文明のターンテーブルThe Turntable of Civilization

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マルクスバカもいい加減にしろ…二人の共産主義者は、マルクス唯物論者のストーリで、エピクロスを訳したのだった。 

2019年07月06日 21時55分45秒 | 全般

以下は前章の続きである。
マルクスバカもいい加減にしろ 
それで、こういうギリシア哲学のすごさは、13世紀以後イスラムを通じて西欧に還流するまでは忘れ去られていたのだから、ぜんぶ古代エジプト文明や古代アッシリア文明同様、「失われた古代文明」だった。
それで、古代エジプト文明は死者崇拝(祖先崇拝ではない)で、古代アッシリア文明は星辰崇拝だったので、全然近代を開くには役に立たなかったのだが、古代ギリシア文明だけは大いに役に立ったのである。 
言い忘れたのだが、私は社会科学者で、政治学者なので、こういう酷薄な物言いをする。
社会科学では、良い研究であればあるほど、時間が冷酷を運び、空間が殺伐を広げ、人間が「えげつなさ」をもたらす。
苦痛な学問だが、近代以後の世界認識を大衆に供するには、この学問しか方途がないのである。
人文研究の方は、必ず下火になる。
「この地上では、気高いものや厳かなものは、もう生まれない」(これは去年の産経新聞「正論」11月5日付に書いた)。
だからそれを動機とする学問は、取捨選択して役に立つものを選んで残していくのがベターだろう。
そしてそうなりつつある。
中国哲学や日本古代史などは、もう学生が来ない。 
さて、エピクロスのその後だが、16世紀頃にデモクリトスらと共に原子論者として括られ、17世紀には南仏のガッサンディが神による原子の創造という形でキリスト教風に粉飾したが、彼の意に反して17世紀後半にはアンチ・クリストとして広まり、それが英国にわたったらしい。 
原子論は古代ギリシア哲学の自然研究の一部であるが、眺望主義で見れば全然科学とは言えない。
その後哲学的科学は、ガリレオあたりで全部捨てられて、近代科学に取って代わられるのだから、社会科学から見ればどうでも良いことである。
第一、エピクロスの自然理解を見れば、雷を語って「巻き上がる火はますます激しく風を含み、これに煽られ、雲を炸裂するからである」など、まったく下らないことが分かる。
それよりも重要なことはそれに続いて、自然研究には「神話だけは遠ざけるべきである」(『エピクロス教説と手紙』55頁)と言っているところである。
こちらの方が因果ストーリとして生きた。 
17世紀後半に、反宗教と解されたが、これも誤読である。
エピクロスは神を信じたが、祈っても助けてくれないよと、本当のことを言っただけである。
で、そのままイギリスにわたったが、ここでは良い人たちに出会った。ホッブズの『哲学原論』第二巻「人間論」で、快・不快、善悪について延々と述べられている一節に、「科学もしくは学芸は、善である。というのは、それは快だからである。……他人の書いたものを基礎として事物の原因を論ずる者たちは……時には悪でさえある。なぜならば古代の誤りを固定することによって、真実への道を妨害するからである」(柏書房、2012年、683頁)。 
これがエピクロスがドイツで出会ったマルクス、その学位論文「デモクリトスの自然哲学とエピクロスの自然哲学の差異」だった。
マルクスは自分の唯物論の基礎としてエピクロスの古代の誤りを接ぎ木したのである。
その結果どのようになったか。
岩波文庫版『エピクロス 教説と手紙』の訳者、出隆(東京帝国大学教授)と岩崎允胤(一橋大学教授)という二人の共産主義者は、マルクス唯物論者のストーリで、エピクロスを訳したのだった。
「(エピクロスは)この原子論的な神々の宗教においても、マルクスにさきだつフォイェルバッハたるより以上ではありえなかった」(解説)。
今日では大爆笑となり、二人は死後歴史的な恥をかいたのである。 そもそも信じられないことだが、日本の社会科学者たちは、マルクス『資本論』の次の一節、「生粋の俗物、ジェレミ・ベンサム、この、19世紀の平凡な市民常識のおもしろくない知ったかぶりで多弁な託宣者」(大月書店版、一巻二分冊、795頁)の一言を信じて、以後ベンサム研究を一切しなかったのである。

 


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