期間限定の独り言

復興の道のりはつづく。

西風が吹いて暑い

2010-07-10 11:48:26 | 日記
 お天気は今日の話である。しかし昨日はいろいろと思いがけない事態が起きて、くたびれて、日記の稿を継ぐどころではなかった。今日も本当はこんな事をしている場合ではないのかもしれないが、とりあえず思い出しておこうと思う。
 簡単に言うと、人身事故で電車が止まって、出勤に苦労させられた。電車のせいばかりでなく、それに対する自分の反応も、結果的に見て不適当であったので腹が立つ。
 ふだん通りに始発駅に着いて見たら、人身事故で運転見合わせというので、これは当分復旧する見込みはあるまいと思って、バスで途中まで行って、そこからタクシーに乗り換えようと思った。全部タクシーで通すよりは安いと考えたのだが、それにしても全く知らない土地に地図も何も無しで降り立ってタクシーをつかまえようというのはいささか無謀である。
 途中で電車の線路から逸れるような方向へ走り出したようなので、いい加減にバスを降りて、まず学校へ電話をしてみたら、教頭が、あれ電車まだ止まっていますか、みたいな反応をしたので、もしかしたらと思って、駅へ寄ってみたら、確かに電車が動いていた。どうもじたばたせずに始発駅で待っているのが正解だったようである。
 ホームに上がった瞬間に列車が発車して、私の授業に出ている生徒が乗っていた。次に来たのは途中までしか行かない列車である。どこまで間が悪いのかとまた逆上したが、結局、次の電車に乗って、授業の始まる十分前に学校に着いた。バスも電車も空いていたからずっと座れたし、タクシーにも乗らずに済んだから、まずはよかったのだろうと思うが、プリントの印刷など授業の準備もぎりぎりで、蒸し暑い中大汗をかいて大変消耗した。
 午前中の授業を終えて、ふだんなら途中のコンビニで食料を調達してくるのだが、今日は移動で精一杯だから何も準備していない。いい機会だから、外に出ることにした。近くの和風ファミレスに行って、数日前からの宿願であるところの天ざる蕎麦を食べた。タクシーに乗って数千円散財する可能性があったことを思えば、七百円くらい大したことはない。
 私の授業は午前中で終わりなので、ゆっくり学校に戻って、出席簿を整理してすぐ帰った。来週の教材は週末に考えればよい。まさかもう電車が止まることはあるまい。
 それより今日はこれから行くべき所が他にある。今朝がた無事に電車に乗り込んでやれやれと安心した時に、鞄に付けてあったお守りが失われていることに気がついた。おそらくあたふた駆け回っている間に紐が切れたのであろうが、どうにか無事に学校に着いて授業に間に合ったのも、これが身代わりになってくれたのかも知れないという気がする。お礼参りに行って、新しいのを頂いてこようと思う。
 お守りは榴ヶ岡天満宮のもので、今年の初詣の時に引いたおみくじの中に入っていた小さな勾玉である。全部で八色あって、どれか一色が入っていて、色によって違うご縁があるというもので、私が当ったのは学業に縁があるという水色の勾玉だった。やはり勉強を続けなさいという御託宣かとあの時は思ったものであった。
 実は最近になってまた、仕事に追われて修論を怠けて、思うように進まない上に資料の提出などばかり求められて、もう止めようかという気になりだしている。そこで再びおみくじを引いて、神意を伺って見ようというつもりもあった。
 お参りを済ませて、境内の同じ箱にまた百円を入れて、よくかき回して一つ引いて、開けてみたらまた同じ水色の勾玉が当ったには少し驚いた。何しろ天満宮だから、ぜんぶ学業を象徴する水色の玉にしてあるのかとも思ったが、それはいわゆる近代合理思考というものであろう。やはり素直に神意として受け取るとすれば、目論見書は見送っても、修論は出来なくても、文学の勉強は続けなさいということだろう。
 おみくじの本文は四十八番小吉であった。「平凡な事を静かに続けて、運を天にまかせておく雰囲気」であるそうだ。

