車輪を再発見する人のブログ

反左翼系リベラルのブログ

無責任な責任論

2009年06月19日 | 経済一般

松本さんのところでも紹介されている「権利ばかり主張して義務を果たさない無能人」という炎上したブログ記事(現在はもう削除されている)であるが、改めて雇用者の意味不明な思考回路を明らかにしたといっていいだろう。

ブログ主はベンチャー企業の経営者のようで評判が非常に悪く、社員にちゃんとした待遇を与えているようにはとても思えない企業の経営者である。失業者や派遣社員に対する批判の時にも見られたが、その人たちがどれだけの待遇を受けているか、特権によって恩恵を受けているのかを考えずに、ひたすら自己責任の下に相手を批判する。それでいて、正社員のような特権階級に対しては信じがたいほどに寛容である。そのような、差別的な思考回路による自己満足記事であったのだろう。

きっとブログ主は、ベンチャー企業の経営者であるために自分が偉いと思っていて、それに奴隷として従うべき社員の中にひたすら働き続けることを受け入れない人間が存在することが許せなかったのだろう。大企業の経営者や労働組合の思考回路と同じで、自分達とそのしもべ達を身分によって差別し、自分達に対してはひたすら甘く、奴隷達に対しては徹底的に厳しい日頃の思考方法がつい出てしまって、それが炎上の原因に成ってしまったのだろう。

高い待遇を約束すれば優れた成果を期待でき、高い待遇を得ていれば優れた成果を上げることが求められるという当然の原理を無視して、自分の考えた勝手な区分に従って物事を判断する。結局は自分に対してはひたすら甘い基準を、他人に対しては徹底的に厳しい基準を適用する。そのような無責任な責任論によっては、健全な社会は訪れないだろう。

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知識人バイアス

2009年06月19日 | 論理

知識人というのは自分達が大衆よりも優れている、頭がいいと思っている。だから、無知蒙昧な大衆を指導しようといつもする。自分達は頭がいいと考えているので、高度な方法論によって完全な答えが導き出せると知識人は考える傾向がある。そして問題が発生する。

知識人は、素朴な政策よりも複数の要因を考慮した正しい政策を好む。現実の世界においては、相反する複数の価値観の対立や、複数の要因を考慮した答えが必要なことがよくある。だから、ただし答えを出すために、単純な政策ではなく複数の要因をちゃんと考慮した政策を採用する必要があると知識人は大抵考えることになる。

しかし、複数の要因を妥協する言は非常に難しい問題である。知識人は平等は極めて重要な問題であるとひたすら考えてきた。しかし、他方では努力を推奨することも重要であると考えた。その結果、努力していると思われる階層に対しては徹底的な保護と援助を行い、怠惰な階層に対しては徹底的な罰を与えた。結果、労働組合によって守られている労働者に対しては徹底的な補助を行い、最底辺の労働者や途上国に対しては暴力的な収奪を行うことになった。客観的に考えると一見、高所得者をひたすら保護し、低所得者から収奪しているので平等の原理に反しているようにも思えるが、努力をちゃんと考慮した高度な平等の観点からはそれが正しかったために、その政策に反対するものは差別主義者として弾圧された。社会的な影響力が高く差別されているとはとても思えないユダヤ人や在日朝鮮人に対する保護と特権が絶対的な善とされたのも同じ理由からであった。

つまり、知識人にとっては平等は非常に大事なものであるが、努力も大事かも知れないので、努力していると思われる階層に対しては最大限の平等を提供し、努力していないと思われる階層に対しては徹底的に環境を悪化させることによって努力させようとした。しかし、問題はその判断が本当に正しかったのかどうかである。さらに言うと、平等の観点からは所得の低いものほど支援の緊急度と重要度が高いはずである。そのことを考慮せずに知識人が勝手に決めた基準によって本来の原則をほとんど逆とも言える方向に捻じ曲げることが許されるのかという問題もある。

結局のところ、知識人は自分達が優れていると考えていたので、自分達が考えた複数の要因を考慮した高度な方法が優れた結果をもたらすだろうと考えた。知識人にはこのようなバイアスが常にある。しかし、問題は知識人も利害関係者に過ぎないのに、複数の要因を考慮する行為が自分達知識人の利益誘導に過ぎないのかどうかという観点からの分析がなかった。結果として、不思議なことに知識人にとって非常に都合のいい結論が複数の要因を考慮した、絶対的な善に基づく結論として出てくることになった。

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植民地問題と拉致問題

2009年06月17日 | 政治

朝鮮半島と日本の間にある非常に大きな問題として、日本による過去の植民地問題と、北朝鮮による拉致問題がある。しかし、この二つの問題に対する左翼の思考回路は真逆といっていいほどに違う。

