文明のターンテーブルThe Turntable of Civilization

日本の時間、世界の時間。
The time of Japan, the time of the world

山田瑞夫は無名の市民の冤罪より東大の権威を優先させ、法を曲げ、不正を働いた。

2020年12月15日 09時39分37秒 | 全般
2016-04-27に発信した章である。
以下は、私が、戦後の世界で、唯一無二のジャーナリストであると確信している高山正之が、月刊誌「正論」に連載している巻頭のコラム「折節の記」からである。
まともな頭脳をもった人間ならば、誰もが私の彼に対する評の正しさを知るはずだ。
三島由紀夫が市ヶ谷で自決した翌年のこと。
刑務所を出たばかりの滝谷福松が「弘前大教授夫人殺しの犯人は私だ」と名乗り出た。 
この事件は昭和24年に起きた。
警察は現場の近くに住む那須隆を捕まえた。
あの扇の的を射た那須与一の末裔だ。
疑う根拠は妙に警察に協力的だった。それだけ。 
そんな那須を犯人に仕立てたのは東大法医学教室の古畑種基だった。
彼は那須の服についていたシミを「被害者の血」と鑑定し、それが決め手で那須は15年の刑を宣告された。 
そして22年後、真犯人が出た。
滝谷は盗みに忍び込んで目を覚ました夫人に驚き首を刺して逃げていた。
今度も刑務所を出所後、万引きして捕まった。
ムショに戻されるよりは「三島由紀夫と同じに男らしく事件を明かす道を選んだ」と本人は言っている。 
警察は彼の供述と検証から滝谷が真犯人と確認した。
那須は喜んだ。やっと冤罪を晴らせる。
同じ年、直ちに再審を請求した。 
が、事態はそこで止まり、丸3年間、仙台高裁は足踏みを続け、山田瑞夫裁判官が下した結論はまさかの再審請求却下だった。 
なんてことだ。那須は不条理を呪った。
諦めず2年後の昭和51年、再度、再審請求を出したら今度は素直に通った。無罪を得た。 
この異様な展開について法律書は前年の「白鳥事件の最高裁判示で再審の門が開かれやすくなったから」とある。 
真っ赤な嘘だ。同じ年、古畑種基が死んだ。
もし山田判事が最初の再審を認めていれば、東大の権威にして文化勲章をもらった男が法廷に立たされ、いい加減な鑑定をし、冤罪まで生んだと糾弾された。
それは最高裁も検察も東大も認めたくなかった。 
「彼が死んだから再審が通った」が正しい。
以降、古畑鑑定で死刑囚にされた財田川事件の谷口義繁ら三人の死刑囚の冤罪が次々と晴らされていった。 
山田瑞夫は無名の市民の冤罪より東大の権威を優先させ、法を曲げ、不正を働いた。
この稿続く。

最新の画像もっと見る