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Tabi-taroの言葉の旅

何かいい物語があって、語る相手がいる限り、人生捨てたもんじゃない

感動のコンサート

2006年12月28日 | 名言
2006年12月27日 サントリーホールにて


昨夜の「第九」は素晴らしいコンサートでした。冒頭の第一楽章から何かが違っていました。コバケンさんが指揮台で舞いました。それにティンパニー、森さんが応えました。100名にものぼる日フィルの全メンバーが一本の指揮棒の下に一糸乱れずに統率されたのです。素晴らしい一体感でした。

200名の合唱団が加わった後も、そのまとまりは少しも乱れることはありませんでした。全く違う第九を聞いた思いでした。偉大なのはベートーベンでしょうか。それを表現する演奏家なのでしょうか?

演奏を終わった後の、指揮者、小林研一郎さんの言葉です。
「私たち演奏者は、ベートーベンの行間に潜む宇宙を見ようと頑張ってきました」「でもそれはあまりにも果てしなく、もしかしたら、まだ半分も辿れていないのではないかと思うのです」

音楽って凄いですね!!閉演後、ティンパニーの森さんがそっと私を手招きし、かのサントリーホールの舞台に引き上げてくれました。旧友との再会。彼の愛用のティンパニーをバックに、一生の記念になる写真を撮っていただきました。

「時間」は良き友

2004年08月06日 | 名言

時計の針は、いつも、12時間。 機械じかけの人工的な時間。いつも思っているのですが、本当は時間てとっても冷酷ですよね! このまま止まって欲しいと思う至福の時も、早く過ぎ去って欲しいと思う苦悩の時も、そんな人間の感情には全くお構いなしに、たんたんと、あまりにも正確に、ただ過ぎ去ってゆきます。

毎日来るもの・・・夜明け
毎月来るもの・・・月の満ち欠け
毎年来るもの・・・お正月、四季の移ろい、誕生日
四年に一度来るもの・・・オリンピック、ワールドカップ

十年ひと昔という言葉があります。とすると私は5つもの「昔」を生きてきたのでしょうか?人ために尽くせたのか? 家族を愛せたのか?社員のために、地域社会のために、ふるさとのために役立てたのか・・・・?

今回、新しく更新された免許証をしげしげと眺めました。次回の更新は平成21年と記載されています。5年後、おまえはどこでなにをしているのか?! 今年もまた、こうして誕生日を迎えるにあたり、せめて、時間に追われるのではなく、時間をよき友人として、時間と仲良く生きていきたいものだとの思いを強くいたしました。

 マクベス
 あすが来、あすが去り、そしてまたあすが
 こうして一日一日と小きざみに、時の階(きざはし)を滑り落ちていく

                                広島原爆記念日

文明人と野蛮人

2004年07月20日 | 名言

みなさんはひいおじいさんの名前を言えますか?
文明人と野蛮人を区別する方法はひとつしかありません。野蛮人は、ひいおじいさんのことを何も知らない、名前も知らない。しかし、文明人はひいおじいさんどころか、かなり上まで名前を知っている。つまり野蛮人は死んでしまった人のことは記録しない。文明人はすべて記録する。これだけが違いです。

中国では一つの王朝が滅びますと、新しい王朝が前の王朝の歴史を編んできました。こんな不思議な伝統を、誰がいつ初めたのかはわかりませが、非常に古くからありました。

野蛮人と文明人の違いは、後世を意識することです。

つばめを見た少年

2004年07月04日 | 名言
つばめの来る地方がある。つばめの来ない地方がある。
つばめの来る家がある。つばめの来ない家がある。
親つばめが子つばめにえさを与える姿を見た少年がいる。
つばめがえさを与える姿を見たことがない少年がいる。

人はどうすれば人に優しくなれるのでしょうか?

