逝きし世の面影

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カヌーのパラ・ドーピングを2ヶ月遅れで報じる

2018年01月10日 | スポーツ・文化
『マスコミや関係者全員が「赤信号みんなで渡れば怖くない」と挙国一致で垂れ流す不真面目な日本的フェイクニュース』

『カヌー日本代表候補、ライバルの飲み物に禁止薬物 ドーピング検査で陽性に』
手2018年01月09日 朝日新聞

東京五輪の代表入りを目指すトップ級選。ライバルの飲み物に禁止薬物 カヌー日本代表候補が混入
昨年9月に石川県小松市であったカヌー・スプリントの日本選手権で、カヤックシングル(1人乗り)に出場した男子選手(32)が、別の男子選手(25)の飲み物に禁止物質を入れ、レース後のドーピング検査で陽性になっていたことがわかった。2人とも、昨年8月にチェコであったスプリント世界選手権の日本代表で、2020年東京五輪の日本代表入りを目指すトップ級選手だった。
禁止薬物を混入した選手は、日本カヌー連盟や日本アンチ・ドーピング機構(JADA)の調べに対し、2020年東京五輪出場が危うくなったと感じライバルを陥れようとした、と説明している。
関係者によると、禁止薬物は筋肉増強剤とも呼ばれるたんぱく同化ステロイドの一種。加害選手はインターネット通販で入手し、レース中に放置されていた被害選手の飲料水用ボトルに混入した。
レース後に気づかずに飲んでドーピング検査で陽性になった被害選手は無実を主張。日本カヌー連盟が調べたところ、混入の疑いが浮上した。疑われた加害選手はすぐに認め、陽性になった選手に謝罪したという。昨年12月までにJADAの調査で全容が判明。8年の資格停止処分を決め、近く連盟が発表する。
(朝日新聞デジタル 2018年01月09日 05時02分)


フェイク(デマ、嘘)ニュースの代表例として、東京ローカルの地上波『東京MX』テレビの行った『基地反対派は日当3万円、暴力で救急車も走れない』など、悪質なマスコミのデマ(フェイクニュース)では無く、便所の落書的なネットの悪ふざけ『熊本地震で動物園から逃げたライオン』を、マスコミで大々的に取り上げるなど、詐欺的手法を駆使するジャーナリスト津田大介。


名古屋大学准教授の日比嘉高も朝日の津田大介と同じ手法で本来はマスコミとか政府の悪質な情報操作(戦争プロパガンダが、後に暴露された状態)を指していたpost-truth『ポスト真実』(後でわかる真実)を詐欺師か手品師のように極限まで矮小化する。
本来のpost-truthは『どうして嘘がまかり通るのか』程度の下世話な話ではなく、深刻なマスコミのデマ(真実の断片を真実全体を偽装)を根拠にアメリカ軍が何十万人も殺した余りにも恐ろしい『現実に起きた』話である。(これから起きるかも知れない『将来の心配』とは次元がまったく違っている)



『ほぼカズオ・イシグロのフィクション世界と化した日本のマスコミの悲劇』

何とも恥ずかしい酔っぱらった相撲取りの喧嘩を連日大々的に取り上げていた我が日本国のマスコミ各社の馬鹿騒ぎですが、この騒ぎの張本人貴乃花親方の二階級降格でようやく沈静化したと喜んでいたら、今度はカヌー選手同士の低レベルな妬み嫉み、嫉妬心の二番煎じとは呆れるやら驚くやら腹が立つやら。(もしも報道内容が事実なら、ほぼライバルのバレエシューズに画鋲を入れる少女漫画『ガラスの仮面』と同じ発想である)
何処まで日本国のマスコミは劣化するのだろうかと思うと恐ろしくなる。(マスコミですが読者を間違いに誘導しているだけで誰にでも分かる明確な嘘は付いていないが、決して真実も語っていないのである。この部分がネットのお粗末なデマ記事とは大きく違っている)

『現実世界はイシグロ小説以上に残酷だ。!大阪堺市の朴悪非道なムエタイジムソックリの貴乃花部屋』

主人公の言うことを額面通りに受け取ってはいけないという“ルール”こそ元日本人のカズオ・イシグロの描く(一見美しいようで、中身が残酷で醜い)世界の真実だった。
酔っぱらった相撲取りの喧嘩では、今頃になってやっと貴乃花親方が一言も喋らない不可解な事実が言われ出したが、マスコミの報道とは逆に、これは明らかに被害者側ではなく加害者の態度ですよ。喋らないのでなくて、喋れないのである。
そもそも貴乃花部屋の暴力体質は突出していて、しかも貴乃岩はモンゴル人力士との交流を厳重に禁止されていたのですから、頭蓋骨底骨折とか髄液漏洩など瀕死の重傷を負わせた犯人は激高した貴乃花親方だった可能性が一番高いのである。あるいは貴乃岩は2週間の軽傷で福岡市内の済生会病院に検査入院した時には既に完治していた、貴乃花親方の仕組んだ当たりや事件のいずれか、真相は二つに一つであるが、真実は貴乃花がマスコミに口を開いた瞬間に露見する。