植民地問題においては、ひたすら日本を批判し日本は永遠に謝罪し続けなければならないと言い続けている。村山談話のような、たくさんある政府の見解の中のたった一つだけをすべてを超越する絶対的な真理のように尊重し、総理大臣が代わるごとにそれを継承するかどうか聞いてくる。日本は過去に何度も謝罪を行い、賠償も行った。普通の国際政治の常識から言えば、これで問題は終わりだ。それにも関わらず、特定の事件や発言を永遠の真理のように繰り返すのは異常である。

それに対して、拉致問題に対しての態度はまったく違う。拉致被害者はもう死んでしまっているかもしれない、拉致のことは忘れよう。そんなことは忘れてしまって、北朝鮮と国交正常化しよう。日本には過去の植民地時代の責任があるから、日本は徹底的に謝罪して賠償すべきだ。どこにも、北朝鮮がした人権侵害に対する批判が存在しない。拉致自体が重大な人権侵害・国家犯罪であるだけでなく、もし拉致被害者が死んでいるのなら死亡原因が何なのか知る必要があるだろう。その中にもし拷問などでの死者がいれば、北朝鮮という国家の反社会性がまた一つ明らかになることだろう。そのような、重大な問題が左翼にはまるで存在しないかのようだ。

このように、自分達に都合のいいことに関しては永遠に重要な意味を持ちすべてに優先される。他方では、都合の悪いことはまるで存在しないかのように考える。これが左翼の思考回路である。問題は、このような思考回路においては客観的な事実や論理的な結論に関する議論が出来ないことである。だから、日本と朝鮮半島との外交がちゃんとした話し合いの下に進展しないことは当たり前である。客観的な事実の下に議論する能力を持たない人たちとは、客観的な事実に基づいた議論など不可能なのである。

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不思議と誰も反応しない話

2009年06月16日 | 経済一般

産経ニュースの記事より。

民主党は16日、民間の債権回収会社(サービサー)の強引な取り立てに対する規制と罰則を強化する債権管理回収業特別措置法の改正案を衆院に提出した。

自民、公明両党が提出済みの改正案はサービサーが扱える債権範囲拡大が柱。民主党の細川律夫「次の内閣」法相は提出後の記者会見で「両案は性格が異なるので並行して審議入りを求めたい」と述べた。

民主党の改正案は禁止する取り立て行為を(1)早朝や深夜の電話や訪問(2)張り紙や看板による借り入れ事実の公表-など明確化。罰則も無許可営業や他人への名義貸しについて「5年以下の懲役もしくは1000万円以下の罰金」に引き上げる。

上限金利規制の時には、山のように多くの人が反対の声を上げたのに悪質な債権回収の問題に対しては本当に静かなものだ。反対勢力の中心となっている人たちの素性がよく分かる話だ。そういえば、消費者金融規制に反対し、規制の悪影響に関する論文を大量生産していた早稲田大学の研究所が資金の大部分を消費者金融関係から貰っていたという事件があった。事実や理論を金の力で歪めようとする消費者金融の悪質さが、よく分かる話だ。

金利規制や総量規制が与える悪影響には敏感なのに、悪質な取立てに対しては鈍感なのは意味不明である。これからの日本経済の発展のためには、ベーンチャー企業を支援する健全な金融システムが必要不可欠である。そのためには、どうしても違法業者の取締りが必要になってくるだろう。その意味で、サービサーの業務内容拡大によって昔のような悪質な取立てが発生したりしないように規制をかけることは非常に重要であるといえる。

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金利規制と総量規制

2009年06月15日 | 経済一般

貸金業法が改正されて以来貸し出し金利の低下が進んでいる。理由は二つほどあって、一つは大手消費者金融によるカルテルが政府の介入によって壊されたことで、もう一つは違法な取立てがより強く規制されるようになったことだ。

長年消費者金融大手4社は4社間のみで顧客の信用情報をやり取りし、実質的なカルテルによって他の大手金融会社の参入を阻んできた。この実質的なカルテルが、総量規制と同時に行われた信用情報の共有によって破壊されたことが、金利競争を生み貸出金利の低下を生んでいる。貸金法改正によって借りられなくなった借り手がいると言っている馬鹿な人がいるが現実を見れば金利低下によって大部分の人が多大な恩恵を受けていることが分かる。