晴れのちにわか雨

2010-07-08 21:19:01 | 日記
 今日はお天気がよくてまた一段と暑くなって、後で聞くと、私の居た学校のあたりは三十二度ほどにもなっていたそうである。全く学校が営業するには非常識な暑さで、もう夏休みにしてもいいくらいだが、教室で授業をして汗をかくくらいでは文句は言われない。なにしろ農学校だから生徒は大変で、この蒸し暑い炎天下に正課として草取りなどの作業をしている。ご苦労なことである。
 今週は三者面談ということで、授業は午前中で終わる。私の今日の時間割は三時間目だけである。生徒が放課になる前に、四時間目の間に退出しようと思っていたのだが、うっかりして出られなくなった。四時間目は壮行式だということで、職員室がみな出払ってしまって、留守番をする羽目になったのである。
 まあそれでも、先の試験で赤点を出した生徒が、追指導願に判子をもらいに来るというので、それを待っているつもりで、お昼も準備してきたから問題はない。結局は待ちぼうけに終わったが、時間的に見てもお昼は学校で済ませざるを得ないところである。生徒が駅やそこいらにあふれているのはうっとうしいが、今日はもう仕事もないので帰ることにする。
 午後から久しぶりに大学へ行く。朝までの心積もりでは、教授に面会して、例の目論見書を出すのを辞退する談判をしようかと考えていたのだが、大学に辿り着いて、食堂で一服しているうちに何かと面倒になって先送りしてしまった。
 食堂を出たら雨がパラパラと降っている。あわてて研究室に這入ったが、みるみる本降りになってきて、無理に外に出ればずぶ濡れになりそうである。図書館から借り出して置いてあった本を読みながら、しばらく雨止みを待って、五時まえに出た。
 ここ数日は毎日のように傘を持って歩いていたのに、昼間はずっと雨は降らず、今日のように傘を持たずに出た日に限って降る。濡れずに済んだからよいが一体どうなっているのかと思うが、帰って聞いたところでは、よほど大気が不安定であったらしく、雹が降った所もあり、竜巻注意報も出たりしたという話である。夕立くらいで文句を言っては罰が当たるようである。

曇り時々晴れ

2010-07-07 21:20:29 | 日記
 この頃は暑いし疲れるし修論は進まないし苛々するしで、日々何だかずっと薄暗い気分で暮らしているのであるが、昨日はその中にとつぜん非日常の時間が入り込んできて、めったに出来ない経験をいろいろすることになった。
 事件としては、要するに弟の婚礼が開かれたのである。某ホテルで、両家の親族だけを招いて小規模な式であったが、それなりに盛大ではあった。式と披露の二部構成のうち、特に前半の式に私としては個人的な感慨があった。ホテル付属の聖堂で、神父が主宰して基督教式で行われたのであるが、私じしん、中学・高校と切支丹の学校に通っていたものだから、久しぶりにこういう所に入って大変懐かしかった。宗教というものは深遠かつ難解な教義はさておいて、こういう儀式としての壮麗な仕掛けが、人の心情に強く訴えかけるように出来ている。基督教の中でもさすがにカトリックはその辺に長年の鍛えが入っていると思わざるを得ない。
 そんなわけで思わず感動しつつも、それにしても、こんなのは平民のやる事ではないんじゃないかという気もした。花嫁さんは裾の長い純白のドレスなど着て、なんだかウェストミンスター寺院でのダイアナ皇太子妃の結婚式みたいであった。
 式の後は二人でホテルの二階の階段から出て来て、参列者がその両側からバラの花びらをまきちらすという、いわゆるフラワーシャワーなるものまで行われた。ちょうど表通りの街路に面した階段で、二人が出て来るとガランガランと福引のような鐘が鳴る。このホテルの前を通るたびに時々目撃していた光景であるが、自分がその中の一人になるとは思わなかった。
 披露はホテル最上階のレストランを借り切って行われた。まあ無事に済んだと言ってよいのであろう。私は非社交的な人間だから元来こういう宴会の席は好きではなく、ただ自分の前のものを綺麗に食べるだけである。向うの一族にも酒も注ぎに行かず、かえって色々な人から丁重なご挨拶を受けて恐縮した。
 五時前にお開きとなり、私は一人学校へ出かけた。だいたい弟はここ数日休みを取っているからいいけれど、私は何事もなく仕事が続く。今日は本来授業であるところを年休を取って、作文の課題を出してきた。例によって添削して例文をタイプして、金曜日の授業で返却するにはぼやぼやしてはいられない。かねての心積もりでは、水・木のどちらか、別の学校での仕事が終わってからでも取りに行こうかと思っていたが、交通費もよけいに掛かるし面倒でもあるので、今日のうちに済ませられればその方がよい。
 幸い元気も残っていたので出かけたが、この日のために新調した革靴を初めて履いてきたせいで、両足のかかとに靴擦れができて往生した。やはりユニクロの靴屋で五分で選んだ四千円の靴は駄目である。別に私じしんは、ふだん履いている革靴で問題ないつもりでいた。靴を買う金があれば本を買った方がいい。しかしみすぼらしいから新しいのを買えと父母がしきりに勧めるので、気もないままに適当に買ったからこうなるのである。

