文明のターンテーブルThe Turntable of Civilization

日本の時間、世界の時間。
The time of Japan, the time of the world

日本で高度成長時代に宏池会が中心になって謳歌した「軽武装・経済重視」はとどのつまり、現在の日本を形づくった

2022年03月08日 15時58分41秒 | 全般

以下は発売中の月刊誌「正論」特集 脱・平和ボケに、国軍がないゆえのビクビク外交、と題して掲載されている杏林大学名誉教授田久保忠衛の論文からである。
見出し以外の文中強調は私。
日本国民のみならず世界中の人達が必読。
本論文は正論の中の正論である。
真の愛国者としての田久保忠衛氏が書いた渾身の論文である。
本来、日本国民全員が今すぐに最寄りの書店に購読に向かわなければならない論文である。
私の本章が、出来るだけ多くの日本国民に届くことを切に願う。
私の各国語へ翻訳は各国の中枢に届くはずだと私は確信する。
21世紀最高の論文の一つである。
口先だけで大きなことを言うのは自由だが、軍事力の基本を米国に依存しただけの国家は国の形としては片肺だ。
日本で高度成長時代に宏池会が中心になって謳歌した「軽武装・経済重視」はとどのつまり、現在の日本を形づくった。
外交、防衛という国の運命にかかわる問題については米国に相談し、政治家は与野党おしなべて「日米同盟の強化」「対中抑止力の強化」を鸚鵡返しに繰り返す。
具体的には対中抑止にどれだけ効果があるかわからぬ程度の防衛費を増やすほかにこれといった手立てはない。
日本の運命を決める選択肢は「日米同盟」以外には全くない。
生殺与奪の権を握られた米国に対しては一顰(いっぴん)一笑を気にする。
米国がアフガニスタン、次いでイラクに軍事介入していたころに、中国は力による現状変更を企て、南シナ海、東シナ海に進出し、インドとの国境で不穏な動きを示した。
地政学的な位置を占める日本としては、この中国とことを起こしてはいけないとの一種の恐怖心が働くのだろう。
中国の対日工作も効果を上げているのかもしれない。
日本外交は極端なまでに神経質になっている。
いわゆる慰安婦、徴用工、佐渡島の金山問題などをめぐる韓国の執拗な言いがかりに辟易した日本政府は不動の覚悟を決めているかどうか。
北朝鮮は今年に入って1月30日までに7回ものミサイル発射実験を行った。
日本が射程に入るミサイル実験を目の前で実施されても空虚な「厳重な抗議」や「国連決議違反」を繰り返すだけだ。
関係するあらゆる国に神経過敏になるのは当然としても、とるべき道のない日本はビクビク外交を続けるしかない。
幻の「対中非難」決議
佐渡金山の国連教育科学文化機関(ユネスコ)世界文化遺産推薦が決まった翌日の1月29日付地元新潟日報は一面トップに「見送り検討から一転」の見出しを使った。
予期していなかったにもかかわらず、「見送り」がよく「推薦」に変わったとの驚きが浮き出ている。問題は社説だ。
今後韓国の反対で当然ながら困難が予想されるが、この社説は初めから及び腰だ。
「強制労働を巡る韓国側の心情は理解できるが、推薦された佐渡金山の対象時期は江戸時代までだ」と韓国側にすでに同情の意を表している。
歴史認識問題研究会(会長=西岡力)が同じ新聞の意見広告で明示しているように、佐渡金山で動員された朝鮮人労働者は1519人で、この3分の2にあたる1000人は「募集」に応じた人たちである。
あとの500人は「官斡旋」か「徴用」で渡航したが、これは合法的な戦時労働動員で、韓国が言う「強制労働」は存在しない。
当初岸田文雄首相は推薦に慎重だったが、問題は新潟日報がいみじくもつけた見出し、「曲折の末に『逆転』」した。
それ以前に日本政府は「朝鮮人労働者の戦時動員は強制労働に関する条約上の『強制労働』には該当していない」との閣議決定をしたはずではなかったか。
関係国の反対があるかぎり登録できないといわれるが、他意のある「反対」を気にしなければならない理由はない。
時期を同じくして衆院は2月1日の本会議でようやく「新疆ウィグル等における深刻な人権状況に対する決議」を賛成多数で可決した。
自民党の原案が長い時間をかけた調整の結果、焦点をいかにもぼやかしたような内容になってしまったいきさつは、各マスメディアが報道したとおりだから再述しない。
ただ、この長い決議は新疆ウイグル、チベット、南モンゴル、香港などにおける信教の自由への侵害や強制収監をはじめとする深刻な人権侵害に触れているものの、主語が抜けている。
「国際社会から懸念が示されている」と書くだけで、状況の説明が多い。
主語のあるのはたった一箇所「本院は、深刻な人権状況に象徴される力による現状の変更を国際社会に対する脅威と認識するとともに、深刻な人権状況について、国際社会が納得するような形で説明責任を果たすよう、強く求める」と述べているにすぎない。
決議が拠り所とする国際社会はこぞって中国を名指しで非難しているにもかかわらず、肝心の「中国」も「非難」も存在しない。
闇に向かって鉄砲を撃っているに等しい。
言わずと知れた公明党による中国への配慮と、それをひそかに喜んで受け入れる自民党の一部親中派議員が原案を修正したのである。
公明党は1964年の結党以来中国との友好関係を重視してきたが、その行為が現在何を意味するか、考えているだろうか。
日本は2012年以降尖閣諸島に出現した中国海警の公船による脅威を受け、同盟国の米国は中国と全面的な対立に入り、人権抑圧はじめ米欧など民主主義国の建前が踏みにじられているのだ。
自由世界に身を置きながら、ひそかに中国と通じていることを物語る決議自体が自由、人権、法治を尊ぶ国際社会から疑問を持たれないか。
外交に臆病はときには必要だが、卑怯になってしまうことを愁える。
この稿続く。

 


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