Taake's写真館

スーパーアンギュロンXL 47mmでの作品のアップは休止中。今は30年ほど前に撮った古い写真をアップしています。

4月29日(祝)

2005年04月30日 01時09分43秒 | Weblog
 みどりの日。同僚の先生が主催したハイキングについて行く。朝、8時に家を出て、津駅近くのコンビニでおにぎりを3個買い、JR紀勢本線に乗る。途中「すれ違いの列車を待つために4分ほど遅れます」というアナウンスがあったがその後急いだわけではないのに定刻通りに亀山に着。JR関西本線に乗り換えて笠置(かさぎ)まで。とてもよい天気で今年いちばん暑い日になりそうな予感。電車は若葉の黄緑の中を走る。
 笠置で降りて、歩いて柳生の里を目指す。柳生というのは新陰流で有名な柳生。京都府に近い奈良県にある。「剣豪の里」というのがキャッチフレーズになっている。ハイキングの参加者は私を含めて6人。女性3人、男性3人。私はこの中でいちばん若いがいちばん重い。うーむ。
 東海自然歩道を行く予定が、崖崩れのため通行止めで、しかたなく木津川の支流である打滝川に沿って舗装路を行く。笠置から柳生の里まではずーっと登り。4kmほど歩いてようやく山を抜け、柳生に到着。2度の落雷で枯れてしまった巨木「十兵衛杉」を横目に見ながら歩いていくと旧柳生藩家老屋敷があった。350円払って中に入り見学する。西の山際に石垣を築いてその上に建てられている屋敷は広々とした平家建て。北東角にある殿様用の部屋の北と東には幅の広い縁側があって、そこからは庭越しに山々が見えて実に気持ちがいい。
 しばし休憩して、ついでに屋敷の外のベンチで昼食。近頃のコンビニおにぎりは侮れない。「豚トロ」がうまかった。ここで2本目のペットボトルのお茶に口をつける。植え込みのそばに1m弱のシマヘビがいた。田舎では最もありふれたヘビ。
 次に柳生一族の墓がある芳徳禅寺の下の茶屋で黒豆ソフトを食べてから境内を散策し、続いて東海自然歩道に分け入る。途中、鎌倉後期に高さ3mの岩に彫られた疱瘡地蔵などを見ながらどんどん登っていく。あたりは一面杉と檜の林。すでに花粉の季節は過ぎているようなので、マスク無しで歩く。山を一つ越え、一気に下る。山を抜けて振り返って写真を一枚。これが越えてきた山。画面真ん中より少し左の白っぽい道が歩いてきた道。
 このあとは田園風景の中をのんびりと歩き、南明寺、夜支布山口神社を通り、時間の関係で大柳生口のバス停からはバスに乗り、近鉄奈良駅へ。歩いた距離は10kmほどだが、高低差がかなりあってなかなかにハードなハイキングだった。
 奈良駅の周辺は観光客でいっぱい。亀だらけの猿沢の池越しに興福寺の五重塔を眺めてから、漬け物を5種類ほど買い、サバの柿の葉寿司を買い、直径20cm以上もあるつぶあんのドラ焼きを買い、3本目のお茶を買い、近鉄急行に乗る。西大寺で乗り換え、大和八木で乗り換え、伊勢中川で乗り換え、午後7時19分、津に帰着。顔を手でなでると手が白くなるほど塩を吹いている。そうとう汗をかいたんだなぁ。でも夕食の時に発泡酒やその他のお酒を1リットル近く飲んだので、体重をはかってみたら昨日より若干増えていた。

4月26日

2005年04月27日 02時00分43秒 | Weblog
 列車事故の報道を見ていて思うのは、予断が多いこと。憶測であーだこーだ言っていても真実には遠い。原因については調査委員会の報告を待ち、今はまず失われた多くの命のかけがえのなさを悼むべきだ。
 昨日は車で通勤したが、MDで昨年夏の野田で行われたライブの録音を聴いていた。ますむらさんの「夜汽車になりたい」の夜汽車は、宮沢賢治の銀河鉄道のように現実を超えていく駆動力を持っている。
 今日は花粉をおそれず徒歩で通勤。もちろんマスクはしているけどね。帰りは8pm頃。通勤路の途中に川があり、近鉄とJRの鉄橋がある。川面に映る列車の明かりを見ながら、電車というものはいくつもの人生を乗せてどこかに向かって突き進んでいくのだなと想う。行き交う何台かの列車を見送り、夜汽車や銀河鉄道を憶いながら、私なりの尼崎への追悼の意を込めて、鉄橋を渡っていく電車の写真を撮る。

4月24日(日)

2005年04月25日 00時55分15秒 | Weblog
 小学校PTAとそのOBによる早朝ソフトボールリーグ開幕。と言っても大半はOB。最近の若いもんは野球やソフトなんかしないのか?我がチームは昨年7チーム中で優勝。今年も初戦は勝利で順調な滑り出し。今日は試合が第2試合だったので早朝と言ってもそんなに早くなかったが、第1試合の時は6:50am試合開始だからツライ。
 家に戻って朝食をとり、タケノコ掘り第3ラウンドのため35km離れた実家に向かう。家のまわりでは田植えの準備の田起こしに忙しい。農家にとってはタケノコ掘りなんてのは暇があればすることなので、この時期にのんびりタケノコ掘りをやってるのは私ぐらいだ。
 我が家の200平方メートルぐらいの杉林と同じぐらいの面積のトチの木の林に、隣の竹林から竹が伸びてくる。これを放っておけばすぐに林は竹におおわれてしまう。先週、徹底的に掘ったのに、今日行ってみるとまたあちらこちらにニョキニョキと顔を出している。30本はあるだろうか。
 掘る前に写真を一枚。一番の食べごろは地面から緑の先端が10cmぐらい出たものだが、これぐらい伸びてもまだ食べられる。唐鍬を使って1時間ほどかかってすべて掘り出す。一輪車で家に運び、皮をむき、釜で茹でる。1回で全部茹でられず、2回茹でることになった。1回に1時間はかかるので杉の木をくべながらのんびり火の番。
 