晴れのち曇り

2010-07-05 20:09:01 | 日記
 また一週間が始まって、月曜日は特に早起きをしなくてはならない。授業は一、ニ、四時間目で、三コマというのは週の中でも結構多い。
 相変わらず暑苦しいので、四時間目が終わってお昼を食べて、集めたプリントを見て、すぐに退出した。帰途、久しぶりにエアリに寄った。目論見書は書かないという決意をしたことだから、少しでも修論本体を書き進めようと思う。そのために快適な環境を求めたのだが、しかし冷房が効いているところにしばらく居ると寒い。学校はとにかく暑いから、半袖のしゃつしか着ていない。羽織るものが何かあればいいのだが、朝うちを出る時には予定が立たないから、そこまでの準備はなしがたい。
 しかし入ってすぐにドトオルの冷し珈琲を取り、一時間ほど歌合本文を読み、原稿を書き、気分転換にちょっと書店を縦覧してから、さらに別のドトオルに移って、温かい紅茶とマフィンを取り、また原稿を見た。いつになく散財して、原稿を書くにはこれだけの投資が要るのかと思う。夏休みの生活の予行のようなものだが、収入も無くなる事だし少しでも節約したい。
 それにしても、今年は暑くて、夏にならないうちに夏バテしそうで怖い。ふだん私の体脂肪率は十一パーセント程度なのだが、暑くなって以来は九という数値が出る。別に食欲は落ちていないし、食べる量も減ったつもりはないのだが、蒸し暑いというだけで、普通に暮らしていてもエネルギーを多く消費するのではないかと思う。
 それで体脂肪率が十を切ると、どうも精神的に異状をきたしやすくなる。具体的に言うと、時にいやな不安感に襲われる。今朝も、一つには早起きしたせいもあるが、バスに乗っている間に少し危なかった。
 そういうこともあるので、あまり節約を意識するのもよろしくない。ちゃんとお八つを食べてエネルギーを補給するのも大切である。そういえば、昨日の夕方、何の脈絡もなく天ざる蕎麦が意識にのぼってきた。しばらく食べてないなあと思い出して、どこかで食べたいと思うのだけれど、平日は機会がない。そのうちと思っているのだけれど、戦時中の食糧難ではあるまいし、食べ物がこんな風にかっきりと思い浮かぶことは私の場合滅多にない。これなどもエネルギーが潜在的に欠乏しているせいかも知れない。

