文明のターンテーブルThe Turntable of Civilization

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マスコミ関係者A 「西部さん、私たち社会党支持です。社会党政権の誕生を望んでいます」 私 「それは結構ですが、どういう理由で社会党を支持なさるんですか」

2019年06月26日 22時43分15秒 | 全般

以下は前章の続きである。
マスコミを幾重にもおおう紋切型の文体 
たとえば、ある酒場でマスコミ関係者四人ばかりに誘われて酒席を同じくしたことがある。
マスコミ関係者A
「西部さん、私たち社会党支持です。社会党政権の誕生を望んでいます」

「それは結構ですが、どういう理由で社会党を支持なさるんですか」


「西部さんも昔左翼をやっていたから知っているでしょうが、今のソ連を見てもわかるように一党独裁はいけませんよ、一党独裁は!」

「それはよくないですが、ソ連の場合は共産党以外の存在を許さず、国民にも投票させないというかたちでの一党独裁ですし、自民党の場合は国民が投票した結果の長期安定政権です。ちょっと違うんじやないかな、というより全然違うんじゃないかな。'自民党の一党支配打倒'と叫ぶことは、'国民打倒'と叫ぶのと同じことになりますよ」

「そんなこといったって、単独はよくないよ、単独は」

「たしかに単独はいいとはいえませんね。ところで皆さんにはお子さんがおられるでしょう。子供が単独の友人しかもっていないと、人格上の歪みも出るかもしれないから、複数の友人をもってほしいと思う親の気持ちはよくわかります。しかし息子の二番めの友達がスリとかカッパライだとしたら、複数だからいい、とはいえませんでしょう。社会党はいい政党だということを積極的にいわずに、単独反対だけではちょっと弱い議論ですよ」

「ともかく初体験はいいもんなんです。社会党政権を初体験として迎えようじやありませんか」

「……ところで皆さん、オカマをほられたことがありますか。私もありませんがね。この店を一歩出るとオカマバーがたくさんあります。でも僕は初体験をしにいこうとは思わないなあ」 
こんな酒場の会話それ自体はどうでもいいことであるが、ここで指摘したいのは、一流のジャーナリストと目されている人々が、一党独裁反対、単独政権反対、初体験歓迎といった種類の、聞こえはいいが、ちょっと思考をはたらかせれば何の意味もない言葉だけを頼りにして、日本政治にかんする自分たちの判断を組み立てているという事実である。 
これらの言葉を紋切型の文体というのなら、紋切型は少なくないどころではない。
マスコミを幾重にもおおっているのがこの種の紋切型文体なのである。 
いつぞやある大学で助手が学部長を惨殺するという事件があったとき、各紙の見出しに「衝撃、キャンパスを走る」とあった。
ちょうど夏休みの時期であった。
大学の教師であったことのある私は、夏休みのキャンパスがいかに閑散としているかをよく知っている。
あの静かなキャンパスのなかを、いかにすれば「衝撃が走る」のか、私には想像がつかない。
さらにいうと、紋切型も文法的に正しく表現されていればまだ救いはあるのだが、ときとして間違った紋切型すらみられる。
これはかなり前の話だが、ある新聞に「埼玉県議会、みだらな決定」という見出しが載った。
私は埼玉県議会がポルノの解禁でも決議したのかと本文を読んでみると、本文にも「みだらな決定」と表現されている。
ところが内容は「みだりな決定」ということなのだ。
つまり昨日決めたことを今日覆し、また明日には逆の決定を下そうとしているというふうに決定が二転三転にしたことにかんする報道なのだ。
「みだり」と「みだら」の区別すらできないような新聞記者もいるのである。 
もう一つ。つい最近、リクルート裁判がはじまったとき、ある被告の大きな写真が掲載されており、その下に「不安気な、緊張した顔」というキャプションがついている。
しかしその写真の人物は恰幅よく傲然とあごを上げていて、どうみても不安気ではないし、緊張している様子でもない。 
要するに、裁判所に入る被告の顔は不安気で緊張していなければならない、という紋切型が繰り返されてるだけのことなのだ。
またそうしたキャプションをつけることによって、その被告は自分の罪に脅えているということをほのめかし、かくして犯罪は実在するという予断を読者に与えようとしているのである。
次に、もう少し具体的な論点にふれてみよう。
この項続く。


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