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MARUMUSHI

映画とかTwitterとかとか。

『トモシビ 銚子電鉄6.4kmの軌跡』。

2017-07-09 18:36:56 | 映画日記
#トモシビ
#有野晋哉

『トモシビ 銚子電鉄6.4kmの軌跡』を観てきた。
たしか、『鉄道むすめ』でも銚子電鉄は出てたと思う。
所謂、ローカル線はそれを利用する人たちの生活空間になる傾向があると思う。
だって、毎日同じ車両に乗る。色んな車両がたくさん走っている都市交通とはちょっと違うと思う。
何か、鬱陶しいけど温かい。緩いけれどもしっかりした、そんな不思議な繋がりがある。
だから、灯。来る場所はバラバラだけれどその灯を求めて人は集まり繋がっていく。

杏子とキミエは良く似ている。
学生と騙された女と全く違うたちばだけれど、良く似ている。
どちらも昔を捨てられず、どう進むべきなのか分からなくなっている。
でも、どちらも繋ぎとめる誰かがいて、トモシビに集まる。


繋ぐという点では駅伝も同じ。一つのたすきを繋いで走る。
駅伝で電車と競争する意味?そんなのは必要ない。
敵がいなければ張り合いがない。
スタートラインにたどり着くことに意味がある。
それは電車も同じ。
たすきを繋ぐことに意味がある。
それは電車の使命。
人と電車が作ったトモシビ。


有しんの演技がヘタ!
『クマのプー太郎』に出てきた”双子の兄弟”からあんまり変わってない気がする。
―行こうか、双子の兄
―そうだね、双子の弟
みたいな感じ。
でも、そこがなんとなく朴訥とした感じがして嫌いじゃないけど。


『花戦さ』。

2017-06-18 21:46:24 | 映画日記
『花戦さ』を観てきた。

華道。茶道という世界は全く分からない。でも、たくさんの人を魅了し、その道を歩んでいく。だからそれほどまでに魂ひきつけられる世界なんだろうと思う。なにせ”道”なんだから。

道とは心が生まれるところ。
剣は剣と。
柔は柔と。
花は花と。
茶は茶と。
それを通わせ、心を作る。そして、人の魂を揺さぶる。

あなたの歩む道の先には、きっと何もないですよ。
それぞれを認め、それを愛でる力を持ってください。

仏はどこにもいない。
赦す者などどこにもいない。
赦すのは自分自身なのだ。


『光』。

2017-06-17 23:27:36 | 映画日記
『光』を観てきた。

人が人に何かを伝えようとする。
それでどこまで人と人は分かり合えるのだろう?
わからない。わからない。
想像だけではただの押し付けがましさに。
でも、何もしなければ何も伝わらない。
想いだけではただの無責任で、わがまま。

出来る人は出来ない人の気持ちはわからない時がある。
それが当たり前であればあるほど。
目の見える人は見えない人の世界はわからない。真っ暗なのか、真っ白なのか、それともなのか。
声の聞こえる人は声の聞こえない人の世界はわからない。音が無いのか、何かの雑音があるのか。
僕も障害を持っていて、これは見えないものだ。
その境目は障害のない人と比べて些細なものだからきっと気付かれない。でも、ずっと長く付き合っていれば、それでも”性格”として片付けられるようなもの。でも、自分は生き辛い。
話しても、伝えても分かってもらえない。

人が人を知ることは出来ないのかもしれない。
No man is an island.
人と人の距離は遠ざかり近づき、そうやってブレながら生きていくしかないのかもしれない。
光や音は未来に近づくほど失われていく。それでも未来に近づくしかない。
それが失っていく道だったとしても。



片渕監督への手紙。

2017-06-16 21:35:57 | 映画日記
#この世界の片隅に

この作品の200万という数字は凄い。本当におめでとうございます。
初日、初回、そしてあのテアトル梅田で観劇できたことがなんとなく嬉しい。

そこに水を差すようだけれど、『この世界の片隅に』はあの時代のほんのワンシーンを切り抜いただけだということは忘れちゃいけないと思う。たくさんの人に観られたからこそ、あれだけが戦争じゃないと認識しなきゃならない。すずさんのような人、家族は確かにいたと思う。
原爆の火に焼かれた人。
水木しげるが描いたようにガ島で飢え死にした人。
特攻で死んでいった人。
もっともっとたくさんの戦争の姿がある。
事実は真実の重ねあわせでしか見ることが出来ない。でも真実を全てを知ることなんて出来ない。もちろん歴史の大きな流れを知ることは出来る。でも僕たちは、その中にいた市井の人たちの戦争の事実を知ることは出来ない。
『この世界の片隅に』を作るために片渕監督は図書館なみの資料を集め研究したときく。それだけの努力を講じてもなお、『この世界の片隅に』は不十分なのだ。

偉大な作品だからこそ観覧者に多大な影響を与える。だから、少し偏りのある意識を植え付けてしまうかもしれない。
『この世界の片隅に』を観て、舞台となった街を観に行く人たちも多いようだ。良いことだと思う。
触れて、感じて、考えること。僕らが戦争を知り、この先の日本をどう操舵していくか。
共謀罪で世間は騒いでいるけれど、適用の仕方がどうあれ、一度行使されれば、かなり暴力的な仕打ちが待っているのは事実。国を守るために、犠牲を強いるか。人を守るために、危険を犯すか。戦争は守るために起こる。すずさんが生きた時代、彼らは何を守ろうとしたのか。それをじっくり考える良い機会じゃないかと思う。

あと1カ月もすれば、学校が夏休みになる。
色々な街の公民館などで『この世界の片隅に』を上映して子供たちに考える機会を与えてあげればいいのにな、と思う。
難しいかな?
監督、プロデューサー。何とかならないですかね?
この世界の片隅を担っていく新しい世代のために。


『PARKS』

2017-05-24 21:08:31 | 映画日記
#PARKS

『PARKS』を観てきた。

時間は過ぎてしまうものなんだろうか?と時々思う。
デジタルカメラ全盛の時代だとあまり気付かないと思うけれど、写真のフィルムを見ると、時間を切り取ったという感覚が残る。
連続した時間の中からホンの一瞬をネガに焼き付ける。
それは今は無いけれど、過去から残された時間だ。時間がそこに残る。
でも、写真は色あせ、ヤケ、本来の色を少しずつ失っていく。それは時間のいたずらだ。

作中に出てくるオープンリールもそうだ。過去の一瞬を切り取り残したもの。
失ってしまったものはもう元には返らない。時間は切り取ることは出来ても、巻き戻すことはできない。
だから、彼らは作り始める。新しい音を。
それがいいことなのかは分からない。新しい音は過去を壊すことにもなるからだ。
でも、それでも次を作り始める。失っても、壊れても。そうしなければ過去は今で止まってしまうから。

PARKS。
色んな人がやってきて、色んなことをして、色んな出会いを産む。
いろんな色があって、音があって、匂いがある。それはきっと過去にもあったもの。
PARKS。
過去と今、そしてこれからを全て含んだ場所。