扉への道

泉明 香鈴(せんめい かりん)申します。
香り善き、鈴音(りんね)を拠り所に、「今」を明め「ここ」に在る

「いまここ」に在らず

2013年07月25日 01時05分24秒 | 気づき
「はじめ・・・」にを読んでもらえる とうれしいです。

そして、深く「気づき」を体験したもの合わせて読んでもらえるとうれしいです。 「人生のシステム」
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全ての出来事や思考、言葉などは、全てが過去の産物であり時間軸ど言う所の「今」ですら、過去になってします。

未来とは、何も無くまた出来事が起きてない状態のことであり、いくら私たちが想像しても、想像に過ぎず、現実ではない。今起きていると思う出来事が現実ではあるが、真実ではない。

「成功した」これは過去のことである。

「今、成功した」これも過去である。

「成功し続けている」惜しいがありえない。

この世は、変化し続ける。どんなことでも全てが変化しつづけ絶対なものは存在しない。

だた、「存在」だけが絶対的に「存在」する。

このことは思考を超えたものではないと理解できない。

この文章ですら変化するものであり、思考の産物である。しかし、思考を使い言葉を言うことは、何も間違ってはいない。

思考、言葉が無いと伝わらないし、コミュニケーションが取れない。

伝えるタイミング、伝えなければいけないことは思考をつかい、言葉を表現すればよい。

対象も必要である。

ただ、思考にとらわれないように。相手の言葉、自分の思考と同一化が行われると過去に常に入る事になってしまい「現在」ですら帰って来れなくなる。

「いまここ」に在る事はとても難しくほとんどの人がいない。

少しづつ、気づくことが大事である。


この世のあらゆるモノが幻想(変化)で常に変わっていることに執着するのではなく、「いま、ここ」の本当の自分を理解してその上で思考を使い言葉で伝える事が、本来のこの世での生きることである。


皆様が、常に「今」に在りますように。





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この世の出来事

2013年07月21日 02時32分57秒 | 気づき
「はじめ・・・」にを読んでもらえる とうれしいです。

そして、深く「気づき」を体験したもの合わせて読んでもらえるとうれしいです。 「人生のシステム」
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この世は全て決められていてどうすることもできない。

魂が肉体に宿り、魂が肉体にから離れるまで起こること全てが狂い無くしっかりと起きている。私たちの人生と言われるものもはじめから決まっていて、変えることもどうすることもきない。

これは仕方がないこと。

これが真実。

自分が選択して、自分が決定したとしても。
過去を思い出して見てごらん、選択肢が多くあっても現実化したものはただひとつしかなく、それ以外は起きなかったからです。

未来も、もはや決まっているが、私たちは、決まっている事を忘れることで選択の余地が与えられ、決定する自己責任を背負うのです。

そして、出来事を受け入れそして気づき、手放す事を何度も何度も経験するのです。

思考は道具です。そして、常に変化していきます。その思考が具現化したのが、この世なので、この世も常に変化しています。

変化は絶対ではありません。
絶対とは、変化しないものだけなのです。

それは、「本当の自分」です。

「本当の自分」とは「存在」そのものなのです。

この世は常に変化していると書きましたが、変化しているにも関わらず、それに対して反応し苦を感じてしまう。冷静に考えれば、とてもバカバカしいですよね。

真実を理解していれば、全てにあぐらをかきリラックスすることができるのです。

「全てが、ありのままで OK」なのですから、安心して人生を楽しんで行きましょ。

皆様が、常に「今」に在りますように。





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思考について②

2013年07月07日 22時30分50秒 | 気づき
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さて、思考についてまた考えてみよう←とても矛盾している感じ、、、、


前回の続き

「私って何?」

この世は、対象が必要な世界であり、全てに陰陽が配置させている。

女・男

嬉しい・悲しい

幸福・不幸

私・あなた

私を定義つけるには、比べるものが無いと定義つけることも出来ないのです。

「私はイケメン」

これを、誰1人としていない環境において言えるのでしょうか?

この「私はイケメン」って言う思考も出てこない。

「私は男」

女が存在しないところでこのことは言えるのでしょうか?

このことについても最初から考えれない。

この世は、大半することがあるからこそ、そこに比べ、判断することが出来、そのことについて考えることが出来る(ほとんどが一方的な考えしか浮かばす思考が増大させる)

もっと、深く入っていこう。

今、話したことは、現実に存在し全てが違うように見えるが、本質は全てが同じもの、なぜなら男と女は人間である。

嬉しい・悲しいも感情である。

この世の全ては、状態が変化し、そして変化し続けているのです。

「あなた」と「私」も何の違いも無い人間であり動物であり、地球の一部。

見えるのは変化する状態なだけ。

これを真実といえるのだろうか?

これを現実といえるのだろうか?

このシステムは必ず起きるし変化し続け、誰も止めることが出来ない。思考も同じ。

思考をとめることは不可能に等しい。

全てが、変化の世において、一つだけ変化しないもの



それは、「存在」です。

全てが、存在しているこの真実は揺るがすことも揺らぐことも無い。

しかも、全てに在るもの

この「存在」は「在る」のです。

あなたが私を定義つけるが、あなたと私は「在る」のです。

これは、「一つ」なのです。


全は一つと言うことが理解できると思います。

そして、一つは全でもあるのです。


そう理解すると、思考が私ではないことも理解でき、勝手に思考が全てを巻き込んでいることも理解できると思います。

思考とは変化する全ての状態に対しての反応でしかないのです。


皆様が、常に「今」に在りますように。





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