ボブとその仲間が「親つばめが子つばめにえさを与える姿を見た少年」であったことは素晴らしいことです。少年時代に見て感じたものは、その人の原風景となり、いつまでも心の奥深くに刻まれるからです。

アフリカの水を飲んだ者は、必ずアフリカに戻ってくる・・・
下田の家にもつばめが来たものでした。
少年の頃の自分に、また手紙を書きたくなりました。

人生は夢にすぎない

2004年04月26日 | 名言

上智大学の大久保先生からこんな素敵なメールが届きましたのでご紹介させていただきます。こんな淡い先生との思い出・・・貴方にもきっと遠い昔の、生きることが謎に満ちていた日々が蘇ることでしょう。

蘇える歌声

小学校の時の思い出である。大学を卒業したばかりの、新任の瑠璃子先生が赴任してきた。まだ新学期で、窓の外には春の光がみちあふれていた。瑠璃子先生は、黒板に歌詞を書き始めた。「これから、歌の歌詞を書きます。皆さんは、いま、まだ意味はわからないと思いますが、これから書くこの歌を覚えてください。いつか意味がわかる時がきっときます。その時がきたら、ことばの意味を考えてください」

「ロー ロー ロー ユア ボート、ジェントリー ダウン ザ ストリーム、
メリリー メリリー メリリー メリリー、ライフ イズ バット ア ドリーム」

先生は、このように片仮名で黒板に書き、生徒たちと歌の練習を始めた。子どもたちは、つぶらな瞳で、先生を見つめ、謎のような呪文のような歌詞をひたすら覚えた。呪文のように、何度もくり返し、この歌を歌い、歌声だけが耳に残った。

謎が解ける時は、意外にはやくやってきた。テレビ番組で『名犬ラッシー』が放送され、エピソードの中にこの歌が流れた。「漕げ、漕げ、船を 流れを下り 楽しい楽しい、楽しい楽しい、舟遊び」だが、謎はまだすべて解けたのではなかった。私は高校生になり、英文法と英文解釈の技術を学んだが、その後この歌を省みることはなかった。「漕げ、漕げ、船」の歌は、その後大学時代も、私は省みることはなかった。

歳月が流れた。歌の最後の一行は、Life is but a dream. 人生は夢にすぎない!
このことばの意味を、私が理解したのは、四十歳をすぎてからである。大学生の時、この言葉を訳すことはできたと思うが、その真の意味は分らなかっただろう。いま、この歌を思い出すと、春のあの教室、友たちの瞳がよみがえってくる。こどもたちの歌声は、室内に満ち、桜の花びらがひらひらと、風に舞っていた。歌のことばの意味が解らなかったように、窓のそとには謎がみち、人生には夢があった。教師が教えたことが、何十年の月日を経て、生徒に理解されることがある。あの時、ことばの意味がいつかわかるときがくると言った瑠璃子先生は、大学を卒業して教壇に立ったばかりだったが、「人生は夢にすぎない」ということばの意味を、いかなる経験をとおして知ったのだろうか。

花が匂い立つように咲き、春の光がみちていたあの日。あの歌声を思い出すと、生きることが謎にみちていた日々が蘇ってくる。

Row, row, row your boat. Gently down the stream. Merrily, merrily,
merrily, merrily. Life is but a dream.


行き交う年もまた旅人なり

2003年12月31日 | 名言
少年の一日は短く、一年は長い。老人の一日は長く、一年は短い。という言葉がありますが、一年がこんなにもあっと言う間に感じられるのは、私もいよいよ老人の域に入ってきたということなのでしょうか。生まれた土地の空気を吸いながら、こうして年の変わり目に身を委ねておりますと時の流れの無常を実感いたします。先人、三巨匠の言葉をご紹介して今年の投稿の締めくくりとさせていただきます。

松尾芭蕉は「人生は旅だ」と言いました。
月日は百代の過客にして行き交う年もまた旅人なり。舟の上に生涯を浮かべ、馬の口とらえて老を迎うる者は、日々旅にして旅を栖(すみか)とす。古人も多く旅に死せるあり。予もいづれの年よりか、片雲の風にさそはれて、漂泊の思ひやまず・・・。
時間という大きな、しかも決して止めることのできない流れ・・・時間はこうしてゆっくりと、しかも確実に流れてゆきます。そしてまた、何一つとして同じ状態で同じところにはとどまれはしないのです。

鴨長明、方丈記の書き出しです。
ゆく川の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず。よどみに浮ぶうたかたは、かつ消え、かつ結びて、久しく止とゞままりたるためしなし。朝(あした)に死し、夕(ゆうべ)に生るゝならひ、たゞ水の泡にぞ似たりける。不知、生れ死ぬる人、いづかたより來りて、いづかたへか去る。

