逝きし世の面影

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「地球温暖化」の終了 \(^o^)/  

2021年10月22日 | 地球温暖化

今より遥かに温暖だった(地球が太陽に最も近づく「近日点」と日照時間が一番短くなる「冬至」が同じ日付だった)1000年前の地球環境

歴史の常識を覆した集落遺跡!世界遺産「ランス・オ・メドー国定史跡」

ランスメドー(L'Anse aux Meadows)は、カナダ東部、ニューファンドランド・ラブラドール州のニューファンドランド島最北端にある考古遺跡。1978年にユネスコの世界文化遺産に指定された。カナダの国定遺跡でもある。

カナダの東に位置するニューファンドランド島の北端に、ランス・オ・メドー国定史跡があり1960年ノルウェーの探検家ヘルゲ・イングスタッドと考古学者のアン・スタイン・イングスタッド夫妻によって発見された。発掘調査によってノルウェー様式の8つの建物跡や溶鉱炉の跡、バイキングの鉄釘などの鉄器の道具類が多数発見されコロンブスより500年も前にヨーロッパ人がアメリカ大陸に到達していたことが具体的証拠類で証明されている。

1688年に出版されたアイスランドの本の表紙に描かれた赤毛のエイリーク(木版画)Wikipediaより

中世アイスランドで成立したサガ(Saga)という叙事詩によれば、アメリカ大陸に初めて上陸したヨーロッパ人は、アイスランドのバイキングでレイフ・エリクソン(グリーンランドを発見した赤毛のエイリークの息子)(970年頃 – 1020年頃)という人物で、バイキングたちは今から1000年ほど前に温暖だったグリーンランド経由でアメリカ大陸に移住していたらしい。(★注、その後の寒冷化でグリーンランドの入植地が壊滅。バイキングたちは故郷のアイスランドに撤退を余儀なくされる)

考古学:アメリカ大陸におけるバイキングの存在を正確に把握する

Archaeology: Pinpointing the presence of Vikings in the Americas

早ければ今からちょうど1000年前の西暦1021年にバイキングがアメリカ大陸に居住していた可能性を示唆する論文が、Nature に掲載される。今回の研究では、カナダのニューファンドランド島の遺跡で発見された木製人工遺物の放射性炭素年代測定が行われ、ヨーロッパからアメリカ大陸へ渡った人類の最古の記録が得られたと考えられている。

バイキングは、大西洋を横断した初めてのヨーロッパ人で、ニューファンドランド島の北の半島部に位置するランス・オ・メドーに入植した。初期のヨーロッパ人は、第1千年紀の頃にアメリカ大陸に居住していたことが知られているが、入植の正確な年代決定は行われていない。

今回、Michael Dee、Margot Kuitemsたちは、ランス・オ・メドー遺跡のバイキングの入植地内で発見された一連の木製人工遺物の分析について報告しており、入植地内での人工遺物の位置と、その当時の地元の先住民族が製作したものではない金属製の道具を用いて人工遺物の改良が行われたことを示す証拠に基づいて、これらの木製人工遺物がバイキングの持ち物だったと確信している。また、Deeたちは、大気中の炭素に関する記録の特定の項目を用いて、人工遺物の原材料の高木が伐採された時期を示す正確な放射性炭素測定年代を決定することによって、バイキングがランス・オ・メドーに居住していた時期を正確に把握できた。今回のケースでは、西暦993年の宇宙線事象による大気中放射性炭素濃度の上昇が基準点になった。

Deeたちは、この「西暦1021年」がヨーロッパ人によるアメリカ大陸の認知を示す新しい標識になると主張しており、大局的には、今後の人工遺物と環境事象の年代測定における基準点としての宇宙線事象(例えば、今回の西暦993年の宇宙線事象)を研究することの潜在的価値を強調している。
10月21日 Nature

