扉への道

泉明 香鈴(せんめい かりん)申します。
香り善き、鈴音(りんね)を拠り所に、「今」を明め「ここ」に在る

答えを知るではない・・・・・

2020年02月24日 11時53分55秒 | 気づき
答えは元々自分の中にあり、判断しているのも、迷っているのも、悩んでいるのも、その答えを隠そうとしているだけである。
それを隠そうとしているのも自分である

自分とはなのか?・・・・・・自我であり、エゴである・・・ただ、これも自分である。

そう映画マトリックスリローデッドのスミスのように。

これらの自分からは逃れることはできない忘れることも捨てることも出来ない。
常にそこに有る

さて、これらの自分であるエゴ・自我をどうすれば良いか?

受け入れるしかない

包み込むしかない

隠すのではない

手放すのでもない

受け入れる

明かに観る事が必要がある

そうすれば、空だったと思い出す


答えは、もう、すでに知っていることだから。


幸せ・・・

2020年02月22日 13時27分00秒 | 気づき
そもそも、人間はどうして働いているのか?

なぜ、仕事をしているのか?

働くことの本質はどこにあるのか?
疑問が疑問を生みそれが迷いとなる。

人間は哺乳類であり動物である
植物でもなく、鉱物でもない
まさしく、動物である

さて、この動物である人間は本来、"起きる"動く"食べる""寝る"死ぬ"現象に集約される訳だが、働くは動くになる。

単純に捉えることで本質が見えるが、目的と本質の解釈を間違えると苦しみが多くなる。

映画アバターのオマティカヤ族が人間の本質ではないだろうか。

私は、今の状況は外世でどっぷり浸かって寝るときぐらいしか内世にいけないが、周りの人を観ていると何だか悲しくなってくる。

この人たちは本当に幸せなのか?・・・・・と。