次に、信用情報の共有とも関係しているが、違法な取立てにより厳しい規制が掛けられることになったことが金利の低下のもう一つの要因である。以前は、信用情報をちゃんと得られず、違法な取立てが野放しだったので、銀行などが参入すると焦げ付きの山を気づいて撤退することになった。もし、片方は書面での連絡で、もう一方は家族への脅迫を当たり前のように行うのであればどちらに返済しようとするだろうか。書面で請求するところから借りてでも、脅してくるようなところから借りてくるだろう。そのような自体が発生した結果、大手の新規参入が阻害され金利が高止まりしていたのが昔の状態である。

貸し倒れ率や、アメリカとの比較をしてみればすぐ分かることであるが、一昔の消費者金融の貸し出し金利の高さは市場原理ではまったく説明できないものであった。そのようなことが可能だったのは、カルテルと違法行為による競争相手の排除という反市場的な行為を行っていたからである。だから、そのような状態を政府が積極的に介入することによって取り払ったというのは非常に大きな成果だったといえるだろう。

これからの、課題としてはこのような反社会的な消費者金融が存在したために破壊された日本の金融システムを再生していくことだろう。反社会的な消費者金融やノンバンクを野放しにした日本において、ちゃんとした小口の金融制度が存在せず、違法行為を当然のこととして取り締まってきた他の社会においては、そのような金融制度が経済の発展に大きく寄与していることは、消費者金融やノンバンクを一度破壊することが金融再生の第一段階であることを示しているだろう。しかし、本当の意味で日本に金融制度を復活させるためにはまだ長い道のりが残っていることも事実だ。

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ドラフトの形骸化

2009年06月14日 | スポーツビジネス

MLBでドラフトの形骸化が進んでいる。かなり前から、アメリカ国外の選手がドラフトを経ずに球団を契約することによってドラフトの形骸化が進み、同時に新人選手の契約金の高騰が起こっていた。その結果、弱小球団にとっては契約金の関係から有力選手を避ける指名が行われることも常態化している。このような事態がさらに悪化しているようだ。(スポーツビジネス from New Yorkより)

このスティーブン・ストラスバーグ選手の代理人が、松坂選手の代理人でもあるスコット・ボラス氏なのですが、スティーブン・ストラスバーグ選手とボラス氏のタッグが「MLBのドラフト制度を変えるかもしれない」と大きな話題になっています。というのも、ボラス氏がナショナルズに対して複数年で総額5000万ドル(約50億円)以上の契約を求めると言われているからです(この数字は、松坂選手がレッドソックスと結んだ5200万ドルの契約が参考になっています)。

ご存知の通り、MLBのドラフトは完全ウェーバー制で、前年度の勝率が低いチームから順に選手を指名していきます。しかし、順位が低いチームは往々にして貧乏チームが多く、以前「MLB終戦」でお見せしたデータによれば、昨年のナショナルズの年俸総額は全30チーム中26位の5500万ドルです。

MLBでは兼ねてから代理人による高額な契約の要求が問題になっています。例えば、現在レッドソックスでプレーするJ・D・ドリュー選手は、フロリダ州立大学時代に1年生からレギュラーで活躍し、アトランタオリンピックの代表メンバーにも選抜されるようなエリート選手でした。ドリュー選手は1997年のドラフトで第1巡(全体2位)にてフィラデルフィア・フィリーズから指名されますが、「1100万ドル以上でないとサインしない」と公言していた代理人(ボラス氏)は、フィリーズの提示した300万ドルという契約金に納得せず契約締結を留保、結局フィリーズは指名権を失ってしまいました(同選手は1年間独立リーグでプレーした後、翌年のドラフトでセントルイス・カージナルスに指名を受け、契約した)。・・・

ということだが、まず最初に指摘しておくとウェーバー制ドラフトの第一の目的は新人選手の年俸を抑制することではない。新人選手を獲得する機会を均等化し、勝率の悪い球団に優先的に選手を割り当てることによって戦力の均等化を図ることである。新人選手の年俸が抑制されたのは、球団がその制度を悪用して強い立場から球団にとって都合のいい条件で契約を結ばせてきたからである。普通の商習慣や経済原理に基づけば、許されることではない。

だから、結局のところ戦力均衡はレベニューシェアリングなどによって収入の均衡化が図られなければ無理だろう。しかし、高収益球団からすれば自分達の利益が損なわれるレベニューシェアリングには反対で、日本でもそれが原因でドラフト制度を変更し新人選手により不利な制度を導入することが主張された。結局は自分達の特権を手放すのがいやなので、弱いものからより搾取できるようにして何とか制度が破綻しないようにしようという虫のいい話なので一部の者の利益にしかならないだろう。

