逝きし世の面影

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筆坂セクハラ事件に見る共産党の道徳感と弱点

2008年06月25日 | 共産党

前回記事中での、「病的な潔癖症」の女性を共産党から追放やハードポルノの解禁は、半分ジョークですから、あまり真面目に反応しないように御願いします。 半分は本気ですが。(自爆)
2年前の筆坂セクハラ事件当時は、自民党山崎拓幹事長の変態報道や苫小牧市長や横山ノック知事の強制猥褻事件と保守政治家の性的退廃は目を覆うばかりのひどさ。
その延長線上に筆坂事件が取り上げられた。
しかも同じように『セクハラ』とマスコミでは報道されていた。
実に怪しからん話です。
山拓や苫小牧市長やノック等の保守政治家の話と、共産党の筆坂秀世セクハラ事件は、内容が全く別物です。
一方は犯罪で一方は礼儀とかエチケットの問題を、同じ『セクハラ』一言で表現するのは大きな間違いでしょう。
何故この程度の礼儀やエチケットの問題を、日本共産党は参議院議員辞職という大問題にしてしまったのか。?
共産党の危機管理マニュアルの問題点も、政党として考えてみるべきでしょう。
あの時の共産党の対応は、選挙(票)にプラスになったかマイナスになったか。?考えてみるべきです。
あれでは、マイナスにしかなりません。

市民は一定の清潔さは求めていますが、「病的な潔癖」は求めていません。
ほどほどの一般的な清潔さを求めている。
正しい事を言うのに、日本共産党が敬遠される理由は、「病的な潔癖症」である場合が多いんですよ。

『筆坂暴露本』

筆坂さんの暴露本ですが、内容的には取り上げるほどの事柄は何も有りません。
みんなが知っている話ばっかりで本当の暴露は無い。『暴露本』という表現は、大袈裟(誇大広告)ですね。
ただ不破氏は、この『誰でも知っていることしか書いてない暴露本?』に対して、全紙2ページを使って赤旗紙上で筆坂(著書の共産党)批判をしていた。
不破氏の筆坂批判の内容は、一般論に終始していた。
読んでいて取り立てて如何と言う内容では有りません。
批判対象『一般論しか書いてない暴露本』相手ですから、批判も一般論に終始するのは仕方がないところです。
これでは、そもそも余り批判にはなっていない。
筆坂氏に対する具体的反論(批判)は、一旦謝罪し自己批判していたのに、離党した後に態度を一変した事に対する非難と、宮本元議長の名誉職辞職を説得に行った日付は、党の重要会議と重なっているので悪質な嘘であるとする2点だけである。
一個人に対する離党後の出版に対する批判は、不破氏個人が勝手に批判するならともかく、天下の公党である日本共産ともあろうモノが、党機関紙を使ってする種類のものではない。
謝罪後に態度を変えて弁明した事の批判は『個人の道徳論の話』で、幾等正当な批判でも政党が党を辞めた一個人に対して行うものではない。
しかも、日付の記述ミスはあったとしても宮本氏を説得に行った事実自体は認めているので、此れでは批判としては、余りに弱すぎる。
そこで最初の疑問が湧いてくる。
何故、セクハラが大問題に成ったのか。?
何やら個人間の喧嘩のようにも見える。
筆坂さんの主張「セクハラ」は口実で『真相は権力闘争』との見かたも、可能性としては十分あるでしょう。
しかし、いずれにしろ次元の低い話で、どちらにしても共産党の為にはならない。

『政党の仕事』の根本は選挙で勝つこと。

どちらにしろ結果的に筆坂セクハラ問題は、共産党にとってプラスにはならなかった。
私の最大の疑問は、『何故大問題になったのか。?』ですよ。
元々最初のセクハラ問題の処理を誤らなければ、関係者全員が、傷つく事も無く、双方が満足する問題だったのではないでしょうか。?
問題を小さく処理しょうとしたのでしょうか。?
最初共産党は「被害者のプライバシー保護」を理由に、一般有権者が納得する説明をしていません。
説明しなければ、当然その他の良く似た事件から類推して判断されるのは当たり前です。
そして当時は保守政治家による悪質なセクハラ事件(実体は刑法犯)が続発していた。
説明が無ければ、筆坂氏が当然議員辞職するほどの悪事(強制わいせつ)を働いたと有権者(支持者)考えるのも当然です。