曇り時々晴れ、一時雨

2010-07-04 20:39:57 | 日記
 いろいろ天候は変わるが、変わらないのは蒸し暑いことだけである。
 朝は少し涼しくなったのかなと思ったが、日中になってみるとやはり暑かった。しかし昨日までよりは少ししのぎやすかったのかも知れない。加えて、午後ついに雨が降った。ここ数日、雷雨の恐れありと毎日予報されていたのだが、実際に降ったのは今日が初めてである。確かに時々ひんやりする風が吹いてきて、いよいよ雷か、と思うのだが、また明るくなって降らずに終わる。たぶん雷雨が降る条件はそれなりに整っているのだが、最後の決め手が一つ足りないのだと思う。今日の雨も長い時間は降りつづかず、夕方にはすぐ上がってしまった。
 備えのないままに雷雨に遭うとずぶ濡れになってしまうので、ここ何日かはずっと傘を持ち歩いているのだが、ほとんど無用であった。今日にしても、その大粒の雨が降り注いでいる間は大学の図書館に居て、上がってから帰ってきた。まあ雨の中を歩くよりはいい。
 今日はメディアテークに本を返しに行こうと思い立ち、十時頃から街に出て、まずドトオルで一服した。私にとってはカフェで一服する時間が最近は非常に貴重である。
 休日はメディアテークも街も混むので、昼から大学図書館に移った。この間歩いて三十分、荷物もあるのでけっこう消耗した。
 しかし大学図書館は快適である。仕事が夏休みになったら毎日来ようと思う。今日ひそかに決心するに、この夏は毎日晩飯まで大学で仕事をしたい。さすれば修論もきっと何とかなるだろう。
 しかしさし当っては明日からまた暑熱の中で仕事である。そりゃ道路工事とか田の草取りとか、私らどころでなく暑さと戦わねばならない職業はいくらもあるだろうが、冷房のない学校での授業というのはやはりそれなりに大変で、後で思い返してみると時々刻々、自分のやったことが意識から抜けていることがある。この間など、確か入力したはずだと思った生徒の成績が、もしかしたら入れてなかったんじゃないかと家で思い出して非常に不安になった。状況証拠から見てたぶん大丈夫だろうと落ち着いたが、記憶というものがバターみたいに柔らかくなって、刻み付けたはずの事柄がでろんと溶けちゃったような感じであった。

晴れて暑い

2010-07-03 21:37:14 | 日記
 言葉には言霊というものがあって、あまりマイナス方向の内容を書くと精神衛生によろしくない。昨日は何だか八つ当たりのような記事を書いて、後で自分で読み返して見ても如何なものかと思うが、それが跳ね返ってきたかのようで今日はなんだか一日苛々していた感がある。
 脈絡がないようだが、今更ながらこのブログというシステムを使う上で、以前から初歩的な疑問がある。リンク、ではないブックマーク?というものを記す欄があって、私も常日頃のぞいている他人様のブログがいくつかあるが、それを相手方に無断でここに記してよいのかどうか。
 全く未知の人であるから、わざわざお伺いするのも仰々しいような気がするので、まあ簡単に例を挙げると、たとえば某アイドルグループのファンの女性の方らしく、ひたすらそのグループの動向を追跡して記しているブログを偶然見つけて、私など別にそのグループの熱烈なファンというわけでも何でもないから、見ていると何だか異様で、気味がわるいなあという気もするのだが、なぜかつい繰り返し見てしまう。
 不思議なものであるが、考えてみると、人が何かを心底愛しているという状態は、傍から見ても幸福感を与えられるのではないかと思う。それにひきかえ私などのこの稿は、誰かが読んでも幸せになるようなことなど全く書いてない。だいたい書いた本人の為にもならないのでは何のためにやっているか分からない。止めた方が良いのではないか知らん、とまた憂鬱な方向へ行ってしまうわけであるが。
 しかし昨日も記した、修論の目論見書に手をつけようかと思って、去年書いたものを機械の中から呼び出して読み直してみたら、また凹んで嫌になった。去年こうやって三次にわたって目論見書を書きながら、結局は出来上がらなかったんだよなあと思うとやる気が失せるのも当り前だと思う。
 そんなわけであるので、このさい目論見書を書くのは止めにしようと決意したら、少し気が楽になった。書くことが何もありませんといって撤退させてもらおうと思う。それで許してもらえるかどうかは分からないが、仕様がない。目論見書の体裁をあれこれ考えている間に、修論の本体を少しでも書いた方がよほど効率がよい。
 しかしこの件でまた教官と何やかや話をしないといけないと思うとまた面倒である。本当にもう修論など出さずに辞めてしまおうかと思う。私の場合、学費を稼ぐために仕事を増やしたら研究をする暇がない。ということは要するに才能がないということであろう。今に始まったことではないが、大学院など入らなければよかったと後悔する。

