会社は誰のものかという論争は昔から続いている。株主のものか、従業員などの関係者のものであるかが議論されてきた。しかし、この議論においては根本的な問題が無視されてきたように思う。従業員などの関係者以外の社会全体の利益という要因である。
株主にとっては、企業の長期的な価値を最大化することが株式を保有する目的である。それに対して、関係者、特に従業員にとっては自分がどれだけ安定し恵まれた待遇を得られるのかが一番重要である。そのため、株主にとっては企業が成長することは非常に重要であるが、従業員にとっては企業が成長するよりも、一人当たりの給与が最大化することが利益となることになる。
ここで社会全体にとっての利益というものを考えてみよう。そうすれば、社会にとっては賃金の高い仕事がたくさん生み出されることが重要である。だから、優れた企業には出来る限り速く大きく成長してもらうことが社会にとっては必要不可欠である。ということは、従業員にとって望ましいことは社会にとっては望ましくないことであることになる。これは現在の日本が抱えている非常に大きな問題であるが、一部の人間の高賃金を維持するために経済の成長が停滞し、特に生産性の高い企業が従業員の過剰な要求によって利益が圧迫され成長できない状態にある。
例えば、従業員一人当たり今1500万の付加価値を上げている企業があるとする。賃金が500万であれば資金に余裕がありどんどん成長できるし、事業を拡大することによって付加価値の額が1200万に少し減ったとしても、売り上げがそれを上回った形で上昇すれば最終的な利益は向上することになる。しかし、もし付加価値が1500万あるからといって従業員が1200万要求すれば、事業拡大の資金が枯渇する上、現在最も利益が上がっている事業以外に進出するのは非常に多きなリスクが絡み進出を躊躇することになるだろう。
これが現在日本で起こっていることである。最近、ブラック企業という反社会的な行為や低賃金で過剰労働によって成長している企業に対する批判がある。本来ならこのような企業が存在すること自体が社会にとって大きな負担であるのに、このような企業が成長することによってより社会に大きな負担が圧し掛かってきている。このようなことが起こっているのには生産性の高い企業が従業員の異常な要求のために停滞し、その代わりに生産性の低い企業が違法行為によって成長するという現実がある。
そういう意味で、一部の従業員だけに過剰な分け前を与えるやり方は社会全体にとって何重もの意味で負担となっている。スウェーデンにおいては、国家と全国規模の労働組合が中心となって高生産性企業の賃金を抑制し、低生産性企業の賃金を上昇させることによって、生産性の高い企業の成長と低生産性企業の退出を促し、社会全体の生産性を高めつつ、平均所得を上昇させる政策が取られてきた。国民全体を考えるのならばこのような政策が望まれるところだろう。会社は最終的には社会全体に貢献するためにあると言うことを理解する必要があるだろう。