以下は前章の続きである。
そしてその終着点が、あの「女性国際戦犯法廷」だった。
2000年12月8日~10日、12日の4日問にわたり、実質的には松井やより主催で「日本軍性奴隷制を裁く女性国際戦犯法廷」なるものが東京都内で開かれることになる。
1998年、松井は通称「バウネット・ジャパン」(「戦争と女性への暴力」日本ネットワーク)の初代の代表となる。
その当初から、「女性戦犯法廷」の構想はあった。
「女たちの戦争と平和資料館」には、昭和天皇が木に縛り付けられて日隠しされ、そこに二挺の拳銃が向けられているという韓国の元慰安婦が描いた絵が飾られている。
この絵を見て、松井は「女性国際戦犯法廷」を思いつく。
「法廷」には各国から百人近い判事や検事役、法律顧問専門家、証人や元慰安婦が集まる大規模なものだったが、経費の収支は明らかにされていないという。