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少なくとも、斎藤さんに学者としての良心はありませんよ。わたしは『人新世-』を読んで、きわめて悪質な“フェイク”を見つけました。

2021年05月11日 22時55分19秒 | 全般

以下は発売中の月刊誌WiLLに『人新世の「資本論」』をメッタ斬り!と題して掲載されている古田博司と朝香豊の対談特集からである。
日本国民のみならず世界中の人たちが必読。
斎藤さんの悪質な“フェイク”
朝香 
やっぱり彼らは、とにかく資本主義が嫌いなんです。
わたしも左翼でしたから、利潤ばかりを追い求める資本家は正しいのかーという葛藤は理解できます。
ただ現実の資本家が利潤だけを求めているかといえば、そうではない。
たとえば松下幸之助。
彼は関東大震災のとき、被災した東京の取引先について、未回収の売掛金は半分だけにして、これから納める品物の値段は震災前と同じにした。
品不足でまわりの業者が値段を釣り上げるなか、それに追随しなかったんです。
彼がやったことは、マルクスが考えた資本家の行動とはまったく違います。
松下電器の発展をみるまでもなく、利潤第一主義でなくても企業はまわっていく。
「資本家=搾取する悪人」という短絡的な見方は、現実を無視した“頭でっかち”の理論です。
でも左翼はそれに気づけず、資本主義を悪者にしないと学者としての良心が成り立たないと思い込んでいる。
古田 
少なくとも、斎藤さんに学者としての良心はありませんよ。
わたしは『人新世-』を読んで、きわめて悪質な“フェイク”を見つけました。
142頁には、脱成長コミュニズムを実現するためにマルクスにかこつけて、こう書かれている。
《さらに、マルクスは、人々が生産手段だけでなく地球をも〈コモン〉(Common)として管理する社会を、コミュニズム (Communism)として、構想していたのである》
その次に、『資本論』第一巻の末尾の一節が引用されている。
《この否定の否定は、生産者の私的所有を再建することはせず、資本主義時代の成果を基礎とする個人的所有をつくりだす。すなわち、協業と、地球と労働によって生産された生産手段をコモンとして占有することを基礎とする個人的所有をつくりだすのである》(傍線編集部/以下同) 
そして次のように締める。
(地球と生産手段を〈コモン〉として取り戻すというのである!》
朝香 
マルクスが取り戻そうとしたのは、資本家に牛耳られた生産手段だけではない。
地球そのものだ、というんですね
古田 
わたしはどうしても「コモン」と「地球」という言葉が気になったので、大学の図書館に行って『資本論』の原典にあたってみました。
マルクス・エングルス全集から見つけたのが、ハンブルグで1872年に刊行され、1987年に復刊したもの。
ドイツ語はやったことがないけど、漢文訓読法ではじめから読んでいって斎藤さんの引用部分を見つけた。
朝香
さすがに原典は読んだことがないですね。
いかがでしたか。
古田
まず、斎藤さんが「地球」と訳している「Erde」という単語は、「土地」と読むべきです。
たしかにErdeには地球という意味もある。
でも『資本論』には地代について紙幅が割かれているから、土地と読まなければ意味がとれません。
さらに公共財という意味の「Gemeineigenthum」を、勝手に「コモン」と読み替えています。
朝香
なんと!
マルクスは「地球をコモンとして占有する」なんて言っていないんですね。
古田
そう、言っていない!
これは学者の良心にもとる悪質な読み替えで、わたしの研究室にいたら即、破門です。
こんな悪質な手法が広がれば、文系の学問は終わってしまう。
34歳と若いけど、ハツキリと「悪質」だと言っておきます。
そもそも、引用部分は社会主義革命がとにかく起こるという唯物史観の有名な箇所で、それ自体がフェイク。
斎藤さんはそのフェイクにわざと違う訳をつけて、フェイクの上塗りをしたんです。
それに出典には斎藤さんが引用した『資本論』の出版年が書いていないけど、これも研究者としてはまずい。
ちなみに、大内兵衛が監訳した大月書店の『資本論』(第1巻第2分冊、1972年版/1968年初版)は原典に忠実でした。
《すなわち、協業と土地の共有と労働そのものによって生産される生産 ―手段の共有とを基礎とする個人的所有をつくりだすのである》(995頁)
この稿続く。


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