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鶴見俊輔、倉田令二朗、吉川勇一ら…「任氏逮捕に抗議し、亡命を政府に要求する」の訴えを発表。

2021年05月18日 09時54分30秒 | 全般

1975年のある日、日本医大学友会室に鹿児島までの汽車賃が無いといって寸借に現れた男がいた。国民保険証書を差し出し担保にするからしばらく貸してくれという、」と題して2019-01-22に再発信した章である。
鶴見俊輔、倉田令二朗、吉川勇一ら、任錫金問題で学士会館に於いて記者会見、「任氏逮捕に抗議し、亡命を政府に要求する、と題して2017-01-10に発信した章が、2019-01-22、gooで検索数ベスト10に入っていた。
この章は日本国民全員が再読すべき章である。
朝日新聞、NHK、べ平連…こういう連中が、どれほどの阿呆だったのかが完璧に分かる事実である。
彼らが如何に朝鮮半島に鴨られて来たのか…彼らの自虐史観…そこから生じている反日思想が、如何に朝鮮半島に利用されて来たのかが、馬鹿馬鹿し過ぎて涙が出るほどの実態である。
これ以上ない阿呆で、情けない、日本の所謂文化人達の、似非モラリズムの実態を、これほど完璧に露にした論文は、滅多にない。
今、この論文が伝えてくれる真実は、日本と日本国民のために、世界のために強烈な光を放っている。

私が高校生時分に何故あれほど芥川龍之介に傾倒したのか…社会人となって大分経ったある日、突然、その理由に気が着いた事は既述の通り…。
我が母校の図書館が毎年発行していた素晴らしい冊子に、恒例の宮城県の読書感想文コンクール用に何か書けと命じられた私は彼の「羅生門」を書いたほどだったのだが。
この労作を私たちのために人類史上最大の図書館であるインターネットに掲載してくれた方は、私と同様に芥川龍之介の愛読者であるに違いないと思った。
この労作の最後の終わり方が、まるで「羅生門」だったからである。

「後日に書く論文の検証のために本多勝一を再検索してみた。」で始まる章で、私は任錫均という名前を初めて知った。
人類史上最大の図書館であるインターネットで調べてみれば、瞬時に、以下の貴重な論文が現れた。

自治会室に詐欺師が現れても不思議なことではない。
1975年のある日、日本医大学友会室に鹿児島までの汽車賃が無いといって寸借に現れた男がいた。
国民保険証書を差し出し担保にするからしばらく貸してくれという。
しばらくの後に学友会費から貸し与えて、保険証は持たして男は立ち去った。
そのまま男は姿をくらましたが、会計に穴を開けた処理はどうなったか、それは聞いていない。
1969年に京大出版会から<朝鮮問題叢書1>『大村収容所』朴正功(任錫均)著が発刊された。
朴正功(任錫均)は李承晩によって刑場の露と消えるところを逃げおおせて玄界灘を渡って来た南朝鮮の革命家であるという触れ込みで、私を支持するものは革命的であり、支持しないものは反動であるとアジって学生の間を回った。
セクトなどは競って革命的に支持を表明したのではないだろうか。
北朝鮮をスターリニストの地とする評価は強く学生を覆っていたから、南からの革命家の出現は諸手を挙げて迎えたいところだった。
そのうちに、彼が大村収容所宛てのカンパを私物化しているとか、女子学生に日本民族は朝鮮支配の原罪をしょっている、言うことを聞けば革命的とかで、勝手な振る舞いをしているとかが聞こえてきて、私の方にも京都から問い合わせがあったがその頃には姿を見かけなくなっていた。
北海道に妻がいるとも聞いた。
彼の別名だろう、『任錫金を支持する会』は1969年4月10日に京都・楽友会館で発足、40人が参加をしたとされ、8月23日、任錫金は再収容され、京都べ平連などが神戸入管に抗議した。
25日に関西各地のべ平連、華僑青年闘争委、中核派など、神戸入管前で500名が2回のデモをして2名逮捕。
鶴見俊輔、倉田令二朗、吉川勇一ら、任錫金問題で学士会館に於いて記者会見、「任氏逮捕に抗議し、亡命を政府に要求する」の訴えを発表。
27日に 任錫金、仮釈放。
28日、札幌、東京、神戸、福岡などで任錫金問題の集会、デモ。神戸では1200名が参加、8名逮捕される10月10日、京都円山公園に関西各地から1万人参加の集会で任錫均の挨拶。
同氏のその後の顛末は知らない。

 


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