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太陽光発電義務化の愚…いま、世界における太陽光発電用の多結晶シリコンの80%は中国製だ

2022年07月03日 14時55分30秒 | 全般
以下は前章の続きである。
豊かな都民のツケが全国民に 
東京都は5月24日に住宅への太陽光パネル設置義務化の条例案をまとめた。
大手住宅建設事業者に対して、販売戸数の85%以上に太陽光パネルの設置を義務付けるとのことで、新築住宅の半数強が対象になるとみられる。 
国土交通省の資料を見ると、建築主は150万円の太陽光発電システムを設置しても、15年で元が取れるという。
だがここにはカラクリがある。 
太陽光発電システムを設置する建築主は、自家消費分の電気代を減らしたり、電力会社に売電をしたりして、高額な収入を得ることができる。
売電時には、電力会社が高く買い上げる制度がある。 
けれども、本当は太陽光発電の価値はもっと低い。
よく1キロワットの電気1時間分の発電コストを比較して、太陽光発電は安くなった、という意見を聞く。 
だが電気は欲しいときにスイッチを入れて使えるからこそ価値があるのだ。
電気を使う側としてはもちろん天気によらず昼夜を問わず電気は必要だ。
だから、太陽光発電を導入しても、太陽が照っていない時のために、火力発電の設備はやはり必要だ。
太陽光発電は必然的に二重投資になる。 
すると太陽光発電の価値というのは、日が照っているときに火力発電所の燃料消費量を減らす分しかない。これを回避可能原価という。
経産省の発電コスト試算によれば、石炭火力とLNG火力の燃料費は平均してだいたい1キロワットを1時間で5円程度と見通されている。 
これが太陽光発電のお陰で実際に節約できる発電コストになる。
これは15年の累積で50万円にしかならない。 
つまり150万円の太陽光パネルを購入すると、建築主は15年で元が取れることになっているが、じつは発電される電気の価値は僅か50万円しかない。
残りの100万円は再生可能エネルギー発電促進賦課金や電気料金の形で一般国民の負担になる。 

「東京に日当たりも良く広い家を買って、理想的な日照条件で太陽光発電パネルを設置できるお金持ちな人が、一般国民から100万円を受け取って太陽光発電を付け、元を取る」というのが、「太陽光発電義務化」の正体だ。 
なお以上の計算では、太陽光発電による自家消費削減分まで5円しか価値がないとしているが、これに違和感を覚える方もいるかもしれない。
家庭電気料金は通常25円程度するからだ。
だがこの25円という料金は、何時でもスイッチを入れれば電気が得られるという「便利な電気」の料金だ。
この内訳としては火力発電所があり、原子力発電所があり、送電線があり、配電線があり、その建設・維持のための費用がその大半を占めている。
25円と5円の差額である20円がこれにあたる。
この費用はいくら太陽光発電を増やしても全く節約できない。
 
もしもそれでも納得できなければ、文字通り電線を切ってしまって、配電線から自宅を「電気自立」させてみることを想像するとよい。
そうすると晴れているときしか電気は使えないので、ふっうの家庭生活はまず送れなくなる。
バッテリーを沢山買って電気を貯めておくとすると、更にもっと費用がかかる。
一週間曇天でも常時電気を使えるぐらいバッテリーを買っておくとなると、25円などよりも桁違いに電気代は高くなってしまうだろう。
こう考えると、スイッチを入れればいつでも使える便利な電気が25円というのはとても割安だ。
太陽光発電義務化の愚 
だが家を買える人がみな元を取れる訳でも無い。
東京に家を買うという場合、大抵はギリギリの敷地に、建蔽率や容積率等を考慮してパズルのように家を建てる。屋根の向きも思うに任せない。
太陽光発電のためには南向きに程よい傾斜になった広い屋根が望ましいが、そんな家を建てる余裕がある人はどれだけいるのか。

85%の住宅に義務付けるというが、思ったほど発電できなければ、建築主も損をする。
結局のところ、庶民は、家を買っても買わなくても損をするのではないか。 そもそも、そこまでして太陽光パネルを導入すべきか。 
いま、世界における太陽光発電用の多結晶シリコンの80%は中国製だ。
そして、その半分以上が新疆ウイグル自治区における生産であり、世界に占める新疆ウイグルの生産量シェアは実に45%に達する。
いま太陽光発電を義務付けることは、ジェノサイドへの加担になりかねない。米国は既に法律によってウイグル製品を全て輸入禁止にしている。 
さてこの住宅への太陽光パネル義務化の話は、もともと国交省で検討していたところ、無理があるとして見送られたものだ。
小池百合子都知事は国がやらないとなると、ますます張り切るということだろうか。
だがそれよりも、国ができなかった新疆ウイグル自治区におけるジェノサイドの非難決議をした上で、新疆ウイグル産の製品の輸入禁止を国に訴えてはどうか。
この稿続く。





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