以下は前章の続きである。
憎悪のヒラメになっては…
清田氏の方は、2014年の8月に朝日新聞社が「従軍慰安婦」の核心部分の誤報を認めてから、「済州島で一週間に二百人の若い朝鮮大女性を狩りだした」等「従軍慰安婦狩り」の吉田清治偽証言を最初に広めた人物として炙り出された。
1982年9月2日付、朝日新聞大阪本社版朝刊に「朝鮮の女性 私も連行」という見出しで彼が書いたのが嚆矢だった。
氏は、朝日新聞退社後の帝塚山学院大学教授職を辞した。
私の知らないうちに、彼は取材型の新聞記者であることを少しずつグラデーションを描きながら捨てて行ったのだろう。
文章はうまくないからあとはヒラメ型しか残らない。
対東アジア贖罪の社風へと、若宮氏の後を追った。
その間韓国は、近代国家失敗への道を自らの道標に沿って歩んでいた。
2012年になると、彼らはその失敗過程で生じた憎悪を露骨に日本に向け始める。
2012年、韓国の李明博前大統領が8月10日、日本国島根県竹島に不法上陸したのに続き、14日には、こちらが訪韓を依頼したわけでもないのに、「独立運動家への心からの謝罪」が天皇陛下の訪韓の条件だといい、「痛惜の念という言葉だけ」ならば来なくてよいと、天皇陛下と日本国民の心を踏みにじる暴言を吐いた。
2014年には、朴槿恵大統領の離間策外交が始まる。
そして今年の朴大統領の罷免へとつづく。
もう異常な国家であることは誰の目にも明らかなはずなのに、朝日・毎日の韓国担当記者たちは、韓国の身になって一緒に何かしようとする。
韓国の憎悪に寄り添うヒラメ型になりたいらしいが、本当に新聞記者として真っ当なのは、あのソウルの夜、若宮氏に土間で殴られていた清田氏の方である。