太陽風の痕跡

今回の研究では、L’Anse aux Meadows(ランス・オ・メドー)で行われたバイキングによる薪割りが、ちょうど西暦1021年に行われたことが判明したが、正確な年が特定できたのは、西暦992年に大規模な太陽嵐(太陽フレアによる磁気嵐)が発生し、その翌年の木の年輪に明確な放射性炭素シグナルが生じたからです。放射性炭素は大気に降り注ぐ宇宙線の影響で大気中の窒素から作られます。993年には生成量が増えたことが分かっており、これによって木材の正確な年代が特例された。

赤毛のエイリークのサガで述べられているヴィンランド、ヘッルランド、マルクランドへの航路予想図(Wikipediaより)平面のメルカトル図法では高緯度のノルウェーやアイスランドとグリーンランド、北米大陸は大きく離れて描かれているが地球は球体なので実際の距離は近い(★注、メルカトル図法では常に方位は正しいが高緯度のグリーンランドは実際の面積より17倍に拡大している)

バイキング活動年代、初特定 カナダ遺跡の木片、1021年切断 名大の発見が貢献

配信 時事通信

北欧のバイキングが大西洋を渡り、11世紀にカナダ・ニューファンドランド島に居住した跡である「ランス・オ・メドー」遺跡について、オランダのフローニンゲン大やカナダ国立公園局などの研究チームは20日、バイキングが現地で活動した具体的年代を初めて特定したと発表した。

発掘された木片に含まれる放射性炭素(C14)を詳細に調べ、1021年に金属の刃で切断したと断定した。  

この遺跡では木造家屋や鉄器、青銅器などが見つかり、欧州人が最初に北米に居住した跡として1978年に世界遺産に登録された。年代はコロンブスによる15世紀の「新大陸発見」より古く、大まかにしか分かっていなかった。論文は英科学誌ネイチャー電子版に掲載された。  

C14は銀河宇宙線や太陽から飛来する高エネルギー粒子が大気に衝突して発生し、二酸化炭素の一部として光合成で木に取り込まれる。大気中のC14濃度の変動が木の年輪ごとの濃度にも反映されるため、年代測定に利用される。今回の木片3個の年代測定は、名古屋大の三宅芙沙准教授らが発見した993~994年の大気中C14濃度の急上昇現象が大きな手掛かりとなった。  

三宅准教授らは鹿児島県・屋久島で伐採された屋久杉の年輪に含まれるC14を測定し、774~775年と993~994年にC14濃度が急上昇したと2012~13年に発表した。大規模な太陽フレア(表面の爆発現象)が原因の可能性が高いとみられる。三宅准教授は「C14濃度の急上昇をタイムマーカーに利用できる可能性が発見当時から考えられていた。新しい発見につながり、とてもうれしい」と話している。
10月21日 時事通信




寒冷だった12000年前のイギリスやアイルランドは大陸と地続きになっていたが、日本の場合は津軽海峡以北の北海道が大陸と地続きになった。(100メートル以上海水面が下がった氷期でも140mの水深がある津軽海峡は、中央に大河のような水路部が残ったので両岸の生物相が異なりブラキストン線( Blakiston Line)と呼ばれている)

逆に今よりも温暖だった1000年前の中世にはアイスランド在住のバイキングたちが当時は草木が生えていたグリーンランドに入植し、島伝いに西進してコロンブスより500年も早く北米大陸(ヴィンランド)にまで進出していたが、その後の寒冷化で撤退する。



アイスランド、レイキャビクにあるハットルグリムス教会の前に立つレイフ・エリクソンの像。バイキングはコロンブスより500年早くアメリカ大陸に到達したと言われる。(PHOTOGRAPH BY JON BOWER ICELAND, ALAMY STOCK PHOTO

