16. 「0NE OF THESE NIGHT」
☆夏休みの朝早く起きてレコードを聴く。
ジャクソン・ブラウンにイーグルス、ザ・バンドやアメリカなど。
昼になれば当時、心斎橋にあったロック喫茶「BEATLES」や
「英吉利」(イギリス)へ行きニール・ヤングやレナード・スキナードや
ローリング・ストーンズやロッド・スチュワートなど、
自分で持っていないアルバムをリクエストして聴いていた。
エアロスミスのROCKSなんかは、この頃毎日聴いてたな・・・
ターン・テーブルにレコードが乗っかって、針が降りる。
プツプツというスクラッチ・ノイズのあとに、
やがてフィル・インしてくるあのリズム。スティーブン・タイラーの
金切り声が最高にストレスを解消してくれたな・・・。
「BACK IN THE SADDLE!」とか「地下室のどぶねずみ」
そして「お説教」とか。まさしく「ROCKS」だし、こいつらの音は
まさしく「闇夜のヘビー・ロック」だった。
悶々とした高校時代に見事にマッチした荒削りなサウンドだったな。
☆1950年代後半の誕生以来、ROCK MUSICが本質的にギリギリのところで
ロックしていたのは1976か77年頃までだ。
(1975~77年あたりで、その短い歴史にひと区切りがついたようだ)
この頃、ウイングスはOVER AMERICAという三枚組のライブ・アルバムをリリースし、
ジョン・レノンはアルバムROCK'N ROLLを。
ストーンズはBLACK&BLUEでソウルやレゲエを強く意識していたし、
デビッド・ボウィはLOWでイギー・ポップはIDIOTだ。
そしてザ・バンドがついにそろそろ解散を決意し最後のワルツを踊り、
イーグルスはHOTEL CALIFORNIAという歌の中で
1969年以来、アメリカが抱えていたロックの幻想に
とうとう自ら終止符を打ってしまった。
僕が過ごした高校時代のロック・シーンはそんなだった。
ピーター・フランプトンは歌モノでライブ・アルバムを売りまくり、
フリートウッド・マックの噂は世界中に響きわたった。
やがてローリング・ストーンズやキッスやポール・モーリアまでもが、
ディスコ・サウンドに手を染めてしまう・・・そんな時代。
混沌としたシーンの中で、ロック・スピリッツが初期衝動を忘れかけてきた頃、
1977年、確信犯的にSEX PISTOLSが登場し(というか仕組まれた)
すべてのちゃぶ台をひっくり返してしまった・・・。
PUNKの狼煙が世界中で上がり始めた頃、
前後してアメリカではボストンとヴァン・ヘイレンとジャーニーが売れまくった。
このあたりの現象が、後のロック・シーンの変貌を如実に現していたな。
その頃、世界の果ての日本の大阪の港区で、少年は恋に目覚めた。
しかしせっかく目覚めたのに、貰ったバイト代をレコードで
全部遣ってしまうという快挙を成し遂げてしまった。
まったくもって本当におめでたい「古き良き時代」だったんだな。
注:1976年とか77年とか、35年くらい前の話を書いているが、
未だにキッスもローリング・ストーンズもヴァン・ヘイレンもジャーニーも
活躍しているという・・・。
なんたる素晴らしき伝統芸能だ。
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