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理論と事実

2009年06月13日 | 論理

理論から導き出される結論と、結果として起こっている客観的な事実が違うことはよくあることだ。そういう場合にどのように対応するかということは非常に重大な問題だ。一つの対応として、理論を信じて理論からすればこうなっていなければならないから、きっと事実が違っているのは他の要因が関与しているせいだと考えるのがある。それに対して、客観的な事実を信じて理論をそのケースにおいて捨てるのも手だ。

しかし、実はこれら以外にもう一つの選択肢がある。理論の前提や論理展開を検証することによって理論の範囲内で部分的な修正によって、客観的な事実と整合的な理論を考えることである。これが出来れば、もうすでに様々な角度から分析してきた理論であるために信頼性があると同時に、客観的な事実とも整合的であるため現実にも対応している。しかし、このような理想的に考えるといいことばかりにも思えるこのような方法が忌避されることはよくある。

例えば、日本の左翼はひたすら平等を主張してきたが、現在の大企業正社員とそれ以外との身分制社会という現実に直面しても、平等の理念を少し修正してすべての労働者に平等な待遇を求めようとはしない。それは、左翼の主要支持母体が労働組合であるために、平等というのは組合員内の平等でなければならず、それが全体としても絶対的な善である平等を意味しなければならないという全体的な真理があるためである。同じように、過去のヨーロッパや現在のアメリカにとっても、それぞれの行動が他の社会を破壊し、民主的な政治の出現を妨げていたとしても、ヨーロッパ人やアメリカ人によって行われている民主制にとっては、それはすべて現地人が悪いのであってヨーロッパとアメリカは常に民主的で善でなければならないので、他の民主主義の選択肢を受け入れることが出来ない。

このような問題は、ヨーロッパにおいてキリスト教教会が信者に聖書を見せることを禁止することによって、自らの権威を維持しようとしたことに代表されるように色々な分野において起こってきていることである。理論や理想を目指そうと上辺ではするが、集団内の政治や私利私欲が絡むことによって、特定の解釈が絶対化され、客観的な事実との妥協が阻止される。このようなことが知識人がひたすら間違い続けている理由の一つである。

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鳩山総務相更迭

2009年06月12日 | 政治

麻生首相が鳩山総務相に辞表を出させ、実質的に更迭した。それにしても、今回の鳩山氏の郵貯に絡む言動は異常だった。(産経ニュースより)

日本郵政の西川善文社長の再任問題をめぐり、麻生太郎首相は12日、西川氏の退任を要求してきた鳩山邦夫総務相に辞表を提出させ、更迭した。麻生内閣の閣僚辞任は中山成彬前国土交通相、中川昭一前財務相に続き3人目。首相は後任の総務相を佐藤勉国家公安委員長に兼務させた。

首相は12日夕、記者団に更迭理由を「政府と郵政会社の間に混乱が生じたような印象を与えたのははなはだ遺憾だ。早急に解決されてしかるべきだった」と説明。西川社長については「日本郵政は特殊会社とはいえ民間会社だ。株主(国)が人事権を使ったり、事業に対し色々なことで介入したりするのは努めて避けるべきだ」と述べ、続投を支持する考えを示した。

一方、鳩山氏は「正しいことが通用しないならば潔く去る。首相の判断は間違っていると思う。今後は正しい判断で政治をやってほしい」と述べた。

かんぽの宿に売却手続きに不備があったのかも知れないが、それだけの理由で暴走し郵政民営化全体を全否定しようとする鳩山大臣の言動は常軌を逸していたと言えるだろう。少なくとも郵政民営化は選挙によって国民の支持をちゃんと受けた政策であり、それを一人の大臣が否定し官僚の支配下に置こうとする行動は政治的に可笑しいと言うべきだろう。その意味で、自分勝手な解釈で過去の改革を否定し、時間を巻き戻そうとした鳩山大臣の更迭は政治的に必要なものだったと言えるだろう。

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会社の所有者は誰かという問題の盲点

2009年06月10日 | 経済学

会社は誰のものかという論争は昔から続いている。株主のものか、従業員などの関係者のものであるかが議論されてきた。しかし、この議論においては根本的な問題が無視されてきたように思う。従業員などの関係者以外の社会全体の利益という要因である。

株主にとっては、企業の長期的な価値を最大化することが株式を保有する目的である。それに対して、関係者、特に従業員にとっては自分がどれだけ安定し恵まれた待遇を得られるのかが一番重要である。そのため、株主にとっては企業が成長することは非常に重要であるが、従業員にとっては企業が成長するよりも、一人当たりの給与が最大化することが利益となることになる。

