津波到達の言い伝え残る地点を測量 上天草市-熊本のニュース│ くまにちコム
1792年の地震で島原市の眉山崩壊に伴い起きた津波被害を後世に伝えようと、上天草市大矢野町の住民が24日、同町白涛地区の津波到達の言い伝えが残る地点を測量した。言い伝えの地点は、海面から高さ約30メートルもあった。
測量したのは、市老人クラブ連合会長の水野敏行さん(78)。水野さんによると、眉山や普賢岳を望む同地区の谷あいの高台に、最近までエノキの木があり、「津波の襲来後、枝に海藻が引っ掛かっていた」と言い伝えられている。
東日本大震災の津波被害を「人ごとではない」と感じた水野さんが、建設会社に勤める長男、敏光さん(49)の協力を得て測量した。測量結果は、地区住民に知らせるとともに、市にも報告。市が見直しを進めている防災計画に、参考としてもらう考え。
1792年の地震と眉山の崩壊では、天草地域のほか、熊本市や島原市などに津波が襲来。多くの家が流され、多数の人命が失われた。「島原大変肥後迷惑」とも呼ばれる。
測量に立ち会った白涛地区の植田泰徳区長(64)は「こんなに高い所まで津波が到達したとは驚く。地区住民で情報を共有して、素早く避難できるようにしたい」と話した。
ぞぞぞぞぞ。
いわゆる「島原大変肥後迷惑」では、そんなに巨大な津波が起きていたとは。
多くが埋立地である本渡市街なんか、ひとたまりもないではないか。
もしそんなことになったら、安全な場所は十万山とか、キリシタン館のもっと上くらいか。
いずれにしても、本渡市街は壊滅必至だ。
ほんとに人ごとでない。
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