『バイキング、知られざるその壮大な歴史』北米へ欧州から最初に渡り、ロシアの基礎も築いた中世の「襲撃者」2017.01.25ナショナルジオグラフィック

氷に覆われた北の荒野で、王や戦士、ドラゴン、トロルたちが活躍するTVシリーズ『ヴァイキング〜海の覇者たち〜』や『ゲーム・オブ・スローンズ』などでは、ドラマチックで多分に暴力的な物語が繰り広げられる。こうしたTVドラマの発想の元となっているのが、「サガ」と呼ばれるアイスランドの古い物語だ。歴史家のエレナー・ロザモンド・バラクロウ氏は、最新の著書『Beyond the Northlands: Viking Voyages and the Old Norse Sagas(北欧の向こうへ:バイキングの航海と古代北欧サガ)』において、サガの世界を探究し、虚構の中に隠れた事実を探り出すことで、バイキング、すなわち中世のスカンジナビアのノース人がただレイプや略奪を繰り返していただけの人々ではないこと示してみせた。(抜粋) 
2018年02月05日 | 地球温暖化 
太陽の黒点が激減 「氷河期」到来の可能性

今よりも住みやすく平和だった1000年前の温暖な地球環境

厚さ2000メートルもの氷で覆われたグリーンランドの住民の大部分は極北の狩猟民イヌイット(エスキモー)の末裔だが、今より温暖だった1000年前は草木が茂っていて農業や牧畜のアイスランドのバイキングが入植しグリーンランドと命名、コロンブスより500年も早く島伝いにヨーロッパ人としてアメリカ大陸(ビンランド)に到達していた。
1000年前の地球環境は温暖で日本でも平安時代が続いたが欧州も温暖で平和だったので人口が増加。ところが、その後の寒冷化でグリーンランドの入植地は全滅。撤退したバイキングたちは南を目指してフランスやイギリス、スペインに遠征、遠くイタリアのシチリア島を占領する。寒冷化で農業が出来ない無人のグリーンランドには狩猟民のエスキモーが移住、今のようなイヌイットだけが住む氷の島になった。

江戸時代の改暦をテーマにした映画作品『天地明察』の中で、『日の軌道がずれておる…』という名セリフがありますが、その大きな理由のひとつとして、楕円軌道の地球と太陽の遠近の差がありました。

画像3

太陽がもっとも遠ざかるとき… 遠日点について 7月6日

KAICHI SUGIYAMA

惑星の軌道はすべからく楕円形をしています。つまり太陽にもっとも近づくときと、もっとも遠ざかるときがあるということ。そして、この点を通過する瞬間を天文学的には「近日点」「遠日点」と呼んでいます。

遠日点 2021/07/06 07:27
近日点 2022/01/04 15:55

そして、この周期は約21000年ほどかけて動いており、約1万年すると夏至の頃に近日点が来ることになります。実際に13世紀には近日点が冬至のあたりにあり、それを元にした中国の古来の宣明暦や授時暦を後の江戸時代に参考にしていたときには、すでに近日点は冬至から6度ほどずれておりました。それこそ天地明察で暦師の渋川春海らが暦を大きく改良した点でした。そして現在では、さらにそこから6度ほど近日点が移動し小寒のあたりに近づいています。

では実際に、地球と太陽との間の遠近の差がどれくらいあるのかというと、距離ではおよそ500万kmとなり、±250万kmもの違いが生じています

スクリーンショット 2021-06-28 19.59.16


【地球から太陽までの距離】
遠日点(7月上旬 ) 1億4960万km + 250万km=1億5210万km
近日点(1月上旬)   1億4960万km  − 250万km=1億4710万km


これは光の速さで表してみると、地球に太陽の光線が届くには平均8分19秒に対して、遠日点では8分27秒、近日点では8分10秒と、遠近によって17秒の差が生じていることになります。なんか距離よって地球ー太陽の光の速度まで変化しているのだと思うと影響の大きさを感じますよね。

これは実際に天体観測としての太陽の大きさ(視直径)で比べると、遠日点(7月上旬 ) は0.522°角近日点(1月上旬)  は0.542°角となりその差は0.02°角ほどですが、比率にすると大きさは約3%も違い、太陽光の量は7%も変化することになります。

この実測した太陽の大きさの比較を見てみると、かなり違いがあることがわかると思います。実際に太陽フレアを観測する際に、天文台では夏と冬では実像の太陽を覆い隠す盤のサイズを変えるなど観測の工夫をしているほど。

スクリーンショット 2021-07-01 23.17.23

 

