私は高校の頃、切手収集に熱を入れたことがありました。古い蔵の中を探検?していると、思わぬ古切手などを見つけて得した気分になったりしたものでした。
そんなある日、古びた小引出しから古びた封筒を見つけたのです。お値打ち物でも入ってないかと、開けてみてビックリ。それは父が両親に宛てた手紙でした。いよいよに迫った突撃を前に書かれたものでした。先立つ不幸を詫びつつも、これまで20年間育ててくれたお礼とともに、国のため、愛する人のために正しいことをするのだのいう決意が綴られておりました。
私はそれを読んで、暫くその場に凍り付いてしまいました。そしてこの文章が、恐らくは、その手紙を見つけた時の私と同年代の人間よって書かれたものだということがどうしても理解できませんでした。
突撃に使う飛行機の補充が思うに任せず、「その日」は先に延ばされたのだそうです。そして終戦。本望を遂げた仲間に比べ、思いを遂げることができなかった父とその仲間は、心むなしく、全員一致で自害の道を決めました。仲間内からは、誰も反対意見は出なかったそうです。誰もが「それ」を当然だと思っていたのです。
そんな動きを察知した上官が、全員を集めました。「今、自害する道は易しい。しかし勇気を持って生き延びて、これからの新しい日本の復興の為に力を尽くすことはもっと困難な道なのだ!」と。全員、泣いていたそうです。悔し涙なのか、これまで自分たちを支えていた拠所を見失ったせいなのか・・・・こうして父の「戦後」は始まりました。
さだまさしの「戦友会」という歌があります。
櫛の歯が欠けるように 仲間が減ってゆく
戦友会に出掛けた夜 おやじが呟いた
学舎でなく 古(いにしえ)の戦の友が集う
年に一度の 思えばなんて儚(はかな)い祭りだろう
今の青春を羨ましくなくもないが 替わろうかと言われても断るだろう
不幸な時代の若者たちはそれでも 青春を確かに見たのだ
銃弾に倒れた友の顔を 忘れることなど出来ない
あいつの分もあいつの分もと 生きる思いは解るまい
父と「その」仲間は、「一生会」という戦友会を組織し、毎年の交流を楽しみにしております。毎年、毎年、メンバーが減ってゆくその会に出席する度に、彼等はその思いを新たにするのです。「あの悲惨な戦争体験を、若い世代に語り継いでゆかなければ」と。ですから、それは父にとっては社会奉仕ではありません。生そのものなのです。
そんなある日、古びた小引出しから古びた封筒を見つけたのです。お値打ち物でも入ってないかと、開けてみてビックリ。それは父が両親に宛てた手紙でした。いよいよに迫った突撃を前に書かれたものでした。先立つ不幸を詫びつつも、これまで20年間育ててくれたお礼とともに、国のため、愛する人のために正しいことをするのだのいう決意が綴られておりました。
私はそれを読んで、暫くその場に凍り付いてしまいました。そしてこの文章が、恐らくは、その手紙を見つけた時の私と同年代の人間よって書かれたものだということがどうしても理解できませんでした。
突撃に使う飛行機の補充が思うに任せず、「その日」は先に延ばされたのだそうです。そして終戦。本望を遂げた仲間に比べ、思いを遂げることができなかった父とその仲間は、心むなしく、全員一致で自害の道を決めました。仲間内からは、誰も反対意見は出なかったそうです。誰もが「それ」を当然だと思っていたのです。
そんな動きを察知した上官が、全員を集めました。「今、自害する道は易しい。しかし勇気を持って生き延びて、これからの新しい日本の復興の為に力を尽くすことはもっと困難な道なのだ!」と。全員、泣いていたそうです。悔し涙なのか、これまで自分たちを支えていた拠所を見失ったせいなのか・・・・こうして父の「戦後」は始まりました。
さだまさしの「戦友会」という歌があります。
櫛の歯が欠けるように 仲間が減ってゆく
戦友会に出掛けた夜 おやじが呟いた
学舎でなく 古(いにしえ)の戦の友が集う
年に一度の 思えばなんて儚(はかな)い祭りだろう
今の青春を羨ましくなくもないが 替わろうかと言われても断るだろう
不幸な時代の若者たちはそれでも 青春を確かに見たのだ
銃弾に倒れた友の顔を 忘れることなど出来ない
あいつの分もあいつの分もと 生きる思いは解るまい
父と「その」仲間は、「一生会」という戦友会を組織し、毎年の交流を楽しみにしております。毎年、毎年、メンバーが減ってゆくその会に出席する度に、彼等はその思いを新たにするのです。「あの悲惨な戦争体験を、若い世代に語り継いでゆかなければ」と。ですから、それは父にとっては社会奉仕ではありません。生そのものなのです。