文明のターンテーブルThe Turntable of Civilization

日本の時間、世界の時間。
The time of Japan, the time of the world

日本はいろいろ他国からひどい目に遭いながら彼らのことを何も学ばず、いつも日本人の真っ正直な感性で対抗してきた

2022年01月15日 17時04分01秒 | 全般

戦後の世界で唯一無二のジャーナリストである高山正之と、梅棹忠夫に匹敵するフットワークで知的生産を重ねている宮崎正弘の対談本である、世界を震撼させた歴史の国日本、は日本国民のみならず世界中の人達が必読。
P114~p118
お雇い外国人ヘンリー・デニソンの裏切り
高山 
日本はいろいろ他国からひどい目に遭いながら彼らのことを何も学ばず、いつも日本人の真っ正直な感性で対抗してきた。
小村寿太郎の外交も同じ。
支那人やアメリカ人のようには平気で嘘をつけない。
そういう日本的感覚で真心外交をやっていればいつかは通じると思い込んでいた。
そこが問題だね。
宮崎 
そうですね。日本人同士で通じることを、そのまま国際的にも通用するだろうと思い込んでいるのです。
それをいいように逆手にとられて。
中国、韓国に対しての謝罪なんてまさしくそうですよ。
国内でやる時は日本人同士、お互いに気心知れているし、日本的価値観でやればいいんだけど、外国へ行く時は、我々はやっぱり人格を多重人格にしないとどうしようもないでしょう。
外交官のプロは、それを一番よく知っておかなきゃいけない。
高山 
その例にヘンリー・デニソンを挙げてみたい。
明治13(1880)年、外務省の法律顧問になって34年回、その職に居坐り続けたアメリカ人。
お雇い外国人としては一番長く、明治から大正までいていまは青山墓地に眠っているけれど、根性は悪徳アメリカ人だった。格好だけで何のアドバイスもしていない。
日清戦争の時も彼が仕切ったが、三国干渉が出されれば交渉もしないで、そのまま呑みましょうだ。
それで、遼東半島から何から全部ただで返してしまった。
宮崎 
ロシアがドイツ、フランスを誘って展開した傲慢な外交でした。
高山 
そんなのを呑ませられた。
日露戦争の時も、小村寿太郎の右腕と称していて、最終的に一寸の領土も一銭の賠償金も取れなかった。
大金を払っているのに、お雇い外国人としての役割を何もしていない。
彼の功績を語る時に「不平等条約を解消した」という。
しかし、それは嘘だ。
この男じゃなくて、ダーラム・スティーブンスという、これは伊藤博文と一緒に、朝鮮をどう処置するかを考えてくれた人物だ。
元駐日米公使で退任後、日本に残って伊藤を助けた。朝
鮮併合に反対で、朝鮮が日本の足手まといになるのを見越していて、距離を置いた保護国にすべきだ、と実務的な指南をした。
その前後に、実は不平等条約の改正も全部、彼が伊藤博文のためにやっている。
ヘンリー・デニソンとは好対照だ。
宮崎 
三十年間も高い金を払い続けながら、日本の中枢に二重スパイを置いていたようなものですね。
高山 
ポーツマス条約の時もデニソンは、セオドア・ルーズベルトとしょっちゅう会っている。
日本のお雇い外国人で、小村寿太郎のために働くべき男がね。
そのルーズベルトとの裏交渉を含めてポーツマスのすべてを記したメモが、実は外務省に残っていた。
それを幣原喜重郎が見つけて、ある時、ヘンリー・デニソンのところに行って、「お師匠様、ポーツマス条約の経緯を詳細に綴ったあなたのメモが見つかりました。
これは我々の外交の手引書にさせて下さい」って見せに行った。
ヘンリー・デニソンは、「ああ、そんなものがあったんだ。メモ書きです」と言って、あの交渉の裏舞台が綴られた文書を、そこにあったストーブの盖を開けて中に放り込んで燃やしてしまった。
幣原の見ている前で。
そんなに重要な外交メモを幣原も真っ正直に持って行った。
文字通り大馬鹿だ。
外交の世界には狐やたぬきが飛び回っている。
それがよくわかったはずだ。
見つけたら、こっそり読んで日本の後輩のために保管しておくべきものだろう。
宮崎 
日本人的外交官の典型だね。
少なくともコピーを持参するべきだったでしょう。
外交官は多重人格的でなければならないという外交センスがないからうっかりと持って行っちゃった。
幣原喜重郎という人は、本当に奇妙なことばかりやっています。
ところでデニソンが外交メモをストーブで燃やしたというのは、誰かそれを書いてるの。
高山 
幣原が自分の自伝で書いている。
宮崎 
結局、最後まで外交というのが何かわからないから、そういうことも平気で書いてしまう。
それは自分の恥だという観念がないわけだ。
高山 
ここで幣原喜重郎の問題を済ませておきましょう。
幣原は第四期外交官試験に合格して、英語はよくできたようだけれども、典型的外交官試験組だね。
外交官試験というのは、小村寿太郎も手伝ってできた制度で、明治27(1894)年に第1回が実施された。
外交官養成のための専門試験なのだけれど、どうも外交官の質はかえって落ちてしまった。
ともかく幣原は最初から最後まで軟弱外交で通した。
あの当時、ヘンリー・デニソンがアメリカ側にいれば、日本側には幣原がいるという、もう実に日本外交の敗北みたいな構図だったわけだ。
あの1922年のワシントン海軍軍縮条約も幣原は日本代表をつとめた。
それで、アメリカの思惑通りに命の綱の日英同盟を断ち切るのを了承したのが、この幣原なんだね。
だから、およそ日本にとって最悪の外交官は、幣原に尽きるね。
それが外交官試験のトップ合格だったんだからね。
幣原は挙句にはマッカーサーが押しつけた戦争放棄と交戦権の放棄を「私が言い出しました」と言っているんだ。
救いようもない。
あれはマッカーサーがローマのスキピオを真似て日本を滅ぼすためにつくったものだ。
何で、幣原がわざわざ日本製ですと言うのか。
幣原の一生は最初から最後まで日本にアダなしてきた。
天性の奸臣だった。
デニソンがメモを燃やしてしまったのも、日本的な感覚でデニソンが自己卑下して処分したと思い込んでいる。
宮崎 
ああ、なるほど日本の役に立たなかったバカだね。
試験秀才が必ずしも実務ができるわけではないという典型例だ。
高山 
幣原には本当に日本は泣かされた。
彼が出てくると、みんな暗転していくわけだよ。
日本の運命がね。

 


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