1683年9月11日、トルコ軍のウィーン包囲。この日歴史は動いた。
いまでこそヨーロッパの食卓に欠かせないクロワッサン(三日月)は、この時にトルコ軍により伝えられたものなのだ。
金の三日月をあしらった緑の軍旗を掲げるトルコ軍30万がウィーンに迫っていた。迎えるウィーンの兵力はわずか1万5千。若き勇将オイゲン公率いる槍騎兵やザクセン、バイエルンなどの援軍を含めても5万足らずだ。さらに名将の誉れ高いポーランド王ヤン3世ソビエスキが4万の援軍を従えてウィーンを目指していた。
果たして、キリスト教勢力は神聖同盟として一致団結し、ウィーンを守り抜くことができるのか。絶体絶命の淵で、神聖ローマ帝国皇帝レオポルド1世が呼び寄せたのは軌跡の修道士マルコ・ダヴィアーノだった。
イスラム教勢力の脅威が頂点に達した1683年9月11日。ついにヨーロッパの運命を賭けた世紀の大決戦の火蓋が切って落とされる。
運命の決戦当日。マルコは全兵士を前に高らかに宣言する。
「諸君はウィーンだけでなく、信仰と伝統を守っているのだ。
子供たちが、家族が、自由に神を称賛し、キリストを愛するために。
この自由は諸君の戦いによってもたらされる。」
ハプスブルク家、レオポルド1世の家計図はこちら