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扉への道

泉明 香鈴(せんめい かりん)申します。
香り善き、鈴音(りんね)を拠り所に、「今」を明め「ここ」に在る

欲深い

2018年08月25日 11時26分41秒 | 気づき
人間は、与えれば与えるほど欲深くなる。さらに与え続けたらどうなって行くのだろう?

全ては形なき物ではあるが、実際にある物を与えられ続ける。

例えばお金

何かの対価ではなく与え続けるーーーーー別の物が欲しくなるーーーーーそれも与えられる。

それは嫌がっても有り余っても与えられる。

欲はどうなっていくのだろう?

しかも与える側は神でも仏でもなく周りの同じ人間


やはり、人間は欲深いものだろうか?

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梅雨も素敵

2018年07月06日 09時36分52秒 | 気づき
おはようございます。


地元では、まだ梅雨が開けていないと感じるぐらいこの二日間雨がよく降っています。


この雨もただの自然界の出来事。

これを自分と思い込んで感情を変化させる




雨が太陽を隠して暗くするから暗い気分になって嫌だ。


雨に濡れるから嫌な気分になる




私たちの中には喜怒哀楽が常にあり、自我は周りの状況に寄ってこれを引き出してくる。

これのほとんどは、無意識に行われる。

それがすべてを駆け巡り出来事=私となってしまう。


ここで自我とリンクした本来の自分で意識的に出来事と感情それを繋げる自我を明らかに観る。そして、出来事と自分は別に考えるがその出てきた感情を肯定も否定もしない


「ほぉ~~そう来たか」と見定める。


ここで、注意点がある。


自分の中に、もう一人の人格を作ることを進めているわけではない。



自我、無我、心、身体


これら、全てが、わたしであり、全てが存在なのであるーーーーーもう一人の自分でそれを見るは人格を作って見ると言う意味や解釈ではない。


自我を自我として認識し自我は自分と認識した上で好き勝手な思考を引っ張り出させるのではなく、必要な思考・必要な感情を引っ張り出させる事が重要になるのです。




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流れ。

2018年06月22日 09時24分30秒 | 気づき
私、ひとりでは見るものを見なければ、外世は幻想で無いものとなってしまいます。


だか、存在しているのは何故だろう?と考える


アインシュタインも月は常にそこにあると答えているが、月を見ていない者からすれば無いものである。


有るか無いかは半々と言う可能性がそこにある。


宇宙を含めて外世は大きすぎる。

地球だけでも大きすぎ図りきれないーーーそれを波から点に変えるには誰かが常にソレを観測しなければならない。


だからこそ、この人類はここまで増えてしまったのではないだろうか?


見えないものが見えるとそこに注目が集まりより鮮明に見えてしまう。

これが今まで語られてきた「全てが明らかにされる」と言うことではないだろうか。



全てが明らかにされるほど、観測が続きこのシステムが切れることはないが人間はコストが高いやら、エネルギーのバランスが崩れる兆しがある中で突破口としてAIが有力だと私は考えてしまう。


外世、内世の更に大枠の真空の意図



【 】側*の流れではないだろうか。





*【 】←当てはまる言葉が見つからない





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思い込みは苦しみのもと

2018年06月14日 09時10分26秒 | 気づき
過去、現在、未来は思考の中にあり、現実は可能性しかない幻想の世界である。


それを決めつけと思い込みが現実にする。


しかも、現実と思考のズレが感情を返し外世に現れてしまうので、たちが悪い。

そして、私たちは目に映るものが全てと思い込んでしまい囚われる。

手と脚を隠してしまい、差し伸べた手すら見ることも握る事も出来ないし差し伸べた側も掴むことも出来ない・・・


本人は岩となり、周りは触れることは出来るが手を繋ぐことは出来なくなる。


そうならない為にも、「いまここ」に戻る練習を少しでもした方が良いのです。

手始めにリラックスすること、休みを休みにすること。





そして、明ら目ること。





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2回目のお話会を開くことになりました。


今回も申し訳ございませんが告知していませんので私が声をかけた人のみのお話会になっていますが、皆様にお伝えできる事があれば書きたいと思いますし、皆様ともお話会ができたら素晴らしいと考えています。

お話会の連絡はこちらから。