4月23日(土)

2005年04月24日 23時54分38秒 | Weblog
 オフの日。朝からBSでMLBを見てから家の片付け少々。午後はPWと6Iを使って裏庭の草刈り少々。夜中は微笑み亭でチャット。
 んー、それ以外には何もしなかったんだろか?思い出せないなぁ。
 今日は写真も撮らなかったので、昨日の愛・地球博の会場にあった彫刻作品の写真をば。馬と幾何学的立体の取り合わせというのはどういう意図があるんだろうか?ちなみに立体の名称は星形12面体。

4月22日

2005年04月24日 01時39分20秒 | Weblog
 遠足の引率で愛・地球博に行く。朝8時にバスで学校を出発し、伊勢自動車道→名古屋高速→東名高速と順調に進んで長久手。広大な駐車場にびっしりと大型観光バスが並んでいて壮観。駐車場から西ゲートまで歩いて10分はかかる。ゲート前で空港みたいに金属探知機があるのでいきなり人の列が渋滞。
 ようやく入場し、最初に巨大万華鏡に並ぶ。40分ぐらい牛歩して中に入る。確かにきれいだが、まあそれだけのこと。もう少し立体感というか奥行きが欲しいなぁと思う。
 次にアジアの国々の展示館を回る。インドカレーの店でチキンカレー(900円)を食べたが、これはありがちな味。
 南の方に歩いて行く途中、フランス人が作っているピザみたいなバゲット(1000円)を食べ、ヨーロッパ各国のすいているところだけを見て回る。
 四年前に行ったベルギーが懐かしくて、ベルギー館に入ってみる。おぉ!壁に巨大な、マグリットの「光の帝国」(もちろん本物ではない)があるぞ!私はずいぶん前にマグリットの画集を買ったのだが、中でも「光の帝国」が気に入っていた。ベルギーに行った時には現代美術館になんとその作品があって、私はしばらくその絵の前から離れることができなかったのだった。今回のインスタレーションでは光の当て方を時間とともに変えながら、この作品の昼のような夜のような不思議な雰囲気を表現している。なかなかすてきだがマグリットを知らない大半の人たちは素通り。
 別の部屋の壁面に映るヘリコプターからの空撮のパノラマ映像にも、行った場所がいくつも出てきて懐かしい。ブリュッセルのグランプラス広場、ゲントの運河、ワーテルローのライオンの丘、ミューズ川、ディナンの岩壁、中世の城。チョコレート(1200円)を買ってベルギー館を出る。
 最後にサツキとメイの家に向かう。予約などしていない私は中に入ることはできないので、周遊コースから眺めるだけ。もう少し近くから見られるのかと思ったら、周遊コースからはかなり遠かった。家の形はとなりのトトロの映画に出てくるものとまったく同じだが、家が建てられている場所が映画とはまるで雰囲気の違うところなのが残念だ。どうせなら周囲の樹木も映画と同じように植えて、巨大なクスノキのある丘も作ってほしかったね。今日の一枚はサツキとメイの家。

4月17日

2005年04月17日 23時45分17秒 | Weblog
 今年から陸上競技部の顧問の一員になり、はじめての公式競技会を見に伊勢に行く。天気がよく、気持ちのよい日だが花粉にやられて目は充血、鼻水は出るしのどもいがらっぽい。マスクとサングラスをかけ、帽子をかぶってさらにタオルを頭からかけていたら、生徒たちから「怪しすぎる」と言われてしまった。
 帰りに国道23号線を走りながら沈みゆく太陽を撮る。

4月16日

2005年04月16日 23時01分17秒 | Weblog
 午前中、先週の土曜日の代休を取り、実家に帰って杉林に侵入してくるタケノコを掘る。林にはウグイスの声が響き、風は涼しく陽射しは暖かい。道端にはモンシロチョウやモンキチョウが舞っている。この田舎の里山の風景は壊さないで永遠に残してほしいものだ。タケノコはやや小ぶりなものを30本ほど掘り出した。それを2回に分けて釜でゆでる。
 午後は学校に行って部活動の練習を見る。校庭は桜吹雪きがきれいだった。写真を撮る。
 夜は歓迎会で居酒屋。帰ってきてインターネットを見たら高田渡氏の死去の報。私が高田氏を知ったのは高校生の頃だった。大学生になった年の春の学園祭に高田氏となぎらけんいち氏が来たので見に行ったことを覚えている。当時、高田氏はコンサートのステージ上でウィスキーをボトルから飲みながら歌っていた。飄々とした歌いっぷりが好きだった。その後長いことどんな活動を続けていたのか知らなかったが、近年のフォークソングリバイバルブームでときどきテレビにも登場してくれたのでうれしく思っていた。それが56歳という若さで逝ってしまうとは残念でならない。御冥福をお祈りします。