逝きし世の面影

政治、経済、社会、宗教などを脈絡無く語る

小学生からやり直せ\(^-^)/

2022年01月06日 | 政治

なるほど「そうだった。」と納得

接触を予約する維新の会の松井一郎大阪市長のウッカリ(セクハラもどき)

無理してアルファベットにしたのが大失敗だった(たぶん、フェイスtoフェイスと書きたかったのでしょう)

「無理が通れば道理が引っ込む」あるいは「泣く子と地頭には勝てぬ」

日本語に「更迭」の言葉はある。(更「さら、コウ、ふけ」は新しいものと入れ替えるの意味。シンニュウに矢の「迭」も同じ意味の漢字)しかし維新の会代表の松井一郎が勝手に創作したらしい「更送」なる文字は何処にも存在しない。

たぶん更迭(こうてつ)を知らない松井一郎が「コウソウ」と打ち打ち込んで無理やり文字変換したと思われる「泣く子と地頭には勝てぬ」的悲劇だが、一番の問題点とは維新の会代表の松井一郎が「駄々をこねて泣く子」と「絶対的な権力を持つ地頭」の両方を兼任している事であろう。これでは我々一般市民の大迷惑は避けられないのである。

短文投稿サイトTwitterでの松井一郎(政治団体「維新の会」代表)の知性には呆れるばかりの情けなさ。

新年、明けましてを「開けまして」になっても一般市民なら何の問題も無い。ところが、地元大阪では新自由主義まっしぐらで暴走するだけではなく虎視眈々と国政での与党自民党の「右からの応援団」と言うか、政府自民党提出の予算案にも賛成する閣外協力を行っている事実上の与党である。(★注、品性下劣、落ちこぼれ不良中学生程度の知能や注意力のお粗末な人物が政府与党代表では我が日本国はお先真っ暗)

一般市民以下どころか維新の吉村大阪府知事は全面敗訴している噓八百やしきたかじん百田尚樹「殉愛」のY弁護士(後妻業)で、元代表の橋下徹は管理売春業者顧問弁護士との極悪犯罪ギリギリ集団との怖すぎるオチ(★注、維新を何かの政治運動と見れば間違いなくファシズムだが、単なるチンピラヤクザの不真面目な「政治ごっこ」だった)

【松井一郎誤字シリーズ】
①更送→更迭の間違いですね。変換どないしたん?
②フェイスtuフェイス→toですね。無理にアルファベット使うから…
③開けましておめでとう→明けましてですねパッカーン\(^-^)/
④接触→接種ですね。異星人との接触でっか?
 
 
政治を行うには権力(英語では単にpower)は必要なものだけれど、権力を集中させない、一つの権力に対しては常に対抗権力を用意するということが政治を腐敗させないために絶対に必要なことなのに、残念ながら日本人の大半はこの常識を理解しない。

反権力=悪という認識が染み着いている。
(★注、)
この指摘は全く同感で、アクセルとブレーキの両方があるから車が安全に走れる。アクセルだけの車は必ず暴走して大事故になる程度は誰にでも予測できるが、残念ながら「絆社会」の我がガラパゴス日本国では挙国一致で仲良く空気を読む「事実上ブレーキ役が無い」状態なので暴走する危険性が常にある。なんと、最近「維新が政権に入ったら、共産党は非合法化されるだろう」との不気味な予言を中嶋哲史が行っていたが「共産党非合法化」以前に間違いなく山本太郎の投獄か暗殺が先だった(30年前なら共産党委員長志位和夫は左翼だったが、現在の「赤旗」の論調は贔屓目に見ても「穏健保守」程度で決して左翼でも革新でもない愛国主義の中道派。相手が嫌がる「一番痛い急所」を決して突かないのですから、これでは逆立ちしても勝てるわけが無い)
 
正義justice(ぴったり)、権利right(正しい)、権力power(力)等々、英語ならこれらの語は特別な意味を持たない普通の日常語だ。残念ながら日本語では日常を離れた翻訳語を使うしかないからいつまでも「お仕着せ」のままになる。仕方がない、逆にこれらの語を日常語にしていくしかないだろう。
 
正義justice(ぴったり)、権利right(正しい)、権力power(力)は特別な意味を持たない普通の日常語
 
漢字の本場の中国の現在の正式な国名「中華人民共和国」では中国製は「中華」だけで、それ以外の「人民」や「共和国」は全部が日本製の新しい言葉だったとの愉快な話があるが、150年前の「王政復古」(明治維新)後に当時の知識階級(多くは旧幕臣で明治政府の官僚として雇われた士族たち)が外国語を日本語に翻訳した「造語」が現在まで続いているが、これ等の新造語には元々の英語などになかった「特別な付加価値」が付いていた。
英語のjustice(ぴったり)の訳語である「正義」が、現在のように暴走すれば必ず不幸な結末を迎えるのは当然である。
元々個人の確立も権利意識も低かった我が日本国では、right(正しい)の訳語として当時のインテリ官僚が「権利」の言葉を作ったのは大失敗だった。「権利」を元々の「正しい」(right)とすればイメージが180度コペルニクス的に逆転するのである。
 
