逝きし世の面影

政治、経済、社会、宗教などを脈絡無く語る

秋葉原の事件から見る宮崎勤の死刑執行

2008年06月26日 | 社会

『夢がワイドショーの独占だった25歳の犯人』

連日ワイドショウの報道枠で垂れ流し続けて、マスコミが犯人の夢の実現の手助けをしている。
もっと大事な沖縄県議選の結果や首相問責決議、NHKの従軍慰安婦報道を自民党が介入した問題の最高裁判決等大問題が目白押しなのに。なんとも腹が立つ。

よく似た事件が続発しています。『誰でも良かった』大量無差別殺人。
今年だけでも何件も起こっていますが、共通点は自殺をしたいが、一人では怖くて出来ない。
ネットを利用した見知らぬ他人との練炭による集団自殺事件の心理と共通する事件である。
心理的には「自殺」より、「他殺」や「死刑」の方がハードルが低いのでしょう。
7年前の池田小学校生徒8人を次々に殺した犯人も、自殺したかったが一人では死ねなかった。
日本では毎年3万人以上が自殺する。多分自殺予備軍はこの数十倍以上の数でしょう。
死にたい人々が、これほど居る現状では『死刑』の存在は、凶悪事件の抑止には役立たず、逆に凶悪事件を誘発する危険性すら持っている。
今日、死刑の廃止と終身刑の導入は時代の趨勢でしょう。


『昔の方が大量殺人は多い』

大量無差別殺人は昔の方が多かった。幕末から明治にかけては河内十人切りのような凶悪な大量殺人事件が続発する。
一番多いのは1930年代に起きた『津山30人切り』で、この事件は横溝正史八墓村の原作にもなるが、これ等の大量殺人の犯人は猟銃に日本刀で完全武装していた。
今回の事件の様に、たった13センチの刃物で、何で7人も死ぬんですか。?
刃物では簡単には人は死にません。手で庇った場合に致命傷はなかなか難しい。必死に抵抗する相手を、小さな刃物で一突きで殺害するのは不可能です。
しかし歩行者天国のみんなは逃げ惑うばかりで、凶悪な犯人に抵抗していない。
なにやら、途惑うばかりで、凶悪な解同集団の悪質なイジメを積極的に止めようとしなかった(ネット空間で起きた不思議な騒動)、水騒動での護憲左派の不甲斐なさをみる思いです。
此れでは『争いを嫌う左翼護憲派のお花畑の住人』などと、他所様に皮肉られても仕方あるまい。

日本以外の外国でも良く似た大量殺人が起こっているが、全員が銃や爆破物を大量に用意している。
イラクやアフガンで13センチの刃物を振り回しても、絶対に今回の様にはなりませんよ。
其れより不思議なのは、犯行現場での携帯による近距離からの撮影です。
刺されている人を、周りの人が見物していたとしか解釈できない不思議なアングルの写真が出回っている。
撮影するカメラがあるなら、幾らでも犯人に投げつけるぐらいのことは出来るはずだ。
相手(犯人)が一瞬怯んだ隙に、大勢で取り押さえる事も考えられるが、写真を撮ることに忙しすぎて誰も犯人に抵抗していない。


『死山法務大臣の怒りの矛先が違う』

半年ほどで13名の死刑執行書にサインした鳩山法相が自分を『死神』と揶揄され『遺族に失礼』と激怒していましたね。
しかし、この場合に遺族が怒るならともかく、何とも、違和感がある。
あの場合には法務大臣なら、胸を張って『私は適正で正しい』と言わないといけない。
各地の刑務所では、13人の死刑囚を処刑した刑務官が現実に実在しているわけで、法相はその刑務官の上司なわけです。
これ等の現場の人達にとっては、『彼等は死神に連れて行かれたんですか?』などの鳩山法相の情けない言葉は絶対に聞きたくなかったでしょう。