さらに遠く英国の天才劇作家シェークスピアは彼の最後の作品となった「テンペスト」の中でプロスペローにこう語らせます。この地上に在るー切のものは、結局は溶け去って、いま消え失せた幻影と同様に、あとには一片の浮雲も残りはしない。

人生が朝顔の露の如きにはかないものなればこそ、人生がかげろうのようにはかないものなればこそ、私たちは今を、今日を、この瞬間を大切に生きなければならないのです。来るべき2004年が皆様にとってたくさんの出会いと、たくさんの感動で彩られ心機一転、実り多き一年となりますように・・・・明日は、元旦の太陽に祈念してまいります。

世界はサムライを待っている

2003年01月19日 | 名言
竹本先生に直筆のサインを頂いた

全日本剣道連盟の講演会に行ってきました。竹本忠雄さんの講演に酔い、九段会館の酒に酔って帰ってまいりました。いわゆる講演会=人のお話でこんなに興奮したのは初めてです。

講演者の竹本先生は、今回の講演のためにわざわざパリからお越しになりました。「日本人の心・武士道」を広く世界に紹介すべくパリに住んで活躍中なのです。今年の大河ドラマ「武蔵」は竹本先生の提案で番組化が実現したのだそうです。講演会場となった九段会館は、昭和天皇の即位を記念して1934年に建設されました。かつては軍人会館と呼ばれ、現在は日本遺族会の本部が置かれています。竹本先生の欧州の騎士道と日本の武士道を対比させながらの講演にはぴったりの会場でした。

先生は語ります。
ラ・マンチャの男」は、松本幸四郎のこの台詞で幕を開けます。「騎士道が滅んで300年・・・・」
騎士道はルイ16世の処刑をもって終焉したが、武士道は終わっていない。絶たれた騎士道への見果てぬ夢こそが、欧州の人々の武士道への憧れとなっている。日本ほど武士道が長く継続している文明は他に類例を見ない。欧州ではキリスト教に支えられた王道が騎士道を生み出し、日本では仏教に支えられた皇道が武士道を育んだ。


竹本先生の夢は、かのルーヴル美術館で「宮本武蔵展」を開くことだそうです。また一人、大きく夢を育む日本人、日本人の心を持った日本人を知りました。

救世主イエス伝説

2002年03月25日 | 名言

3月24日の「知ってるつもり」は12年間も続いたこの番組の最終回にふさわしく、イエス・キリストでした。 キリストに影響を受けた人々の珠玉の言葉が、司会の関口 宏さんと水野真紀さんによって、淡々と朗読されました。

ただ良い言葉だと聞き流すにはあまりにも勿体なくて、番組をご覧になった方も多いとは存じますが、敢えて11人全員の名言を書き写しましたので、ご一読下されば幸いです。

アンドリュー・カーネギー
「神の国は汝らのうちにあり」というキリストの言葉が私にとって正しい意識をもたらしたのである。 天国は、過去にでもなく、また将来にでもなく、現在、私たちの内にある。

マザー・テレサ
誰からも愛されず、必要とされないという心の痛み。 これこそがもっとも辛いこと、本当の飢えなのです。 パンへの飢えがあるように、 豊かな国にも思いやりや愛情を求める激しい飢えがあります。 与えて下さい。 あなたの心が痛むほどに・・・・

アインシュタイン
私が信じるのはただ一つ。 他人のために生きる人生のみが生きるだけの価値があるということだ。

ヘレン・ケラー
私たちにとって敵とはためらいです。自分でこんな人間だと思ってしまえば、それだけの人間にしかなれないのです。

野口英世
家が貧しくても体が不自由でも 決して失望してはならない。 人の一生の幸せも災いも、自分から作るもの。 周りの人間も、周りの状況も、自分が作りだした影と知るべきである。

ナイチンゲール
私は十字架にかかったキリストこそ、神の最高の表現だと考えています。 神は私たち各人の中で、実際に日ごとに十字架にかかっていたもうのです。

マハトマ・ガンジー
キリストの静かな姿。 あれほどまでに忍耐強く、やさしく、愛に満ち、そしてののしられ、ぶたれても、 復讐するのではなく、もう一方の頬を向けよと 弟子たちに教えた、許しに満ちた人生は、完全な人間の美しい実例だと、私は考えていました。

