以下は前章の続きである。
「主権国家には自然権として自衛権あり」との理由づけで自衛隊を弁護するのも間違いだ。
その前に、「民兵のゲリラ戦では自国を守れない」、「ガンディ流の非暴力不服従をつらぬくのは無理である」そして「国家主権をみずから進んで放棄して他国の保護領となる道には、国家の恥辱であるからには、入れない」とみなすのでなければ自衛隊という名の政府軍を正当化することはできない。
そればかりか、9条第2項の「前項(侵略の禁止)の目的を達するため」という限定句が笑止千万の文章である。
「侵略をしないでおくために非武装・不交戦」というのは、次の二つのいずれか(あるいは両方)をしか意味しない。
一つは「日本人は大馬鹿なので侵略と自衛の区別がまったくできない」、二つは「日本人は野蛮きわまるのでかならずや自衛を口実に侵略をやる」ということである。
百歩下がって、その通りだとしても、そんなことを明文にして国家の表玄関に掲げて立国するのは、日本人の恥さらしであるだけでなく、国際社会にとって迷惑である。
むろん、自衛と侵略の区別が難しいことは認めなければならない。
しかし、今度のイギリスにおける(米英のイラク攻撃にかんする)自己批判報告がそうであるように、「よく調べれば侵略と自衛の区別は可能である」。
またそれを可能としなければ、世界は単なる「弱肉強食のジャングル」となる。
国際関係が「社会性」を失って国際社会が消失してしまうということだ。
憲法段階で「侵略は駄目だが自衛は結構」としておき、そして自衛のための「海外派兵」が必要かどうかなんかは国際情勢の如何による、とみる常識に立ち戻ればよいのである。
この稿続く。