『死刑のモラトリアム』

『死刑』に対して世界的にも珍しい、1000年前の平安時代の昔に世界最初の死刑モラトリアムを実施していた歴史のある日本国では、もう一度、古の歴史に立ち返り死刑のモラトリアムを復活するべきでしょう。
保守とは、古き良き権威と伝統を守る事のはずである。
それなら、教育勅語程度の高々数十年の歴史ではなく、1000年前に日本で3百数十年続いた古き良き伝統を何とか蘇す方法はないかと考えています。
当時、何処の国でも、どんな歴史でも最も重い刑罰が科せられた『国家反逆罪』でも、何と驚く事に日本では島流しだったんですよ。


『厳罰化で防げるのは軽犯罪だけ』

歩き煙草禁止条例が彼方此方で出来ています。この反則金千円程度ですが、此れを100万円にすると違反者は絶対になくなります。
コンビ二の雑誌の万引きでは罰金が全財産の没収なら類似犯罪は激減します。
軽微な犯罪では、厳罰化は確実に犯罪の抑止になります。
しかしこれとは逆に大きな犯罪は厳罰化しても防げません。
10億円横領の罰金が、『全財産の没収』では、10億円以上の金持ち以外には効果は全く在りません。
特に死刑には凶悪事件の抑止効果はほとんど期待出来ないようです。
犯罪の抑止に一番効果が有る方法とは、逃げ得を許さないを警察による地道な犯罪の検挙です。
犯罪抑止には、簡単な特効薬なんかは無く、住民と警察の協力による地道な日常活動しかないようです。
そんな『気の長い事は言うておれん。』、『現実に秋葉原の様な事件は如何するんだ。』という気の短い人向きの良いアイデアを思いつきました。
これは海外、特に中東とか中南米では昔から広く採用されている方法で現在でも一部では残っています。
秋葉原事件を起こすような人間に対しては、
『みんなで、その場で犯人を殴り殺す。』
日本人向きでは有りませんが、一定の効果は確実にあるようです。


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11 コメント

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Unknown (わこ)
2008-06-26 18:01:11
最近の若い人の無差別殺人、
私も自殺の変形ではないかという気がしていました。
そうであるならば、死刑制度が犯罪を誘発しているという事になりますね。

娘も就職氷河期世代でしたので、若い人たちの辛い立場が良く分かる気がします。
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無差別殺人は自殺できなかった代償 (kaetzchen)
2008-06-26 18:21:52
わこさん,こんにちは.若い人に限らず,大量殺人事件のほとんどは「自殺できなかった代償」だと思います.

先日,70代の老人が孫まで含めて一家全員を殺してしまいました.なぜでしょう.彼の言い分には心臓手術で入院してからは,何となく家族が冷たくなったてな言い分が聞えます.要するに老人痴呆の一種で,心臓手術で多大な出費をかけた → 家族からは早く死ねと見られている → 自殺をしたいが勇気が出ない → それなら自分が生き残って家族を全員殺しても罪にはなるまい,という思考の巡りが伺えます.

大量殺人の犯人の素性などをマスコミ報道で聴くと,どうもこの老人と似通った「妄想」をみな抱いているのではと考えてしまいます.ただ,一つだけ幸いなのは,精神神経科を目指すレジデントの学生がいまとても増えていることです.そのうちの何割かはこれから需要の増える自殺や老人痴呆を専門にすることでしょう.精神神経科医,特に救急医が増えることで,これから増えていくと思われる大量殺人にも対応できるのではないかと甘い希望を持っています.
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はじめまして (恒久)
2008-06-26 20:19:55
無差別大量殺人の原因のひとつに一人では死ねないから他者を道連れになんていう発想自体が私には理解できませんし、もしそれが事実であればこれから先こういった凶悪犯罪が益々増加していくのではないですかね…
私が考えるに凶悪犯罪の背景には子供達に対する家庭内、学校等での間違った教育方針も原因のひとつとして関係しているのではないかなと…
なんというか社会のあらゆる出来事に対して他力本願というか自分で考えて解決することができない人達が増えているのも原因のひとつとではないかと考えます。
しかし文章で物事を伝えるのは難しいですね(笑)
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慢性自殺 (Runner)
2008-06-27 00:12:43
>共通点は自殺をしたいが、一人では怖くて出来ない。

