景品として差し出し、周囲から喝采を浴びていた。

 賑やかに過ごしていると時の経つのは早い。車窓の外にはちらほらと尖った地形が目立つようになってきた。いよいよ世界遺産黄山の麓にやってきたのだ。既に午後1時を過ぎている。麓の街のレストランで遅い昼食をとることになった。昨日の夕方初対面の挨拶を交わした八人もバスの中の大はしゃぎで一気に打ち解けていた。中華料理のテーブルは大体8~10人掛けで、全体36人を班分けすると1班9人か10人になる。黒崎団長の配慮で山下グループ八人は何時もいっしょで、そこに一人か二人、別のメンバーが加わることになった。今回は黒埼会長がその一人になって加わった。間近に親しく話すのは今回が初めてだ。団長の母上は中国の方で、団長は日中のハーフということになる。幼いころから中華街の中にある中華中央学園に通っていたそうで、そこの同級生たちを誘ってちょくちょく旅行に出かけるそうだ。今回の旅行にもそのメンバーが六名程加わっているらしい。旅行社の会長である黒崎団長は、自分が参加する旅行は自分および親しい友人のために精一杯楽しく、面白い旅に仕立て上げるよう心がけているという。テーブルには各種中華料理が所狭しと並ぶ。現地旅行社の計らいでビールはサービスとのこと。これも黒崎団長の裏からのプッシュの賜物と聞いている。朝のアルコールを控えたお陰もあってビールがおいしかった。昼から飲むビールはまた格別美味い。ジュオジンはさっきまで腹痛で苦しんでいたことなどすっかり忘れ、美酒、美食に舌鼓を打った。



 昼食を終え、腹もくち、ほろ酔い気分になって、もう旅の目的を達成してしまったような気分になったが、これからが観光のメインだ。今回の旅では欲張りにも一度に二ヶ所の世界遺産を廻る。一つ目が《宏村(こうそん)・中国名:ホンツン》だ。2000年に世界文化遺産に登録される前はただの鄙(ひな)びた田舎の村だった。何がポイントで世界遺産になったかと言うとここが桃源郷のモデルになったのではないかと言われていたからだ。桃源郷は5世紀初めに活躍した詩人陶淵明が詩の中で描いた理想郷だ。河に沿って山あいに入り込んだ漁師が一面桃の花で覆われた村に迷い込む。そこでは人々が争いの無い平和で幸せな生活を営んでいた。一度国に戻った漁師が再度探し求めたが、二度とたどり着くことはなかったというもの。浦島太郎の原話といっていい様な話だ。竹林の七賢に憧れ、晴耕雨読の生活を理想としているジュオジンにとっては是非一度は見ておきたい古村落だ。午後はその桃源郷の見学だ。

 レストランから出て、バスを待つため、道を渡った川べりの広場のような場所で黒崎団長と立ち話をしていると道路の方でドスンという鈍い音と共に悲鳴が上がった。何だろう?事故か?「我々の仲間じゃなければいいんだか?」団長が心配そうに言う。ジュオジンは話を中断して様子を窺いに近寄った。そこに見えた光景は我がグループのDr.山中の横たわる姿だった。その横にはバイクと中国人らしき運転手も転がっていた。そばにいたツアーメンバーがDr.の巨体を助け起こしていた。その人が「大丈夫ですか?」と尋ねると助けを拒むように振り切って、自分で立ち上がり、「ありがとう。なんてことない。大丈夫です」と言いながら、ライダーに近寄り「あんた、大丈夫?」と気遣った。男は中国語で何やらブツブツ呟いた後、バイクを起こし、さっさと立ち去っていってしまった。ジュオジンを含めた何人かがDr.山中を取り囲み、安否を問いただす。手の甲が見る間に腫れ上がった。あちこちから手が出て、絆創膏やら湿布薬やらが差し出された。「病院行った方が良いんじゃない?」誰かが言う。「いや、大丈夫、湿布薬で十分だよ」Dr.は気にかけず、平気を装う。本人としては事を大げさにしてメンバーの中のトラブル発生ナンバーワンに成りたくないという気持ちがありありと見えている。原因が左側通行の日本と勘違いして、右手にばかり気を取られてしまった自分のミスによるものだということも恥じての発言らしいが、兎に角本人の自己申告を周囲としても信用せざるを得ない。幸いにしてその後も大事にならずに済んだ。Dr.にとって残念なことには、このトラブルの情報は忽ちツアーメンバーの隅々まで伝わってしまった。ぶつけてきた相手を訴えることもなく、黙って立ち去らせたという人柄の良さも含めて。



