あなたも社楽人!

社楽の会の運営者によるブログです。社会科に関する情報などを発信します。

平成政治史 -読売新聞・産経新聞社説より-

2019-04-29 07:00:14 | 社会科こぼれ話
平成が終わろうとしています。
今朝(4月29日)の読売新聞と産経新聞が、社説で30年の政治を振り返っています。
引用しながらまとめてみましょう。

読売です。
◆野党混迷で2大政党制遠のく◆

 政治主導の態勢を生かしつつ、中長期的な視野に立って政策課題に取り組む。平成時代の目標をどう実現していくか。

 内閣や政党に限らず、国民も問われている。

 平成の最初の数年間、政界は相次ぐ疑獄事件に揺れた。値上がり確実な未公開株が政権中枢に配られたリクルート事件や、大手建設会社が政治家に便宜を図るよう求めたゼネコン汚職事件である。

 首相や閣僚らが辞任に追い込まれ、政治不信は極まった


ブリタニカ国際大百科事典よりリクルート事件を引用をします。
1980年代,情報サービス会社リクルート(→リクルートホールディングス)が政界,官界,財界の要人に,子会社のリクルートコスモスの未公開株を譲渡,贈賄罪に問われた事件。
1985年から 1986年にかけて,自由民主党の有力者や野党国会議員のほか,労働省や文部省の高官,財界の大物などに対し,本人あるいは秘書名義などでリクルートコスモスの未公開株を譲渡し,店頭公開後に大きな売却益を上げさせた。
1988年夏,神奈川県川崎市の助役がリクルートコスモス株の譲渡を受けていたと報道されたことを発端に,事件が中央政界に波及した。その過程でリクルートが政治家に多額の献金を行なっていたことや,政治家主催パーティ券を大量に購入していたことが判明,国民の政治不信が一気に高まった。その責任をとり 1989年6月に竹下登首相が辞職した。リクルート会長の江副浩正をはじめ贈賄側 4人,収賄側 8人の計 12人が起訴され,全員に有罪判決がくだされた。


日本大百科全書(ニッポニカ)よりゼネコン汚職を引用します。
公共事業の入札などをめぐって総合建設会社(ゼネコン)が国会議員や知事、市長などに賄賂(わいろ)を贈り、摘発された事件。
1993年(平成5)6月に仙台市長石井亨が逮捕されたのを皮切りに、同年末までに、収賄側が茨城県知事竹内藤男、宮城県知事本間俊太郎ら8人、贈賄側は清水建設会長吉野照蔵ら日本を代表する大手建設会社トップを含む25人が逮捕された。さらに、1994年3月には、「埼玉土曜会」談合事件の告発見送りにからみ、鹿島建設から1000万円の賄賂を受け取った疑いで、前建設相中村喜四郎が斡旋収賄(あっせんしゅうわい)容疑で逮捕された。


平成の総理大臣をまとめてみましょう。

竹下  登(昭和62年11月6日~平成元年6月3日):自由民主党リクルート事件
宇野 宗佑(平成元年6月3日~同年8月10日):自由民主党
海部 俊樹(平成元年8月10日~平成3年11月5日):自由民主党 バブル崩壊
宮澤 喜一(平成3年11月5日~平成5年8月9日):自由民主党
細川 護熙(平成5年8月9日~平成6年4月28日):日本新党ゼネコン汚職 中村前建設相逮捕、政治改革関連法成立
羽田  孜(平成6年4月28日~同年6月30日):新生党
村山 富市(平成6年6月30日~平成8年1月11日):日本社会党
橋本龍太郎(平成8年1月11日~平成10年7月30日):自由民主党 金融危機
小渕 恵三(平成10年7月30日~平成12年4月5日):自由民主党
森  喜朗(平成12年4月5日~平成13年4月26日):自由民主党
小泉純一郎(平成13年4月26日~平成18年9月26日):自由民主党 いざなみ景気
安倍 晋三(平成18年9月26日~平成19年9月26日):自由民主党
福田 康夫(平成19年9月26日~平成20年9月24日):自由民主党 リーマンショック
麻生 太郎(平成20年9月24日~平成21年9月16日):自由民主党
鳩山由紀夫(平成21年9月16日~平成22年6月8日):民主党
菅  直人(平成22年6月8日~平成23年9月2日):民主党
野田 佳彦(平成23年9月2日~平成24年12月26日):民主党
安倍 晋三(2回目)(平成24年12月26日~現在):自由民主党 日銀の金融緩和政策
アベノミクス

