Tabi-taroの言葉の旅

何かいい物語があって、語る相手がいる限り、人生捨てたもんじゃない

救世主イエス伝説

2002年03月25日 | 名言

3月24日の「知ってるつもり」は12年間も続いたこの番組の最終回にふさわしく、イエス・キリストでした。 キリストに影響を受けた人々の珠玉の言葉が、司会の関口 宏さんと水野真紀さんによって、淡々と朗読されました。

ただ良い言葉だと聞き流すにはあまりにも勿体なくて、番組をご覧になった方も多いとは存じますが、敢えて11人全員の名言を書き写しましたので、ご一読下されば幸いです。

アンドリュー・カーネギー
「神の国は汝らのうちにあり」というキリストの言葉が私にとって正しい意識をもたらしたのである。 天国は、過去にでもなく、また将来にでもなく、現在、私たちの内にある。

マザー・テレサ
誰からも愛されず、必要とされないという心の痛み。 これこそがもっとも辛いこと、本当の飢えなのです。 パンへの飢えがあるように、 豊かな国にも思いやりや愛情を求める激しい飢えがあります。 与えて下さい。 あなたの心が痛むほどに・・・・

アインシュタイン
私が信じるのはただ一つ。 他人のために生きる人生のみが生きるだけの価値があるということだ。

ヘレン・ケラー
私たちにとって敵とはためらいです。自分でこんな人間だと思ってしまえば、それだけの人間にしかなれないのです。

野口英世
家が貧しくても体が不自由でも 決して失望してはならない。 人の一生の幸せも災いも、自分から作るもの。 周りの人間も、周りの状況も、自分が作りだした影と知るべきである。

ナイチンゲール
私は十字架にかかったキリストこそ、神の最高の表現だと考えています。 神は私たち各人の中で、実際に日ごとに十字架にかかっていたもうのです。

マハトマ・ガンジー
キリストの静かな姿。 あれほどまでに忍耐強く、やさしく、愛に満ち、そしてののしられ、ぶたれても、 復讐するのではなく、もう一方の頬を向けよと 弟子たちに教えた、許しに満ちた人生は、完全な人間の美しい実例だと、私は考えていました。

キング牧師
私は弱かった。 正直を言えば、死ぬことは恐怖だ。だが、信じていることのために生きなければ何の価値があるだろう。

山本周五郎
人間の真価は、彼が死んだとき、何を為したかではなく、何を為そうとしたかである。

遠藤周作
人間は永遠の同伴者を必要としていることを イエスは知っておられた。 自分の悲しみや苦しみを分かち合い、共に涙を流してくれる母のような同伴者を必要としていることを・・・・・

アルベルト・シュバイツァー
人間への信頼が私を支えている。 私は信じようと思う。 自らの苦しみを救われたが故に、同じ苦しみにある人々のために働くことを惜しまない人間がたくさん見出されるであろうことを。


おかまの涙

2002年03月25日 | フランス
ライトアップされたモンサンミッシェル

ノルマンディ地方、モンサンミッシェルへの一泊小旅行から再びパリに戻ってまいりました。 シャルトルの大聖堂とモンサンミッシェル寺院をこの目に焼き付けてまいりました。

今回のフランス世界遺産を巡る旅は、総勢35名でした。 夫婦が4組、我々が6人組、それ以外はほとんど若い女性客でした。 ところがその中にたった一人で参加した金髪頭の男性がいたんです。 当初からすこし雰囲気が妙だな!と思っていたのですが、ご自分でも堂々と女言葉を話すんです。そうおかまさんです。

「自分でも変な趣味を持ってしまって・・・ かつては人に言えないほど苦労したのヨ・・・・身から出た錆よネ」とあっけらかんと話す彼?は、むしろすがすがしいほどでした。 彼は昔、友達にモンマルトルのサクレクール寺院が描かれた一枚の絵をプレゼントされたのだそうです。 一度はその実物を見ようと、やっと今回の旅行が実現したのだそうです。

なぜかシャンソンなどにもとても詳しい彼は、ツアーも中盤には、「コンちゃん、コンちゃん」(本名が今野さん)と皆の人気ものでした。 帰りの座席は窓側の3席。私たち夫婦の隣がその彼でした。

「私たちがモンサンミッシェルの帰りにオンフルールの街に寄ったじゃナイ!」
「あの街からさほど遠くない港町でモネが『印象日の出』を書いたのヨ」
「それが後の印象派の語源になったんだって!!」
おかまさんも美術が好きなんだと微笑んで聞いていました。

「シャルトルに向かう時に霧が濃かったわよネ」
彼は一人つぶやくようにこう続けました。
「あの霧こそが印象派の原点だと思うノヨ」参りました!彼の感性に脱帽でした。

「私は絵を見て泣くことがあるの」
「昔のヨーロッパの人たちもあんな絵や、キリストに 縋らなければ生きられないほど辛いことが多かったんダワ」
「結局、幸せな人にはどん底の人間の気持ちは理解できないのよネ」

ここまで話してくれて、すっかり気持ちが通じたからでしょうか?
コンちゃんは池袋のサンシャイン通りで小さなおかまバーをやっているんだとお店の電話番号をくれました。


アントニオ・ガウディ

2002年03月05日 | スペイン
月曜の「知ってるつもり」はアントニオ・ガウディでした。番組中にちりばめられた素敵な言葉は一人で味わうにはもったいないほどでした。いくつか書き留めました。

バルセロナの空に向かってどこまでも伸びてゆこうとする教会建築、サグラダ・ファミリア・・・今から100年前、ガウディが建設にあたっていたこの教会は、彼の死後70数年も経った今もいまだ完成されることなく、今もなお、その工事は延々と続けられているのである。ガウディの代名詞とも言うべき代表作でありながら、まだ未完の建造物であるがゆえに、サグラダ・ファミリアは世界遺産の指定からも外れている。そして天に向かって伸びゆく塔の、その全てが出来上がるのは果たして100年先か200年先か・・・誰にも分からないとさえ言われているのである。

人間は創造しない、発見する。独創とは起源に帰ることである。
私は創造者ではありません。コピーをしているのです。自然からコピーを取っているのです。
貧乏と貧困を混同しない方がいい。
貧乏は優雅さと美に通じているが、貧困は飢えと恨みに通じている。
富は贅沢と面倒を生み出す。貧乏は人を気高くする。

晩年のある日、一人の記者がガウディに訊ねました。
「あなたは素晴らしいオリジナルの物を作り出しますが、そのオリジナリティの先生は一体誰ですか?」

ガウディーは外を指差して言いました。「あそこに私の先生がいます」
そこにあったのは一本の枯れかかった木でした。

私が心を開いて、努めて読むのに適切な偉大な書物は・・・自然である。
                             <アントニオ・ガウディ>