ここで社会全体にとっての利益というものを考えてみよう。そうすれば、社会にとっては賃金の高い仕事がたくさん生み出されることが重要である。だから、優れた企業には出来る限り速く大きく成長してもらうことが社会にとっては必要不可欠である。ということは、従業員にとって望ましいことは社会にとっては望ましくないことであることになる。これは現在の日本が抱えている非常に大きな問題であるが、一部の人間の高賃金を維持するために経済の成長が停滞し、特に生産性の高い企業が従業員の過剰な要求によって利益が圧迫され成長できない状態にある。

例えば、従業員一人当たり今1500万の付加価値を上げている企業があるとする。賃金が500万であれば資金に余裕がありどんどん成長できるし、事業を拡大することによって付加価値の額が1200万に少し減ったとしても、売り上げがそれを上回った形で上昇すれば最終的な利益は向上することになる。しかし、もし付加価値が1500万あるからといって従業員が1200万要求すれば、事業拡大の資金が枯渇する上、現在最も利益が上がっている事業以外に進出するのは非常に多きなリスクが絡み進出を躊躇することになるだろう。

これが現在日本で起こっていることである。最近、ブラック企業という反社会的な行為や低賃金で過剰労働によって成長している企業に対する批判がある。本来ならこのような企業が存在すること自体が社会にとって大きな負担であるのに、このような企業が成長することによってより社会に大きな負担が圧し掛かってきている。このようなことが起こっているのには生産性の高い企業が従業員の異常な要求のために停滞し、その代わりに生産性の低い企業が違法行為によって成長するという現実がある。

そういう意味で、一部の従業員だけに過剰な分け前を与えるやり方は社会全体にとって何重もの意味で負担となっている。スウェーデンにおいては、国家と全国規模の労働組合が中心となって高生産性企業の賃金を抑制し、低生産性企業の賃金を上昇させることによって、生産性の高い企業の成長と低生産性企業の退出を促し、社会全体の生産性を高めつつ、平均所得を上昇させる政策が取られてきた。国民全体を考えるのならばこのような政策が望まれるところだろう。会社は最終的には社会全体に貢献するためにあると言うことを理解する必要があるだろう。

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犯罪の厳罰化と犯罪者の擁護

2009年06月09日 | 社会

最近犯罪に対する厳罰化の流れに対する記事を読んで思ったのだ。内容的には、安易な厳罰化を嘆いていて、それを国民の軽すぎる罰に対する反発に迎合するポピュリズムだというような内容だった。しかしながら、厳罰化の流れがいいか悪いかに関わらず、現在の日本の抱えている非常に大きな問題は知識人やマスコミが一部の犯罪者集団に対しては徹底的に擁護する一方で、軽微な罪であっても企業を吊るし上げたりしていることである。

例えば、消費者金融やノンバンクの明らかに犯罪である取立てに対しては、昔から現在に至るまで延々と徹底的な擁護が行われてきた、だけでなく借り手の責任を異常なまでに追求し、すべての責任を借り手に擦り付けてきた。一方で、雪印や赤福のようにそれほど重大な問題が起こっていなくても、激高し企業がつぶれるまで徹底的に糾弾するということも同時に行われた。分かりやすいと思うので企業の例を取り上げたが、これと同じようなことが他の状況においてもひたすら発生してきた。

軽微な罪であっても、罪を絶対視し断罪する一方で、被害者にも責任があるとなると、一転すべてがひっくり返って被害者を徹底的に断罪する。この結果戦後の日本においては少しの罪でも弾劾される一方で、知識人が擁護している在日朝鮮人が組織犯罪を起こしたときには、一転被害者の側を徹底的に糾弾し、あたかも被害者が凶悪犯罪を犯したかのような言説を繰り返した。この構図は、他の問題においても同じで日本が朝鮮半島に対して犯した罪に対しては延々と追求する一方で、北朝鮮による拉致に対しては、最初は無視を決め込み、いいわけ不可能になると、日本の戦前の責任を持ち出してきた。

つまり、厳罰化するかどうかに関わらず、一部の犯罪に対しては犯罪者をひたすら擁護する発言を繰り返し、他方では軽微な罪を徹底的に弾劾した知識人やマスコミがもたらした社会的な萎縮こそが最大の問題である。最近、池田信夫氏が出版社による高橋洋一氏外しを嘆いていたが、このように軽犯罪であっても過剰なまでに反応する一方で、組織的な犯罪を日常的に犯していることが日本全体に知られている消費者金融の広告を平気で掲載し続けるということを同じ出版社が行ってきたことを考えると、問題は日本人の責任回避や村八分ではなく、逆に厳罰化でもなく、戦後続いてきなインテリたちの変更した判断基準に本質的な問題があることが判るだろう。

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