さて、現在7月上旬は地球のこの「遠日点」を地球が通過しているため、実際に太陽と地球との距離が遠ざかり、観測上の太陽の見た目の大きさも3%ほど小さく見えています。

広大な宇宙空間の中では、この遠近感の差などわずかであるように思いますが、太陽から地球が受けとっているエネルギー量は平均を100とすれば、近日点=103.4 、遠日点=96.7 の変化があります。

これは7%も光量が変化するという点で受熱量としては大きな違いがあり、
もし夏が遠日点ではなく近日点でだったら…、(★注、北半球の)夏はもう少し暑く、冬はもう少し寒くなっています。これは地球において数万年(★注、十数万年の間違いか?)単位で訪れている氷河期の周期(ミランコビッチサイクル)と関係していると言われています。
(抜粋)
6月29日Note

不可解で奇妙。非科学的な国連IPCC(国連気候変動に関する政府間パネル)

地軸が傾いていることによって現在の地球の北半球は太陽が一番近づく近日点が冬になり、逆の遠日点は夏になっているので1年を通じて寒暖の差が小さい。
地球人口の大部分が住んでいる北半球は温まり易く冷めやすい陸地が多く、逆に南半球は海洋が占める面積が大きいので元々温度変化が小さい。太陽と地球軌道の関係で見れば、稀に見るほどの「現状の配置」が最適なのです。(★注、本来の地球環境は平穏な現在とは大きく違い、もっと過激に変化しているのである)

大きな揺らぎがある火星の軌道とは違い地球の軌道が安定している最大の原因と言われているのが桁外れに巨大な衛星(月)の存在なのですが、1年間で約4センチづつ地球から遠ざかっている。(36億年前の月は今より地球の近くにあり17倍も大きく見えていた)太陽と地球の距離も毎年1・5センチづつ遠ざかっている。(★注、1万年では150メートルだが1億年では1500キロ)

道徳的に正しくとも科学的に間違っているIPCC(人為的CO2温暖化説の不思議)

たとえ産業革命以来の150年間(資本主義)では0・8度程度温暖化したことが事実であったとしても、赤毛のエイリークなどバイキングたちが極北のグリーンランドで農耕や牧畜が可能だった温暖な1000年前から比べれば今の地球環境は寒冷化していた。しかも、地球は氷河期の真っただ中で比較的暖かい間氷期は12000年間も続いているのですから「終わり」(5回目の氷期が始まって、地球全体が極端に寒冷化)は目の前に迫っているのである。

そもそも150年前の産業革命以前には日本でも浅間山の大噴火など天変地異が続き冷害にによる大飢饉が起きるなど地球規模で寒冷化が進んでいて「小氷期」とも呼ばれていたのですから、それに比べて0・8度の温暖化の揺り戻しは当然な歴史の流れ。(ですからIPCCの「150年間の地球温暖化」自体は少しも不思議ではない。問題は「これからの地球環境の推移」なのである。しかし冬至から離れつつある近日点とか地球と太陽との軌道の揺らぎによるミランコビッチサイクルなど全ての科学的指標では今後の地球温暖化ではなくて、180度逆の地球寒冷化「厳しい5回目の氷期への突入」を示唆しているのである。

物事の順番(原因と結果)が逆さま

人為的な疑いが消えない正体不明の新コロ(SARS-CoV-2)騒動や、それに便乗したグレートリセット(ニュー・ノーマル)などは「地球温暖化の終わり」と関連している可能性が高い。歴史的に見て「資本主義」の発展とは「地球温暖化」にピッタリ連動していたのである。(★注、善良な多くの人々が誤解しているが、そもそも丸っきり真っ赤な噓では多数の人々を長い間騙すことは不可能であり、賢い詐欺師は「真実」を悪用することで人々の判断基準を誤らせて社会全体とか国家でも勘違いさせることが出来る。小さな真実の断片を「真実の全体」だと思わせることで騙すのである)

