Tabi-taroの言葉の旅

何かいい物語があって、語る相手がいる限り、人生捨てたもんじゃない

広告

※このエリアは、60日間投稿が無い場合に表示されます。記事を投稿すると、表示されなくなります。

魔笛とイシス神殿

2018年06月24日 | 日記
コンサートチラシ

安藤マエストロ率いるフルオーケストラ演奏によるLe Voci第17回公演「魔笛」を聴いてきました。

歌唱を中心としたコンサート形式でしたが、理解の助けに!とのご配慮で、ステージ正面の大スクリーンには字幕と共に進行に合わせた画像が映し出されていました。ザラストロの聖なる神殿として使用された画像は何とエジプトのカルナック神殿でした。


ライトアップされたカルナック神殿


秘密結社フリーメイソンの一員だったモーツァルトはこの生涯最後の名作オペラの舞台に古代エジプトを選びましたが、実はヨーロッパ中を旅したモーツァルトですがエジプトには行っていません。
モーツァルトはどうやってエジプトの神殿をイメージできたのでしょうか?


モーツァルトの旅の軌跡

ナセル湖、フィラエ島のイシス神殿


モーツァルトは若干13歳のイタリア旅行の際にポンペイ遺跡のイシス神殿を訪れています。
そしてその時の印象こそがこの「魔笛」の創作への大きなインスピレーションになったのだそうです。


ポンペイ遺跡のイシス神殿


ザラストロが太陽を讃え、イシスとオシリスを讃える大合唱のうちに三つの試練に打ち勝ったタミーノとパミーナが祝福される感動のフィナーレ。

感動のフィナーレ


「魔笛」に頻出する「3」という数字ー3人の侍女、3人の童子、3つの試練、3つの和音等はフリーメイソンの重要な象徴だったんですね! いやぁ~!オペラって面白い\(^o^)/
コメント

強運に感謝

2018年02月28日 | 日記
舌裏に出来た白板症を無事削除しました。
イケメン先生には「早期発見で良かったです!強運ですネ❣️」と笑われました💗

新春オペラ鑑賞後の懇親会、硬い肉を噛んだ際に義歯が取れてしまった事がキッカケでした(^O^)
タヒチ旅行中に美味しいものが食べられないのは寂しいからと、地元大学病院に直行しました。

その際、義歯は直ぐに直して頂いたのですが、「時間が許せば口腔外科で舌を見て貰って下さい」の指示。戸惑う暇も無くその日のうちににレントゲンから組織検査まで進みました。

まあFacebookでは皆様にご心配をお掛けするまいと黙っておりましたが、本日無事に摘出手術が終了、組織検査結果も良性でした事をご報告申し上げます。

手術そのものは全身麻酔でしたので痛くも痒くも無かったのですが、術後は流石に気持ちも乗らず、今やっとこうして皆様にご報告させて頂く気分になったという次第です。

入院は約一週間。自力で食事が出来る様になったら退院する予定です。
巷に流れる「チョット喋り過ぎだから丁度良い!」などの嬉しい励ましには反して、桜満開の頃にはいつもの毒舌を復活させたいと願っておりますので、今後共何卒お見捨て無きようよろしくお願い致します💗
コメント

嬉しいことがありました!

2018年01月12日 | 日記
1993年、三洋電機医療機器販売代理店ホノルル招待旅行。左端が岡宮君


今日は600名を超す参加者で大盛況の新春講演会。忙しく動いておりますといきなり一人の男性から山下さんですネ?と声を掛けられました。

私が三洋電機に転職したのは37歳の時。
「手配するだけだった旅行部門を提案力のある旅行会社に!」という大きなミッションを果たすにはどうしても団体営業ができる中堅幹部が必要でした。そこで他社から引き抜いたのが岡宮君でした。

彼と組んで何本のツアーをこなしたことでしょう。彼との思い出は、それまで大手旅行会社が一手に担っていた販売店招待旅行を次々と奪回していった15年間に沢山詰まっています。

ある事情により私が三洋電機を去った後も、彼の活躍はちゃんと私の耳に届いておりました。そんなある日、三洋電機の消滅の衝撃ニュースが流れました。10万人超の巨大企業が倒産を経ずにパナソニックの完全子会社になることで事実上消滅するという日本の経済史初のケースでした。

多くの社員が社外に去る中で、岡宮君はパナソニックの旅行部門への転籍を果たしました。彼の人柄と実績あってのことではありますが、やはり誰にも真似のできない大きな幸運であったことは言うまでもありません。

「岡宮君はうちの重要な戦力として今も頑張ってくれています」
今日、わざわざ会場で声を掛けてくれて、こう語った人こそ、パナソニックグループ、エムハートツーリストの杉山社長だったのです。

