扉への道

泉明 香鈴(せんめい かりん)申します。
香り善き、鈴音(りんね)を拠り所に、「今」を明め「ここ」に在る

空間

2009年06月26日 01時49分55秒 | 気づき
このblogを読んでいただく事に当たり

「はじめ・・・」にを読んでもらえるとうれしいです。

+++++++++++++++++++++++++++++++++++++

ある朝、久しぶりに瞑想をしてみようと思いまして(毎日続けるのがよいのですが・・・)座禅の体勢をとり、静かに目を閉じる。。。

思考がどんどん湧いて出て、あれやこれやと話しかけてくる。

目の前で繰り広げられている思考から少し目をそらし、まっすぐ前を見る(意識で)

そうすると、とてつもなく広い空間が現れる。

水平線すらない空間。自分の意識しか存在してなく、「わ~」と健やかな気持ちになれ、そしてまた思考に意識を向けると、先ほどより小さくなっていた。

しかも、広い空間にポツリ……


「なぁ~んだ今まで、あれやこれや言っていたのはこんなちっぽけなことなのか」


と思えてきました。


これからも瞑想、続けてみようかな~

エゴに邪魔される前に・・・・・・

ある人が言った。


「瞑想は気づきの第一歩」


皆様に、常に「今いる」ことを……


感謝の心

2009年06月21日 09時57分46秒 | 気づき
このblogを読んでいただく事に当たり

「はじめ・・・」にを読んでもらえるとうれしいです。

+++++++++++++++++++++++++++++++++++++

今まで、「エゴ」ついて書いてきました。

今日は、私の体験とともに、感謝の心について書いていきたいと思います。

今、私はある人と喧嘩をしています。

生活に関わっている人なので会話をする度に喧嘩になり、お互いがヒステリックになるときがあります。

自分でも分かっているので、大体はメールで済ませるようにしています。

このメールでも、キレたり、批判したり・・・と「エゴ」の思う壺でした。

昨日のメールでも、

「してやってるのに。」や「苦労してます」など、何その言い方的な文章が送られてきたのですが、なぜか出た言葉が「ありがとう」でした。

それから、「エゴ」が何言ってるの上から目線で言って!!とヒステリックに頭を占領してきました。


でも、「ありがとう」と感じたことで、「エゴ」にのみ込まれること無く「いまある」を感じることが出来ました。

メール自体には「エゴ」は存在していなく、言葉の羅列。


私は、それをただ感じただけ・・・



エゴの出る隙間を与えずに気づきが感謝の心を呼び起こし安心感を与えてくれた。

これも、また感謝です。

嫌いな人・苦手な人の言った言葉に「エゴ」を確認できれば、自分のエゴを相手にぶつけるのではなく、言葉を感じとり、感謝の心が湧いてくるはずです。

生きていることに。

生かされていることに。

人に言われたことに。

感じるからこそ、感謝の心が表れる。

ただ、勘違いしがちなのが、感謝してやっていると思うと、もう、それは「エゴ」なのです。

「いまある」ことに、気づきそして感じ、感謝の心を持つことにより、大いなる安心感に包まれる。

まだまだ、仲直りすることは無いと思いますが、感謝の心を持ち続けることにします。
ある人が言った。


「感謝の心を大切に。」


皆様に、常に「今いる」ことを……

+++++++++++++++++++++++++++++++++++++
同様に表ブログ
「私のドラマ(食ぅ'神)」も読んでもらえるとうれしいです。

エゴたち2

2009年06月15日 14時32分32秒 | 気づき
このblogを読んでいただく事に当たり

「はじめ・・・」にを読んでもらえるとうれしいです。

+++++++++++++++++++++++++++++++++++++

今日は、前にも書いた「エゴ」について書くことに。

私たちは、この世でマンガを読んだり、PCにてブログを書いたり、仕事したり、デートしたりといろんなことをしている。


それが、人生ってやつと認識している。


そして、巧妙に絡んでくるのが「エゴ」である。

エゴを手放すことにより、本来の自分に会えるが完全に無くすことはできない。




手放す=気づく





「今の感情は、エゴの仕業だ」と気づくことにより、次の反応が変化してくる。

ただ、エゴは、何かの対象物がないと出てこないのも事実。





なら、エゴって悪いものなの?