これは少し違うように思います。
彼ら犯罪者は「もう死刑になってもいい」とは思っているとは思いますが、決して、一般的に言う「自殺志願者」ではないと思います。
しいて言うなら、「慢性自殺」には該当するかも知れません。
これは、体に悪いと知っていながらアルコールにおぼれる人や、危険とわかっていながら、暴走族をやっている人のことを指します。
当該のタイプの犯罪者たちは、人生を投げている人たちでしょう。
しかも、自分が毎日おもしろくないので、他人のすべてが幸せそうに見えて、ねたみを抱いているのだと思います。
しかし、当然、そういう人のすべてが犯罪を起こすわけではありません。
それらの中で倫理観に欠ける人が犯罪へ走るのだと思います。
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哲学的動機 (Runner)
2008-06-27 02:17:07
>夢がワイドショーの独占だった

こちらも最近に多く見られる傾向ですね。
これは「存在価値」を得たいのでしょう。
私はネットの書き込みなどを見ていて、つくづく自身の存在価値に怯える若者の叫びのようなものを感じます。
バスジャック少年というのがいましたが、彼は当初ネットの掲示板で区切りの書き込み番号をゲットすることに自身の存在価値を懸けていたようです。
ところが、別人にそれをやられてバカにされ、「もはやこれまで」と思い、犯罪に及んだとのことです。
つまり、彼らは「犯罪者の持つ存在感」に魅せられたわけです。
これらの犯罪を識者は「動機が不明、理解不能」などと言っているけですが、なんてことはない。哲学的動機による犯罪ですよ。
「哲学」の定義を勝手に高尚化するから見えないだけでしょう。

人間にとって、「存在価値」というのは非常に重要なものですが、受験体制以降、これが苛烈に意識させられるようになっています。
しかも、日本の教育現場は「すべての人に存在価値がある」という哲学を持っていません。
結局、多くの若者が「存在価値恐怖症」に陥ることとなります。

しかし、残念ながら、プラス方向に存在価値を得ることは難しく、マイナス方向に存在価値を得る方が簡単です。
暴走族などの非行少年が好んで社会に迷惑をかけるのも、それによって自身の存在価値を確認しているのでしょう。
それが証拠に、暴走族出身の芸能人は芸能人になったとたんに、たいてい暴走行為をやめてしまいます。
「そりゃ、地位を失うからだろう」との見方が一般的ですが、私はそれだけではないと思います。
つまり、「芸能人」というプラス方向の存在価値を持つ立場になれたので、もはや、マイナス方向の存在価値行為は必要がなくなったのだと思います。
私の考察が正しければ、このあたりに、この種の犯罪抑止のヒントがあると思います。
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Unknown (恒久)
2008-06-27 03:45:14
Runnerさんの若者が暴走族になるのは自分の存在価値を確認する手段とありますがこれについては私自身の経験上から同感でありますがただ社会に好んで迷惑を掛けることでというのは動機としては少し違うかなと…
それと元暴走族が芸能界に入ることでプラス思考になり暴走をしなくなった訳ではなくそれなりの年齢になればいつまでもこんなことでは駄目だなと感じる時期が自然とくるように思います。
次なる存在価値を見つけることが困難であってもそれが原因でマイナス思考のままというのは証拠としては不十分ではないかと考えます。
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コメント有難う御座います (ブログ主)
2008-06-27 10:05:07
わこさん。
生きる意味を失っているのは事実ですね。
高校生以上なら、一度は『人は何のために活きるのか。?』『自分は何のために生きるのか。?』と考えた筈です。
この時、なんの答えも見つからなければ・・・
怖い話です。

kaetzchenさん。
『みんなで、その場で犯人を殴り殺す』
この方法は、私の勝手な創作ではなく、世界中で広く採用されている方法(世界基準??)のようです。
そして日本は、この対極にある社会ですね。
光市事件で被告の少年を『殺せ』『殺せ』と叫んでいるネットウヨたちでも『それならお前の手で殺せ』『みんなで仲良く殴り殺す』になったら震え上がるでしょう。
自分の手を汚したくないんですよ。
だから『被告の元少年が将来釈放されたら自分お手で殺す』なんて話に感動して、拍手喝采した。
実に腹立たしい限りです。