続けます。
◆「金権」の弊害薄まった

 原因とされたのは、自民党の派閥政治であった。衆院の中選挙区制の下では、各派閥の候補が同一選挙区で争った。派閥間の競い合いが長期政権を支える活力を生む一方、利益誘導を助長し、「金権政治」を招いた。

 1994年に成立した政治改革関連法は、中選挙区の代わりに、小選挙区を中心とする制度に改めた。政権交代を可能とし、政党中心の選挙への転換を目指した。

 政治資金規正法も強化された。民主主義に必要なコストとして、総額300億円超の政党交付金が支給されている。

 政治の浄化は、一定程度進み、「金権」の言葉を見かけることは減った。今問われているのは、資金の「入り」より「出」だ。

 政党や政治家が、国民の疑念を招かないよう、政治資金の使途の透明性を高め、適正な運用に努めるのは当然である。

 一連の政治改革が実施されたのは、平時というよりも、バブル崩壊と金融危機に至る1990年代の経済の混迷期だった。

 政治主導が整っておらず、右肩上がりの経済を前提とした護送船団方式や利益配分の仕組みの見直しに手間取った。

 求められたのは、優先順位を付けて政策を遂行し、規制緩和によって成長分野を伸ばすという機動的な政治への転換である。だが、旧態依然とした予算のバラマキから脱せなかった。

 景気刺激を名目に、財政支出を膨らませた。社会保障費を賄うため、平成元年に消費税の導入にこぎつけたが、10%への引き上げにメドが立つまで30年を要した。

 この間、参院で与党が少数となる衆参のねじれが相次いで生じた。野党が参院を舞台に、政府・与党を追い詰めたことで、政治と経済の混乱に拍車をかけた。


ブリタニカ国際大百科事典より政治改革関連法を引用します。
小選挙区比例代表並立制導入を柱とする公職選挙法改正案,政治資金規正法改正案,政党助成法案,衆院選挙区画定審議会設置法案の4法案をいう。
細川内閣は 1993年9月,臨時国会に同法案を提出,衆院は連立与党修正のうえ可決したが,参院では否決された。
細川首相は 94年1月,河野自民党総裁とトップ会談を行い,(1) 定数配分は小選挙区 300,比例代表 200,(2) 比例選出単位は全国 11ブロック,(3) 政治家個人への企業献金は5年に限り年間 50万円まで容認,(4) 公費助成は前年収支実績の 40%を上限枠とする,などで合意し,衆参本会議で成立した。


◆適正な給付と負担に

 財政収支は均衡を欠き、国と地方の借金残高は、1100兆円に上る。将来世代に、ツケを回していることにほかならない。経済の低成長が続き、国内総生産(GDP)は中国に抜かれた。

