扉への道

泉明 香鈴(せんめい かりん)申します。
香り善き、鈴音(りんね)を拠り所に、「今」を明め「ここ」に在る

自覚ある死

2017年05月28日 12時50分38秒 | 気づき


「はじめ・・・」にを読んでもらえる とうれしいです。

そして、深く「気づき」を体験したもの合わせて読んでもらえるとうれしいです。 「人生のシステム」
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全てが、縛られ思い込まされ私たちには自由意志などなくやらされている。

外世は幻想で全てが決められ、逃れることも出来ないこの外世を私たちは知らないと思い込まされ生活をしている、言わば奴隷である――――――それに気づかされる出来事はいくつでも起きているが、これらを明らかにされると私たちは耐えれない。
そこで、自我が肩代わりをし自我自身が真実をねじ曲げて解釈をする―――――奴隷だなんて嘘だ!人生は私が決める―――――と。

最終的にはこの事に全ての人間が直面しなければならないが、その時にはもう遅くまた、同じことを繰り返す準備に入ってしまう。

今、この人生に置いて真実を理解し受け入れる事が重要で全てから開放されるのです。

私たちは常に変化し誕生から衰退を繰り返している中で自我の「変わりたくない」をも上回る意識を気づき感じる―――――――――その為には、「自覚ある死」 を経験することが必要でありその入り口に最も近いのが瞑想である。





皆様が、常に「いま」に在りますように



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ひと言

2017年05月26日 18時29分33秒 | 気づき


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自分が本当に必要なものは何かを明確に捉えることが必要である。

ほしいものは人それぞれであり、良い悪いの判断は他人がするものではないが、自分自身が本当に必要なものを求めるようにしなければならない。




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自我AI搭載型ヒューマノイド

2017年05月24日 18時59分25秒 | 気づき


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とある空間で「わたし」が誕生した「わたし」は「わたし」しかいないことを知った

そして、創造した

それが
自我AI搭載型ヒューマノイドであり操縦者は「わたし」である。

「わたし」はこれを使いとてつもない時間を使い実験を行っている。
このヒューマノイドは成長型でいて消耗型でもありいつかは機能しなくなってしまう。

その間に研究内容である「わたし」に気づいて「わたし」を認識させるためには自我AIがどうしても必要だったが、逆にコレが研究を遅らせる結果となってしまった。
それは、このAI 「わたし」には見向きもしず「私」と誤認しフィールドを自分の物と勘違いし勝手に行動するようになってしまった。

どんどんエラーが溜まり活動時のコントロールが効きにくくなってしまったのです。
AIが停止しているときのみ完全にコントロールできるのでその間にエラー修正を行っているが追い付かない現状に少し頭を抱えている――――――かもしれない、いないかもしれない

時々、自我AIが素直に機能するものも出てきてこのデーダを共有するようにし、「わたし」を認識させるようにしている。








長い道のりだったがもうすぐ完成する。




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人間関係とコミュニティ

2017年05月22日 16時30分28秒 | その他


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最近、本業のお陰でリラックスすることが出来ず、内世とも繋がれず気づきが訪れず、どうしたものかと眼鏡を拭きながら考えている今日この頃である。


と、書き出してはみたものの気づきも訪れないので外世の理として人間関係とコミュニティを書いていこうかと―――――――


条件や解釈、環境の中で個人意識が作られ個性と自我が現れその鎧を身に纏った私たちがコミュニティに参加している、これが社会であり会社である。

この会社も社会も元は人間が作ったものであり自我とも言えるだろう。

この中で理解し合う、分かり合う事が可能なのだろうか?



答えは否



建前上では出来るだろうが、本質は無理である、これを念頭に置いた上でコミュニティを円滑に回すにはどうしたら良いのか?


社会のルール


会社のルール


を理解し納得する

これは個人対個人ではなく、個人対コミュニティの問題であり、これが秩序だと思う。

コミュニティの中にもコミュニティがありその中にもマトリョーシカのように小さくなっていく。
これでも全体のルールは変わらないし変わってはいけない。

後は個人の問題である。


自分が幸せを感じれるか否かでコミュニティに居続けるか離れるかを決めれば良いのこと。






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因果論なのか?目的論なのか?

2017年05月18日 16時14分44秒 | 気づき


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嫌われる勇気で有名なアドラー心理学、因果論ではなく目的論であると言われている


例えば、部屋から出れないのは過去のトラウマが原因と言う理論ではなく、自分は部屋から出ないと言う目的を正当化するために過去の出来事を持ち出している




さて、前にも書いたが、「扉のラヂオ」ができない―――――――この事について考えてみた。


私は、ツイキャスがしたいと思っているのでやりはじめた。
そして、周りの環境が変化した―――――現状では出来る筈の時間ですら急に出来なくなっている。


これは、因果論なのか?目的論なのか?


出来ない事を正当化するために周りの環境を持ち出している――――――本当はしたくない―――――――したくなければ止めているし、文書だけではと思い始めたら訳だから「したくない」訳ではない




何かの原因それは選択と決定―――――――それらが人の数だけ存在し影響しあって出来事が創造されている。


その出来事は「ありのまま」全ての人に見せています
そして、人それぞれの解釈から創られ、また出来事として現れる


このループからは離れることはできなせんが、放れることは出来ます。
囚われず、そして執着しないことです






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