文明のターンテーブルThe Turntable of Civilization

日本の時間、世界の時間。
The time of Japan, the time of the world

国民全体が反省し、一日も早く自衛隊の障害を外さなければ、外国に侮られるだけだ。

2022年03月08日 16時05分18秒 | 全般

以下は発売中の月刊誌「正論」特集 脱・平和ボケに、国軍がないゆえのビクビク外交、と題して掲載されている杏林大学名誉教授田久保忠衛の論文からである。
見出し以外の文中強調は私。
日本国民のみならず世界中の人達が必読。
本論文は正論の中の正論である。
真の愛国者としての田久保忠衛氏が書いた渾身の論文である。
本来、日本国民全員が今すぐに最寄りの書店に購読に向かわなければならない論文である。
私の本章が、出来るだけ多くの日本国民に届くことを切に願う。
私の各国語へ翻訳は各国の中枢に届くはずだと私は確信する。
21世紀最高の論文の一つである。
口先だけで大きなことを言うのは自由だが、軍事力の基本を米国に依存しただけの国家は国の形としては片肺だ。
日本で高度成長時代に宏池会が中心になって謳歌した「軽武装・経済重視」はとどのつまり、現在の日本を形づくった。
外交、防衛という国の運命にかかわる問題については米国に相談し、政治家は与野党おしなべて「日米同盟の強化」「対中抑止力の強化」を鸚鵡返しに繰り返す。
具体的には対中抑止にどれだけ効果があるかわからぬ程度の防衛費を増やすほかにこれといった手立てはない。
日本の運命を決める選択肢は「日米同盟」以外には全くない。
生殺与奪の権を握られた米国に対しては一顰(いっぴん)一笑を気にする。
米国がアフガニスタン、次いでイラクに軍事介入していたころに、中国は力による現状変更を企て、南シナ海、東シナ海に進出し、インドとの国境で不穏な動きを示した。
地政学的な位置を占める日本としては、この中国とことを起こしてはいけないとの一種の恐怖心が働くのだろう。
中国の対日工作も効果を上げているのかもしれない。
日本外交は極端なまでに神経質になっている。
いわゆる慰安婦、徴用工、佐渡島の金山問題などをめぐる韓国の執拗な言いがかりに辟易した日本政府は不動の覚悟を決めているかどうか。
北朝鮮は今年に入って1月30日までに7回ものミサイル発射実験を行った。
日本が射程に入るミサイル実験を目の前で実施されても空虚な「厳重な抗議」や「国連決議違反」を繰り返すだけだ。
関係するあらゆる国に神経過敏になるのは当然としても、とるべき道のない日本はビクビク外交を続けるしかない。
幻の「対中非難」決議
佐渡金山の国連教育科学文化機関(ユネスコ)世界文化遺産推薦が決まった翌日の1月29日付地元新潟日報は一面トップに「見送り検討から一転」の見出しを使った。
予期していなかったにもかかわらず、「見送り」がよく「推薦」に変わったとの驚きが浮き出ている。問題は社説だ。
今後韓国の反対で当然ながら困難が予想されるが、この社説は初めから及び腰だ。
「強制労働を巡る韓国側の心情は理解できるが、推薦された佐渡金山の対象時期は江戸時代までだ」と韓国側にすでに同情の意を表している。
歴史認識問題研究会(会長=西岡力)が同じ新聞の意見広告で明示しているように、佐渡金山で動員された朝鮮人労働者は1519人で、この3分の2にあたる1000人は「募集」に応じた人たちである。
あとの500人は「官斡旋」か「徴用」で渡航したが、これは合法的な戦時労働動員で、韓国が言う「強制労働」は存在しない。
当初岸田文雄首相は推薦に慎重だったが、問題は新潟日報がいみじくもつけた見出し、「曲折の末に『逆転』」した。
それ以前に日本政府は「朝鮮人労働者の戦時動員は強制労働に関する条約上の『強制労働』には該当していない」との閣議決定をしたはずではなかったか。
関係国の反対があるかぎり登録できないといわれるが、他意のある「反対」を気にしなければならない理由はない。
時期を同じくして衆院は2月1日の本会議でようやく「新疆ウィグル等における深刻な人権状況に対する決議」を賛成多数で可決した。
自民党の原案が長い時間をかけた調整の結果、焦点をいかにもぼやかしたような内容になってしまったいきさつは、各マスメディアが報道したとおりだから再述しない。