『カルト教団的に内部だけで小さく固まる大相撲以上にブラックボックスでマイナーなカヌー競技』

テレビも新聞も同じで、わざと善良だが(自分の周りには悪い大人はいないと思っている幼稚園児のような)愚かな読者諸氏を間違いの迷宮の誘い込むような不正確で不親切な記事を書いているのである。
今回の摩訶不思議なカヌーのドーピンブ疑惑報道ですが。先ず事件のタイトルが基本的に間違いである、
それ以上に、報道した日付がもっと根本的に間違っていた。(全員がグルでドーピング疑惑を隠蔽しようとしていた疑いがある)
事件が発生したのは去年の9月ですよ。最も有望だった選手(25歳)がドーピング判定が黒で、資格剥奪の処分が科されたのが10月だったが、何も報道していない。
11月にベテランの先輩選手(32歳)がドリンクへの薬物混入を自白したが矢張りマスコミは報道しなかった。
ところが、今回1月9日ドーピングの選手(25歳)のオリンピック参加資格が復活したことから、大ニュースになった。(まさに、『赤信号みんなで渡れば怖くない』的なマスコミ総がかりのフェイクニュース)

『何故誰も、カヌーの競技団体やマスコミの報道姿勢が、何か可笑しいと思わないのか。!!実に不思議だ?』

カヌーはマイナー競技であり全員が顔見知り。1年の3分の2は合宿生活で、特に今回の被害者と加害者の二人の関係は親密だったという。(3日間厳しく指導したら自白したベテラン選手ですが、オリンピックが開催される2年後は34歳であり、到底世界で活躍出来る見込みは無い。義父にドーピングを告白した日付は翌月の12月。自白と告白の間に1ヵ月間もの時間差があった)
日本で最有力の25歳選手はドーピングで2年後に迫ったオリンピック参加資格が剥奪されているが、この処分を解除する最後の手段とは、今回のように誰かが『私がやりました』と犯行を名乗り出る以外に道は無い。
芥川龍之介の藪の中(黒沢映画の『羅生門』)と同じで、『重要な話を真剣にしている時こそ、人は信頼できない』とのカズオ・イシグロの小説のように、何とも致し方ない成り行きなのである。
★注、
酔っぱらった相撲取りの些細な(まったく真偽不明の)喧嘩を、すべてのマスコミが大きく『天下の大事件』のごとく大騒ぎして報道する場合ですが、もちろんニュース自体が大事な場合もあるが逆に報道したくない別の『何か』(多分、安倍お友達疑惑の国会での審議)を報道したくないスピンコントロールが考えられるが、今回の相撲以上に参加者が少ないマイナー競技のカヌーの場合には何を隠したいのだろうか。(同じ1月9日は南北朝鮮の閣僚級会談が実現して、北朝鮮の冬季オリンピック参加が話し合われ、朝鮮半島での緊張緩和が図られている)


(資料)

記者の目
『イシグロ氏、ノーベル賞スピーチ』 平和の重さ、知らしめる 2018年1月10日毎日新聞=鶴谷真(東京学芸部)

重厚なスピーチに、盛装した約1300人の招待客は静まりかえった。昨年12月10日午後10時50分過ぎのストックホルム市庁舎。スウェーデン国王らが臨席してノーベル賞受賞者をもてなす晩さん会が終わりに近づき、謝辞の時間となった。打ち解けた空気の中、自然科学分野の受賞者たちはジョークで笑いを誘い、にこやかに降壇していく。