キング牧師
私は弱かった。 正直を言えば、死ぬことは恐怖だ。だが、信じていることのために生きなければ何の価値があるだろう。

山本周五郎
人間の真価は、彼が死んだとき、何を為したかではなく、何を為そうとしたかである。

遠藤周作
人間は永遠の同伴者を必要としていることを イエスは知っておられた。 自分の悲しみや苦しみを分かち合い、共に涙を流してくれる母のような同伴者を必要としていることを・・・・・

アルベルト・シュバイツァー
人間への信頼が私を支えている。 私は信じようと思う。 自らの苦しみを救われたが故に、同じ苦しみにある人々のために働くことを惜しまない人間がたくさん見出されるであろうことを。


謹賀新年

2002年01月01日 | 名言
白濱神社

あけましておめでとうございます。 元日は故郷再発見の旅でした。 白浜にて、海から昇る初日の出を仰ぎました。 太陽が水平線から昇る瞬間を仰ぎ見る事ができました。

帰り道に白浜神社へ初詣でしました。 昨年、西城秀樹さんが結婚式を挙げたことで一躍有名になった神社です。 今年への期待を込めて御神籤を引きました。 何とも不思議な事に今の私の情況を言い当てておりました。

「我欲を捨てて、他人の幸福を念じる心になり切れば、広らかな、すがしい気持にかわって来る」

今年も「与えるのが愛」の信条は変えずに頑張ります。 故郷の空と海、そして一片の御神籤から希望と勇気をいただいてまいりました。


青二才

2001年03月15日 | 名言

人はひとりでは生きられません。他人を思いやる気持ち、相手の立場に立って物事を考える。これからはそういう気持ちを育むよう、「心の教育」が必要です。

群馬県の蔓松山、崇禅寺の住職、岩田利光氏に伺った話です。「日本では、戦後、心の支えである宗教心を育てる教育がなくなってしまった。」と嘆いたあと、こう話してくれました。

仏教の教えによれば、人間が人間であるための根本は魂である。魂という漢字の右半分は鬼という字である。本来人間の心には鬼が存在する。自分の事だけしか考えられず、自分さえ良ければよいというのが餓鬼である。もう一方の半分は仏である。自分の力、エネルギーを人のために使うという思いやりの心を仏教では慈悲、キリスト教では愛という。

さらに住職は続けます。
人は生まれて直ぐに一歳で天の気を得る。次に二歳で地の気に触れる。そして三歳で人の気を受けるのである。だから人の気持ちを理解できない人間、人によって育てられなかった人間は、青二才と言われる。

なるほどなと納得しました。


秋の大雨

2000年09月12日 | 名言

二十世紀最後の、暑い暑い夏が過ぎました。
「古今集」秋歌の巻頭に配されている一首、「秋来ぬと目にはさやかに見えねども風の音にぞおどろかれぬる」
平安の歌人 藤原敏行が詠んだ歌です。
秋のけはいを感じ、ふと聞こえてきた風の音に訪れる季節を知る。
今よりも時の流れがゆるやかだった時代、この国の人々は、そんな何げない一瞬一瞬を豊かに暮らしていたんですね。
慌ただしく今を生きる私達にはそんな感性は無くなってしまったのでしょうか?

それにしても昨日からの大雨、「ふと聞こえてきた風の音」などとはほど遠い大自然の猛威でした。


卒業式

2000年03月26日 | 名言
上智大学卒業式

会社を一日休んで子供の卒業式に行ってきました。幼稚園の運動会と中学の入学式以外、全く学校の行事に参加できなかった私も、これが最後の卒業式かと思うと、これまで大して親らしい事もできなかった事に対する罪滅ぼしという気持ちもあって、戸惑いながら一人会場に向かいました。

早めに会場に着くと、開演までの時間、大学のオーケストラが演奏をしてました。曲は大好きなワーグナーの「ニュールンベルクのマイスタージンガー」。さながらちょっとした演奏会です。こんなことならもっと早く来ればよかったなどと思っているうちにいよいよ式典の始まりです。

