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Tabi-taroの言葉の旅

何かいい物語があって、語る相手がいる限り、人生捨てたもんじゃない

戦争体験を語り継ぐ

2001年04月20日 | 下田
私は高校の頃、切手収集に熱を入れたことがありました。古い蔵の中を探検?していると、思わぬ古切手などを見つけて得した気分になったりしたものでした。

そんなある日、古びた小引出しから古びた封筒を見つけたのです。お値打ち物でも入ってないかと、開けてみてビックリ。それは父が両親に宛てた手紙でした。いよいよに迫った突撃を前に書かれたものでした。先立つ不幸を詫びつつも、これまで20年間育ててくれたお礼とともに、国のため、愛する人のために正しいことをするのだのいう決意が綴られておりました。

私はそれを読んで、暫くその場に凍り付いてしまいました。そしてこの文章が、恐らくは、その手紙を見つけた時の私と同年代の人間よって書かれたものだということがどうしても理解できませんでした。

突撃に使う飛行機の補充が思うに任せず、「その日」は先に延ばされたのだそうです。そして終戦。本望を遂げた仲間に比べ、思いを遂げることができなかった父とその仲間は、心むなしく、全員一致で自害の道を決めました。仲間内からは、誰も反対意見は出なかったそうです。誰もが「それ」を当然だと思っていたのです。

そんな動きを察知した上官が、全員を集めました。「今、自害する道は易しい。しかし勇気を持って生き延びて、これからの新しい日本の復興の為に力を尽くすことはもっと困難な道なのだ!」と。全員、泣いていたそうです。悔し涙なのか、これまで自分たちを支えていた拠所を見失ったせいなのか・・・・こうして父の「戦後」は始まりました。

さだまさしの「戦友会」という歌があります。

櫛の歯が欠けるように  仲間が減ってゆく
戦友会に出掛けた夜  おやじが呟いた
学舎でなく  古(いにしえ)の戦の友が集う
年に一度の 思えばなんて儚(はかな)い祭りだろう
今の青春を羨ましくなくもないが  替わろうかと言われても断るだろう
不幸な時代の若者たちはそれでも 青春を確かに見たのだ

銃弾に倒れた友の顔を  忘れることなど出来ない
あいつの分もあいつの分もと  生きる思いは解るまい

父と「その」仲間は、「一生会」という戦友会を組織し、毎年の交流を楽しみにしております。毎年、毎年、メンバーが減ってゆくその会に出席する度に、彼等はその思いを新たにするのです。「あの悲惨な戦争体験を、若い世代に語り継いでゆかなければ」と。ですから、それは父にとっては社会奉仕ではありません。生そのものなのです。


雛人形がみたもの

2001年03月04日 | 下田
古い雛壇                          雛のスケッチ

低気圧が日本列島を襲いました。全国各地は大荒れの天気だったようですね。
三寒四温・・・・良い響きです。七転八起もそうですが、希望の言葉がそれぞれ、わずか一つ上まわっているというのが嬉しいです。

「河津桜が満開」のテレビニュースを見て、矢も盾もいられず、伊豆に行ってまいりました。河津駅は人また人の賑わい。観光バスも10数台。そこは本当にもう「本物の春」でした。満開の河津桜を見ながら、一足早い花見酒を楽しんでまいりました。

ほろ酔いで実家にたどり着いた私達が見たものは、古い雛壇でした。今はもう、女の子は誰もいない・・・女の子どころか年とった両親しかいない実家に、その古びた雛たちは飾られていました。しかもその雛は、大正生れの母が子供だった頃のものだと聞いて又ビックリ。田舎の人の物持ちの良さというよりも、人を恋うる母の心情を垣間見た思いでした。

母は三姉妹。黒くススけた旧家の格子戸の前に飾られた、我家で一番長生きのお雛様たちは、祖先が大家族だった時代に、確かにあの耳で、自分の前ではしゃぎまわる女の子たちの喚声を聞いたに違いありません。
春はすぐそこです。