晴れのち曇り

2010-07-02 21:51:38 | 日記
 予報では午後から雨が降るはずであったのが、夕方少し霧がかかった程度で、結局降らなかった。ほとんど一日晴れていたので暑かった。
 しかしまあやっと一週間が終わったので解放感はある。しかもこの週末は、あまり教材作成などの仕事も残していないので、気分は軽めと言っていいのだが、よく考えてみると修論の第一回オリエンテーションなるものが接近していて、またぞろ目論見書を書かなくてはいけない。本当は存在しないものを、いかにも存在するかの如く装う作業である。全く無駄なものを、いかにも有用であるかの如く粉飾する作業である。
 全く、大学という所は教官から学生まで嘘吐きばかり集まっている場所だと思う。現し世はどこもそうかも知れないが、大学の場合、学問という崇高な理念までじつは虚構であるものを、いかにも真実の如く装っているからたちが悪い。
 まあその辺のことを、こんな酔払いの管のようにではなく、面白くて為になる文学の形で書いたのが、いわずと知れた名著であるところの筒井康隆『文学部唯野教授』(岩波現代文庫)であるわけであるが、現実にはもっと面白くも何ともない、きわめて索然たる場所である。
 私が十八年前に初めて理科大学に入り、今は再び国文学科に属している母校は、何だかこのごろ次々訴訟づいているらしい、といえばああなるほどと感づく読者もあるかも知れぬ。一つは、理学部の院生を元准教授が自殺に追い込んだというので、親から訴えられた。もう一つは、論文捏造疑惑で首にした歯学部の元助教から、本当はやってないのにといって訴えられた。
 文系理系いずれの学部にも身を置いた経験から言うと、この大学は、要するに全般的に指導力、対話力、コミュニケーション力が足りないのである。特に理学部の事例は、私など本当によくわかる。私なども在学中はずっと自殺することばかり考えていた。私は修士で見切りをつけたからよかったが、件の学生はドクターまで行って、それで研究者の道を閉ざされたと思ったら絶望するのも無理はない。
 歯学部の事例は教官同士の話であるが、これにしても、ちゃんと対話が出来ていないからこうなる。結論としては言い古された話だが、大学の研究者というものは、一般の世界に適しない人がなる商売であって、教育力という方向では、高校講師ほどの力もないんじゃないかと思う。
 われ等が国文学科も、よくいえば自由、悪く言えば放任で、指導らしき行為は本当に何にもない。だからと言って私みたいなものが箸の上げ下ろしまで指図されたらまるっきりやる気を失うに違いないことは自分でもわかる。愚痴はさておき自分の始末は自分でつけざるを得ない。

曇り

2010-07-01 21:44:33 | 日記
 月も変わったことなのでちゃんと書いておこうと思う。
 昨日は何かにつけて苦難の多い日であった。まず朝から一日中雨で、しかも尋常でない降りで、シャワーのように吹きつけて来るので、うちを出てちょっと歩くうちにずぼんがずぶ濡れになってしまった。傘から落ちる水滴でしゃつの腕も濡れたので、一日湿った服を着ていなければならなかった。濡れにし袖はかわく間もなし、という感じで、非常にわびしい。
 さらに仕事もどうもちぐはぐでうまく行かなかった。そもそも水曜日は三コマ入っていて、一番疲れる時間割である上に、放課後、大量のプリントを印刷せねばならぬ羽目になり、しかもこういう時に限って、紙が切れたので倉庫から一箱運んでくる羽目になり、そうかと思うと次にはインクまで切れたりして、無用に疲れた。
 おかげで昨日は日記どころでなく、教材作成も半分で寝てしまったが、それにひきかえ今日は驚くほど好運に恵まれた。こういう運勢の変転は非常に面白いと思う。
 まず今日はお天気がけっこうよかった。それなりに湿度も高く蒸し暑かったが、覚悟したほどではなかった。昼すぎにはいい具合に曇ってきて、快適とまではいかないが、常識的な気候だったと思う。
 そう感じるのも仕事が楽だったせいかも知れない。今日は本来私の授業は二コマあるのだが、思いがけず、午後の一コマをクラス担任に請われて、ホームルームとして供出することになった。やることがないので帰ってしまおうかと一瞬思ったが、さすがにそれは感じが悪いので、教員室で久しぶりに修論の稿を取り出して、何日か前にミスドで書いた下書きをタイプした。有意義な時間が過ごせたので機嫌がよい。
 もう一つ、結局今日一コマだけやった授業がなかなかうまくいったということもある。意欲が低く、点数もいちばん低いクラスで、特に勉強する気が全くない男子が四人ほどいるのだが、今日は妙に食い付きがよかった。どうも俳諧はあんがい興味を喚起するらしい。もともと俳諧というのはゲーム性の強い文芸であったが、季語とか切れ字とか当てさせると、わかりやすいだけにけっこう真剣に考える。