今年は良いことが起こりそうです\(^o^)/
コメント

ドン・ペドロの首~旅情編

2016年09月18日 | スペイン
「カペサ・デル・レイ・ドン・ペドロ通り」を見下ろすドン・ペドロ


スペインのアンダルシア地方セビリアの町には14世紀のカステリア王ドン・ペドロ1世(在位1350-1369)が残した建造物が今も残ってます。
ひとつは、いうまでもなく彼が完成した優美で官能的なムデハル建築の王城(アルカサル)であり、
そして、もうひとつが「ドン・ペドロ」の首といわれる胸像です。

若干15歳の若さで国王に即位したドン・ペドロは、長く続く隣国アラゴンとの闘い、自国の内戦の時代において、国王の権威と自国の栄光を求めて勇猛と策略と残酷さで荒涼たるスペイン全土を駆け巡り続け、波乱に満ちた生涯を送りました。

直情的な激しさと、正義心に富んだ寛大さを持った彼の性格は「残酷王」と「審判王」という相反する二つの呼び名を彼に与えました。
彼の正義は、混乱した中世社会に法と秩序を打ち立てようとするものであり、彼の裁きは常に公平で峻厳なものでした。

彼が19歳の時の話です。
セビリアの街の治安の悪さを嘆いた王は、「街中で殺人を犯した者は直ちにその首をはね、見せしめのために殺人現場にその首を晒す」との布告を出した。
ある夜、お忍びで見回りしていた王は、王の素性を知らない若い貴族との争いになり、ついにその貴族を斬り捨ててしまう。
王は慌てて王城に逃げ戻ったものの、運の悪く、その一部始終は一人の老婆によって目撃されていた。
老婆の通報は、ついに王にまで伝えられ、そして犯人の特徴は王を示すものだった。
なんと、王自らが人殺し?!驚く市民たちの前で、彼は潔く己の罪を認め、自分の出したお触れに従うように命じた。
こうして殺人現場にはドン・ペドロの石造の首が晒されたのである。
いかに国王と言えども、法を犯せば首を晒されることをセビリア市民に示した英断だった。
いつしか彼の石像の首が晒された街路はカンディレホ(ろうそくの灯)通りと呼ばれるようになり、セビリアの街の名所となった。


「審判王」の呼び名の通り、常に公平で公明正大であり続けたドン・ペドロ1世ならではの逸話です。
ドン・ペドロの首は17世紀に胸像として復元され、現在でも「カペサ・デル・レイ・ドン・ペドロ(ドン・ペドロの首)通りの迷路のような狭い街角を見下ろしています。

因みにドン・ペドロの首が晒されたカンディレホ通りは、プロスペル・メリメ原作のオペラ「カルメン」の中で、カルメンとドン・ホセが初めて逢引きする場所でもあります。

今は「アルファルファ通り」とその名を変えたカンディレホ通りを歩きながら、スペインがまだカステイリャであったドン・ペドロの時代に思いを馳せる・・・旅心がそそられます。
コメント

死者よりの便り

2016年05月25日 | 日記
私が22歳で就職した会社は今は無き東京観光㈱でした。
当時の社長は吉村光雄さんと言って、現在私が事務局を勤めるトラベル懇話会を作った方です。

今年で創設39年目を迎えるトラベル懇話会・・・
最初の会社の社長が創設したこの会に、こともあろうに定年を経て再びお世話になるという不思議なご縁を、
どうしても墓前にご報告したくてお墓参りさせていただいたのは一昨年の秋のことでした。

その時、お参りにご一緒した金徳さんより、
「吉村さんの奥様が、我々の墓参りを大層喜んでおられたよ」
「あまりに感激したので、奥様は山下君にお礼の手紙を出したそうだヨ!」
との知らせがありました。

しかし、同じ鶴見区内で引っ越ししたことを知らない奥様の手紙が私の手元に届く筈は無く、
奥様は昨年夏、そのまま帰らぬ人となりました。

時は巡り、本日、故吉村社長のご長男のオフィスを訪ねました。
トラベル懇話会での例会の講師をご紹介いただくためでした。

打ち合わせが終わるやその息子=吉村さんから一通の封筒を手渡されました。
「母の遺品を整理していたら出てきました」と・・・。
封も開けてないままのその手紙を見た瞬間、私はあの時のお礼状に違いないと直観しました。

お墓参りへの丁寧なお礼の言葉が綴られたこの歳月を経た封筒は
きっと今はご主人と二人仲良くお過ごしの天国からの贈り物に違いないと、
身震いするほど感動いたしました。

この奇跡の手紙は永遠に保存させていただきます。
コメント (2)