ただ、この長い決議は新疆ウイグル、チベット、南モンゴル、香港などにおける信教の自由への侵害や強制収監をはじめとする深刻な人権侵害に触れているものの、主語が抜けている。
「国際社会から懸念が示されている」と書くだけで、状況の説明が多い。
主語のあるのはたった一箇所「本院は、深刻な人権状況に象徴される力による現状の変更を国際社会に対する脅威と認識するとともに、深刻な人権状況について、国際社会が納得するような形で説明責任を果たすよう、強く求める」と述べているにすぎない。
決議が拠り所とする国際社会はこぞって中国を名指しで非難しているにもかかわらず、肝心の「中国」も「非難」も存在しない。
闇に向かって鉄砲を撃っているに等しい。
言わずと知れた公明党による中国への配慮と、それをひそかに喜んで受け入れる自民党の一部親中派議員が原案を修正したのである。
公明党は1964年の結党以来中国との友好関係を重視してきたが、その行為が現在何を意味するか、考えているだろうか。
日本は2012年以降尖閣諸島に出現した中国海警の公船による脅威を受け、同盟国の米国は中国と全面的な対立に入り、人権抑圧はじめ米欧など民主主義国の建前が踏みにじられているのだ。
自由世界に身を置きながら、ひそかに中国と通じていることを物語る決議自体が自由、人権、法治を尊ぶ国際社会から疑問を持たれないか。
外交に臆病はときには必要だが、卑怯になってしまうことを愁える。
無法国家に対し正論貫け
そこで気になるのがウクライナ情勢だ。
国境に集結した13万のロシア軍が侵入するかどうか、米国もNATO(北大西洋条約機構)も息をひそめている。
米欧にとっては第二次大戦後最大の緊張感の中で、いざというときの万全の対応を準備しているのが現状である。
米国は先端技術の対ロ輸出規制や金融制裁措置などをとる方針だ。
尖閣諸島などで中国の脅威を受け、人権決議で「力による現状の変更を国際社会に対する脅威と認識する」と衆院本会議で決めた日本は先進七力国(G7)の一員として立場をなるべく早く明確にする必要があろう。
その場合、ロシアはどのような反応を示すのか。
現にガルージン駐日ロシア大使は2月2日に都内の日本外国特派員協会での会見で、日本が対口制裁を発動すれば日口善隣友好の精神に反すると述べ、「日本の責任ある対応を心から期待する」と強調した。
脅しである。
1月21日のテレビ会談で、岸田首相はバイテン大統領と「強い行動」に向けて調整すると述べたが、これに対してガルージン大使はすかさず牽制した。
日本が「強い行動」に踏み切った場合、北方領土問題には影響は出ないか。
北方の軍事情勢に変化がないとは考えにくい。
日本外交はどうするのか。
日本の自衛力を軽く見ているロシア軍の不当な動きがあったときに、政府はまた耳に聴きあきた「抗議」を繰り返すだけなのか。
誰もが思い出すのは北京冬季オリンピックに対する岸田首相の態度だ。
バイテン大統領が北京オリンピックに政府関係者は派遣しない方針を表明した際に岸田首相は「アメリカが北京オリンピック、パラリンピックを外交的にボイコットするということを発表したことを承知している。
わが国の対応は、オリンピックの意義、さらにはわが国の外交にとっての意義などを総合的に勘案し、国益の観点からみずから判断していきたい。
これがわが国の基本的な姿勢だ」と述べた。
総合的に判断するなどといかにも思慮深そうな表現をしているが、外交ボイコットを米国に続いて実施するかどうかの最終判断を首相はしたのか。
ぎりぎりまで、ああでもない、こうでもないと考えた末に、政府代表団の派遣は見送る代わりに日本オリンピック委員会(JOC)の山下泰裕会長と東京五輪・パラリンピック組織委員会の橋本聖子会長ら五輪関係者の出席にとどめる案を練り出した。
米国に対しては「外交ボイコット」に近い案を出したと釈明し、中国に対しては「外交ボイコット」は中国の気持ちを察して実施しませんと言い逃れるつもりだったと推測できる。
中国と貿易をしている財界の首脳の中には「独自性の表れだ」などと評価する向きもあったが、首相への皮肉ではなく、本気の発言らしい。
米国と歩調を合わせたのは英国、豪州、カナダ、リトアニアだった。