 今後、少子高齢化がさらに進み、現役世代の負担感は増す。今までのように、低い負担で手厚い給付をするようでは、持続可能な社会保障制度を築けまい。

 医療や介護制度などについて、給付抑制と負担増の改革が不可欠だ。消費税を10%からさらに引き上げる議論も避けられまい。成長戦略も強化する必要がある。

 明確な将来展望に基づき、政治が責任を持って、諸改革を実行に移すことが重要だ。

 衆参両院の選挙の多さの弊害から目をそらしてはなるまい。

 平成の30年間に、1年半に1回の割合で行われてきた。安倍首相も2012年の政権復帰後、衆院解散・総選挙に2回踏み切り、いずれも圧勝した。

 風向き次第で勝敗が大きく変わりうる小選挙区制の怖さが、目先の政策にとらわれがちな傾向を助長していないか。

 長年政権の座にある自民党は、国民の痛みを伴う改革を粘り強く訴えねばならない。

 政治改革の目標でありながら、実現しなかったのは政権交代可能な2大政党制の定着である。


◆国会で建設的論戦を

 政権を担いうる野党を目指して、新進党が1994年に発足したが、3年後に崩壊した。

 2009年に、政権の座についた民主党は、非現実的な公約に固執して行き詰まった。東日本大震災での拙劣な対応もあり、国民の支持を失い、3年余りで野党に転落した。旧民主党勢力の解体過程はいまだに続いている。

 自民党と抵抗路線の旧社会党が対峙たいじした55年体制に近付いているようにも見受けられる。

 政治改革が掲げた「政策本位の政党政治」を実現するためには、野党が、党内論議を重ねて、内政と外交に関する現実的な政策を磨くことが欠かせない。

 対案を提示し、政府に建設的な論戦を挑むべきだ。そのことが政治に緊張感をもたらそう。

twitter


産経です。
平成時代の政界が30年かけてできなかったのが、政権交代可能な二大政党制だった。それを妨げたのは国際社会を席巻している理念なきポピュリズム政治である。

 平成初期には、非自民8党派による細川護煕政権が誕生し、自社二大政党による55年体制が崩壊した。21年には鳩山由紀夫元代表が率いる民主党が政権をとり、疑似二大政党制となった。これも長くは続かず18人の首相が入れ替わった。行き着いた先は安倍晋三政権による1強多弱の世界だった。

 大衆受けを狙ったポピュリズム政治という安易な手法はひと足早く、平成時代のわが国を静かに蝕(むしば)んでいたのである。

 ≪シングルイシューの愚≫

 その最たるものが、平成13年に政権についた小泉純一郎政権である。「自民党をぶっ壊す」と言って党総裁選を勝ち抜いた。小泉劇場の始まりだ。郵政民営化の是非を問うというシングルイシューによる選挙は、国民が第2幕、第3幕を見たくなるよう政治への関心を高めた効果はあろう。テレビのワイドショーは連日、小泉純一郎首相を追いかけた。小泉氏は本来なら味方であるはずの党内に抵抗勢力という悪役をつくり、彼らを退治する水戸黄門を演じた。

 参院で否決されたのに、衆院を解散する。政治のプロを自任する永田町界隈の多くが驚いた。郵政民営化法案に反対する議員の選挙区に、賛成派の刺客を放った。


小泉氏の後を継いだ安倍晋三首相は、郵政造反組の復党や消えた年金問題などが理由で、平成19年の参院選で大敗した。第1党の座を小沢一郎元代表が党首を務める民主党に譲った。自民党結党以来初めての歴史的敗北だった。

 ≪「ねじれ」が停滞招いた≫

 衆参両院で第1党が異なる「ねじれ」による決められない政治の始まりだ。民主党の審議拒否で海上自衛隊のインド洋給油活動を認めたテロ特別措置法が期限切れとなり、国際貢献に穴が開いたこともあった。混乱の極みである。

 衆参のねじれは、だれもが経験したことのない破壊力を見せつけた。安倍、福田康夫、麻生太郎の各政権は短命で終わった。平成21年に政権を奪取する民主党も翌年の参院選で大敗し「ねじれ」に泣かされる。むろん、決められない政治で一番泣かされたのは、国民であることは言うまでもない。


 この間、良くも悪くも政界の中心にいたのが小沢氏だった。民主党政権下では世界一を狙うスーパーコンピューターをめぐり、所属議員が「2位では駄目なのか」と発言した。民主党による事業仕分けも、パフォーマンス優先の典型的なポピュリズム政治に堕していたといえよう。

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。