と聞かれても、それは、違う。


いいも悪いもないわけで、人間の無意識がそうさせているだけである。

ましてや、「良い」・「悪い」と判断するところがもはや「エゴ」である。

なにも抵抗せず、「ありのまま」でいることだと思うよ。

そうすることによって、「エゴ」の力も弱まり、「今ある」ことができる。

ある人が言った。


「エゴとともに生きよう」


皆様に、常に「今いる」ことを……


死にゃぁ~せん

2009年06月11日 01時59分59秒 | 気づき
このblogを読んでいただく事に当たり

「はじめ・・・」にを読んでもらえるとうれしいです。

+++++++++++++++++++++++++++++++++++++
今日は、「死」について、書いてみようと思います。

死ぬことに対しての不安・恐怖っていつもあることだけど、

なぜ、怖いのだろう?



私がいなくなるから?



それって、死という恐怖心。


ホンロウが、いなくなる、消える。


・・・・・


ちょっと待てよ。


このブログが何らかの理由で、辞めることになるとする。まさに「ホンロウの死」

でも、「私」はPCの前にいる。

このブログやホンロウが無くなっても、私は無くならない。




「死にゃぁ~せん」



エゴが嫌がっているだけ。「死」というものに、「私」を同一化してしまうことにより、エゴはシャシャリ出てしまう。


意識は、常に「いまある」訳で何もかわらない。

書いている私もなんだか安心してきた。

二次的には、多少の不安はあるげど、死に直面したら「死にゃぁ~せん」って言ってるような気がします。



「ホンロウ」っていう乗り物が壊れちゃったって感じ。

文章で書くと、かなり冷たく感じてしまい、解釈を間違えると狂気になってしまうので注意して解釈を間違いないようにお願いします。


自殺や殺人はダメなこと!!ねっ!!



意識が、常に「いまある」ことを、感じていれば不安が安心に変わると私は感じている。



ある人が言った。



「一番よい死=ゲームの全クリ」



私も、全クリ目指して・・・



皆様に、常に「今いる」ことを……


最終的に・・・・・・そうなるよね

2009年06月08日 23時35分56秒 | 気づき
このblogを読んでいただく事に当たり

「はじめ・・・」にを読んでもらえるとうれしいです。

+++++++++++++++++++++++++++++++++++++

理論的に書けない私が、理論的風に書いてみること。

「私」ってなんだ?

「私」ってなんだ?と疑問を「私」に投げかけてみる。

とりあえずの答え




33歳


料理人


案外、優しい

などなど・・・

でも、これらの事柄は、誰が付けた?

もし、赤ちゃんの頃に隔離されて、何も無い所にいたとしたら……


男?

33歳?

料理人?

やさしい?

などなど?


これらを「証明」することが出来きなくなる。

証明することが「不可能」ということは、この世には居られなくなる。

だが、「私」は「存在」している。





矛盾している。




この、二つのことを同じ目線で見るから、矛盾と感られる。


目線をかえてみる。


すると、ある人が言った「スクリーンに映った映画」になる。

映画とは「私」とは何かを条件付けるため思考のよる幻想。

スクリーンとは「いまここに存在」していること。これこそ「私」である。



思考が色々な答えや条件を生み出しても、幻想に過ぎない、だから答えが出ることは無い。


なら、答えを出すにはどうしたらよいのか?


感じ、気づき、体験すること。

思考の届かないところで。

分かっているだけでは、まだ思考のテリトリーである。


私も、色々書いているが、まだ幻想の中に居る。


最近になって、多少なり気づきを感じることが出来るようになり、スクリーンの存在に気づくことがある。


今日という時を流れゆくまま行動してみた。



とても、居心地がよかった。




ある人が言った…


「考えるな!感じろ」



皆様に、常に「今いる」ことを……