文明のターンテーブルThe Turntable of Civilization

日本の時間、世界の時間。
The time of Japan, the time of the world

その畜生道を朝日新聞「論座」メンバーの中島岳志東工大教授は「『大日本帝国化』する中国」と言う

2020年10月09日 10時27分57秒 | 全般
以下は昨日発売された週刊新潮の掉尾を飾る高山正之の論文からである。
本論文も彼が戦後の世界で唯一無二のジャーナリストである事を証明している。
日本国民のみならず世界中の人たちが必読である。
学者の不勉強
台湾総督府土木課員の八田與一は大正5年、南部の嘉南を視察した。 
東京23区の倍はある田園は水利に恵まれずしばしば旱魃に見舞われていた。 
八田は東側の山地にダムをつくり灌漑を施せば壮大な穀倉地帯になり得ると総督府に具申した。 
総工費5400万円。
黒部ダムなら三つはできる巨額だが、大日本帝国は32歳の上本技師の意見を入れてOKを出した。
それが台湾の明日に有用なら、と。 
八田は10年をかけて烏山頭(うさんとう)ダムと用水路網を完成させた。今、嘉南大圳 (かなんたいしゅうと呼ばれる沃野がそれだ。 
八田は台湾の対岸、福建省の水利についてもアドバイスをしている。 
そこを仕切る陳儀は日本と敵対する蒋介石配下の軍人だが、元日本留学組という誼(よしみ)があった。
台湾もよく訪れ、八田の偉業を知って福建に招聘した。 
日本は多少のいさかいがあっても支那の民生には指導を惜しまなかった。 
八田は陥落したばかりのフィリピンでの灌漑事業も国から託された。
当時、米傀儡政権のケソンは国外に逃げ、ホセ・ラウレルや40年前の対米独立戦争を戦ったアギナルド将軍らが新政府を作り上げつつあった。 
日本軍は新政府を手助けした。
その一つとして、灌漑整備を八田に頼んできた。 
しかし彼が乗船した大洋丸は昭和17年5月8日、五島列島沖で米潜水艦に雷撃され、沈没。
八田と一緒にフィリピンの民生に尽くそうとした多くの技術者が帰らぬ人となった。 
日本は戦争中の支那でも民生に力を注いだ。 
外務省は昭和11年、北京に華北産業科学研究所を設立し、支那の農林畜産の改良に人材を投入した。 
世界的な品種となった多収穫小麦「農林10号」やコシヒカリの原種「農林1号」を開発した稲塚権次郎もこの時に派遣された。 
同じ年、支那では西安事件が起きる。
米国に助けられた蒋介石はその意に従って日本に上海事変を仕掛け、泥沼戦争に引き込んでいったが、稲塚はその間も黙々と支那の穀物の改良に取り組み、成果を上げた。 
戦後は支那に拘束されて2年間も苦役させられた。
恩を仇で返す。
蒋介石は文在寅みたいな一面があった。 
アジアの民生に尽くしたのは民間人だけではない。
大日本帝国陸軍もまた現地民の生活を顧慮した。 
南京陥落後、重慶に逃げる蒋介石軍は日本軍の追及を恐れ、花園囗で黄河の堤防を決壊させた。 
日本軍は現地に入ると進軍を止め、堤防の補修をし、糧食を市民に与えた。 
タイからビルマに向かった第55師団は北部タイに道を開き、途中の河川に橋を架けて進軍した。 
川幅が200㍍を超えるパーイ川にも本格的な永久橋を架け、先代のプミポン国王は日タイ友好の証として保存させている。 
欧米軍ならポンツーン(浮き橋)を使うか地元民を駄馬代わりにするか。
「戦地で永久橋」は日本軍が史上初めてだ。 
泰緬鉄道も同じだ。
やがて来る戦後にビルマとタイを結ぶ鉄道がどれほど両国民の発展に寄与するか。 
日本軍は二つの鉄道連隊を軸に1万2000人の部隊を投入。
お手伝いに連合軍捕虜を使ってあの戦争のさなかに全長415kmの鉄路を開通させた。 
白人は「死の鉄道」とか様々な悪評を捏造し、タイには廃線を命じたが、国王は無視し、今もタイ領内で泰緬鉄道を走らせている。 
国王はまた在位60周年の答礼に泰緬鉄道を走ったC-56の黄金のレプリカを日本に贈った。 
日本軍が何をしたか。
これ以上ない証だ。 
習近平はコロナを流行らせ、世界経済を失速させて御免でもない。 
おまけに黄色いシャイロックのように小国の領土を高利のカタとして奪い、ウイグルの民を圧殺する。 
その畜生道を朝日新聞「論座」メンバーの中島岳志東工大教授は「『大日本帝国化』する中国」(「月刊日本」)と言う。 
まだ習近平の方が日帝よりましだと。 
もうちょっとお勉強した方がいいんじゃないかな。


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