被爆した母の教え「ヘイワ」
だが、文学賞の日系英国人作家、カズオ・イシグロさん(63)は違った。緊張した面持ちでマイクに向かい、長崎市に住んでいた5歳の頃、その14年前に被爆した母親が「ノーベル賞は平和を促進するためにあるのよ」と教えてくれた思い出を語った。イシグロさんはその直後に家族で英国へ移住している。今や日本語をほとんど話せないイシグロさんだが「ヘイワ」と日本語を交え、昨年10月に授賞決定の知らせを受けた際には直感的に「ノーベルショウ」と声に出した、とも述べた。
胸をつかれた。
英国紳士流のにこやかで堂々たる立ち居振る舞いが身上のイシグロさんだが、晩さん会とそれに先立つ授賞式では、硬く思い詰めた表情に見えた。
人間を焼き殺し、今なお後遺症で苦しめている原子爆弾。自らも被爆した母が、それでも人間への信頼を託したノーベル賞を長じて受賞するに至ったことは、イシグロさんにとって個人的栄誉をはるかに超えて重かったのだろう。
これだけは言わねばならない、そう念じて晩さん会を迎えたのではないだろうか。
薄らいでいく長崎でのかすかな記憶を保存したいとの衝動から20代半ばで小説を書き始めたイシグロさんだが、その記憶は「ヘイワ」と分かちがたく結びついていたのだ。
折しも同日、隣国ノルウェーのオスロでは、核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN)にノーベル平和賞が贈られた。

イシグロさんは、ストックホルム入りして間もない同6日の記者会見で「暗いムードを少しでも塗り替え、世界の分断を埋めたい」と述べた。授賞決定直後には「世界の平和に貢献できればうれしい」とも。差別をばらまくトランプ米大統領の台頭や欧州連合(EU)離脱を決めた英国など、世界的な排外主義の高まりへの懸念だろうが、スローガンを直接に叫ぶ小説が時代を超えて読み継がれるのが難しいのもまた事実である。世界40カ国以上で刊行されているイシグロ文学はどうか。
その本質は「信頼できない語り手」にある。

人間は、都合の悪い記憶を当然のように改ざんする

イシグロさんは「重要な話を真剣にしている時こそ、人は信頼できないものだ」とも言う。
代表作のひとつ「日の名残り」(1989年)では、英国貴族に仕えてきた主人公である執事が来し方を自信満々に語っていくうちに、真相がぼやけていく
そして残虐なナチスに傾倒する主人を無責任に妄信し、父親の最期をみとろうとせず、幸せな家庭を築くチャンスもみすみす捨て去っていた、俗物たる自らの姿が明らかになる。
残酷だ。
主人公の言うことを額面通りに受け取ってはいけないという“ルール”こそイシグロ小説の魅力だ。
執事が直接的に後悔と反省を口にしてしまえば、聖人君子の美辞麗句でしかない。だが、自らの尊厳を守ろうと記憶の取捨選択と美化、強弁を繰り返す態度にこそ人間の実相が宿る。だから物語世界に引き込まれる。

ウソをつく人間、それでも信頼も

昨秋、安倍晋三首相は北朝鮮による核・ミサイル開発を「国難」と言い立て、衆院選で大勝した。
だが、屈指の地震多発列島である事実に加え、ミサイルを撃つ側から見れば これ以上の標的はない原発が海岸に建ち並ぶ現状の方がよほど国難である。さらに政府は財界と一体となって原発輸出を進めている。ごく目先の利益すら危ういどころか、庶民が失政による負の遺産を押しつけられかねない。
イシグロさんの信念は「小説は事実ではなく真実を伝える手段」だ。
真実とは人間の行動原理であり、もっと言えば人間は自分にこそウソをつく ということだ。
国は原発の安全性を強調して再稼働を目指し、一方で「国難」を訴えてきた。それは国内のガス抜きを外の「国難」に求め続け、かつ軍事力で解決できると信じ込み破滅した「大日本帝国」に重なる。
これを変えさせるには、福島第1原発事故に伴う放射能の危険性や避難者の苦しみといった事実を報じ続けねばならない。
自戒を込めて。だがノンフィクションだけでは足りない。なぜ為政者たちが未来への目を自らふさぎ、庶民の多くがそれを許してしまうのか。その原理を楽しみながら学ぶにはイシグロ小説のようなフィクションが要る
私たちの大半は職場や学校、あるいは家庭でも、権力や金を持っている者たちに従わざるを得ない面はある。
「日の名残り」の執事は私たち自身でもある
だが、この執事は徐々に目を見開いて真実に向き合う勇気を抱き、ラストでは後悔の涙を流す。イシグロさんは人間への限りない信頼も示すのだ。母がそうだったように。ノーベル賞作家となったイシグロさんを突き動かし続けてきた「ヘイワ」、その重さを思い知らされたストックホルムの夜だった。
1月10日毎日新聞(★注、太字の強調部分は『逝きし世の面影』独自の判断)


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1 コメント

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Unknown (Saito)
2018-01-10 22:27:50
>主人公の言うことを額面通りに受け取ってはいけないという“ルール”<

なるほど。彼の小説(英語版)を購入したのですが、なぜか気持ち悪くて、読み進みたい気がしなかった。わざとだったのですね。

純文学が大衆受けしない理由が分かりました。

ここのところ、本筋でないコメントばかりで、恐縮です(汗)。

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