イスラエルは過去何千年もの間、数々の紛争の舞台となってきた。世界でも最も戦闘が多いといっても過言ではないこの国に、唯一世界遺産に登録されているものがある。首都エルサレムの中の旧市街地である。
3000年もの歴史を誇る世界最古の、そして面積1平方㎞に過ぎないこの小さな旧市街地は、ユダヤ教、イスラム教、キリスト教の三つの宗教の聖地である。街の東側にあるオリーブ山に登ると、ユダヤ教のシナゴーク(寺院)、金色に輝くイスラムのモスク、そしてキリスト教の教会が同時に目に飛び込んできて圧巻だ。
イスラエルの全人口の5分の4を占めるユダヤ人たちにとって、もっとも聖なる場所が「嘆きの壁」だ。これは市街の南東のはずれにある高さ21メートル、長さ60メートルもの巨大な石の壁で、この前で祈りを捧げるのである。嘆きの壁は、その昔、イスラエルの王だったダビデと息子ソロモンがモーゼの律法の石板を収めるために建設した神殿の一部だ。へロデ王の時代にはもっとも壮麗な姿を呈していたが、紀元70年と135年の二回、ローマ軍によって破壊されてしまった。そして、このときユダヤ教徒はエルサレムヘ二度と立ち入ることができなくなり、全世界へと離散したのだった。その後、四世紀に入ってから一年に一度だけ、破壊された神殿のうち唯一残されたこの西側の壁だけに立ち入ることが許されるようになったのである。
イスラム教徒にとっての聖地は黄金色を誇る「岩の神殿(モスク)」である。モスクの中には長さ17.7メートル、幅15.4メートルの巨大な岩が安置されている。この岩は、ユダヤ民族をつくったアブラハムが息子イサクを神の生けにえに捧げた場所だった。また、シメオンが幼いイエス・キリストを抱いて神を讃える言葉を捧げたのもこの神殿である。さらにイスラム教の聖典コーランには、予言者ムハンマドが天国へ旅立ったときの岩と記されている。つまり、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教三つの宗教がこの岩に関係している。結局、7世紀にイスラム教徒がこの地を手中に収め、モスクを建てたのであった。
旧市街地内にはキリストが十字架を背負って刑場のゴルゴダの丘へと歩いた一キロメートルの道、ヴィア・ドロローサが残されている。行き着いた先に「聖墳墓教会」がある。これがキリスト教徒の聖なる場所である。ここはローマ帝国のコンスタンティヌス大帝の母親が335年に建てたものである。現在の姿は12世紀、十字軍の占領によって再建されたもので、キリストの遺体に油を塗布した石などが展示されている。
予言者マホメットが昇天し、イエス・キリストが十字架にかけられ復活した神秘の地、エルサレム。この地が真に聖地となる日は果たして本当に来るのかどうかは、誰にもわからない。