特に問題なのは「権力」power(力)で、150年後の現在では「正義」や「正しさ」をも併せ持つ不思議な言葉(スーパー・パワー)に進化していたのですから、それなら「反権力」とは自動的に「悪」や「不正」との負のイメージは避けられないのである。
その意味では「権力」べったりの維新の会代表の松井一郎お馬鹿Twitterは素晴らしい。そもそも正義justice(ぴったり)、権利right(正しい)、権力power(力)等々英語なら特別の意味を持たない日常語だったとの中嶋哲史の指摘がピッタリ(★注、確かに維新の会代表の松井一郎には権力はある。ところが正義も正しさも無いばかりか、知性や教養も一切ないとはアッパレ。あきれ果てる)
 
日本はまず普通の自由主義、民主主義、資本主義の近代国家にすることが先だから、実は本当の左翼の出番はまだない。(★注、松下政経塾出身の極右ファシストもどきの高市早苗と政界最左翼の共産党委員長志位和夫が同じ北京冬季オリンピックボイコットを叫ぶデストピア)
 
人が生きていくためにはもちろん金は必要だし、貧乏よりは金持ちの方がいいに決まっているけれど、ここまで金の亡者である俗物が権力を握り、その俗物性を恥じることも隠すこともせず、金以上の価値を否定するような政治はもう終わりにしなければならない。

オリンピックは所詮「見世物」で、まさに「パンとサーカス」の「サーカス」でしかないということが今回ほどはっきりした大会はないのではなかろうか。アスリートなどともてはやされるけれど、シルクハットを被ったバッハの振るう鞭で火の輪をくぐるライオンのようにしか見えない
 
オリンピックの理想は様々に語られてきましたが、初めからこうなることは仕込まれていたのだろうと思います。さすがに現代は人が本当に死ぬシーンは見せられませんが、死のギリギリまで自己を追い詰める姿に人々は身勝手な感動を覚えるのです。それを切り売りしているのがIOCです。(★注、多くの人々は勘違いしているがスポーツは体に悪い (^_^;)
 
(首都東京のデルタ株蔓延で政府が入国禁止「国境封鎖」を発表した)11月28日この時点でこの判断を正しいとすれば、この夏のオリンピック開催がいかにデタラメで危険な事をやったのかということになる。 全世界から外国人の入国停止へ
 
スーパーコンピューターに忖度させてどうするんだ。

民主主義democracyとは「民衆による統治」を意味する。国民自身が国家を統治するということである。しかし、多くの日本人は統治するより統治される側に回りたい。政治は政府に任せるもの。自分が政治に参加する煩わしさより、たとえどんな悪政でもそれに耐える方が楽なのだ。

戦後、民主主義の憲法を持ち、民主主義の制度は作ったけれど、民主主義を支える主体は育てなかった。民主主義は制度が重要なのではなく、国民の心の中になければならないものだ。民主主義が国民の心の中になければ制度は容易に専制主義に転落する。今我々はその岐路に立っている。
 
太平洋戦争って、「敵基地先制攻撃」で負けたんじゃなかったっけ。
 
憲法9条は外国の侵略から日本を守るための規定ではなく、軍国主義化する政府から日本国民の平和と自由を守るための規定だ。外国の侵略に備えるためには別途整備すればよいし、それは既に存在している。
 
共産党とキリスト教のメンタリティは似ている。「次の時代」への確信があるから、迫害を受ければ受けるほど結束し強くなる。共産党を弱体化したいなら、容共に転じるのが一番効果的だろう。(★注、9割以上が私とまったく同じ主張だった。ただし自然科学と社会科学の二つではなく「自然科学、社会科学、人文」の三つに分類しているので本人は人文系大学人と思われるがリベラル左翼知識人の最悪の致命的勘違い「地球温暖化詐欺」に迂闊にも同調する非科学的な道徳性が残念 \(^-^)/ 
 
資本主義社会では専門家も自己の専門知識を切り売りして生活の糧を稼ぐ「商人」だから、その専門知識は自ずから顧客の好むものに限定されてくる。ある専門家の提供する知識が信用できるかどうかを見極める一つの指標としては、その専門家が資本主義に対してどれだけ距離を取っているかが有効になる。
 
