Tabi-taroの言葉の旅

何かいい物語があって、語る相手がいる限り、人生捨てたもんじゃない

歌劇「アイーダ」

2003年06月28日 | エジプト
ディッチ・ディガー(DITCH DIGGER)とは、「みぞ堀り人夫」のことです。スエズ運河の開発には格別新しい土木技術上の冒険はなく、ただひたすらに堀り続ける人間のエネルギーだけが必要でした。それゆえ、スエズ運河は「みぞ掘り人夫の壮大な夢」と呼ばれました。

フランスの外交官レセップスによって1859年に着工されたこの運河は、幾度かの危機を乗り越えて1869年に完成しました。地中海と紅海をつなぐ全長168キロ、幅22メ-トル、深さ8メートルのこの大運河の建設工事には、エジプトの大守サイド・パシャの尽力によって、月々2万5千人のエジプト人労働者が提供されました。それは、エジプトの太陽のもとで繰り広げられた希にみる過酷な難工事だったのです。

このようにして開発されたスエズ運河が、人類の輸送史上いかに画期的な出来事であったかは、世界地図を広げてみれば明らかです。巨大なアフリカ大陸を迂回せざるを得なかったヨーロッパとアジアの通商航路は、スエズ運河によって一挙に短縮されました。あのナポレオンも夢見て果たせなかったスエズ運河は、一人のフランス人と無数のエジプト人が作ったのです。物を作り、運ぶことによって文明を築きあげてきた人類は、その大いなる「運ぶ知恵」を歴史の上にいくつも刻んでいるのです。

1869年、その栄えある開通式に、イスマイル・パシャはオーストリア皇帝やナポレオン三世をはじめヨーロッパ諸国の元首と名士を招待しました。開通式に集まる来賓のために建てられたのがカイロ・オペラ座でした。そしてそのオペラ座のこけら落としに演奏される筈だったのが『アイーダ』なのです。当時58才、最高の円熟期にあったイタリアの作曲家ヴェルディ-の傑作オペラです。この『アイーダ』の切符をGETいたしました。古代エジプトの命を賭けた恋物語・・・・久々に心に栄養を補給してまいります。