恒久さん。
宮崎勤は幼女の手首を食べて骨を家族に手紙を添えて送りつけた。
拘置されている間の最大の心配事は、自分の集めたビデオと運転免許証の更新手続きだった。
如何考えてみても、彼は正常では有りません。
正常ではない犯人を『正常である(善悪の判断が出来る)』として裁判では有罪(死刑)となり処刑した。
彼が完全に正常だったなんて言える人は、唯の一人もいません。
正常でない人を『正常だ』と正常な人が判断したわけです。
筋が通っているようで全く通っていない、何との、やりきれない話ですね。


Runnerさん。
自殺に対して日本は欧米などのキリスト教圏やその他の諸外国に比べ、見方が寛容なようです。
しかし、『殺人』する相手が他人ではなく自分自身であるという違いがあるだけで『自殺』は殺人の一種なんですよ。
欧米では自殺に対して厳しい。親子心中なんかで生き残ろうものなら、生き残った親に厳罰が待っている。

無差別殺人には、自己顕示欲が見え隠れしていますね。
教育大付属池田小学校は地元では知らない者はない有名エリート校。秋葉原は、地元どころか日本中が知っている。
暴走族の話は大きく2種類に別れますね。
なるべく人の集まる場所で暴走する自己顕示欲満足型と、観客の過多に関係なく暴走行為自体が目的の危険追求型。
どちらも『社会に好んで迷惑をかける』のが本来の目的ではなく、迷惑行為は単なる付随する要件にすぎません。
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昔の日本はまったく別の国 (Runner)
2008-06-27 18:30:23
>1000年前の平安時代の昔に世界最初の死刑モラトリアムを実施していた歴史のある日本国では、

当時の日本は母系社会でした。
しかし、その後、武士の台頭、儒教の導入などがあり、父系社会となってしまい、メンタリティーが変わってしまいました。
つまり、サディスティックな社会になってしまったわけです。
欧米では、ピューリタンにもサディズムのケがあると私は見ています。

>保守とは、古き良き権威と伝統を守る事のはずで、

今日、中国批判が大ブームなわけですが、なぜか、儒教の批判はしない。
つまり、彼らは母系社会に戻る気は毛頭ないわけです。

>どちらも『社会に好んで迷惑をかける』のが本来の目的ではなく、

そうでしょうか。
ならば、あえて騒音を出すようにしたり、落書きをして街を汚すこともないはずです。
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誰でも良かったというのは (カーク)
2008-06-27 19:41:54
自分が感じてる自分の存在の軽さというか薄さの裏返しなんだろうなと思ってます。
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コメント有難う御座います (ブログ主)
2008-06-28 10:04:19
騒音や落書きで迷惑をかけるのは「結果」です。
目的は「目立ちたい」からで、良い事で目立つのは誰にでも出来ないし難しいが、悪い事なら簡単に出来る。
歪んだ自己顕示欲の表れですね。
大量殺人にも自己顕示欲の要素が明らかに含まれている。
秋葉原と言う、日本一有名な場所での大量殺人では付加価値(宣伝効果)が違います。
理由は良く分かりませんが、昔より、自己顕示欲が強い日本人が増えています。
私が一番わからないものに「カラオケ」がある。
何でわざわざ金まで払い、手間暇かけて人前で恥をかく必要があるんですか。?
確かに昔でも「喉自慢」は有った。
歌の上手い人が歌うのは良いが、下手糞が歌うのは暴走族の落書きや騒音の同類項ですよ。



「父系社会」というよりも「父権社会」と呼ぶ方が適当でしょう。
すべての生命の基本は母系社会です。生命はマリア様みたいに母親さえあれば処女生殖は可能らしいですよ。
それに母親は誰が見ても簡単に正確に判定できるが、父親の判定は難しい。
正確に出来るようになったのはDNA鑑定が可能になったつい最近の出来事です。
母親からのミトコンドリアDNAは永久に変わらず数万年前でも可能らしい。すべては完全な母系ですね。
世界的にみても日本は母権が強い社会らしい。
男の売りは何と言っても腕力。一番父権が強かった封建時代。
武力が最も尊ばれた戦国時代に日本に来た宣教師は日本の女性の権利の強さに驚いているし、幕末に来日した欧米人も婦人の権利と自由さに驚いている。
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