本来リベラルに右も左もない。ただ、リベラルである以上はあらゆる立場の自由を尊重するべきで、自分と異なる立場を否定したり排除することはリベラルに反する。自己の立場は旗幟鮮明にしつつ、反対の立場も認めた上で、個々の問題について自己に固執せず議論を尽くすのが本当のリベラルである。(★注、自然科学でも全く同じことが言えて批判も検証も否定するドグマ「地球温暖化」は典型的な偽科学である)
ただ、議論の文化に慣れない人は批判を否定や排除と受け取ることが多いし、またあくまで批判を装いながら実際には否定や排除の意思で議論が行われる場合もある。後者はエセリベラルと言うべきだろう。リベラルへの疑問や批判はこういうところから生じているのだと思う。
 
現行憲法は、それを裁くのは国民であるということを前提にしている。つまり、国家機関としての国民の職務怠慢ということ。(★注、国民自身が国家を統治する「民衆による統治」が、民主主義democracyの本来の意味なのですが、今の比較第一党が支配する小選挙区インチキ代議制の日本人には理解出来ない)
引用ツイート
現日本国憲法の唯一の欠点は、為政者が憲法違反をしても裁けないところだと思う。
コメント (6)    この記事についてブログを書く
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« みんなが同じワクチンを打つ... | トップ | NHKの極悪デマを隠すリベラル... »

6 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
安倍晋三化した大阪のエリチン (ローレライ)
2022-01-06 15:06:32
明治クーデター賛美の雰囲気政党維新の市長が明治クーデターの成れの果ての安倍晋三化するのは当然の結末だしイギリスの手先の明治クーデターからの腐れ縁で西側陣営の新自由主義統治の大阪のエリチンなのも、明治クーデター賛美の結末である。このコロナ非常時は新自由主義は裏目中國状況だが!
「共和」は『史記』に初出 (十三湊淳之介)
2022-01-06 17:23:47
佐藤信弥『中国古代史研究の最前線』他に
厲王(れいおう)前 841 年国を追われ、周では一時大臣二人による「共和きょうわの政」が成立…
とあります。
рес публика は「公有財物」の意味では (十三湊淳之介)
2022-01-06 17:43:51
手元にスラヴ語語源辞典がないため、確たる自信があるわけではありませんが,ロシア語での”レスプブリカ” (рес レスーпубликаプブリカ)は「財物-公有の」ではないでしょうか。どなたかご教示を。
しつこく御免なさい (十三湊淳之介)
2022-01-06 18:13:44
宗純様 しつこく御免なさい。小生こういう問題に拘るたちの人間です。沖森卓也『日本語全史』ちくま新書p.404には、明治初期の新造語で"中国古典語に典拠のある語を借りたもの”として「共和」が挙げられております。明治の漢学者たちは、”共有財物”-”総和”の政体という意味で採用したのではないでしょうか。
『ポータブル国会』あるいは「事実は小説よりも奇なり」 (相々健々)
2022-01-08 11:45:03
原作者が亡くなったのちもアニメ放映が続く、
"国民的マンガ"の一つとされているらしい『ドラえもん』
極初期で面白いエピソードがありました。

『ポータブル国会』
「自分が考えた政策を実法案として社会に反映させるひみつ道具(未来世界の機械)」を、未来から来た教育系ロボット(?)から貸し与えられた少年は、
それを使って最初は子供たち全員にお年玉バラマキなどをしていたのですが、
自分の「犬」「太」の年賀状の宛名間違いを皆に笑われたのを正当化するなど自分自身のために使い始め、
挙句には自分が独裁者となるべく法案を乱発したところ、
「ムチャをすれば解散」で自爆装置作動>大爆発に巻き込まれる結末を迎えたのでした。
この強弁Twitterを見たとき何となく思い出しました。

この話は
「権力の腐敗は自分の過ちの正当化から始まる」
「暴走を止めるには強権(解散)発動しか手はない」
批評をうまく盛り込んだ、子供向けながら面白い話でしたが、
「未熟すぎる(教育ロボットの支援が必要なくらいの)少年はともかく、大人はこんな間抜けなことをしないものだ」
という心もあったはずです。
こんなレベルの人物が権力をふるってますます自分の望むように社会を作り替え始め、
誰も止めようとしない、一部は喝采を送り、
お先棒担ぎとして批判する人々を罵ることを「サーカス(娯楽)」として楽しもうとする。
解散はおろか、
「批判よりも提案(参加前提)型の政治を」が他の党は主張し始める。

「事実は小説よりも奇なり」なのでしょうか?
Unknown (柿ノ木潜蔵。)
2022-01-08 21:35:03
日本維新の会躍進

2021年衆議院選挙

大阪府 15
兵庫県 9
埼玉県・東京都・神奈川県・愛知県・福岡県 2
宮城県・千葉県・富山県・京都府・奈良県・徳島県 1

コメントを投稿

政治」カテゴリの最新記事