聖書の朗読や聖歌隊の合唱などで心が洗われた気分のうちに、学長や理事長などのご挨拶。皆様の声の良いことに驚かされました。やはり、人の上に立つ人は声がいいのだなと感心いたしました。ヨーロッパのどんな片田舎にも教会があるのは、キリストの教えもさることながら、ステンドグラスや絵画などの視覚効果に加えて、このまさに天の声とも言うべき荘厳な声と聖歌とが織り成す音響効果のせいなのだなと納得してまいりました。単純で影響されやすい私は、その後聖イグナチオ教会まで足を延ばし、卒業記念ミサにも参加してまいりまた。

ウィリアム・カリー学長の挨拶の要旨と、会場の写真を添付いたします。


ウイリアム・カリー学長の言葉


歴史について次のように語った人がいます。「歴史とは、重要な期日から成り立っているものではない。むしろ、歴史を成り立たせるのは、その期日の間に起こる出来事である。」

皆様は大学に入学したときの入学式の期日を覚えておられるでしょうし、たぶん卒業していかれる今日の期日も思い出されるでしょう。しかし、大切なのは、その間に何が起こったかということです。とりわけ今日は、皆様の一人ひとりがこれから作り上げていく歴史を待望する日です。最近私はアメリカ人の歴史家カトーマス・ケイヒルが歴史について書いたものを読みました。彼は次のように述べています。

「我々は普通、歴史を破局に継ぐ破局、戦争に継ぐ戦争、暴虐に継ぐ暴虐として考えがちだ。あたかも歴史が人類の次から次へと起こってくる苦悩の物語りであるかのように。確かにこれは、しばしばあたっている。しかし、歴史はまた、恵みの物語りでもあるのだ。誰かが他の誰かのために何かをし、命を救い、贈り物をし、要求された以上の何かを与えたという、その祝福された、説明のできない出来事の物語でもあるのだ。」

私は今日、皆様がこのように「他の誰かのためになにかをし、命を救い、贈り物をした」、そういう人々の一人となられるように願っています。この人々こそ、人類の歴史を変える偉大な人々です。。」


何かクリスチャンになってしまいそうな一日でした。


漫画に学ぶ

2000年01月13日 | 名言

漫画も捨てたものではないヨ!と言われ、昨年は「課長・島耕作」を半年以上かけて全巻読破しました。そして今はマル暴株式会社を読んでいます。ところが漫画の中にも驚く程の名文句が出てきます。今日はそれぞれの作品から二つの名セリフをご紹介いたします。

最初のは島課長が課長就任にあたっての部下達の前での挨拶です。昨年息子の面接試験の前に、「これからの企業のあり方を聞かれた場合の答えにしたら」とメールしてやりました。もう一つの文章には今日出合いました。主人公の宝田徳一が親以上に親と慕う暴力団の組長の癌告知に際し、医者が主人公の宝田に対して言うセリフです。味のある言葉だと思いメモしました。

課長 島耕作
弘兼憲史

これからの企業は利益を追求するだけではいけません。その利益を社会に還元することが、企業に与えられた社会的責任だと思います。
例えば、文化村や交換留学生基金等を作るとか、東南アジアの国々へいろんな施設の提供をするとか、そういう公共的な活動をするべきでしょう。
結果的には、そういった活動が企業イメージをアップさせて、営業活動の支援、あるいは採用活動の支援につながってゆきます。
利益は決して追求するものではなく、社会奉仕の結果戻ってくるものだ、という考え方に立って働いて下さい。これからの日本はエコノミックアニマルの汚名を払拭する意味でも、そういう考え方をしなければならないと思います。(第14巻)

マル暴株式会社

そやけど人間の寿命とゆうのは誰にも決めることのでけん代物だす。たとえピンピンしとってえらい元気な人間かて、突発事故で急死することもありまっしゃろ。 
もしでっせ、その急死した人間が己の命よりも大切な人であっても、その運命を変えることは誰にもできまへん。
人間どないな重病にかかったり事故や災難に遭うても助かるもんは助かるし、死んでゆくもんは死んでまうんだす。
死ぬことがわかっとるさかい、だからこそわずかな時を最大限にその人のためにつくしたらええんと違いますやろか。