文明のターンテーブルThe Turntable of Civilization

日本の時間、世界の時間。
The time of Japan, the time of the world

国連安保理常任理事国が時代錯誤な侵略戦争を仕掛けて平和を破壊し、専制と隷従、圧迫と偏狭を世界にもたらしているのだから。 

2022年05月26日 21時47分53秒 | 全般

以下は、今日の産経新聞に、平成=ポスト冷戦からの脱却、と題して掲載された、文化部 磨井慎吾の論文からである。
日本国民のみならず世界中の人達が必読。
時計の針が一気に進んだかのように、ある日を境に時代が急に変わることがある。
今年2月に始まったロシアのウクライナ侵略と、それを受けての国内思潮の変化は、まさにそのような出来事だった。
なにしろ、第二次大戦後の国際秩序を担う立場である国連安保理常任理事国が時代錯誤な侵略戦争を仕掛けて平和を破壊し、専制と隷従、圧迫と偏狭を世界にもたらしているのだから。
戦後日本の前提だった「平和を愛する諸国民の公正と信義」への国民の信頼は、いよいよ揺らぎつつある。 
約30年続いたポスト冷戦という比較的平穏な「戦間期」が終わり、世界は緊張と不安定の時代に入ろうとしている。
これからどのように新たな国際秩序が形成され、そこへ日本はどう臨むべきか。
そうした問題意識に基づく議論が、今月号の論壇誌では多く見られた。
この問題について最も充実した特集を組んでいたのはVoice。
巻頭の「歴代統合幕僚長に問う『国防』の未来」は、河野克俊・岩崎茂・折木良一という過去3代の自衛隊統幕長を集め、国際政治学者の岩間陽子の司会で鼎談(ていだん)するという豪華企画だ。 
前統幕長である河野は「今回のウクライナ戦争は第二次世界大戦後の価値観を覆す一大転換」として、2点を指摘する。
ひとつはNPT(核拡散防止条約)体制の崩壊で、この条約で米露英仏中の5力国のみを核兵器国としたのは 「『責任ある立派な大人』であることが大前提の話」であるにもかかわらず、実はロシアという「『責任ある立派な大国といえない国』が紛れ込んでいたことが証明された」。
そしてもう1点、核戦争の可能性がある場合、米国は軍事介入しないことを世界が知ったと述べる。 
歴代3統幕長に共通しているのは、従来の「専守防衛」の枠内での防衛力整備ではもはや周辺国の軍拡に対応しきれないという現場からの厳しい認識と、主権者である国民は非核三原則なども含めた安全保障政策の根幹部分について議論してほしいと切望する姿勢だ。
では、具体的に当面どのような政策を取るべきなのか。
同じく同誌から、核・ミサイル防衛政策の専門家である村野将(まさし)の「リソース制約下での日米の防衛戦略」が、中国に対してすでに軍事的劣勢に立たされている日米が取り得る対抗策として、中距離 弾道ミサイルの配備推進という道筋をロジカルに示している。  
文芸春秋の座談会「日米同盟VS.中・露・北朝鮮」も、元陸将の山下裕貴、中国研究者の阿南友亮(ゆうすけ)、軍事アナリストの小泉悠、元国連・北朝鮮制裁委員会専門家パネル委員の古川勝久という充実の顔ぶれ。
話題は台湾有事、北朝鮮への対処、経済安全保障など多岐にわたる中で、小泉の「中国との相互依存を見直すとすれば、それは『平成的』なライフスタイルを反省して見直すということです」「ハイブリッド戦争になれば、敵は社会の分断や、そこに燻(くすぶ)る不満の火種を徂ってくる。
人々がいつも不満を抱えてお互いにギスギスしている社会は、情報戦に脆弱(ぜいじゃく)な社会です。
一日も早く平成的な思考から脱却し、みんながある程度は豊かで、大らかでいられる社会を目指すこと。
これもまた安全保障の課題なのだと思います」という結びの発言は印象的だった。  
日本のSNSでロシアのプロパガンダを拡散しているアカウントのほとんどは、新型コロナウイルスのワクチンにも否定的だったという計算社会科学者の分析もある(鳥海不二夫「ツイッター上でウクライナ政府をネオナチ政権だと拡散しているのは誰か」Yahoo!・ニュース個人)。 
格差が拡大し、社会に不満を抱く人々が増えれば有害な陰謀論が蔓延(まんえん)し、外国の工作の標的にもなる。社会の面でも、従来の日本の仕組みの転換が求められているのだろう。 
一方、今回の危機を生んだ張本人である露大統領のプーチンについては、そのあまりに非合理的で自滅的な判断ぶりから、さまざまな臆測がささやかれている。
もっともらしく聞こえるのは、極右思想家のアレクサンドル・ドゥーギンや戦間期の亡命反動思想家のイワン・ィリインに傾倒した結果だという説明だが、ロシア地域研究者の浜由樹子の「『ドゥーギン=陰のメンター』説を解体する」は、そうした思想主導の見方を批判する(現代思想臨時増刊号)。 
そもそも、20年以上続くプーチン政権には一貫したイデオロギーが見当たらない。
たしかに2012年からの第3期以降は保守化傾向が強まっているものの、「そこを貫くイデオロギー要素があるとすれば、反リベラリズムと愛国主義くらいのものだろう」「この二つがプーチン・ロシアのイデオロギーの『主流』であるとすれば、それ以外のアイテム、例えばネオ・ユーラシア主義、地政学、文明論、『ルースキー・ミール』概念、一九世紀のスラヴ主義思想、イリインの反動思想等は、同体制がその都度必要に応じて使い分ける『支流』に過ぎない。
ドゥーギンのネオ・ユーラシア主義が先行してイデオロギーが形成されたわけではない」として、プーチンの行動指針になっている思想家を探し当てて政権の狙いを読み解こうとするアプローチの無益さを指摘する。 
こうした「隠された思想」探しではないやり方で、「プーチンの論文や演説にみられるのは、復讐のイデオロギー化なのであり、それによりイデオロギーは道具であることを超え、自己目的化したのではないか」と読み解くのが口シア思想研究者の乗松亨平(きょうへい)「イデオロギーと暴力」(同)。
あいまいで拡張自在なロシアの自己規定のうち、明確なのは「西側とは違う」という一点のみである。
そして共産主義への勝利として祝われてもよかったソ連解体を西側という敵への敗北という認識で塗り替えた結果、冷戦敗北というトラウマが絶えず呼び戻され、復讐(ふくしゅう)によるトラウマの治癒が求められることになったという分析は鮮やかだ。
同時に、曲がりなりにも共産主義という大義を掲げたかつてのソ連と異なり、ひたすら内向きで自己中心的な現在のロシアの論理が他国に全く訴求しない理由も了解できる。         
(敬称略) =次回は6月23日掲載予定

 



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