 全員を乗せたバスは間もなく《宏村》に到着した。


村全体が風水思想をベースに建造されている。特に水を有効利用しており、村全体を水路が駆け巡っている。村民はその水で炊事、洗濯をし、さらに床下へも水路を経(へ)廻(めぐ)らせることでエアコンとしての利用もしている。民家は明、清時代の物が残っており、日本の白川郷同様、住民が住んだまま世界遺産となっている。ふつうの民家が土産物屋と化している所もある。観光客がいなければ静かな村なのだろう。しかし、ここが桃源郷に匹敵する場所なのかどうかは通りすがりの観光客には分からない。長いこと住んでみてその実態が分かるというものだろう。所詮、観光地と言うものはそういう所なのだ。感動らしい感動を受けぬまま、ジュオジンにとって十五ヶ所目の中国世界遺産の旅は終わった。
夕方、麓の屯渓(とんけい)に戻り、レストランで夕食を摂り、その後、現地旅行社の配慮で旧繁華街『老街』に繰り出し、散策した。マッちゃんとDr.山中は当初、怪しげなマッサージを受けてみたいと意気込んでいたが、身の危険を感じたのか、期待は萎んでしまい、商店街の冷かしに終始していた。ジュオジンはマッちゃんの付き人兼通訳で、マッちゃんがほしいものがあると得意な中国語でダンピング交渉に当たった。静岡から参加した山下チームの一員、阿部ちゃんは通訳なしの体当たりでチャイナドレスの価格交渉に当たったが、韓国人と間違えられ、定価をウォンで答えられ、交渉決裂したらしい。その後、ガイドの周さんの助けを借りたが、値段を叩くとそれなりの商品しか出さないとのアドバイスを受け、少しだけ負けさせて落札させた。後日、このチャイナドレスは船上パーティで彼女を美しく引き立たせることになった。

 一行は怪しげマッサージを諦めたマッちゃん、Dr.山中を引き連れ、ホテルに戻った。何とも物足りなさを感じていた二人は山下チーム全員に招集を掛け、ホテルの部屋での飲み直し会開催を提案した。前夜のホテル到着が遅かったので、夜の懇親会は初めてだ。空港で買い求めた宴会用ウィスキーは昼間のバスの中でとっくに飲み干してしまった。どこで調達してきたのか、それぞれがビールや紹興酒、白酒(ばいちゅう)、つまみ等を持ち寄って大宴会となった。話しは怪しげマッサージを諦めて欲求不満の貯まったマッちゃんから自然と出た。内容からそれほど過去の話ではないようだ。まだ現役の時代と言うことなので十年前ぐらいの話だろう。大阪駐在時代に東京から大阪へ帰る新幹線の中で出会った女性との物語だ。グリーン車の指定席に行ってみると自分の座席番号の所へ美しい女性が座っていて、居眠りをしていた。仕方なく、隣の席に座り、目が覚めるのを待って、座席違いではないかと話しかけた。普通の人間なら「すみません」で席を代わって終りなのだろうが、EQ指数の高いマッちゃんはそこから話をつないで彼女と親密になってしまう。騙したのか騙されたのか、まんまと相手の電話番号と住所を聞き出してしまう。そして、その後、二人は抜き差しならぬ関係に入ってしまう。ところがそれは単なる情事では終わらなかった。相手はやくざの女房だった。その上、女性には息子もいて、息子が購入した車の保証人に何故かマッちゃんがなってしまったのだ。話しはこじれ、息子がローンを払わないものだから、マッちゃんの所へ督促が来て、最後は裁判沙汰になってしまった。結果、マッちゃんは三百万円を支払わされる羽目に陥った。まあ、命を取られなかっただけ幸運と考えるべきだろう。それ以降、奥さんからの信頼は失墜し、クレジットカード取り上げの禁治産者扱いをされているとのこと。もっともそれで懲りたかと言うとなんのその、その後も色々と悪行を続けているようだ。こんな話をしているとあっという間に時間は過ぎ、日にちが変わっていた。いよいよ今日は黄山だ。睡眠不足は禁物。みなそそくさとそれぞれの部屋へ退却して行った。

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