あれから40年・・・

2016年04月26日 | 日記
あの日もロビーを飾った5月人形


「その“星雲の間”は、今は“ケンジントンテラス”という名前に変っております」
笑顔の素敵な接客係さんからの明るいお返事でした。

ロビーコンサートを聴くために久し振りにホテルオークラに行ってきました。

コンサートも終わった帰り道、余りににこやかなその女性に、
「昔、星雲の間で結婚式を挙げたんです!」と話し掛けたときのことでした。

22歳で就職した会社は東京観光!
その今は無き中堅大手の旅行会社があったのは虎ノ門。
会社から近いこのホテルは公私に亘り本当に良く利用させていただいたものでした。

あれから40年・・・綾小路君麻呂さんのギャグではありませんが・・
1975年4月29日に結婚式を挙げた私たちは、今週末結婚40周年のルビー婚を迎えます。

ソプラノ嘉目真木子さんが清らかに歌う
ジャンニ・スキッキの♪私のお父さん♪を聴きながら・・・
激動の昭和の時代とともに、いろんなことのあった家族の40年を感慨深く振り返りました。

それにしても、ふと、そんなお話しをしたくなるほどのスタッフさんの笑顔の素敵さこそが、
今も昔も変らないこのホテルの人気の秘密なんだなぁと実感しました。

コメント (2)

世界遺産 万里の長城

2016年02月19日 | 雑学
巨大な守りの壁がもたらしたものは、実に皮肉な結末だったのです。
史上最強の城壁、世界遺産=万里の長城の光と影。

史上最強を誇った明の長城・・・

しかし、この時の修復で莫大な国費が費やされたといいます。
明はゆっくりと疲弊し、威継光(せきけいこう)も失脚します。

その後、北方から満州族が侵入。
新しい王朝、秦として中国を支配するまでにさほど時間はかかりませんでした。
このとき、明の武将自らが長城の門を開け、敵を迎え入れたといいます。
完璧なる守りを手に入れた時、明は内部から滅びたのです。

長城とは何だったのでしょう?
遥かなる攻防の果てに、ひとつながりの巨大な壁だけが残されました。

コメント

家族、祖国のため死ぬ

2015年06月29日 | 下田
祖母、33回忌 海善寺


「語り継ぐ、伊豆の戦争」という特集で伊豆新聞5月24日版に父の手記が掲載されました。
戦後70年の節目の年・・・戦争について、平和について考えさせられます。

コメント

本当はベートヴェンのこと 大好きだったんだ

2014年11月27日 | 日記
久元祐子さんが弾いたベーゼンドルファ


「僕はどちらかと言えばベートーヴェンは好きじゃないなぁ・・・」
その方の口癖でした
元気いっぱいのその方と久元祐子さんのリサイタルにご一緒し、
「モーツァルトが愛したピアノ」の音色に感動したのは・・・
先月の30日、本当についこの間のことでした

訃報を聞いて遠路はるばる駆けつけてくださった久元さんが
心を込めてその方に捧げるピアノ曲を献奏してくださいました

なんと、名器ベーゼンドルファから流れてきたのは・・・
♪月光♪

久元さんがそっとつぶやきました
「笠原さん、本当はベートーヴェンが大好きだったのよ」と

クラシック音楽を愛し、そしてまた仲間を大切にする方でした
ご自宅の隣に、わざわざ囲炉裏付きの音楽サロン「青藍」を建て増しし、
多くの音楽家を招いてはサロンコンサート=夢塾(MUSICA)を主宰してくださいました

青監に集うたくさんの音楽ファンを迎える笠原翁

その笠原尚夫さんが永眠なさいました

久元さんの指先が紡ぎ出すモーツァルトの協奏曲23番~アダージョの哀愁の旋律は
笠原さんを慕って集まった皆さんに
今は無き音楽サロン=青監で流れた多くの名演奏と
屈託のない笠原さんの明るい笑顔を思い起こさせたに違いありません

笠原翁のご冥福をお祈りし、これまでいただいた多くのご厚情に心より感謝申し上げます
有難うございました
コメント (4)

便利な世の中

2014年11月09日 | 日記
ANAの自動チェックイン機


息子の海外出張を見送りに、羽田空港へ行ってきました。

首都高速は「ETCカード」
ANAへの搭乗手続きは、「マイレッジカード」で自動チェックイン

親子三人でお茶した支払いは「楽天カード」

駐車場の入口での「自動精算機」へは「Edy」をかざすだけ
精算データが駐車券に登録されたらしく、駐車場出口に近づくや、ゲートが自動オープン

結局、現金は一円も使うことなく行って帰ってきました。

家に帰ると、留守中に宅配が届いたらしく「不在票」
フルタイムロッカーに「FTSカード」を入れたら、「ネットショッピング」した品物が出てきました。

まあ、なんとも便利な世の中になったものです。
コメント