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民主主義の基本である自由な議論を行うことを妨げ、議員としての責任を放棄する野党に、立憲主義を語る資格はあるのか。 

2020年07月10日 17時17分52秒 | 全般

以下は前章の続きである。
憲法改正はサボタージュ 
150日間に及んだ通常国会だったが、衆議院の憲法審査会で審議が行われたのはたった1度きり。
参議院では何とゼロ。
実に2年以上、審査会で実質的な審議が行われていないのだ。
新型コロナウイルスの感染拡大を受け、国民から憲法における“緊急事態条項”の必要性を訴える声も多く上がる中、野党側は「まったく不急だ」と言い放ち、審議に応じる姿勢を見せなかった。 
6月11日には、与党側が審査会開催を提案したが、野党側は「参議院で予算委員会の審議を行っている時には審議はできない」と拒否。
さらに安住は、「一方的に憲法審査会を開催しようとした強引なやり方だった。真面目に審査会で議論をしようというよりは、憲法改正を進めようとする勢力に向けたポーズだったのではないか。大変、不愉快な対応だ」と与党側の姿勢を批判した。
では、どうしたら野党側は審議に応じたというのだ。
すべての責任を与党に押しつける、まさに、いちゃもんだ。 
今国会、唯一の開催となった5月28日の審査会で、日本維新の会幹事長の馬場伸幸はこう演説した。 
「メディアの討論番組や国会の予算委員会など、憲法審査会の場外では、憲法論議が活発になされても、本来の土俵はあってなきがごとし。国会の憲法審査会で各党が忌憚なく意見表明する自由討議の場が封じられ続けているのは、異常事態です。この時代に、国権の最高機関に身を置き、憲法について不断に論じるべき国会議員が、惰眠をむさぼっている場合でないことをしっかりと肝に銘じてもらいたい」まさにこの通りだろう。
民主主義の基本である自由な議論を行うことを妨げ、議員としての責任を放棄する野党に、立憲主義を語る資格はあるのか。 
「言っていることと、やっていることが大違い」、何から何まで言行不一致というのが、相も変わらぬ野党の実態なのだ。


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