リベラル(プロテスタント)社会学の教科書の間違い

100年以上前の20世紀初頭ドイツの社会学者マックス=ウェーバーの「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」では資本主義の成立に不可欠な「資本の蓄積」を世俗的禁欲主義のプロテスタントの功績であるかの如く論じているが、原因と結果が逆さま。産業革命のイギリスやオランダは確かにプロテスタントに分類されるが、これ等の欧州各国の「資本の蓄積」の多くはアジアアフリカ、アメリカ大陸など植民地からの過酷な略奪(イギリス東インド会社によるアヘン密売とか奴隷貿易(人身売買)などの海賊行為)によって得られたものだった。欧州の白人キリスト教徒の侵略で当該地域では人口が激減。全住民の絶滅までおきている。
500年前のコロンブスの航海によるスペインやポルトガルの「富の蓄積」(植民地からの略奪的搾取)は資本主義につながらなかった原因とはカトリックとプロテスタントとの些細な違いではない。(★注、超過激派で少数派の清教徒はプロテスタントだが主流派のイギリス国教会の教義は基本的にカトリックと同じだし、英国に次いで産業革命に成功して資本主義のフランスはカトリック)
スペインやポルトガルなどカトリック国が世界を支配していた当時の地球環境は寒冷で食物生産量が限定的なので人口が増えず資本主義の前提条件が整っていなかっただけ。(★注、温暖化で人口増加が起きていれば結果は大きく違っていた)

資本主義の勃興=地球の温暖化

10億人以下だった資本主義以前の地球人口が、現在は77億人にまで増えている。ところが、これは順番として先ず150年まえから地球温暖化によって、→海水温が上昇してCO2 を放出→大気中の炭酸ガス濃度の増加が起きて全ての生命の源である植物が大繁殖、→CO2を沢山必要とする穀物(C3植物)の増産によって沢山の人口を養えるようになって、→人類の欲望を無限大に拡大する「資本主義」が可能となった、と考える方が物事の辻褄として正しい。「原因と結果」の順番が180度逆さま(結果→原因)だったのである。(★注、温暖だった縄文中期には26万人まで増えた人口が、その後の寒冷化で数分の1の8万人にまで激減したように人口増加の原因は地球温暖化こそが一番の決め手)

太陽と地球の軌道が一番近い近日点と冬至が同じで、今より遥かに温暖だった1000年前にグリーンランドやアメリカ大陸にまで進出したアイスランドのバイキングたちが、その後の地球寒冷化でグリーンランドの入植地を放棄して撤退した歴史的事実が、今回は地球規模で起きようとしているのでしょう。(★注、人類や社会全体の利益よりも、一個人の欲望や利益を優先する「資本主義」的な発想は前に向かって進撃している温暖な発展時には有利でも、逆の地球の寒冷化で衰退期に入っての「撤退戦」では圧倒的に不利に働く)

地球大気中の二酸化炭素の変遷(地球大気のCO2濃度が150ppm以下になると生命大絶滅の危機が、) 

地質学的な時間スケールにおいて、かつて大量に存在したと考えられる大気中のCO2は海水への溶解、石灰岩(CaCO3)等の炭酸岩塩の形成や生物による堆積有機物等の除去機構等により著しく減少してきた。大気中の著しいCO2濃度の低下に伴って、低CO2でも生存できるC4植物が台頭してきた。現代は短期的に大気中のCO2は増加しているが、長期的な傾向として、現在の地球の大気中のCO2はやがて150ppm以下に低下しC3植物(米や小麦などの穀物類)は光合成ができず、CO2の欠乏によって生物圏の存続は維持できなくなる可能性が指摘されている。

C4植物は、白亜紀(およそ1億3500万年前から6500万年前)に初めて出現したといわれている。しばらくは細々と生育していたと見られるが、700万年前に著しく増加した。この時期は、大気中のCO2濃度が著しく減少した時期と重なる。ウィキペディア(Wikipedia)2021年10月07日 | 地球温暖化 「CO2が二倍になれば気温が2度上昇」


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1 コメント

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地球は今より温暖だった! (ローレライ)
2021-10-22 11:36:15
地球は今より温暖だった時代グリーンランドは緑の大地で北アメリカにはバイキングのコロニーがあった。
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