米国の鼻息を窺い、中国の機嫌を気にして両方を怒らせないことに腐心するのがうまい外交手腕なのか。
新疆ウイグル自治区で行なわれている非人道的な行為に反対の声を上げるという最大の目的を忘れている。
正論を貫き、それによって生じた摩擦を処理するのが筋道ではないか。
しかし、このような主張はいまの日本では書生論と笑われるだけだろう。
国防が行政機関
米国、中国、ロシア、韓国、北朝鮮に囲まれてビクビク外交を続けている根本の原因は、日本がこれらの国と異なる性格の国柄だがらである。
どこがどう違うかと問われれば、外交と並んで車の両輪であるべき国軍が日本には存在しないからと答えないわけにはいかない。
世界でも有数の精強な実力を持つ自衛隊にはまことに気の毒だが、戦後の自衛隊の歩みは謂れのない茨の道だった。
ズバリ言えば、日本は国家の中で軍隊の占める位置を自衛隊に与えていない。
この点については、外交官出身で防衛関係と国際法の大家である色摩力夫氏が、かねてから説いてきた主張を『国防と国際法』(グッドブックス社)でまとめている。
いかなる国でも主権の体現であるべき国防は立法、司法、行政と並んで第四権であるにもかかわらず、自衛隊は行政機関に属する。
出自は1950年の朝鮮戦争直後に治安の維持と防衛を目的とした警察予備隊に始まる。
警察予備隊は2年後に国防を主務、警察を副務とした保安隊となり、54年に自衛隊になった。
従うべき法体系は警察法体系であるから、いわゆるポジティブ・リストによっていちいち法律に基づいて行動しなければならない。
つまり、国家機関であるべき国防が行政機関になっている。
こんな国がほかにあるのかと憤る政治家はいない。
色摩氏は軍隊と警察の違いを3つ挙げている。
第一は右に述べたとおり、軍隊は自律的なプロ集団で、時の権力から一定の距離を置いているが、警察は行政機関であるから政府そのものだ。
第二は権限の規定の仕方が根本的に異なる。
警察はポジ・リストだが、軍隊はネガティブ・リストで、してはならない項目が列挙され、それに該当さえしなければ自由に行動できる。
第三に警察は国家の領域内の仕事に従事するが、軍隊は国家防衛のため機能を他国に向ける。
現憲法の下で警察法体系の厳然たる枠をはめられた中で、自衛隊が現在のように事実上の軍隊になるためにどれだけの努力を払ってきたか。
国民全体が反省し、一日も早く自衛隊の障害を外さなければ、外国に侮られるだけだ。
たまたま防大の第一期生、二期生と同年で、交友関係もあったから言っておくが、彼らの学生時代あるいは現役時代に「税金泥棒」などの無礼を堂々と囗にする人がいかに多かったか、有事法制のできる前の1978年に当時の統合幕僚会議議長だった栗栖弘臣氏が「第三国の攻撃を受けたら、自衛隊は逃げるか、超法規的措置をとらざるを得ない」と述べただけで、当時の金丸信防衛庁長官は栗栖氏を解任してしまった。
強直で冷静な栗栖氏は「自分の意見が長官と合わなかったから辞任するのだ」と述べていた。
世論も自民党も「シビリアン・コントロール」の大合唱で、内局の一課長が自分のデスクに足を乗せて「栗栖を切ったのはオレだ」とえらそうにしていた。
それを批判する世論も少なかった。
シビリアン・コントロールの好例は51年のマッカーサー連合国軍総司令官の解任だ。
大統領候補にまで擬せられ、絶大な権限を持ったマッカーサー将軍が全面勝利を唱え、戦いを朝鮮半島に収めたかったトルーマン大統領と衝突し、大統領はシビリアン・コントロールに則って将軍を解任した。
一行政機関の長である栗栖統幕議長は行政機関の一員であって、正論を述べただけだ。
マッカーサーに比べて栗栖氏はどれだけの権限を持っていたのか。
有事法ができたのはこの事件後何と25年経ってからだ。
自衛隊を戦前の軍隊に見立て、シビリアン・コントロールに反するとか、「専守防衛」違反だと騒いで、これでもか、これでもかと痛めつけてきたのは一体何者なのか。
一時はひどかった防衛庁内局の自衛隊コントロールは大分是正されたといわれるが、政軍関係を「外国並み」に持っていかなければ周辺諸国になめられる惨めな状況はいつまでも続く。
この稿続く。


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