#562 1972年8月5日(2) 2007年03月31日 16時32分39秒 | Weblog ブラスバンド部の練習の息抜きに櫛田川で泳ぐ。 いつも川で泳いでいたので特段目新しいことはないのだが、 ここは上流域にしては広々した川幅で、流れも緩く、絶好の遊泳ポイントだ。 タオルをかぶっているのは引率の先生(体育)。 三重県松阪市
#561 1972年8月5日(1) 2007年03月31日 00時30分40秒 | Weblog 当時所属していたブラスバンド部の夏合宿で行った飯高の山奥。 国道166号線は櫛田川沿いに伊勢湾から奈良県へと続いている。 櫛田川が削った渓谷は文字どおりV字形だ。 しかしこんな急峻な谷にも人の手が入って植林されている。 かつては林業で栄えた地方だった。 三重県松阪市
#559 昭和47年(1972)4月21日 2007年03月29日 00時29分54秒 | Weblog 丹生大師の縁日の風景。 オリンパストリップ35 D.ズイコーF2.8 40mm ミクロファイン13.5分(20℃) 三重県多気町
#558 1972年3月17日・廃校式の日(4) 2007年03月26日 22時12分25秒 | Weblog 廃校式のあと、帰る道すがら、振り返って学校を見る。 左は民家で、奥の二つの建物が学校。 学校の裏山には登ったことがなかったが、校舎を上から見てみたかった。 手前の低く細い枝の木は蚕が食べる桑の葉を繁らせる桑の木だ。 田舎の茫漠とした風景を形作っていたのはこの桑の木だった。 桑は昭和40年代の前半まではどこでも見られたのだが、 養蚕の衰退とともにあっという間に消滅した。 桑の実は紫色の小さな粒で甘く独特の味で好きだった。 また、枝はねばりがあって子どもの遊びの弓の材料に最適だった。 三重県多気町
#557 1972年3月17日・廃校式の日(3) 2007年03月26日 00時44分39秒 | Weblog 1年生から3年生までの教室があった校舎。 冬はすきま風が入ってきてストーブを焚いていないと室温は氷点下になることもあった。 けど、暖かみのある建物だった。 三重県多気町
#556 1972年3月17日・廃校式の日(2) 2007年03月23日 18時35分14秒 | Weblog 三重県多気郡勢和村立出江小学校・廃校式。 式に出席した中で中学生だったのは私と友人の二人だけだった。 この広い部屋では学芸会などをした記憶がある。 三重県多気町
#555 1972年3月17日・廃校式の日 2007年03月22日 21時33分30秒 | Weblog これを撮った日は、我が母校「出江(いずえ)小学校」の廃校式だった。 小学校の正門の手前に二宮金次郎の像が建っている。 風情ある木造校舎だったが、明治時代に建てられて老朽化していた校舎を保存するなどという 考え方は高度成長をしはじめた当時にはなかった。 今となっては木造の学校は貴重な文化遺産だったのに、と思う。 三重県多気町
#554 遠くを見るのが好き 2007年03月21日 23時48分42秒 | Weblog これはどこから撮ったものだろうか。中学校の裏山からだろうか。 広角で撮れば感覚的にわかるのだが、 「標準」レンズで撮ったものは画角が狭すぎて勘が狂う。 雲の表情がいいね。 ネオパンSS、ミクロファイン20℃12分。 アサヒペンタックスSP、スーパータクマーF1.8 55mm。 三重県多気町
#553 同級生たち(2) 2007年03月21日 10時56分19秒 | Weblog ホモ牛乳のベンチに座っているのはY君。その後ろに立っているのはT君。 三脚に一眼レフを載せてカッコ良く構えているのはH君。 その後ろは、えーと・・・・ 男の友だちは比較的覚えている。 滋賀県大津市