最初の小さい話が、何時の間にかトンデモナク大きな話になってしまった。
筆坂氏が離党して、セクハラ事件の中身を言いたくなった気持ちもある程度は理解できます。
『離党する前に発言するべき』との意見もあるが、日本人的には共産党に勤務している間に、組織の決まりを破って発言する事は憚られる。
筆坂氏は、自分の関わったセクハラ事件を公にする為に、離党して本を出版した。と考えられる。
最初は簡単なボタンの掛け違いだったのでしょう。
しかも、この問題では関係者が円満に解決しようと思えば、幾等でも円満解決が出来る程度の事件だった。
それにしても、何とも不細工な話だ。
そういう意味で、共産党自身の危機管理処理能力が問われる事件でしょう。

党の政策や方針に、有権者(支持者)の意思を反映するのではなく、自分(党)の意思を優先している様に見えるようでは、支持者からの共感は得にくい。
有権者(支持者)の意思を優先する姿勢が、結果的には共産党自身の利益(票)に繋がる。
ポピュリズムは問題だが、いき過ぎてポピュリズム(大衆の意見)を軽視すれば、選挙では勝てない。

『不潔恐怖症』

女性に限らず男性でも、清潔に対する潔癖症は増えている。
電車の取っ手や吊革が握れない人や、トイレのドアノブが掴めない人が大増殖している。
この考え方の(心の中の)基本に有る考え方は『自分は汚くないが他人は汚い』ですよ。
しかし、本当は公共のトイレの床よりも、自分の手のひらの方が何倍も黴菌が居る。
口の中にも大量に住んでいるし、それぞれの体の中には人体の細胞の数の何倍もの細菌が共生している。
人間は黴菌の塊でもある、と考えると近頃の清潔志向は幾等なんでも明らかにいき過ぎです。
腐敗、不潔が極限まで進行している日本の政党の中では、共産党が一番清潔なのですが、日本共産党の清潔志向は明らかにいき過ぎですね。
民主主義の原則に一番敏感な政党は日本共産党で、そのために国民の支持も受けている
しかしその同じ共産党が、党内(党員)の民主主義に鈍感なのは、共産党にとってマイナスにしか成らないことに早く気が付くべきでしょう。

セクハラ事件の対応を見ていると日本共産党(党員)は、アレルギー体質なんじゃあないかと思いたくなりますね。
一般的な日本人なら『其れぐらい、なんでもない』と考える方が普通ですよ。
『謝罪』と『責任』の関連を真剣に感じず、『謝罪すれば許す』のが日本人の文化の特色で、最期まで真剣に『謝罪と責任』を追求するのは世界基準。
そもそも共産党は、元々インターナショナルなのですよ。
しかし此れでは共産党は、日本ではなかなか勝てない。
今までの日本人の持っていた、いい加減な曖昧文化の大事さを理解できないようでは、日本共産党は何時までたっても勝てません。

『歪んだ鏡』

ひどく痩せている女性でも『自分は太っている』ので、もっと『痩せて美しくなりたい』と思っている人は多いらしい。
世間には、『もう少し頬に肉があれば美人なのに』とか、『あと数キロ体重があればスタイルが良いのに』とか、思える女性が結構多い。
他人(世間)と自分の評価が全く違ってきているのですね。
確かに日本の有権者は、清潔な政党を求めている。
しかし日本共産党に対して、ある程度は融通が利くようになって欲しいと考える人はいても、これ以上潔癖に成って欲しい何て考えている有権者(支持者)はいません。
日本共産党の自己評価とは『もっと痩せて美人になりたい』痩せすぎの女性の考え方とよく似ている。

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1 コメント

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TB有り難うございます (早雲)
2008-06-26 11:55:26
西洋文明と東アジア文明の違い
sun.ap.teacup.com/souun/1764.html
日本経済が「国民経済」ではなくなる日
sun.ap.teacup.com/souun/333.html
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